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    かけはし2018年10月29日号

エコ社会主義の追求は急を要す


気候

1・5℃に関するIPCC報告

第四インターナショナル・エコロジー委員会


 つい先頃IPCCから、産業革命以前期比で一・五℃の地球温暖化がもたらす影響についての特別評価報告が公表された。そこでは従来推測されていた以上の大きな影響が起きると予想され、それは日本の各種メディアでも一定の警告を交えて報じられている。しかしこの報告では、真に必要な施策は回避され、むしろ極めて危険な方策への依拠を暗示する部分も含められている。そして日本のメディアでこの部分に触れているものは非常に少ない。以下では、この問題部分を含めた、今回の報告への批判的評価とわれわれに求められる対応が危機感をもって訴えられている。(「かけはし」編集部)

1・5℃を超
えないが必須


 驚くことではないが、一・五℃までの地球温暖化に関するIPCC(気候変動に関する政府間パネル)特別報告は、人為的気候変動の影響が恐ろしいものになり、社会的にも環境的にもその両者でその影響が過小評価されてきた、ということを確証している。
 われわれがすでに経験しつつある一℃の温暖化は、大きな悲劇を引き起こすに十分になっている。すなわち、前例のない熱波、ハリケーン、洪水、氷河と氷冠の乱調だ。これらは、人為的な温暖化ができるだけ早く止められない場合、何がわれわれを待っているかについて、一つの考えを与える。惨害はもはや阻止できないが、しかしできる限りそれを限定することはまだ可能であり、また必要なことだ。
 この報告は何の疑いも残さない。つまり、二℃の温暖化は、パリ協定に含められている一・五℃の温暖化(小さな島国の諸国、もっとも低開発の諸国、科学者、また気候運動からの圧力の下に)よりもはるかにもっと深刻な結果になるだろうと。最新の研究によれば、「温室の地球」に対する閾値という問題では、二℃が引き金になることさえ可能性があるのだ。最大一・五℃というこの限度の尊重を確実にするために、あらゆる努力が払われなければならない。
 このことは、不可能ではないとしても、「マイナス排出テクノロジー」(TEMs)とジオエンジニアリングを使ってさえ(注)、極度に挑戦的なことだ、IPCC報告はこう評価している。したがって同報告は、先のような技術に頼って世紀の後半に冷却することにより相殺される、「一時的なはみ出し」というシナリオに触れている。
 このシナリオは非常な危険に満ちている。実際にも一時的なはみ出しは、数メートルにおよぶ海面上昇に結果する、グリーンランドと南極大陸の氷冠に関する大きな部分の突然の崩壊といった、大規模で非線形、そして不可逆的な移行を引き起こすことも十分に可能なのだ。それほどに、状況は深刻だ。
 これらの移行は、地球というシステムを暴走的気候変動へと押しやる、相互影響の連鎖を解き放つ可能性がある。加えて、先に挙げた考慮されている魔法使いの弟子的技術は、仮説的なものにすぎず、しかもそれらの効果は極めて否定的になりかねないのだ。

利潤法則前提
の発想は無力


 「排出されていないCO2の全量が大切だ」、科学者はこう語っている。実際全量が大切だ、地球の救出には、できるだけ早い、そして完全な、全化石燃料の使用の停止が必要なのだ。それでは専門家は、以下のようなものからの排出をなぜ数えないのだろうか? つまり、無用で有害なもの――たとえば兵器――の生産と消費、あるいは多国籍企業の利益を最大化することにしか役に立たない愚かしい国際的な商品運送、こうしたものからの排出ということだ。
 国際運輸からの排出を削減する直接的な方策としては、国際海運や国際運送が使用する化石燃料に対する恒常的な増税がなされるべきだろう。税収は、グリーン気候基金を介してグローバルサウスに再配分されなければならない。
 原理的には、一・五℃を超えないことを真剣に目標とする戦略には、一つの優先策として不要あるいは有害な生産の廃絶、また地域の環境適応農業(全員に良質な食料を提供しつつも、巨大な量の炭素を固定できる)を選択する中でのアグロビジネス放棄が必要になる。
 しかしこれは、資本主義の利潤法則との決裂を意味する。問題は、この法則が社会的進展のまさに心臓部に位置し、そのことが予想にとっての基礎として役割を果たしている、ということだ。IPCC第五報告はこのことを「使ったモデルは完全に機能する市場と競争的な市場行動を当然のこととして仮定している」と文書の形で述べている。
 IPCCの専門知識は、気候変動という物理現象の評価という問題になる場合は必要なものだ。他方で、その安定化戦略は、成長と利潤という資本主義の要請に対する従属により偏向させられている。原発の維持、およびマイナス排出テクノロジーとジオエンジニアリングの展開と一体化された一・五℃からの一時的はみ出しというシナリオは、主には先の要求によって指示されている。

エコ社会主義か
バーバリズムか


 一・五℃に関するIPCC報告は、COP24交渉に対する基礎として役割を果たすだろう。この交渉には、パリで決定された最大限一・五℃、それと現在の各国ごとに決定された貢献を基礎に予想された二・七℃―三・七℃の間にある溝を埋める、との意向が込められている。しかし資本家と彼らの政治代表は、彼らの足をブレーキの上に乗せている。つまり彼らにとって、化石燃料を地中に残すなどということは問題外なのだ。
 そして、新自由主義との決裂も、食料主権も、一〇〇%再生可能エネルギーへの最速で可能な移行を計画するためのエネルギー部門の社会化も、真に公正な移行と気候の正義も、問題外なのだ。逆に、高度に仮説的なマイナス排出テクノロジーが排出削減目標をさらに弱めるための口実として利用される、という大きな危険がある。
 「排出されていないCO2の全量が大切だ」。しかし、誰が今計算しているのだろうか、どちらが社会的に優先かを基礎に、どちらの必要に役立てるか、誰によりどのように決められているのだろうか? 今までの四分の一世紀の間、諸々の計算は、本物の民主主義などものともせずに資本家と彼らの政府に握られてきた。
 結果は衆知の通りだ。すなわち、さらなる不平等、さらなる抑圧と搾取、さらなる環境破壊、富裕な者たちによるさらなる土地強奪と資源専有……そしてかつてよりも大きな気候の脅威だ。今こそゲームのルールを変える時だ。
 環境運動、労組運動、農民運動、フェミニストと先住民の運動の強力な世界的な決起が必要であり、それは急を要している。怒りを覚え、政策策定者に圧力をかけるだけではもはや十分ではない。われわれは立ち上がり、諸闘争の集中をつくりあげ、何百万人、何千万人で街頭を埋め、化石燃料への投資や土地強奪や軍国主義を阻止し、農民支援に精力的に投資し、資本主義の枠組みによっては決定されない社会的諸行為に向けた基礎を整え……と、こうしたことを行わなければならない。
 気候の課題は主要な社会的課題になっている。搾取された者と抑圧されたものだけが、彼らの利益に一致した回答を与えることができる。エコ社会主義かバーバリズムか。これこそが、ますます鮮明になろうとしている選択肢だ。われわれの地球、われわれの命、命それ自身、それらは彼らの利益よりも価値がある! (二〇一八年一〇月八日)

▼エコロジー委員会は、環境問題について活動しているFIの国際機関。
(注)マイナス排出テクノロジーは大気中から炭素を取り除くことを目的に置き、ジオエンジニアリングで想定されていることは、大気中への太陽エネルギー取り入れの限定。(「インターナショナルビューポイント」二〇一八年一〇月号)

メキシコ

新政権への警告含め

国の再建へ、学生が新たに決起

バニア・アルキシエラ


 深い危機に覆われたメキシコでこの夏、既成体制への異議をアピールの中心に置いてキャンペーンを行った候補者が新大統領に選出された。この新しい情勢の中で学生が新たな闘いに立ち上がろうとしている。以下はその経過と背景を伝えている。(「かけはし」編集部)

大学内部でも
暴力放任横行
二〇一八年八月二七日、アツカポツァルコにある科学・人間学院(CCH)キャンパス――UNAM(メキシコ国立自治大学)の一五ある学部の一つ――の学生コミュニティは、施設を占拠しストライキに入ることを一つの会合で決定した。それは、教員不足、暴力集団による暴力が処罰されずに放任されていること、そして学院指導部による権威主義的決定を含むさまざまな理由から行われた決定だ。
数日後の九月二日、CCHの学生、マルシア・ミランダの焼かれた遺体がメキシコ州で発見された。このニュースは大きな衝撃を与えた。メキシコでは日に七人の女性が殺害され、若い女性にとって、女性殺人の犠牲者になるという可能性が急激に高まっているからだ。そのような衝撃的な事件にもかかわらず、大学は何も語らなかった。
これが、マルシアの女性殺人という恐ろしいニュースに接して一つのデモが九月三日に呼びかけられた理由だった。そしてこのデモでは、シウダード・ウニベルシタリア(C・U、大学市)のUNAM学長館がある建物が終着点にされた。マルシアの家族、また他の女性殺人の犠牲者の親類も参加していた。たとえば、レスビイ・ベルリン――C・U施設の中で起きた女性殺人の犠牲者――の母親やマリエラ・バネッサ――二〇一八年四月以来行方不明になっているスペイン語と文学を学んでいる学生――の家族がいた。加えてこのデモには、CCHアツカポツァルコの学生同志の要求に光を当て続ける意図が込められていた。
示威行動が続いていた中で、およそ五〇人のならず者集団が、棒やパイプ、さらに火炎瓶や石で参加者に攻撃を加えた。デモはバラバラになり、犠牲者の母親たちを救い出そうと、また参加者全員を無傷で守ろうと務めた。このちんぴらたちは、極度の暴力を使うことでデモを破壊するという、彼らの使命を果たした。数人の学生が負傷し、二人は病院に運ばれた。その一人は耳の一部を失い、他は腎臓を刺された。
重要なこととして、この暴力集団は、ほとんどが同じ大学の学生から構成された突撃隊だが、しかし学院外部の人間の指図を受けている、ということを指摘しなければならない。つまり普通のこととして、各学院やキャンパス向けのちんぴら集団がいる、ということだ。
これらの突撃隊は、諸機関の管理者や体制派諸政党の政治的人物により、社会運動が組織している学生を脅すために利用されている。これらの集団は、一九七〇年代以来同じ目的で組織されてきたが、学生の死や負傷の膨大なリストに責任を負っている。

新情勢下不満は
臨界点を超えた
九月三日のデモに対する襲撃は、大学コミュニティの不満の臨界点を破る一撃となった。そこでは、安全の欠如、ジェンダー暴力、免責、ドラッグ使用の犯罪化、不十分な予算などは、学生がいくつかの集会でこれまで討論し、また今も議論を重ねている要求と不同意の点で、掲げられたもののほんの数点にすぎないのだ。
大学コミュニティの不満が可視化された道筋は、何千人という学生が参加し、UNAMと他の大学の四一キャンパスで諸要求に連帯して活動停止を推し進めた、諸々の集会を通じてだった。そこに連なった大学の例としては、IPN(国立工業大学)、UPN(国立教育大学)、さらに国の他地域の大学が挙げられる。
最初の大衆行動が、九月五日、C・Uの中での行進で始まった。この印象的な行進は、この施設の大部分をめぐり、九月三日の襲撃が起きた同じ場所、学長館が終点だった。しかし今回そこには、三万人を超える学生、学者、労働者がいた。そして大学コミュニティは学生に対する暴力をこれ以上許さないだろう、との鮮明なメッセージを残した。
人口の大きな部分が四〇年間実施されてきた新自由主義諸政策の支柱に疑問を突き付けている、という新たな政治的光景(既成体制に対する異議をアピールの中心に置いた大統領が新たに選出されている:訳者)の中で、この学生決起は、分解し死につつある体制に対する闘いを加速し、登場しようとしている新政権に警告を与えている。それは、新しい世代は、諸権利を擁護し、この国を基本から変えるために、街頭にとどまり続けるだろう、との警告だ。
これからの日々、各大学は、全体としての運動が闘いを続けるために押し出すべき要求を、さらにその要求に向けて闘いが行われる形態を決定するだろう。なぜならば、「♯Yo Soy132」、アヨツィナパの学生四三人を生きて取り戻すためのキャンペーン(注)、さらに公教育支持の闘争という経験を重ねた末に、今この時が大学の若者たちの憤激を押さえていたフタを取り去ったからだ。
変化の風は、学生の新しい世代によって後押しを受けている。この世代は、暴力、免責、そして新自由主義諸政策によって深く傷を負わされた国の再建を欲しているのだ。

▼筆者は、「革命的社会主義青年共闘」のメンバー。
(注)二〇一四年九月二六日、アヨツィナパ地方師範大学の男子学生四三人がゲレロ州、イグアラで拉致され、その後行方不明になった。彼らの誰一人としてその後発見されることはなかった。「♯Yo Soy132」は、公・私立大学のメキシコ学生のほとんどの部分やメキシコの住民から構成され、世界中のおよそ五〇の都市から支持者を獲得した抗議運動。それは、制度的革命党(PRI)候補者であったエンリケ・ペニャ・ニエト、および二〇一二年大統領選に対するメキシコメディアによる偏向と見られた報道への反対として始まった。「Yo Soy 132」との名称は、スペイン語で「私は一三二」を示し、最初に抗議を始めた一三二人との連帯を表すことから始まった。その文言は、オキュパイ運動やスペインの15Mから着想を得ていた。(「インターナショナルビューポイント」二〇一八年一〇月号) 


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