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    かけはし2019年8月12日号

国家は君の誕生を望んでいない


ロシア

緊縮経済への転換とエリートの開き直り

自己責任と苦難引き受けを強要

イリア・ブドライツキス 

 ロシアにおけるプーチンの支配体制は明らかに権威主義的な強権支配と言えるが、その一方でプーチン個人に対する一貫した高い支持も特徴だった。しかし昨年の年金改革を契機にその支持にも陰りが見え始めている。以下では、この姿を見せ始めた民衆の不満に対し、ロシアのエリートが極めて傲慢にも、民衆に一方的な耐乏を求めていることが明らかにされ、それが単にロシア特有の特徴ではなく、新自由主義の正当化論理として普遍的であること、したがってその論理そのものへの対決が不可欠であること、が強調されている。(「かけはし」編集部)

プーチン支持は
安定性が支えた


 二〇年間、着実な生活水準の上昇と高率の経済成長が、ロシアの有権者内部のウラジミール・プーチンに対する圧倒的な支持に対し、標準的な説明として役に立ってきた。その間、ロシアの国家宣伝における一つの鍵となったテーマは、プーチンスタイルの「安定性」――一九九〇年代の混沌と貧困への対極として――、および今日のロシアで可能とされた自由な消費、これらの擁護となってきた。そうした宣伝の有効性は、現実に対するその叙述がどの程度本当であるかということには、まったく依存していなかった。それは同じ程度で、将来の約束への信任にも依存していなかった。
 ある種の安定性への切望が政治の分野ではプーチン支持の中に表現されていたとすれば、経済的ふるまいのレベルでは、それは消費者信用における大規模な拡大となった。実に不愉快な一〇―一二%という利率ですらも過半のロシア人に、車、アパート、冷蔵庫、家具、衣類の購入に充てるため、あるいは単なる飲み食いに使うために借り入れることを、思いとどまらせなかった。公式の「安定」宣伝は、宣伝活動の際限のない弾幕に基づき一つに溶け込み、この何年かにわたる所得の実際の落ち込みも、消費者債務が変わることなく上昇する中で、消費を落とす点では何の効果もない状況を生み出した。それはそのために、二〇一九年のはじめまでに負債を抱えるロシア人のほぼ八〇%が月に五万ルーブル(六八〇ユーロ)以下の稼ぎしかなく、その四分の一は毎月彼らの俸給以上のローン返済に直面するほどだった。高まる負債で高められた貧困が、現代のロシアの社会的現実に対する基底をなす定式だ。
 二〇一八年の再選に向けたプーチンのキャンペーンは、西側によって突きつけられた脅威を前にした国民的団結への呼びかけに加えて、国家宣伝が「安定性」基調を精力的に利用したおそらく最後のものに見えた。

新スタイルでの
新自由主義強要


 選挙直後政府は、「構造改革」を実行し始めた。その心臓部には国家予算を削減する一連の方策と増税があった。男性は六五歳まで、女性は六〇歳までの退職年齢(年齢受給年齢)後ろ倒し、という核心を占めもっとも苦痛に満ちた政策が、二〇一八年九月大統領によって承認された。国家はもはや、未来によいことが来るとは約束していなかった。まったくその反対にこれは、住民を厳しい現実に直面させるという一つの試みだった。
 二〇一八年という年は、ロシアの宣伝の中で新しいテーマに出会うことになった。プーチン体制を以前特性付けたものではなく、EU諸国ではよく知られた、「緊縮」というレトリックだ。
 政治のこの新しいスタイルの特性を定めるとすれば、それは、次のようになる。つまり過去においては、社会支出の削減と実質所得の引き下げには、さまざまに言い訳したり将来における繁栄という慰め的約束を行うエリートの試みが伴われたが、今や予算削減、所得低落、また増税が、単純に受け入れられなければならない「むき出しの真実」として提示されている、ということだ。一連の解決案の間での選択はまったくない。人は行動のただ一つの実行可能なコースとして提起されようとしているものを、単純に甘受――あるいは、年金改革に関しプーチンが国民への演説で表現したように「何ほどか理解」――しなければならないのだ。この場合、「理解」の要求は、一政治家が国民に訴えかけるというよりも、むしろ列車の運行停止アナウンスの最後に加えられる形ばかりの行為に似ている。
 この緊縮のレトリックは、そうしたロボット的な最後の言葉の問題だけではない。驚くべきことにそれは、ロシア人多数派に対する訴えに、国家の施しものに頼って生活することに慣らされてしまったいわゆる「負け組」に対する、諸々の意図的な攻撃をも合体させていた。これらのメッセージは、気が滅入ると同時に衝撃的であるように、国のこの状態には個人に責任があると人々に感じさせるように、さらに人は自分自身に頼ることができるだけだとの一組の予想を深めるよう仕組まれていたように見える。

エリートたちの
傲慢な道徳説教


 大統領のプーチンが退職年齢の後ろ倒しは自然の法則のように避けがたい、と機械的に報告した一方、数知れない政権与党の統一ロシアの議員や公職者は公衆に、何ほどか衝撃的な道義的説教で応じた。過去の年月を通じて、そうしたふるまいはしばしば、ユーチューブの視聴数を何百万にまで跳ね上げ、怒りのコメントの突風を引き連れた。
 二〇一八年一一月、ロシア全体は、エカテリンブルク青年政策局長官のオルガ・グラツキクによる発言に関するツイッターで揺れた。オルガ・グラツキクはそこで、「若い世代は今なお国家が彼らに義務を負っていると信じている」と不平をこぼしていた。それとは逆にグラツキクによれば、彼女がロシアの誤解している若者にさとしたように、「君たちに義務を負っているのは君たちの両親だ。彼らが君たちを生んだ。国家がそう頼んだことは一度もない」ということだ。
 グラツキクの先導に続いて、リペツク圏知事のイゴール・アルタモノフが、「若者たちがものごとに費用がかかりすぎると考えているとすれば、それは彼らがまったく稼いでいないからであり、物価が高いからではない」と言明した。統一ロシアの一議員のセルゲイ・ヴォストレツォフ は、高級でしか働くつもりのない教育のある「職業的不平屋」を糾弾しつつ、何人かのロシア人は「一〇年間も彼らに合う仕事を探すことができるが、今もそれをまったく見つけていない、一方働きたい者はいつでも彼らが探しているものを見つけるだろう」と示唆した。
 それらの反駁が出合った公的非難の流れは、政治的エリートたちを止めるどころか、この新たなロシアの緊縮レトリックの生産を強めるに過ぎなかったように見える。その目立つ特徴は、一つの住民層がもつ道義的感受性への訴えだ。それは同時に、人々は、野放図になった消費、膨らみすぎた俸給、さらに国家の社会的セーフティネットによって堕落させられてきた、と主張する。

苦難が人を鍛錬
と緊縮を正当化


 ロシアのバレーダンサーで社会的名士のアナスタシア・ヴォロチコヴァは先頃、富裕ではないロシア人に、「起き上がり、あなたの意識に一つの質問を問いかける」よう訴えた。「各自が、そしてわれわれ全員がその大事なことのために働き、それについて考えたのであれば、われわれはわが国益のために何ができたのだろうか?」と。こうしたタイプの言明の中にある、より少なく消費しより多く働くようにという呼びかけは有機的に、愛国的な義務と個人的なつましさという包括的規範に結びつくようになっている。
 たとえば上院議員のエカテリーナ・ラクホヴァは、今日の無責任と言われている世代と「戦争をくぐり抜け、そのような恐怖と飢餓を生き延びた人々」の間に際立った対照を描き、「それほどの大変さを耐え抜きながら、彼らは今も大変な知恵、非常に鮮明な頭脳を示している」と称え、最終的には「そのように彼らをつくったのはおそらく、まさにストレスと欠乏だ」と示唆する。
 オーウェン・ハザリーは、二〇〇〇年代後半の予算削減の先触れを示した英国政府のレトリックを分析し、彼が「緊縮ノスタルジア」と呼ぶものについて書いた。当時政治的主流の代表者たちもまた人々に、第二次世界大戦の時期を思い起こすよう呼びかけたのだ。そしてその時英国は、「より重要な」何かに対し消費の自由を犠牲にしなければならなかった。
 緊縮レトリックの教則本によれば、経済危機とコストカット政策は、責任ある決定を行うよう人々に教え、性格を強くすることを助ける、そうした挑戦的環境を差し出す。多くの過去の世代に降りかかった苦難や欠乏との比較は、現在の世代が国や彼ら自身の子どもを前にした責任の尺度を実感することを助ける。この試練を受け入れるために、住民は、ロシアの国会議員の一人が年金改革討論の中で表現したように、「彼らの安楽圏から抜け出し」、ついに成人になる必要があるのだ。

新自由主義論理
との徹底対決を


 ロシアの権威ある自由主義的評論の多数は、この攻撃的姿勢の殺到を、政治階級が民衆の感情に疎くなっているその程度の象徴として言い抜けを行ってきた。それらによれば、民主的な権力交代の不在、および成熟を遂げた公衆的論争の欠落が、公職者たちが公衆といかに話を交わすかを単純に忘れ果てる、というロシアの状況に導いた、ということになる。
 しかしながら、緊縮のレトリックがロシアで生み出され続けているその規模と頻度が明確に示すものは、これが単に当局者の個々の代表者がもつ政治的鈍感さという問題ではない、ということだ。それ以上にこれらの言明の内容と論理は、自由な民主主義と考えられた諸国内で見出される同様のレトリックとほとんど変わっていない。
 貧しい者たちに向けられている富める者たちのこれらの道義的説教は、ロシア人エリート内部の階級意識の存在を指し示すだけではない。それらにはまた特定の政治的目標もあるのだ。これらのショックを呼び起こし攻撃的な諸言明は、ロシア人にゲームのルールを、ロシア人が日々の生活の中で受動的に内部化するにいたったそのルールを、思い起こさせるために利用され続けている。まさに、君たち自身を頼れ、集団的利益という蜃気楼にだまされるな、と。これこそが、プーチン支配の二〇年を通じてロシア社会の毛穴に西ヨーロッパよりもはるかに深く浸透した、ロシアにおける新自由主義の真実だ。
 競争と相互不信の精神が大衆的脱政治化と従順さの土台を形成し、経済停滞の諸条件の下でさえ、プーチン体制の支配を許している。これに挑むためには、ロシアの反対派は、一つの現象として社会理念そのものを拒絶する、そうした新自由主義の論理そのものを問題にしなければならない。(二〇一九年六月一〇日)

▼筆者は、第四インターナショナルロシア支部のフペリョード(前進)の一指導者。フペリョードはロシア社会主義運動(RSD)創立に参加した。(「インターナショナルビューポイント」二〇一九年七月号)


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