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    かけはし2019年8月12日号

「国家の論理」に基づく「日本批判」でいいのか


「国家間」の視点で置き去りにされる加害責任

本紙7月15日号高松論文への批判

 本紙7月15日号1面に掲載した日韓合意に関係した「謝罪・補償」問題での高松竜二論文に関して坡平慶南さんからの批判が寄せられた。日韓・日朝民衆の連帯をつくり出していく上で問われている基本的立場はどのようなものであるべきかについての問題提起であり、さらに論議を進めていく必要がある。検討していただきたい。(編集部)

はじめに

 「かけはし」二〇一九年七月一五日号一面に意見文「被害者への謝罪・補償を行え!」(以下、「高松文」)が掲載された。「高松文」を検証しようとしたが、文全体、そして部分部分の論理展開が不明もしくはあいまいな部分が多くみられたため、まず「高松文」のいくつかの「意見」を抽出したうえでそれらを検証することにした。そのうえで以前筆者が投稿した「かけはし」二〇一九年一月二一日号掲載文「『国家』の論理で置き去りにされてきた朝鮮・韓国民衆の意志」(以下、「慶南文」)の立場から「高松文」への批判を行う。
 それぞれの「意見」の検証の前に、まずわれわれの基本的な立場の確認をしたい。筆者は「慶南文」で「われわれ労働者・民衆がとるべき立場については、国家間の利益が絡む事象においては、まちがっても、一方、もしくは他方の国家ナショナリズムの片棒を担ぐようなことはあってはならない」と述べた。その立場から筆者は国家間の利益が絡む事象への「国家間」の視点からの介入に反対である。またわれわれの階級闘争の立場では、必ずしも国際法に基づくブルジョア国家間の関係を支持するものではない。
 一方で高松氏は、日本と韓国の「国家間」の視点に立っての批判を行っている。たとえば後述の「意見2」での韓国政府の閣僚の発言と対比させた安倍政権への批判である。その後も「高松文」では日韓両国の一方の「日本」、「日本政府」への批判を羅列している。われわれの基本的な立場は前述のとおりであるが、そのうえで本来は本意ではないがあえて高松氏の「国家間」の視点からの「意見」への批判も行っていく。

(1)「高松文」のいくつかの「意見」


 まず、「高松文」のいくつかの「意見」をあげていく。

「高松文」の内容は
1、 謝罪も補償もなされていない
2、相次ぐ賠償命令
3、安倍政権の居直り
4、「反韓国」排外主義を許すな
の四部構成となっている。
まず2について以下、「意見」を抽出する。

 安倍政権を含む日本の歴代政権は、賠償や補償の問題は日韓条約と協定で「完全かつ最終的に解決した」という立場をとってきた。しかし「慰安婦」問題をめぐって日韓合意によって設立された財団に対し、安倍政権は一人当たり一〇〇〇万円の補償を行うとして総額一〇億円の基金を拠出したのであった。現在その財団は韓国の女性家族省の通知によって残務処理を残すだけの解散状態にあるが、「すべて解決済み」とする立場でありながら「お金を出した」ということは大きな矛盾を発生させた。(以下、「意見1」という)
3についても以下、「意見」を抽出する。

 康京和(カン・ギョンファ)外相はG20開催直前の六月一九日になって、日本側に「被告の日本企業を含む日韓企業が出資する財団を創設し、原告に慰謝料を払う『和解案』を日本政府が受け入れれば、日韓請求権に基づく二国間協議に応じる用意がある」と発表した。しかし「韓国政府に賠償の肩代わりを要求」している安倍政権は、この提案を「国内向けの案だ」として一蹴したのであった。(以下、「意見2」という)

 日本が過去の侵略戦争と植民地支配に対してまともな補償を行ってこなかったことは「世界の常識」であり、「慰安婦」問題をめぐっても国際世論が日本政府に対する圧力として形成されてきた。(以下、「意見3」という)

 4についても以下、「意見」を抽出する。

 文在寅政権は日本企業資産の「売却と現金化」を留まらせようとはするだろうが、「司法判断に介入しない」立場を表明していることから、安倍政権による報復を受けて立つしかない。(以下、「意見4」という)

 元徴用工などへの賠償の発生は、戦後日本が朝鮮侵略と植民地支配に対する心からの謝罪と十分な補償を行ってこなかったことが原因である。元「慰安婦」や遺族による日本政府を相手取った賠償請求訴訟と合わせて、被害者の訴えを支持し、日本政府と当該日本企業が早急に賠償の支払いに応じるよう求めていかなければならない。(以下、「意見5」という)

(2)「高松文」の「意見」の検証・批判


次に、(1)であげた「高松文」のいくつかの「意見」の高松氏の「国家間」の視点からの検証およびそれに対する批判を行っていく。

 「意見1」についてであるが、高松氏は曲解している。一九六五年の請求権協定では「財産・請求権の問題が完全かつ最終的に解決」したことの合意であり、二〇一五年一二月の合意では「慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決」されることの合意である。二〇一五年一二月の合意は、一九六五年の請求権協定以降に生じた個別の問題への合意であり、日本の「請求権に関する問題が完全かつ最終的に解決された」立場は変わっていない。

 「意見2」を読むと、高松氏は、韓国の康京和外相のG20開催直前の発言に対する安倍首相の発言を批判している。そこであえて高松氏の「国家間」の視点に立ち、(われわれ労働者・民衆の立場からは本意ではないが)国際法の視点でみれば、韓国が国際法違反、ということになる。なぜなら「慶南文」でも述べたとおり国内のひとつの機関に過ぎない国内裁判所は、国家間の法的約束力をもつ条約上の義務を上回ることができないのである。また高松氏の主張が正しいと仮定すれば、逆に日本の裁判所のこれまでの判断(注1)にも韓国がそれに従わなければならない、ということになる。ここで高松氏は「国家間」の視点に立った二重基準という誤謬を犯している

 「意見3」について論じるにあたって再度、高松氏の「国家間」の視点に立ってみる。日本はサンフランシスコ講和条約後、その講和条約をもとにして韓国と二国間条約を結び、両国の合意のもとで賠償問題や請求権問題を終了させた。したがってすでに日本の過去の戦争および植民地支配に対する補償は終了している。
また一九六五年の「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」における請求権に関する問題は、個人の請求権の問題を含め完全かつ最終的に解決されたとする日本政府の立場は変わっていない。韓国も批准している条約法に関するウィーン条約には、条約の遵守を批准国に促している。われわれ労働者・民衆は、必ずしも国際法に基づくブルジョア国家間の関係を支持するものではないが、高松氏の「国家間」の視点に立ってみた場合、高松氏の言う「世界の常識」は世界の常識ではなく、「高松氏個人の常識」であることは明らかである。

 「意見4」については、筆者は「慶南文」で、文在寅は従来の政治的立場と異なり、かつ意図的、故意による司法への介入を行ったことを述べた。「高松文」は「文在寅政権は日本企業資産の『売却と現金化』を留まらせようとはするだろう」と主張しているが、「売却と現金化」は文在寅自らの司法への意図的な政治的介入の結果であるため、したがって文在寅がそれを「留まらせようとはする」とは考えられない。

 「意見5」についても高松氏の「国家間」の視点に立って内容を検証してみる。高松氏は「日本が朝鮮侵略と植民地支配に対する心からの謝罪と十分な補償を行ってこなかった」と書いている。ここであえて定義があいまいでかつ感情が入りやすい不確定な言葉「心から」と「十分な」を省き、「謝罪」と「補償」について検証してみる。高松氏の「国家間」の視点に立ってみた場合、本当に日本は「謝罪」と「補償」を行ってこなかったのであろうか。賠償については、条約、協定等の締結後に日本は、一九七〇年代後半まで戦後処理のための条約、協定に基づく支払いを行い、韓国に対する国家レベル、民間レベルでの賠償を終了している。また謝罪に関しては、戦後処理に関連する事項(日本による植民地支配、慰安婦問題、創氏改名等)についての謝罪を河野談話(一九九三年)、村山談話(一九九五年)、橋本龍太郎首相の日韓共同記者会見(一九九六年)、日韓共同宣言(一九九八年)、日朝平壌宣言(二〇〇二年)で行ってきた。そのうえで、高松氏には「心からの謝罪と十分な補償」なるものは具体的にどのようなものか、そしてどのような瑕疵があるのかについて、「心から」と「十分な」のような不確定な内容ではない具体的内容について問いかけたい。

(3)最後に


以上、「高松文」の「意見1」〜「意見5」について高松氏の「国家間」の視点から検証してきた。繰り返しになるがわれわれ労働者・民衆がとるべき立場は、「国家間」の視点に立ったブルジョア国家間の利益追求の立場ではない。当然本来国家ナショナリズムとは無縁であるべきわれわれが「国家間」の視点に立って、一方もしくは他方の国家ナショナリズムの片棒を担ぐべきではない。
またわれわれの連帯の対象は、労働者・民衆であって、「国家(表面上、国家の姿を隠している企業、団体などの組織、個人を含め)」ではない。その一方で「高松文」は「韓国労働者民衆との連帯」を呼びかけつつも、実際は「国家間」の視点からみた日本政府批判を行っているに過ぎない。その第三者的な視点からは当然、韓国労働者民衆の視点からの韓国および資本への批判は生まれない。大衆性が欠如した「国家間」の視点から導き出される結果は、これまでいくつかの例として検証してきた「意見1」〜「意見5」の中の数々の矛盾や事実誤認、および非科学的な二重基準による誤謬に表れている。「慶南文」でも述べたとおり韓国政府は過去、日韓基本条約締結前の予備会談において、個人に対する補償を申し出た日本に対して、韓国政府は日本政府による個人への補償の支給を否定、拒否してきた。さらにキャンドルデモで韓国の「市民が獲得した大統領」なるものまでが、被害者個人への補償の支給の否定、拒否を追認してきた。この事情を踏まえわれわれは、過去の日韓関係、歴史の問題への真剣な取り組みや被害者の救済に積極的でなかった日韓両政府に対する厳しい批判を行うべきである。国家の枠組みや感情を抜きにした、労働者・民衆の視点からの冷静かつ現実的な考察がわれわれに求められている。     (坡平慶南)

(注1)平成22年3月8日(事件番号 平成19(ネ)150損害賠償請求控訴事件)等

 
7.27

「東アジア・朝鮮半島の平和構築」講演学習会

「朝鮮戦争と国連司令部」

半田滋さんが講演

 【沖縄】一九五三年の朝鮮戦争休戦協定締結の六六年目にあたるこの日、各国で朝鮮国連軍の解体を求める一斉行動が行われた。韓国ソウルでは、駐韓米大使館前で、「日本の再侵略の通路、戦争の火種、虚偽の駐韓国連軍司令部を解体せよ」との宣伝カーの大看板をバックに、平和オモニ会のピンクの一群などがキャンペーンを繰り広げた。VFP(ベテランズ・フォー・ピース)はコリア平和キャンペーンとして「朝鮮戦争の終結と講和条約の即時締結」「米軍の韓国と日本からの撤退」を求める声明を発表した。
 沖縄では、沖韓民衆連帯が中心となって半田滋さんの「朝鮮戦争と国連軍司令部」と題する講演学習会が開催され約五〇人が参加した。半田さんは多忙な中、日帰りの沖縄訪問となったが、パワーポイントを使いながら約一時間半にわたって熱弁を振るった。「在沖米軍基地になぜ国連旗が翻っているのか?」と提起しながら、朝鮮戦争と戦後東アジアの情勢、安倍政権の安保法制と自衛隊活動など米軍指揮下で進行する日米軍事一体化について鋭く語った。

講師の最新刊本
にも政権の真実
受付では、今年五月に発行された半田さんの最新刊『安保法制下で進む!先制攻撃できる自衛隊』(あけび書房)が販売された。安倍政権が官邸に国家権力を集中して私物化し戦後日本の骨組みを米国追随と軍事強大化の方向へと転換させてきた過程が詳しく説明されている。「ナチスを真似たらいい」との麻生の言葉にあるように、傲慢で狡猾で破廉恥そのものの政権の姿がある。読中読後、安倍政権のひどさを知れば知るほど、すべての闘いを安倍自公政権の打倒!自公維に代わる新しい政府をつくり出すところへと集中しなければならないとの意を強くした。
(K・S)



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