もどる

    かけはし2018年10月8日号

つながった鉄路に乗って平和が来る


南北間で断たれた道の連結でみた反目と和解の歴史

今年中に東・西海岸鉄道、道路連結着工式

 「南と北は相互互恵と共利共栄の土台の上で交流と協力をさらに増大させて、民族経済を均衡的に発展させるための実質的な対策を講じていくことにした。南と北は今年中に東・西海線鉄道・道路連結の着工式を行うことにした」(平壌の共同宣言第2条1項)。
 平壌(ピョンヤン)首脳会談初日の9月18日は分断歴史の中で意味がある日だ。2000年、その日、京義(キョンウィ)線鉄道復元に向けた南側地域の着工式が開かれた。金大中(キム・デジュン)大統領は枕木に「平和と繁栄の時代」という直筆メッセージを残した。
 2年後の2002年、その日は、韓国と北朝鮮が京義線・東海(トンヘ)線鉄道と道路連結の同時着工式を開いた。分断と内戦に明け暮れた過去の歳月、南と北は長期の反目を破って再び会うたびに、目立って寸断された道を眺めながら気をもんだ。

対話が切れれば、道は閉ざされて

 「双方は途絶えた民族的連携を回復して、お互いの理解を増進させ、自主的平和統一を促進させるため、南北の間に多方面的な諸般の交流を実施することで合意した」。
南北が公式会談を通じて、鉄道・道路連結に原則的に合意したのは1972年7・4南北共同声明(3項)が初めてだ。寸断された道は簡単に消えた。
立ち止まった汽車も動く気配を見せなかった。はかない歳月がむなしく過ぎ去った。南北が再び鉄道・道路連結を取り上げたのは1984から85年まで続けられた経済会談からだ。 鉄道実務者間の接触も開くことにした。しかし、それだけだった。南北対話が断たれて道は再び中断した。

「南と北は切れた鉄道と道路を連結して海路、航路を開設する」


南北が鉄道・道路連結を明文化したのは1991年に締結された「南北の和解と不可侵および交流・協力に関する合意書」(基本合意書)第19条が初めてだ。翌年9月17日に締結された基本合意書3章、南北交流・協力の履行と遵守に向けた付属合意書の第3条で、南と北は寸断された道をつなげるための案を8項目に分けて指摘した。

 「南と北はまず、仁川港、釜山港、浦項港と南浦港、元山(ウォンサン)港、清津港の間の海路を開設する。南北間の交流・協力規模が大きくなり、軍事的対決状態が解消されることにより、海路を追加で開設して、京義線鉄道と文山〜開城(ケソン)の間の道路をはじめ、陸路を連結し、金浦空港との順安(スンアン)飛行場の間の航路を開設する。交通路が開設される前に行われる人員の往来や物資の交流のために必要な場合、双方が合意して臨時交通路を開設することができ、…」。

 ソビエトの没落と社会主義圏崩壊、ドイツ統一に世界が熱気に包まれた時だった。韓半島でも冷戦を取り払う絶好のチャンスだった。南と北が国連に同時加盟したその年、韓半島の運命は再び急速に悪化した。道をつなぐ機会も跡形もなく消えた。いわゆる「北朝鮮の核危機」はその頃始まった。
2000年6・15首脳会談で、韓半島に仲直りの薫風が吹いていた。南と北は一カ月後に開かれた第1次長官級会談の際に寸断された道を継ぐことで合意した。20回にわたった閣僚級会談と13回南北経済協力推進委員会が続いた。鉄道連結のための実務対話も長期間続いた。趙明均(チョ・ミョンギュン)統一部長官は当時、鉄道の実務対話を導いた責任者だった。

道をつなぐためには戦いを止めて


切れた道を結ぶのにどんな意味があるのだろうか?
金正日(キム・ジョンイル)総書記は2000年8月に訪朝した韓国メディア会社の社長団に会った席でこのように話したという。「南側が先に着工してください。それでは直ちに私たちも着工します。上級(閣僚級)会談で着工日を早めに合意しなさい。私が大統領と林東源(イム・ドンウォン)国情院長にも言ったが、日付が合意さえすれば私たちは38境界線2個師団3万5千人の兵力で直ちに着工します」。道つなぎには、先にけんかを止めなければならない。
紆余曲折は続いた。2006年5月の熱気でやった京義線列車試験運行は緊迫した情勢で1日前にキャンセルされた。北朝鮮のテポドンミサイル発射(2006年7月)と第1次核実験(2006年10月)が相次いだ。
翌年2月13日、6者協議で9・19共同声明の履行に向けた初期措置(2・13合意)の合意が実現した後に、南と北は再び切れた道を眺めた。
2007年5月17日午前11時28分頃、京畿道坡州市ムンサン駅に五色爆竹が立ち上った。京義線セマウル号7435号(機関士シン・ジャンチョル)が軍事境界線を越えて北朝鮮の地に進入するには50分で十分だった。
北側の金剛山(クムガンサン)駅を出発した東海線の内縁602号機関車(機関士ロ・グンチャン)も昼12時21分に軍事境界線を通過して南の土地に進入した。1951年運行が中断された京義線は56年ぶりに、東海線は、1950年以降57年ぶりに長い眠りから覚めた瞬間だ。
しばしだった。その年末政権が変わって、道は再び中断した。9年余りをむなしく送って直面したのは、とんでもないことに「戦争危機」だった。道を再びつなぐことができるか? 途絶えたのは平和への道だった。
「両首脳は、韓半島にこれ以上戦争はないだろうし、新たな平和の時代が開かれたことを8千万韓民族と全世界に厳粛に宣言した。両首脳は冷戦の産物である長い間の分断と対決を一日も早く終息させ、民族的和解と平和繁栄の新しい時代を果敢に切り開いていく、南北関係をより積極的に改善して発展させていかなければならないという確固たる意志を込めて、歴史の地、板門店(パンムンジョム)で…」。
平昌冬季五輪が作り出した夢のような機会を握った南北が去る4月27日、板門店で会った時、南と北の両指導者は再び「道」を思い出した。
南北は、板門店宣言第1条6項でこのように合意した。
「南と北は民族経済の均衡的発展と共同繁栄を実現するために10・4宣言で合意された事業を積極的に推進して行き、1次的に東海線と京義線鉄道と道路を連結して現代化して活用するための実践的対策を取っていくことにした」。

道が続けば、冷戦が去る

 道が続くと、韓半島はこれ以上「冷戦の孤島」ではない。京義線は、平壌を経て中国横断鉄道(TCR)に接続される。東海線は、羅津を経てシベリア横断鉄道(TSR)と出会う。汽車に乗ってヨーロッパへ行く感激に終わるのか? 大陸と連結される鉄道は、中国の一帯一路(陸上・海上シルクロード)とロシアのハサン〜羅津プロジェクト(ロ朝鉄道とガスパイプライン連結事業)と出会うことになる。
文在寅(ムン・ジェイン)大統領が「韓半島の新経済指導」を通じて「平和が経済」と強調する理由だ。続く鉄路に乗って平和が来る。(チョン・インファン記者、「ハンギョレ21」)

声明

さあ整理解雇・損害賠償
仮差押のない世の中に進もう

双龍自動車解雇労働者の復職合意に寄せて

 双龍自動車の整理解雇労働者が9年の闘いの末に復職を勝ち取った。しかし、この過程でくわえられた会社、政府の弾圧により、労働者の生活を破壊した責任は問われていない。今も多くの解雇との闘いの中で、双龍自動車の労働者とともに闘いを続けるという社会変革労働者党の声明を紹介する。(「かけはし」編集部)

 今日の双龍(サンヨン)自動車の復職の合意で119人の解雇労働者たちが9年ぶりに工場に戻れるようになった。復職を勝ち取った解雇労働者たちにとってこの上ない祝いを送りながらも、わずか3カ月前、命を絶った故キムジュジュン組合員が一緒にできなくて残念なばかりだ。
 双竜車社側が3年前に約束した復職合意をきちんと履行したなら、120人みんながいっしょだったが、徐々に復職を先送りした会社側と深刻な警察の暴力がもたらしたトラウマ、労働者の生活を押さえつけた損害賠償仮差押は1人の同僚を再び奪っていった。このように30人の双龍自動車労働者と家族たちが命を失ってからやっと、解雇者が9年間工場の労働外で闘った後になって初めて、復職合意がなされた。
 双龍自動車労働者たちは2009年リストラに対抗して闘いながら「解雇は殺人」と叫んだ。この殺人を先頭に立って陣頭指揮したものは、ほかならぬ国家だった。
 2004年、多くの食い逃げの憂慮の中でも双竜車を上海車資本に売り渡していた政府と産業銀行は5年ぶりに結局、食い逃げが現実化して会計操作まで明らかになったにもかかわらず、何の責任も負わなかった。むしろ整理解雇を防ぐためにストに突入した労働者らに向け、警察特攻隊を投入した殺人的な鎮圧作戦を展開した。
 催涙液水爆弾、テーザーの件、ヘリコプターの低空飛行とともに無慈悲な殴打をし、労働者を踏みにじった警察の暴力は、大統領府の承認まで受けて行われた準軍事作戦だった。
そして、追い出された労働者たちに到底返済できない金額の損害賠償仮差押までかけたことにより解雇労働者の暮らしを完全に破壊させようとした。
 2009年のストと以後9年間に達している双龍車の労働者の生活と闘争は整理解雇が殺人犯罪であることを悲劇的に示している。今日復職の合意文で、大統領直属の経済社会労働委員会は「この10年間の社会的葛藤を社会的合意で解決したことに尊敬を表する」と言った。殺人の執行者だった政府がまるで仲裁者もしくは第3者であるようにひたすら幽体離脱話法を使うのか。
 真の責任を尽くしたい場合は、9年間30人の命を奪って数百、数千労働者の生存権を一瞬に剥奪したこの悲劇の根源である整理解雇自体を撤廃しなければならない。また、国家が先頭に立って労働者たちの争議権を抑え、経済、生活自体を不可能にして生活をあきらめるように追い込んだ損害賠償仮差押も廃棄させなければならない。
 責任者に対する厳重な処罰も欠かすことが出来ない。会計操作まで犯した会社が行った整理解雇を適法と判決した梁承泰(ヤン・スンテ)最高裁判所は、自分たちの判決が労働柔軟化政策に歩調をあわせたものだと朴槿恵政権に広報した。軍事作戦を彷彿させた暴力鎮圧を陣頭指揮した国家権力は謝罪の一言もない。再びこのような蛮行が生じる恐れがないようにこの殺人の共謀者に犯罪の代価を払うようにしなければならない。
 今日、双龍車の復職合意は行われたが、解雇労働者たちがともに要求した損害賠償仮差押の撤回、国家暴力の謝罪と責任者処罰はまだ行われなかった。それだけでない。整理解雇と損害賠償仮差押は依然として数多くの労働者たちの人生そのものを苦痛の中で押さえつけている。経営失敗の責任を労働者らが負って追い出され、命を失った悲劇が繰り返されてはならない。
 再び、双龍車解雇労働者たちの復職を祝いながら、社会変革労働者党は整理解雇と損害賠償仮差押のない世の中を作るために一緒に闘争していく。
2018年9月14日
社会変革労働者党

朝鮮半島通信

▲韓国最高裁の所属機関が元徴用工の民事訴訟の進行を遅らせていたなどとの疑惑を巡り、韓国検察は9月30日、最高裁の梁承泰前長官が所有する車、元最高裁判事3人の事務所や自宅を捜索した。梁氏らへの強制捜査の令状が発付されたのは初めて。梁氏の自宅への捜索令状請求は棄却された。
▲大阪朝鮮高級学校を高校授業料無償化制度の対象から除外した国の処分の是非が問われた訴訟の控訴審判決が9月27日、大阪高裁であった。同判決は国の処分を違法と判断した一審・大阪地裁判決を取り消し、学校側の訴えを退けた。朝鮮学校の無償化除外をめぐっては、大阪、東京、名古屋、広島、福岡の朝鮮学校の学校法人や生徒らが提訴しているが、高裁レベルの判断は初めて。現在、アメリカンスクールや中華学校、韓国学校などの外国人学校については無償化の対象となっている。

 


もどる

Back