もどる

    かけはし2018年10月22日号

「教育勅語」礼賛の文科相は辞任せよ


「天皇のために死ぬ」のが美徳なのか

STOP 排外主義と国家主義

憲法改悪阻止、安倍政権打倒へ

「安倍1強体制」に亀裂


 第四次安倍改造内閣で入閣した柴山昌彦文部科学相は、一〇月二日の記者会見で「戦後教育や憲法のあり方がバランスを欠いていたと感じています」とツイッターに投稿(八月)していたことを問われ、「戦前は義務や規律が過度に強調されたことへの反動として自由や権利に重きを置いた教育、個人の自由を最大の価値とする憲法が制定された。権利とともに、義務や規律も教えていかないといけない」などと手前勝手な憲法解釈を披露しながら基本的人権よりも国家に忠誠する教育の比重を強化していくと述べた。
 さらに教育勅語について「同胞を大事にする、国際的協調を重んじるなどの基本的な記載内容について現代的にアレンジして教えていこうと検討する動きがあると聞いており、検討に値します」「今の例えば道徳等に使うことができる分野というのは、私は十分にあるという意味では、普遍性を持っている部分が見て取れるのではないかと思います」などと述べ、天皇主義と軍国主義教育の柱であった教育勅語(一八九〇年)を賛美し、教育に導入していくなどと表明した。「普遍性」とは、天皇をトップとする家父長制の継承であり、個人の基本的人権を軽視して国家のために忠義をつくせということだ。しかも「国際的協調を重んじるなどの基本的な記載内容」は、どこにも明記されておらず、捏造でしかない。
 後日、柴山は、教育勅語賛美発言に対して野党や社会的批判が集中したため「国として検討するとか、積極的に推奨する準備を進めているとか、そういうことはみじんも申し上げていない」と居直りながら、「わが国の先人たちが世界から尊敬され驚嘆されるような道徳を育んできたというのは事実なので、一部の個人、団体がそういうことを踏まえて教育勅語をアレンジした形で教材として使ったり検討したりは十分理解できる」とあらためて教育勅語を現代版として導入していくことを繰り返した。

「国家のために命を捨てろ」

 教育勅語は、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」と明記しているように天皇のために命を投げ出し、侵略戦争を押し進めろというところが核心だ。だが、戦後、教育勅語は、一九四八年、衆議院で「神話的国体観に基いて」おり「明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残す」として「排除決議」し、参議院で「失効決議」が採択され、公式に廃止した。柴山発言はこの歴史的成果を否定し、教育勅語の現代版と称して、安倍政権の改憲策動と連動させながらグローバル派兵国家に忠誠をつくす人間を育成していくことを強調したのだ。要するに国家主義と新自由主義教育を一体化させた安倍「教育再生」路線の忠実な代弁者として柴山は、その任務を貫徹させようとしているのだ。
すでに安倍政権は、森友学園国有地売却問題関連で系列の幼稚園で園児に教育勅語を暗唱させていた天皇主義教育の社会的暴露や、森友学園問題関連で稲田朋美防衛相が「教育勅語の精神は親孝行、友達を大切にする、夫婦仲良くする、高い倫理観で世界中から尊敬される道義国家を目指すことだ」(参議院/一七年三月)と教育勅語を賛美したことに対して野党の批判に直面し、 「(教育勅語が)教育における唯一の根本として位置付けられていた戦前の教育において用いられていたような形で、教育に用いることは不適切であると考えている」と言っておきながら、「憲法や教育基本法等に反しない形で教材として用いることまでは否定されることではない」などと教材使用を認める答弁書を閣議決定(二〇一七年三月)している。また、「道徳」を教科化し、子どもに愛国主義を柱とした検定教科書を使わせ、基本的人権を否定する「評価」を行うまでに至っている。つまり、「道徳」教科化によって先取り的に教育勅語の指針を注入している流れの中で柴山発言があり、単なる復古主義的に教育勅語を賛美したのではなく、あらためてグローバル派兵国家建設に貢献するために現代版教育勅語を導入していくことを目的意識的に強調したのである。柴山は、ただちに教育勅語賛美発言を撤回し、文科相を辞任せよ。改憲攻撃の加速化と連動した柴山発言を糾弾する。

「日本会議」の政治路線


安倍内閣の石井啓一(公明党)国交相以外の閣僚らは、天皇制賛美と侵略戦争を正当化し、改憲を掲げる「神道政治連盟国会議員懇談会」、「日本会議国会議員懇談会」に所属しており、明らかに改憲に向けた布陣を打ち固めた。柴山は、「日本会議議連」、「神道議連」、「靖国議連」、「創生『日本』」に所属しつつ、「日教組問題究明議連」にも参加し先頭で教育の正常化を掲げて日教組攻撃を軸に反動教育導入に向けて悪行を繰り返してきた。
改憲シフトの一角として下村博文を自民党憲法改正推進本部長(一〇月四日)に配置したが、過去、文科相であったころ、「教育勅語の中身そのものについては今日でも通用する普遍的なものがある。この点に着目して学校で教材として使うのは差し支えないことである」(参議院文教委/一四年四月)と答弁している。この下村答弁を実績にして安倍政権は、「教育勅語」礼賛を踏襲し、柴山がその確認を繰り返したのである。
さらに柴山発言で注意しなければならないのは、教育勅語に明記されてもいない「国際協調」を押し出したことだ。例えば、日本経団連は、愛国主義と国家への忠誠に向けた改悪教育基本法(二〇〇六年一二月)をバネにしながら「次代を担う人材育成に向けて求められる教育改革」(二〇一四年四月)で「(教育の)グローバル化への対応を進めると同時に」「グローバル人材に求められる倫理観や公徳心、他者への思いやりなどを育む徳育も重要である」と強調し、安倍政権の「教育再生」路線で具体化させてきた。その延長に柴山は、「教育再生」路線の踏みこみとして財界らが求める人材育成のために強引に教育勅語と結びつけ、国益のための人材作りを一つのビジョンとして描いていたと言える。
柴山が所属する日本会議は、経団連などの財界の要請を受けて戦争するための国作りの担い手、グローバル企業のための人材作りのためのマクロ・ミクロ政策を打ち出していた。柴山発言は単なる暴言ではなく、日本会議路線を方針として宣言したのである。

憲法改悪阻止に全力を


こんな柴山反動発言を安倍政権・自民党・日本会議の広報紙「産経」の社説(一〇月八日)は、「普遍的価値を理解したい」と掲げ、柴山発言の「どこが問題なのか」と「反撃」している。しかし、その内容は、「当初から政府見解を踏襲して応えているにすぎない。揚げ足を取って騒ぎ立てる問題ではなかろう」と強がってみせるが、教育勅語が編纂された当時の時代状況と違うなどと言うしかないのだ。教育勅語の天皇のために命をつくせという核心箇所に対しては、「国の危機にあたっては国民それぞれの立場で協力する当然の責務をうたっている」と正当化し、「根底にある信義などの徳目は今こそ問われている。排除するのは多様な視点が求められる現代の教育にも反しよう」などと改憲派としての産経のセクト主義を押し出すことしかできないのだ。柴山をはじめ自民党議員による教育勅語賛美発言はこんなレベルで意思一致しているのだ。
自民党改憲草案は、第一二条で国民の権利よりも義務を強調し、「公益」や「公の秩序」の利益により人権を制限することを明記しているが、それを改憲四項目(緊急事態条項、9条改正、参院選合区解消、教育の充実)として貫徹していくことをねらっている。先取り的に「道徳」教科化によって天皇と愛国主義の価値観を押し付け、定着させながら、子どもの内心に踏み込んでいこうとしている。
その本質は、差別・排外主義であるから「敵対」する主張と勢力に対して排除へと向かう。この傾向は、先兵としてレイシスト集団の活性化へと現れている。反天皇制闘争に対する妨害・嫌がらせにとどまらず、連帯ユニオン関西生コン支部などの労働組合活動に対する敵対と暴力として登場している。二〇一九年の天皇代替わり攻撃の過程においてよりいっそう露骨な形で、公安政治警察と連携しながら向かってくるだろう。反撃のスクラムを構築し、闘う陣地を広げていこう。「日の丸・君が代」反対の闘いと結び付いた改憲反対、現代版教育勅語の導入を許さない闘いを共同闘争として作り出していこう。     (遠山裕樹)




もどる

Back