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    かけはし2018年11月19日号

新自由主義の破産宣告とその後


世界的な金融危機から10年間、危機の火種は消えたのか

ホン・ソクマン(チャムセサン研究所)

新自由主義の破産10年と予告された危機

 新自由主義は、諸悪の根源ではなく、最も発展した資本主義体制だ。
 第2次世界大戦以後、市場と金融に対する国家介入を特徴とするケインズ主義体制は、政府が統制する中央銀行を中心にした管理通貨制を拡大し、国家の経済介入を通じて生産力の飛躍的な発展を成し遂げた。
 さらに労働との一定の妥協の中で、賃上げ―インフレ管理による発展体制を構築するに至った。
 戦後資本主義初のゴルディラックス(高成長―低物価―低失業)を謳歌しながら発展した資本主義世界経済は、1960年代中・後半以降、政府が中央銀行を通じて資金を動員する財政の貨幣化Monetizationが蔓延し、中南米などの中進国で借款のかたちの外国資本を導入して国家の負債が急増した。結局、70年代の2度の石油危機の中でスタグフレーションが発生して、景気低迷と物価上昇が同時に進むにつれ、労働者の庶民たちの暮らしが破綻するに至ったため、ケインズ主義は後退するに至った。
 新自由主義はこれを克服するための資本主義的な処方だった。
 国が中央銀行から貨幣を発行して資金を調達していたことから離れ、金融市場を通じて国債発行で資金を調達するようにした。
 これで財政の貨幣化を克服し、「インフレーション憂慮」から脱することができた。
 ここに、80年代の外債危機を経験した中南米諸国の経験を基に、外債を取引する資本市場を形成し、いわゆる「新興市場EmergingMarket」諸国を形成した。また、不動産などの固定資産を銀行を通じて(担保を)流動化させることから、これを債券化して取引できる金融市場を創出し、固定資産を流動資産のようにさせた。
 これがMBS(モーゲージ担保証券)、ABS(資産流動化証券)等と呼ばれる債券である。
 この債券取引の安定性のため、CDS(信用不渡りスワップ)やムーディーズなどの国際格付け機関を立ち上げ、債券などの金融商品のみならず、国の格付けまで評価させた。
また、リスク取引を分散させるため作ったものが派生金融商品でCDSと国際格付け機関とともに、三重の安全装置として機能するようにした。
 このように新自由主義はケインズ主義的な資本主義生産の様式を克服するための方向に考案され、実際にそのように動いているかのようだった。
 1990年代、米国はいわば「新経済NewEconomy」と呼ばれる戦後2番目のゴルディラックスを成し遂げ、成長を謳歌した。90年代以降、米国と西欧、日本など基軸通貨国のみならず、社民主義の福祉国家が主だった北欧国家まで、大半が新自由主義に旋回した。
 一方、新自由主義はこうした枠組みの上で生産と金融世界化を構築した。ウルグアイラウンドURを通じてWTO体制を発足させた。多国間貿易ルールを形成しようとした米国と西側先進諸国は、ドーハラウンドが暗礁に乗り上げ、二国間・地域間の自由貿易地帯の建設に迂回するに至った。
 また、90代初めにヨーロッパ地域の通貨危機、メキシコのペソ貨危機、97年にタイをはじめ韓国にまで広がった「東アジア通貨危機」などの変動為替レート制に変化した為替市場で、通貨危機を口実に金融開放を拡大させた。
 そして新自由主義は資本の利潤率低下を相殺させるための目的で動いたため、金融および生産の世界化とともに、国内的に国家独占部門を市場領域に組み込む「民営化」を常時的に作動させてきた。

世界大恐慌の2008年、新自由主義体制の破産判決


 しかし、初期にうまく運用してきた金融化(負債化)は、元金より多い利子を返済しなければならない状況に至った。利子を返済するためにまた、借金を重ねなければならない状況で、金融の世界化で世界の負債が持続的に増加した。負債は誰かの資本になるため、生産だけでなく流通領域にまで社会的総資本の過剰状態が共存した。
 利潤率だけでなく、利子率も下がり、リスク取引の安全装置として期待されていたCDSプレミアムを、国際格付け会社が騙して債券を売ってきており、リスク取引を分散させようとした派生金融商品市場は、最も投機的で危険な市場となった。
 また、新自由主義のグローバル化は先進国内の雇用減少と労働所得の低下につながった。中国など新興国では世界化へ雇用が拡大したが、金融開放と金融化により大資本が多くの所得を手にし、新興国の労働所得分配率も悪化した。
 このため、「グローバル化の失敗」という批判に直面し、労働者中心の「反グローバル化運動」の進展にもかかわらず、米国や欧州など先進国の経済で移民差別、国境封鎖、自由貿易に対する攻撃とユーロ離脱など右翼政治運動が活発化してきた。

新自由主義の破産、以後

 新自由主義の破産後、米国を筆頭に日本、ユーロゾーン、中国まで大恐慌の拡散を防ぐため、必死に量的緩和を進めた。基軸通貨局の量的緩和は、自国の通貨需要を満たし、不良金融債権を良質の国債に転換させ、デフレに対抗して貨幣価値の下落を促した。
同時に超低金利とともにドルなど基軸通貨を外部へ向かわせた。溢れたお金はほとんど新興国に向かった。それにもかかわらず、資本主義の世界経済は回復していない。世界経済は低成長の沼にはまっており、正常な景気回復の条件である過剰資本の淘汰や限界企業の退出も起きていない。
腐った細胞を殺したり取り除かなければならないのに、量的緩和はそれこそ死にかけている資本に生命延長装置を付けたような形になった。毎年、利息すら返済できない各限界企業は、死んでもいない上、低金利で借り入れを増やしながら、命をつないでいる。
このようなゾンビ企業は、08年の世界大恐慌以前より、かえって2倍以上増えた。さらに問題になるのは、過剰資本を解消するどころか、より大きな過剰状態に追い込まれたということだ。
その結果、アダムが禁断のリンゴを食べて以来、最も多くの資本が地球に溢れている。特に、ドルなどが溢れた新興国(アルゼンチン、トルコ、ブラジルなど)では、米国が金利を引き上げると、資本流出などの問題で危機の新たな震源になるのではないかと、憂慮するほどだ。

予告された危機と資本主義

新自由主義の破産後、「温かい資本主義」とか「資本主義4・0」とかいう言葉は多かったが、生産性を向上させ、利潤率を高めるための根本的な戦略を失ったまま、10年が経っている。グローバル化に亀裂が生じ、生産性の競争が加熱し、貿易戦争が繰り広げられている。
世界貿易機関WTOは機能を喪失したまま、「米国の経済挑発を当事国同士で判断せよ」と焦りを募らせている。先の景気循環について、「明確な教訓を得た」と自評する主流経済学界でも、「早ければ2019年初めか2020年以後は再び危機が発生する」と見込んでいる。
米連準が金利を引き上げる最も重要な理由が、まもなく到来する危機に対応手段を設けるためだという事実を隠さない。低金利の状態ではマイナス金利以外に対応できる手段がないからだ。
今回の危機で、再び量的緩和という延命治療を続けるのか。負債を減らし、患部をえぐり出すこと(いわゆる「創造的破壊」)のほかには、持続された危機から脱するきっかけすらつかめないという事実は自明である。
したがって、今回の危機は、「過剰資本」の解消すなわち(企業、政府、家計)負債縮小の過程になる可能性が高い。企業負債の縮小は強力な構造調整と退出を、政府負債の縮小は緊縮政策を、家計負債の縮小は不動産など資産市場の大規模な後退を意味する。
これが意味するところは、失業、賃金縮小、福祉の後退、家計破産だ。資本主義はどこに向かっているのか。 デジタル転換Digital Transformationと第4次産業革命の技術革新が資本主義の生産性を押し上げると期待されている。
しかし、技術が発展すればするほど労働生産性は下落し、製造業が縮小しただけに、サービス業の生産性もそれについていけないため、生産性の危機はさらに高まるだろう。クオバディスQuo Vadis?(ラテン語で お前はどこに行くのか?)
(社会変革働者党 「変革政治74号」より)

イエメン難民2次審査一人も認めていない政府

問題は、難民ではなく、 難民嫌悪だ

 

難民と連帯しよう

 被害者は「迫害の危険のために、自分の国に帰ることができないので、他の国への滞在しかなく、国際的な保護が必要な人」である。ナチスを避け、自国を離れ、他の国に行ったユダヤ人たちを欧州各国が止め、最終的には多くの人々が虐殺された。その虐殺を幇助したことへの反省が国連難民制度の確立の背景である。1951年の難民条約、1967年の難民議定書を経て、人種、宗教、国籍、社会的身分、政治的意見を理由に迫害の危険性があるこれらに国際的な保護が行われるようになった難民制度によって保護を受けた代表的な韓国人は、金大中氏だ。韓国は1992年の難民条約に加入して1994年から難民制度が導入されたし、2013年から、民法が施行された。2018年6月現在、累積難民申請3万8169件中認められた件数は825件。難民認定率2% (世界平均37%)に過ぎないだけ見てもわかるように、韓国は難民審査制度が不十分で厳しいものと悪名高い。2012年に国連の人種差別委員会は、韓国政府に懸念を表し難民審査手続きと人種主義的差別についていくつかの側面で改善することを勧告した。しかし、その勧告は受け入れられず、今済州イエメン状況をきっかけに、民法の廃止まで主張されている。

難民嫌悪あおる韓国政府

 イエメンの現代史は種族葛藤と植民地支配、周辺国の利害関係のための内戦に綴られている。1962年から始まった北イエメンのゴンファパと王党派の間の内戦、植民地支配を受けて、1967年に独立した南イエメンで行われた権力をめぐる1986年の内戦、1990年統一後南イエメンに対する差別に抵抗して行われた2000年代の分離主義運動による内戦、2006年から本格化したシーア派を奉じるフーシ派反政府勢力と政府軍との間の内戦などで、イエメンは、まさに傷だらけだった。
2011年ジャスミン革命以来、イエメンは、もはや人が住むことができない土地になった。中東に吹き荒れた民主化の風は、イエメンでも独裁者サレハを34年ぶりに権力の座から退けた後、イエメンは北部のフーシ派反乱、南部の分離主義運動、東部と南部のアルカイダ連携武装勢力など三本のワイヤと政府軍が交戦する局面に駆け上がった。
2015年、イランの支援を受けるシーア派であるフーシ派反乱が大統領宮殿まで迫ると、これまでは、後ろから政府軍を支援していたスンニ派のサウジアラビアが全面的に参戦することになる。結局、イエメン内戦は、イランとサウジアラビアの代理戦となり、米国と英国は、サウジアラビア、ロシアはイランに武器を売って、この戦争の当事者になる。
韓国も180億ウォン分の武器をサウジアラビアに売り、まさにこの爆弾が、イエメンの民間人を虐殺した。21世紀の悲劇」と呼ばれるこの内戦で、過去3年間で1万2000人が死亡し、人口の82%である2100万人が食事をきちんととれない「緊急人道救援対象」と推定される。イエメン人は生き残るために自国を脱出し、その中で少数が済州まで来たのだ。
死を避け疲れて長い道のりをたどり韓国の地を訪れたイエメン難民を迎えたのは、保護と配慮ではなく、嫌悪と排除であった。「イスラムの指導者が児童性暴行がイスラムの文化と公言した」、「イエメン難民が女性を性暴行する」のような偽のニュースが流された。この偽のニュースが作った嫌悪と恐怖が難民反対を世論化した。
韓国政府は、このような嫌悪を助長した。過去6月20日に、国際難民の日を迎え、法務部は報道資料を通じて「経済移住と滞在延長の手段として難民制度を利用する事例が急増―関連審査を厳正にする一方、虚偽難民申請斡旋ブローカーの取り締まり活動を強化」と発表した。難民申請者全体を潜在的な犯罪者であると考えて、事実上の難民審査と認定をより困難にするという意図だ。
法務部は10月17日、イエメン難民申請者458人の審査結果を発表し、最終的には一人も難民として認めていなかった。339名については人道的滞在を許可したが、彼らは家族の結合も不可能で社会保障給付も受けず、基礎生活保障や職業訓練の機会も受けられず、1年の滞在期間中に政府の承認なしに就職もできない。単純不認定された34人は戦争と死の地に強制送還される危機に瀕していた。2015年の国連難民機関は「イエメンを脱出する民間人に領土のアクセスを許可して、イエメン国民または常駐者の強制帰還を中断」するようにすべての国に勧告している。難民条約に加入した韓国政府はこれをすっかり無視だ。

生きるために国境越え難民…嫌悪ではなく、連帯を

 すべての人は、それ自体で尊厳し、人権を保障されなければならない。私達はすべて異なっている。肌の色や宗教、言語、出身国、性的指向の相違は、互いに尊重しなければならない。相違は嫌悪の対象になることができない。他人の人生を本物と偽物とに区別することができますか。自国民優先の論理と難民に対する嫌悪は同性愛、障害、女性、貧困、労組などの嫌悪にいつでも交換することができる。私達はすべて平等に一緒に住むことができなければならない。私たちは、難民と連帯し、彼らの人権が保障され、平等になるまさにその瞬間、平等は私たちのすべてに向かうだろう。
(セヨン )
(「変革と政治75号」 社会変革労働者党


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