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    かけはし2019年8月12日号

「普通の人々」が反乱を始めた


7・12アジア連帯講座:公開講座

地方と公共サービス切り捨てへの怒りがマクロン政権と激突

フランス「黄色いベスト」運動を学ぶ  

 七月一二日、アジア連帯講座は、文京区民センターで公開講座「フランスはいま 『黄色いベスト』運動を学ぶ」というテーマで湯川順夫さん(翻訳家)が問題提起(報告要旨別掲)した。
 フランスの「黄色いベスト」運動は、マクロン政権による生活破壊に抗議して二〇一八年一一月から始まり五月一八日で半年を迎えた。警察権力の弾圧に抗して持続的な民衆パワーを示し続け、フランス全土で四万一〇〇〇人(主催者発表/最盛時の参加者は三〇万人以上)が参加した。『黄色いベスト』運動は、燃料増税の中止など生活、雇用、年金、緊縮政策の中止などさまざまを要求し、資本家のためのマクロン政権を許さず、デモ抗議を繰り広げている。
 フランスの社会運動に詳しい湯川さんは、「黄色いベスト」運動について@参加した人々 Aマクロン政権の暴力的弾圧実態 B労働組合、左翼政党の枠外で生まれたことの分析 C評価の対立と論争 Dわれわれに問われていること―などについて問題提起した。日本の民衆運動とも比較しながら、今後の運動の方向性について継続して論議していくことを確認した。

湯川順夫さん報告要旨 @

フランス 『黄色いベスト』の運動とは何か

1、その始まり

 二〇一八年一一月一七日(土)、マクロン政府の燃料税の値上げに反対して全国でいっせいに円形ロータリ、高速道路の料金徴収所を封鎖し、フランスの交通を麻痺に追い込んだ。
すでにインターネットで抗議署名が集められ、SNSなどで道路封鎖が呼びかけられたことを契機にこの運動は始まった。この運動の始まりの特徴は、従来の労働組合や政党のルートを経由しない運動だということだ。これまでデモや政治活動に参加したことのない地方都市の「普通の貧しい人々」の運動であり、指導者も代表も誰もいなかった。さらに運動を「代表する」と称して、政府との「交渉」を試みて運動を利用しようとした人々の多くは、運動から拒否された。

2、発端は「普通の貧しい人々」の運動

 参加した人々は、主に地方都市に住む中高年の人々、元労働者で年金生活を送る人々、非正規の不安定な仕事をする人々(女性が多い)、トラックなどの運転手、零細輸送業者、自営職人、自営商人などであった。経済的にも大都市郊外の最底辺・最貧困層の移民系の人々ほどではないが、地方で貧しくつつましい生活を送る普通の人々だった。大都市の中心部は、家賃が高く富裕層しか住めないからである。
つまり、組合がそれほど組織されていない職場で働き、既存の労働組合運動や左翼政党との関わりがなかった「普通の貧しい人々」が起ち上がった。
初期の闘い方は、円形ロータリーや高速道路の料金集積所を毎週土曜日封鎖し、一晩中交代で当直し封鎖を解除されないように見張りをした。そこに人々が集まり、今まで顔見知りでもなかった地域の人々がはじめて政治などの問題を討論が拡がった。必然的に人々の意識が運動の中で発展していった。世論調査では、国民の七〇%がこの運動を支持した。
どうして黄色いベストか? フランスでは、交通事故などの緊急事態に備えて、黄色の蛍光塗料のベストを搭載している。マクロン政府による燃料税の値上げが人々の生活を直撃した。抗議の意思表示として「黄色いベスト」を着用した。
そもそもマクロン政府は、国鉄をはじめとする民営化政策、ローカル赤字線の廃止、公共交通(バス、地下鉄など)の縮小、郵便局や公立病院や学校の閉鎖を強行していた。人々にとって車以外に移動手段がない、しかも近場の施設が閉鎖されて必要な用をたすのに車で長距離の移動する以外にない。地方には雇用がない、長い距離をかけて大都市まで通勤しなければならない。大都市集中で取り残された地方の現実は日本と基本的に同じだ。こうした人々が立ち上がった。

3、マクロン政権の全面的な暴力的弾圧


一九六八年五月に獲得した民衆の既得権を全面的に取り崩すのが、フランス資本主義の最大の課題だった。サルコジの右翼政権や社会党連立政権という歴代の政権は、左右を問わずこの課題に取り組んできた。フランスにおける新自由主義の攻撃だ。
しかし、歴代政権は、労働者人民の抵抗によってあとひとつ既得権の全面解体に成功してこなかった。社会運動と左翼の行き詰まりと同時に、既存の右翼の陣営も「行き詰まり」に陥っていた。そこに、マクロンの登場した。既存の伝統的右翼陣営=旧勢力に代わって、この行き詰まりを根本的に打開する「まったく新しい勢力」として売り出した。マクロンのポピュリズム的ボナパルティスト的性格によって旧右翼陣営に代わる新しい勢力を形成していった。「右翼でも左翼でもない」ということを売り物にして票を獲得した。
歴代政府によって続けられてきた社会保障、公共サービスの解体をマクロン政権も受け継ぎ、全面的に推進する。とくに大企業、富裕層に対する露骨な減税・免税措置を推進した。だからマクロン政権が富裕層とEUエリート層の利害を代表するという本質が大衆的に明らかになり、当初の「人気」は急降下してしまった。
マクロン政権の警察によるデモ弾圧がすさまじく、デモ隊を襲っているのが真相である。
これがベナラ事件(マクロンのボディガードが昨年のメーデーデモで参加者に暴行)に見られるマクロン政権の本質だ。抗議に対する弾圧は、三月下旬段階で逮捕者九〇〇〇人、有罪判決二〇〇〇人以上、一〇〇〇人が裁判待ちだ。
負傷者は、二二〇〇人以上、二〇〇人以上が東部にゴム弾、催涙ガス弾の水平撃ち、二〇人以上失明者、手足を失う者もいた。さらに新たな「破壊活動防止法」を制定し、デモの自由を制限する。
この弾圧は、マクロン政権が基本的に民衆の要求に譲歩する気がないことを示している。それどころか、デモ参加者を「社会の屑」呼ばわりしたほどだ。とりわけマクロンの対決路線は、極右派の当初の目論見を不可能にした。運動に介入し、運動と政府との仲介をして妥協を引き出して、選挙での票を稼ぐというマヌーバー。この極右派のマヌーバーは、政府からも運動の側からも拒否され、破綻した。
マクロンの危機の現れとして国民「大討論会」を提唱した。だがその実態は、弾圧を続行し、富裕層への税制上の優遇措置は変えずにいた。人々は納得せず、闘いを続行した。
ところでフランスは「市民革命」が成し遂げられた国であり、民主主義国だと思われているのに、なぜこんなすごい弾圧を行うのか?
それは、フランス資本主義とその国家の歴史的な性格がそれには関係している。フランスは、産業革命を最初に実現して世界の工場となったイギリスに対して、資本主義的近代化で遅れをとる。帝国主義の時代になって、それに追いつこうとしたら、今度はドイツとアメリカに追い抜かれてしまう。こうして、世界最先端の誇るべき産業をもたないが、絶対王政の時代から世界に進出して海外の植民地だけは多くもっていたので、そこからの搾取でそれなりに金融的には豊かであった。
そのためにフランス資本主義は寄生的性格をもつようになる。ロシアのロマノフ王朝の近代化のための巨額の貸付をしたが、一九一七年の十月革命によってその債権の回収が不可能になった。こうしてフランス資本主義はこのように脆弱性を抱えていたし、その国家も一八七一年の普仏戦争以来、第一次大戦、第二次大戦、インドシナ戦争、アルジェリア戦争と、戦いに勝ったことはない。
この弱さの裏返しとしてフランスの支配層は、労働者に対してはゴーンにみられるように抑圧的であり、強欲であり、警察・軍隊という国家機構の内部には、グリーンピースの「虹の戦士号」の爆破に見られるようい、きわめて強権的体質を抱えているのである。(つづく)

7.24

沖縄の闘いと連帯する東京東部集会

肌身で実感した沖縄の闘い語る

沖縄反戦ツアー現地行動報告会


 七月二四日午後六時半から、東京・亀戸文化センターで「みんなで行こう!沖縄反戦ツアー 沖縄戦を学ぼう!止めよう辺野古新基地 東京東部7・24現地行動報告会」が沖縄の闘いと連帯する東京東部集会実行委の主催で行われ、七二人が参加した。報告会には三六頁・カラーの報告書も準備された。
 六月沖縄反戦ツアーは六月七日から六月一〇日、三七人(東水労、東交、清掃、江戸川ユニオン、全統一などの労組と大学生、市民など)が参加した。沖縄戦、戦後の米軍支配そして現在を実感しようという主旨。若い人に繋げたいという実行委のねらいもあり二〇歳〜三〇歳代が一一人参加した。六二万円余のカンパが集められ、沖縄バスを使いツアーを行った。そして、一五万円をヘリ基地反対協にカンパした。
 ツアーは次のような所を回った。ひめゆりの塔、平和祈念館、アブチラガマ、嘉手納基地、チビチリガマ、シムクガマ、宮森小学校、沖縄国際大学、普天間第二小学校、キャンプ・シュワブ前座り込み。すぐれたガイド(真喜志好一、赤嶺和伸、知花昌一、伊波洋正)が案内してくれて、より学習が深まった。

沖縄戦を学び
辺野古で闘う
集会は坂本啓太さん(全統一労組)が「辺野古ゲート前で、普通五分で排除されるのを三〇分以上がんばって座り込みを行った。これで何台かのトラックの搬入を遅らせた。機動隊員やトラックの運転手は沖縄出身者だ。基地建設は沖縄の人々の対立を作り出している。これは私たちが取り組む外国人労働者問題と同じで怒りを持った」と主催者あいさつをした。次に、ツアーの様子のビデオが上映され、ツアー団長・田附高正さん(東水労)がツアーの概要を報告した。
続いて、ツアー参加者から報告があった。何人かの話を紹介したい。
東水労の仲間が「初めて参加した。沖縄といえばリゾートのイメージ。なぜ基地があるのか、なぜ作るのかを考えた。驚いたこと。被害がないだろうと思っていたが、宮森に米軍がジェット機が墜落し、多くの死者を出した事故、学校にオスプレイの部品が落ちたことなど、事故が続いていた。なぜ解決しないのか、私がどうするか。学んで伝えて行けたら、良い方向にいくだろう」と述べた。
別の東水労の仲間は「@ガマに入った。一切の光が入らない。そこで沖縄の人は生活していた。気が滅入ってしまう。米軍の艦砲射撃もあった。耐えきれない。胸が痛んだ。A辺野古座り込み。機動隊と対峙する濃い時間が流れた」と語った。
東交の仲間たちは「数々の発見があった。ガマに入ってそこでの生活を知り、衝撃をうけた。戦争をさせないように」、「沖縄戦は本当にあったのかと疑問があったがそれがガラッと変わった。ガマや米軍基地を見た。戦争が今でも身近な問題、戦争にならないように行動していきたい」と話した。清掃の仲間は「初めて参加した。辺野古基地建設問題は日本全体の問題だ。全国各地で連帯して止めさせよう」と話した。

沖縄への差別は
自分たちの問題
ひまわり診療所の医師は「二回目の参加。百聞は一見に如かず。ガイドの迫力のある話。チビチリガマでは毒を入れた瓶、鎌が残されていた。米軍の上陸を恐れて住民同士が殺し合った。日本軍が殺したようなものだ。沖縄差別だ。辺野古基地建設は沖縄の問題だけではなく、横田、木更津にオスプレイが配備され、秋田にイージス・アショア配備計画が進められている。これは自分たちの問題だ。知らない人がいっぱいいる。伝える重要性を感じた」と感想を述べた。
次に大仲尊さん(沖縄一坪反戦地主会・関東ブロック)が「今日の報告を聞いて、仲間が増えた、頼もしいと思った。ひとつのきっかけにして周りに広げてほしい」と話し、「京都帝大が沖縄の遺骨を盗掘し、返還しない問題に対して、裁判を起こしていることを紹介し、九月下旬に支える会をつくること」を報告した。
京都帝国大学の助教授だった学者の金関丈夫が、一九二八〜一九二九年に沖縄本島北部・今帰仁(なきじん)村の風葬墓「百按司(むむじゃな)墓」から研究目的で持ち出した二六体である。琉球人の遺骨を返すよう、子孫ら五人が京都大を訴えている。沖縄で先祖の遺骨は信仰の対象である。それが墓にないため、憲法が保障する信仰や宗教の自由が侵害された、と原告は主張している。京大は裁判で遺骨の保管を認めたが、「(当時は)違法でなかった」と争う姿勢を見せている。先住民族の自己決定権から言っても京大の対応は許されない。
最後に、田附さんが一〇月一〇日、錦糸公園で集会・デモを予定していること、毎月第三木曜日に、北千住と錦糸町駅頭で宣伝活動をしているので参加して欲しいと行動提起した。ツアー参加の若者たちが沖縄への熱い連帯の気持ちを表明し、地域・職場の仲間に広げていこう。  (M)


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