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    かけはし2019年9月16日号

侵略・加害の歴史に向き合え


8.27

「総がかり行動」が官邸前行動

日韓民衆連帯の絆固めよう

安倍政権の逆切れ外交許すな




 安倍政権による韓国の優遇対象国(ホワイト国)からの除外が施行される前日の八月二七日、戦争させない・九条壊すな!総がかり行動実行委員会と三・一朝鮮独立運動一〇〇周年キャンペーンの呼びかけで「対韓輸出規制拡大反対!韓国除外『政令』撤回!安倍政権は『徴用工問題』の報復やめろ!対話で解決を!」官邸前緊急行動が三五〇人の結集で闘いとられた。
 怒りのコールが官邸に向けられる。「報復外交・逆切れ外交やめろ!」「徴用工問題を解決しろ!」「日本政府は歴史に向きあえ!加害の歴史を無視するな!反省できない首相はいらない!」「対話で解決!日韓市民は連帯するぞ!」「安倍政権は今すぐ退陣!」……。

アジア民衆の
共同の闘いへ
集会では呼びかけ人を代表して総がかり行動の共同代表小田川義和さんが発言。「安倍は韓国の司法をコントロールできるとでも思っている。韓国最高裁の判決は日韓条約と諸協定に対する解釈問題にすぎない」として、「これ以上の関係悪化は許されない」「民主主義を壊してきた安倍政権の退陣は日本市民の使命だ」と訴えた。
日本軍「慰安婦」の支援運動をしてきた団体からは「安倍はすべて終わったことにしようとしているが、大きな人権問題に対して心からの謝罪は行われてこなかった」と訴え、愛知での平和の碑をめぐる事態に触れて「自国の歴史に向かい合えないことは安倍政権の道だ。この動きを止めよう」「平和と人権のために日韓民衆の連帯で大きな声を上げよう」とアピールした。
二曲の歌がギターの伴奏で歌われたのち、この日の行動に韓国から駆け付けた二団体からアピールを受けた。今年の七月から毎土曜日に集会を実施してきた安倍糾弾市民行動の代表は、心からの反省と謝罪、ホワイト国からの除外撤回を訴えた。社会市民連帯会議の代表は、韓国市民は屈しない。東アジアは歴史的な岐路にあり、九条を守る日本市民の闘いと手を携えて、平和のために闘っていこうと訴えた。韓統連の仲間も、NOアベの声をさらに上げていこうとアピールした。
集会の最後に発言した総がかり行動の高田健さんは、「今日ここで声を上げた意義は大きい。九条改憲阻止の闘いは日韓民衆と東アジア民衆にとっての共同の闘いだ」と訴えてこの日の行動を集約した。最後に首相官邸にコールを叩きつけてこの日の行動は終了した。またこの日の行動は、韓国の午後七時半からのテレビで報道された。闘いは長期化する。韓国と朝鮮に対する排外主義と対決する安倍政権打倒の闘いを推し進めよう。     (R)

8.29

「琉球遺骨」返還訴訟

「学術研究」の名による差別

露骨な植民地主義だ!

 【大阪】琉球遺骨返還訴訟を支える会・大阪主催の遺骨返還訴訟の集会が八月二九日、大阪ドーンセンターで開かれた。
まず、発言や配付された資料(ゆいまーる2019年5月号・龍谷大学教員松島泰勝さんの主張など)から訴訟に至る経過等を整理してみた。

植民地主義の
露骨な表現だ
この訴訟で琉球遺骨というのは、沖縄県今帰仁村の運天港の北側崖の岩陰に彫り込み墓としてつくられた百接司墓(むむじゃなばか)の遺骨のことである。
京都帝国大学助教授だった金関丈夫が一九二八年以後にこの墓から五九体の遺骨を盗み持ち出した。清野謙次京都帝大教授の門下生たちが一九三三〜三四年に奄美大島・沖縄・喜界島・徳之島等から収集した遺骨を「清野コレクション」として同大学に所蔵したが、このコレクションには全体で一四〇〇体の遺骨があった。これの遺骨の持ち出しには、当時の警察・行政関係者の許可を得ただけであり、墓の管理や祭祀を行ってきた門中関係者や地域住民の了解を得たものではなかった。
当時の沖縄の行政機関は、上層部の大半を日本人が占めるという植民地体制下にあった。この訴訟に関係している金関丈夫の場合も、指導教授であった足立文太郎が助教授であった金関に体質人類学的研究の必要性を説いて、遺骨収集の目的で彼を沖縄に派遣したという。これには、帝国学士院から研究費の一部が補助された。

琉球王朝時代
の「風葬墓」
この墓には、琉球史で北山時代から第一尚氏時代の貴族の遺骨が納められている。一三世紀頃、地域集落の首長や支配者のことを接司(あじ)と呼び、多数の接司たちが葬送されていることから、この墓は百接司墓と呼ばれているという。
この墓は風葬墓である。この祭祀の習慣は琉球処分(一八七九年)から三年がたった一八八二年まで存在した。琉球民族は遺骨を原野、海辺、樹上、洞穴において自然に風化させる葬法を行ってきたので、火葬が行われたのは、一九五一年が初めてで、久高島では一九六五年まで崖葬が行われていたという。

「先祖崇拝」の
伝統を体現
現在でも沖縄では、この墓にお参りする人は多数いる。各門中が今帰仁城を中心に拝所をめぐる巡礼行事が行われており、これは今帰仁上り(なきじんぬぶい)と呼ばれる。ちなみに、沖縄島の東側をめぐる巡礼を東御廻り(あがりうまーい)と呼び、共に琉球の代表的な参拝行事だという。六〇〇年前から続けられてきた祭祀である。琉球祭祀は先祖崇拝の祭祀である。死亡時に棺桶に入れた遺体は、白骨化するのを待って取り出し洗骨され、厨子甕に納めて再び墓に安置される。そして、三三回忌を迎えた遺骨は骨神(ふにしん)と呼ばれ、あの世で幾多の修行を終えた霊が神となって宿るとしてあがめられているという。

無回答貫く
京大の対応
金関丈夫が持ち出した五九体の遺骨は人骨標本として京都帝国大学に保管され、その中の三三体はその後金関丈夫が台湾の台北帝国大学に移ったときに移された。金関丈夫が持ち出した遺骨のうち二六体は二〇〇四年の調査の時に、京都大学に保管されていることが確認され、情報開示請求などが行われるようになったが、京都大学はこれを拒み、存否回答しないという態度をとり続けた。
その後、二〇一七年九月照屋寛徳衆議院議員が国政調査権を行使し文科省を経由し、京都大学に遺骨に関する照会をして初めて、同大学は遺骨をプラスチック箱に保存していることを認めた。照屋議員は、二〇一八年三月内容証明付の公開質問状を京都大学に提出したが、京大側は、今帰仁村と遺骨に関する協議をしていることを理由に、遺骨情報と返還については回答しなかった。
一方、台湾大学に保管されていた三三体の遺骨は他の遺骨三〇体と共に、二〇一八年三月一八日に沖縄県に返還された。しかしこの遺骨には、台湾大学から「学術資料」との返還条件がついているそうだ。沖縄県は遺骨を歴史的資料として、祭祀継承者の希望であるにもかかわらず、再風葬は考えていないという。
そのような経過を経て、二〇一八年一二月四日、京都地裁に遺骨返還請求訴訟(原告・亀谷正子、玉城毅、照屋寛徳、金城実、松島泰勝の各氏)が提起されたわけである。

先住民族の権利
宣言にも反する
亀谷さんは先住民族と国連が認定した琉球民族であることに誇りを持っていると祭祀継承者の思いを述べた。亀谷さんの父方の先祖は、一四二九年初めて琉球国を統一した第一尚氏、母方の先祖は第一尚氏を倒し、一八七九年明治政府による武力併合で滅んだ第二尚氏王統だという。
琉球・沖縄人は元々日本人ではない。一八七九年に沖縄県と名付けられ、日本国に組み入れられた。第二次大戦では本土防衛の捨て石とされ、地上戦で四人に一人が死亡した。昭和天皇の言葉を書き留めた「拝謁記」には、「米軍基地が国全体のためにいいとなれば、一部の犠牲はやむをえない」と記されていて、天皇も日本政府も琉球併合以来、沖縄人を日本国民と見なさず、何度も捨て石にされてきた。一九五二年のサンフランシスコ講和条約後も沖縄は米軍の統治下に置かれ、一九六一年にはミサイル・メースBの配備通告が行われたが、二年前のNHK報道でそのことを初めて知った。米軍による人権抑圧の支配から逃れるために、沖縄人は日本復帰に希望を抱いたが、裏切られてきた。日本は、琉球・沖縄人にとって「祖国」なのか。
百接司墓は今帰仁上りと称する沖縄県中南部地区から巡礼聖地となっていて、第一尚氏の子孫・親戚だけではなく、北山豪族の子孫も参拝を続けている実態があるにもかかわらず、一度墓から持ち出した遺骨は元の場所に返されず、他人様の先祖の遺骨を勝手に学術資料とする権利があるのか。第一尚氏の子孫の新垣家が一八三六年(中国年号道光一八年八月)に今帰仁上りをしたときの供え物等の記録が発見された。祭祀状況がわかる第一級の資料だ。京大には、遺骨の祭祀継承者の立場で考え、一日も早い返還を願う。

自らの文化を
守りぬくため
訴訟では、所有権が誰かという点で争っても難しい。その問題になると立証がややこしい。そうではなく、琉球・沖縄人が日本のマイノリティー、先住民族であることの認識が重要だ。国際人権法(自由権規約)は、少数民族に属するものは……自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されないとある。
二〇〇七年国連は、先住民族の権利に関する国連宣言を採択した。この宣言は、精神的及び宗教的伝統……人間の遺骨などの返還に関する権利を有する旨が明記されている。さらに、日本国憲法二〇条(信教の自由)、憲法一三条(個人の尊重)、民法八九七条(遺骨の所有権の帰属)などが根拠になる。

日本人類学会
の不当な介入
訴訟が始まってから、日本人類学会が介入してきた。日本人類学会が篠田謙一会長名(篠田氏は国立科学博物館館長)の要望書を二〇一九年七月二二日付けで京都大学山極壽一総長宛に提出した。
そこには、@日本政府の政策に直接関係しているアイヌ遺骨・民法で定義されている祭祀継承者が存在する人骨を除く、国内の遺跡・古墓から収集され保管されている古人骨は、国民の共有の文化財である。A古人骨資料を保管する機関は、資料の由来地を代表する地方自治体との協議により管理の方法を協議する。B当該地方公共団体に遺骨を移管した場合は、研究機会の継続的な提供を合意内容に含めるべし、と明記されている。この原則が守られない場合、個人からの請求があった場合、研究が著しく阻害される。当該地域を代表しない特定の団体などに人骨が移管された場合、人骨の所有権をめぐる問題の複雑さや、文化財全体の所有権に係わる問題へと波及することを憂慮する、とある。この人類学会の見解には、戦前戦中下に行われた遺骨の盗掘行為についての反省がまるでなく、植民地主義的な考えを反映する驚くべきものである。

その他の発言から(詳細は省略するが)

 「大学や研究者は、アイヌ民族を人間として扱わず、信じがたいほどずさんに遺骨を【保管】し、単なる【人骨標本】に貶めて侮辱しつづけてきた」、「北大のアイヌ遺骨堂から移されたアイヌ遺骨は、研究標本のごとくプラスチックの箱に入れられて留置された。〈その後抗議で白木の箱に変更〉」。
「二〇〇七年の国連の宣言では、先住民族の自決権の保障を核心として、その復興の源となる土地、領地、資源の権利、遺骨返還の権利を明記している」、「加害者である政府がなぜ被害者に返還条件を押しつけるのか。まず、政府、大学がアイヌ民族に謝罪し、アイヌ民族の自決権にもとづいて、アイヌ遺骨のコタンへの返還、問題解決が進められて当然ではないか」……アイヌ遺骨問題に関わってきた出原昌志さん(アイヌラマット実行委員会共同代表)。
「吉野ヶ里遺跡が佐賀県で発見されたが、日本国家に組み込まれた遺跡だから、日本の先祖の集落になるだろう。青森県の三内丸山遺跡も同様だ。しかし、沖縄で発掘された旧石器時代の人骨・遺跡は、統一した琉球王国の先祖のものではないのか。それがなぜ日本人の先祖とされるのか。それは、琉球王国の存在を日本政府が認めないからだ」……(琉球遺骨返還訴訟を支える会・大阪の川瀬俊治さん)
最後に、山内小夜子さん(琉球遺骨返還請求訴訟全国連絡会事務局・真宗大谷派僧侶)から、会のニュース「ゆいまーる」等についての活動報告があった。翌日八月三〇日は京都地裁で第三回口頭弁論の予定日だ。       (T.T)

         


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