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    かけはし2018年10月29日号

ヨルダン川西岸併合の野望との闘いとは?


パレスチナ

ジルベール・アシュカルに聞く

パレスチナ領域各地への入植は
オスロ協定でむしろ加速された



 ガザ、イスラエル境界におけるパレスチナ人の平和的な抗議行動に対するイスラエルによる殺人的な弾圧行為は今も続いている。同時にイスラエルでは、イスラエルをユダヤ人国家と規定する法が制定され、この行為に対するパレスチナ民衆の抗議の声がパレスチナ全域で上げられている。しかし米国でのトランプ政権登場は、パレスチナ民衆のこの悲劇的な状況をさらに深刻化する要因になっている。パレスチナ民衆連帯運動には問題は深刻に提起されている。それを考える素材として、現状をどう理解すべきかについての、アシュカルの考えを以下に紹介する。同時にもう一つの素材として、先に挙げたユダヤ人国家規定の法制定に対する抗議行動を伝える記事も紹介する。(「かけはし」編集部)
 オスロ協定から二五年を経て、イスラエルとパレスチナ間の和平プロセスは行き詰まっている。ベンジャミン・ネタニエフのイスラエル政府――シオニスト国家史上最右翼の政府――は、和平交渉について聞く気がない。パレスチナの指導部は、ヤセル・アラファトが始めたこの動きの破綻を深く考えることができないように見える。主な仲介者である米国は、和平交渉を止めるように思われる決定を行わないという、その伝統的な外交路線から決定的に離れた(ドナルド・トランプの着任をもって)。
 イスラエル人とパレスチナ人の間で力の不均衡を高め、和平の展望すべてを取り去る、この展開をどのように説明できるだろうか?一つのインタビューの中で、ジルベール・アシュカルが、オスロ合意以後のものごとの転換を理解するための糸口をいくつか示した。

オスロ協定は袋小路を内包

――オスロ協定は死にいたり埋葬されたのだろうか?

 オスロ協定は死産だった。私は、一九九三年にこれらの諸々の合意を批判し、不吉な形で迫ろうとしていた袋小路に警告を発した少数派に入っている。当時のもっとも著名な批判者は故エドワード・サイードだった。
これらの諸合意は、ヤセル・アラファトとパレスチナ指導部の側における、ある種の素朴な希望を基礎としている。その希望は、一つの動きに始動が与えられ、それが独立したパレスチナ国家という彼らの目標の達成に導く可能性がある、というものだ。パレスチナの交渉担当者、特に内務部門の者たちがその時まで掲げてきた主な諸条件を先延ばしにすることにより、彼らが協定署名に合意したのは、先のことが基礎になっていた。ちなみに提起されていた条件には、難民の問題やエルサレム問題には触れないとしても、特に入植の凍結が含まれていた。
イスラエル側には、何であれ素朴な希望も幻想もまったくなかった。見方は非常に異なっていたのだ。オスロ合意は、一九六七年以後に発展させられた考え方、すなわちパレスチナ人が住む領域のない、人口統計的関係を変えると思われる西岸を支配するという展望、の一部だった。西岸への入植は、この領域の主要部分を事実上併合する事態をつくり出すことを狙いとしている。そこでは、パレスチナ人居住域はパレスチナ自治政府支配の下に残され、同政府は、一種の「代理人による警察」の役割を演じていることに気付くのだ。
パレスチナ自治政府がなり果てたものにもっとも近いものは、南アフリカのバンツースタンの状況だ。つまり、いわゆる黒人住民のための国家であり、それは事実上、アパルトヘイト時代を通じて南アフリカの支配下にあった。批判者が予想したように、オスロ協定は、その後に入植地の解体が続く入植凍結に導くどころか、入植を加速した。入植地の拡張は一九九三ー二〇〇〇年の期間に、一九六七―一九九三の全期間と同じだけ、倍増した。

――オスロは、パレスチナ諸領域への入植をどのように加速したのですか?

 オスロ協定はある種の凪をつくり出した。そしてそれは入植の加速には助けになった。パレスチナ自治政府のパレスチナ側への支配は、諸々の攻撃やデモを相当に減少させた。シオニスト運動は入植を強める好機を掴んだのだ。

イスラエルは西岸併合を準備中


――現在の袋小路をどう説明しますか?

 このプロセスは、二〇〇四年のアラファトの死以前に深刻な危機にあった。ブッシュ政権のお気に入りの候補者、マフムード・アッバスが彼を継承したが、彼は、イスラエル・米国の切実な要求に服従する点で、あらゆるパレスチナ人指導者よりも先に進んだという事実にもかかわらず、何も得なかった。われわれが全面的な行き止まりにあることははっきりしている。そしてそれは、オスロ合意の署名時点で完全に予想可能なことだった。
今日、二〇一七年から米国が、米国諸政権の伝統的な親イスラエル傾向のはるか先まで進む政権を抱えることになったという事実により、状況は悪化している。われわれは今や、イスラエル極右と密接な関係にある政権を前にしている。そして私見では、この政権が、その現行の支配下における西岸諸領域のイスラエルによる正式な併合に向けて、政治的な諸条件を準備中だ。

――その併合は、国際社会にどのように正当化されるのだろうか?

 これは、イスラエル極右の論理に従うものになると思われる。彼らは一方的な分離を欲している。彼らの問題は、残るパレスチナ諸領域にどう対処すべきか、ということだ。トランプ政権はジャレド・クシュナーを通じて、地域の支配に当たるようヨルダンの説得を試みた。しかしもちろんヨルダン人は、この高熱のジャガイモなど欲していない。われわれは今、正式な併合、適法な併合へと向かおうとしている。口実は、有名な米国の和平プランに対するパレスチナ人の拒絶になるだろう。イスラエル人はその時「みなさんが見るとおり、パレスチナ人は常に和平プランを拒絶してきた。したがってわれわれは、一方的に行動し、問題の領域を併合することになる」と言うだろう。

解決の方向性は今見えていない


――入植は不可逆的だろうか?

 違う。米国に一九六七年以来占領している領域からの撤退をイスラエルに強いる意志があれば、その進行の逆転はあり得るだろう。明白なことだが、イスラエル国内に大きな危機がなければそれはあり得ないだろうが、しかしそれはあり得ないことではない。西岸にいる入植者数は、一九六二年に国を出たアルジェリアの欧州人以上の数とはまったく言えないのだ。逆転は政治的意志の問題だ。
言われているように、時間が過ぎれば過ぎるほど、イスラエル人が根を下ろせば下ろすほど、問題は一層難しくなる。そして現在の力関係に基づけば、その逆転がどのように起き得るか、それを人が知ることはできない。

――あなたは、パレスチナ国家の創出に対し代わりの解決があると考えますか?

 一つの主張は単一国家の要求だ。そしてそれを民族的要素に触れることなく、ある者は二民族のと呼び、他の者は世俗的と称している。しかし私の考えでは、これは、入植者の諸領域からの撤退以上にと言っていいほどにユートピア的だ。入植者の撤退があり得ない以上、パレスチナ人に投票権があり、パレスチナ人とイスラエル人の間に諸権利の平等がある、そうした単一国家になるしかない、と語る論理は、今日想像以上に困難だ。したがってわれわれは行き止まりにある。それは悲劇的だ。しかし、この紛争からの出口は、今日地平線上にはまったく現れていない。(「インターナショナルビューポイント」二〇一八年一〇月号)

パレスチナ イスラエル

イスラエルの民族国家法反対でスト

同法反対でパレスチナ人は団結する


前例のない動き
で分断狙い破る

 広範なストライキが、物議を醸している法への反対でパレスチナ人を結集している。しかしそれはまた、現にある諸々の不満に対するプラットホームとしても役目を果たしている。
 占領域中のパレスチナ人が、一九四八年以後ではまれな企てとして、イスラエルの民族国家法を糾弾する一〇月一日の大規模ストライキを設定した。しかしそれはまた、「世紀の計画」とカーン・アル・アマル(ネゲブ砂漠から追い立てられたベドウィンに割り当てられたヨルダン川西岸域にある村:訳者)の差し迫った破壊に反対する、広範な諸々の不満をも表した。
 諸工場から小さな村の商店まで、学校から事務所まで、イスラエル内、東エルサレム、西岸、さらにガザの、さまざまな政治的組織からのパレスチナ人が、職場を空にし、商売を止め、繁華な通りを無人の通りに変えた。
 「あらゆる地点のパレスチナ民衆によるゼネストは、われわれを分断しようとのもくろみの破綻を示す証拠だ」、バラド民族民主党党首でありイスラエル国会(クネセト)メンバーであるジャマル・ザハルカは「ミドル・イースト・アイ」にこう語った。
 さらに彼は「われわれは、民族国家法を通して、あるいは『世紀の計画』を通してわれわれパレスチナ人の問題を終わりにすることに対する拒絶で、われわれすべては団結している、と宣言する。両者は同じコインの両面だ」そして「全パレスチナ人のゼネストは、一九四九年のナクバ以後では前例のない動きだ。民族国家法がパレスチナ民衆すべてを標的にしているからには、この動きは今後大きな効果を及ぼすだろう」と付け加えた。
 抗議の呼びかけは、イスラエルのパレスチナ市民の政治的党派すべてを結集するアンブレラ組織である、「イスラエル内アラブ住民のための高等追跡調査委員会」から現れた。
 この行動に火を着けた主な問題はクネセトが七月に通過させた民族国家法であり、これは、イスラエルをユダヤ人のための「民族的母国」と宣言し、ユダヤ人ではない市民の二級市民としての地位を固めている。
 ゼネストは一九四九年のナクバ以後では前例のない動きだ。しかしこの抗議行動は、第二のインティファーダの初期の日々にデモを行っていたイスラエルのパレスチナ人市民一三人をイスラエル軍部隊が殺害した、二〇〇〇年一〇月の抗議一八周年を記念する行動と同時に起きた。パレスチナ人は毎年、この日を記念するためにイスラエル国内にある共同墓地を訪れている。そして今年、行動の組織化にあたった人々は、彼らは、過ぎ去った年月を変えることにはなっていない系統的な課題設定に抗議するために、この日を利用しようとしている、と語っている。
 「イスラエルの治安部隊が二〇〇〇年一〇月にわれわれの人々一三人を殺害した。そして殺害を犯した者が誰かは誰でも知っている」「この九月、事件の一八年後、クネセトはアパルトヘイトの民族国家法を採択した。これは、われわれの民衆を、この土地から、歴史から、未来から、われわれの諸権利を、投げ出そうとするものだ」、今回の行動を組織する委員会代表のモハムマド・バラキはこう語った。

統一こそが
唯一の方法


 パレスチナ占領域中の政治諸党派が、パレスチナの学校、商店、工場さらに諸機関すべてがこの日に止められる形で、ストライキの呼びかけに合流した。
 ガリレー、三角地帯、ネゲブ地域にあるイスラエルのパレスチナ人多数居住域の通りは、この日無人になり、一方西岸占領域のラマラ市でも、いつもは繁華な市中心ですべての店頭にはシャッターが下ろされた。
 「イスラエルはユダヤ人のためだけにあると語るこの政策をもって、イスラエルは、パレスチナ民衆を彼らのいる場所を問わずに団結させることに成功した。そしてわれわれは、あらゆるパレスチナ地域で同じくわれわれすべてがストライキに参加しているのを見ることができる」、ヘブロン市の西岸のパレスチナ人活動家、バディ・ドゥウェイクは「ミドル・イースト・アイ」にこう語った。
 そして「これは、さまざまな地域のわれわれ自身が同じ強力な前向きなエネルギーをもっているのを見るという、非常に希望のある機会だ。そのエネルギーは、われわれが解放を達成するまでの抵抗継続について、私に希望を与えている」「統一は、占領に対決する抵抗とそこで勝利を達成するための、唯一の方法だ」と付け加えた。
 二〇〇〇年一〇月に二人が殺害されたガリレーの町、サクニンでは、市長代理のムネーブ・タラベーが、占領域中のパレスチナ人を敵視する差別と「嘆かわしい諸政策」は二〇〇〇年以後に成長したにすぎない、と語った。そして彼は「それはまったく止まっていない。民族国家法と一〇月のできごと(二〇〇〇年の殺害)は、同じ政策の一部だ。われわれのストライキは、われわれの大義は生きている、と示すメッセージだ。われわれは、われわれの記憶をとどめるために、そしてわれわれの歴史を生き長らえさせるためにここにいる」と語った。
 予想では、西岸占領域の北西角と境界を接する、パレスチナ人イスラエル市民が密集して詰め込まれた、イスラエル領域の細長い小片である「三角地帯」として知られる地域でこの日の午後行われるデモと共に、諸々のデモがこの日中行われる。(「ミドル・イースト・アイ」二〇一八年一〇月一日より)(「インターナショナルビューポイント」二〇一八年一〇月号) 


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