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    かけはし2019年9月16日号

れいわ新選組への共感と疑問


7月参議院選挙へのつぶやき(上)

たじま よしお



 長野県に住む、本紙読者のたじまよしおさんから、7月参院選の結果、とりわけ「れいわ新選組」についてどのように評価すべきかについて論考が寄せられました。「れいわ新選組」のこれからについては、私たちの中でも、様々な評価と論議が行われています。ぜひ共に行動しつつ、論議の継続を。(編集部)

 今回の参議院選挙については私は全くなんの協力もできなくて、何かを申し上げることはためらわれますが、かつて九〇年代後半、所沢のホウレンソウに含まれるダイオキシンのことが連日大きく報道されていた頃環境問題をともに闘った何人もの友人から「れいわ新選組」への投票依頼の葉書をいただいて、自分なりの考えを明らかにしておかなければと思うようになりました。
 二〇年前の秋ここ南信州へ越してきてからご無沙汰を決め込んでいましたので懐かしい気持ちはいっぱいなのですが「れいわ新選組」については気持ちは複雑で、考えはなかなかまとまることなく日にちが過ぎるばかりでした。
 そんなとき、八月二六日号の「かけはし」の宮城「野党統一候補石垣のりこさん勝利」に「選挙戦終盤、仙台駅前での『れいわ新選組』街頭演説にゲスト参加し『消費税なんかもってのほか!消費税なんてゼロでいい!』『何でゼロと言っちゃいけないのか?』と訴え、れいわ新選組山本代表は『一枚目は石垣さんに(選挙区)。二枚目は山本太郎に(比例区)』と聴衆に呼びかけた。宮城のれいわ新選組の比例区得票数四万二二七九票(四・四%)。『野党共闘+れいわ』でみれば、れいわ支持層の八割が石垣さんに投票した」との報告が載っていました。
 この記事を読むまでは、れいわさんをななめ皮肉っぽく見ていましたがはっきりと連帯すべき対象として受け止められるようになりました。そこに基軸をおくならば、少々きつい表現もお許し頂けるのではないかと考え自分の考えを率直に記すことにしました。

 「新撰組」とは徳川封建体制を維持するために組織された傭兵集団です。それは極右テロリスト集団・暗殺者集団と、どれだけ悪罵を投げつけても足りないくらいのことを仕出かした連中です。そして明治維新なるものにも懐疑の目をむけるべきで、「れいわ新選組」も「日本維新の会」も歴史認識においては、重なる部分があると私は見ております。「れいわ」というのは天皇制を許容するもので、新撰組よりもっと大きな問題を感じます。歴史を遡って中国の「後漢書倭伝(一〇七)」には「建武中元二年(五七)、倭の奴国が貢を奉り朝賀した。使者は自ら大夫と称した。倭国の最南端にある。光武帝は印綬を賜った。安帝永初元年(一〇七)、倭国王の帥升等が百六十人の捕虜を献じ、参内し天子にお目にかかることを願い出た」とあります。
この「倭の奴国」や「倭の国王」は現在の天皇家の祖先ではないと思いますが、決勝トーナメントにいたる一つの過程をそこに見ることができると思うのです。「百六十人の捕虜を献じ」てとありますが、他の部族との戦争で得た戦利品「百六十人の捕虜」のこの人たちの怒り悲しみはいかばかりであったでしょうか。他にも中国の支配者から「賜わった」金の印綬は出土しており「後漢書倭伝」と同じような記述に卑弥呼もみられます。この「百六十人の捕虜」を留学生だと言い張る記述を見たことがありますが、それは無理というものです。二〇〇〇年も昔の出来事であっても、虐げられた人々に心を寄せる立場を失いたくありません。歴史観は人間観と背中合わせで、人間という存在とどう向き合うのか、今の時代の生き方にストレートにつながるとおもいます。少ししつっこく追求してみたいと思います。

れいわ新選組をどうみるか

 レイバーネット・太田昌国のコラムに山本太郎さんに関する記述がありますのでその抜粋を以下に紹介します。
―山本氏は、昨年十二月八日、入管法改正法案審議の参議院本会議において、次のような演説を行った。「賛成する者は二度と保守と名乗るな、保守と名乗るな!官邸の下請け、竹中平蔵の下請け!この国に生きる人々を低賃金競争に巻き込むのか?世界中の低賃金競争に。恥を知れ。二度と保守と名乗るな。保身と名乗れ!保身だ!」「この国の人々を低賃金競争に巻き込むのか」というのは「この国の人々の賃金を低い状態に据え置くための外国人労働者の受け入れ」であるから問題だというものです。その入管法改正は財界からの要請からでたものですから、日本の労働者をも低賃金で働かせようという意図はあるでしょう。しかし私たちがそれを口にしたら外国人労働者の心が傷つくと思いませんか。はるばる遠くの地から訪れて、自分たちはこの地の人々にとって受け入れがたい存在であることを知らされたら、立つ瀬がないではありませんか。外国人労働者の皆さんには「ようこそいらっしゃいました。私たちの力不足でこの社会は外国人労働者の人権を手厚く守られていませんが、いたらぬところがありましたらどうぞおっしゃってください。共に住み良い社会に変えてゆきたいとおもいます」と両手を挙げて歓迎の意思表示をしたいとおもうのです。このような国会での演説に山本太郎さんの歴史観・人間観は現れている、このことについて、太田昌国さんがコラムで指摘しているように、今、EUヨーロッパ諸国で台頭している右翼の主張と重なってしまうのです。そして在特会の人々の叫びとも重なる実に厄介な代物です。
冒頭に紹介しましたれいわ新選組への投票依頼の葉書を下さった東京の友人Mさんから、参議院選挙後にその後の報告の便りをいただきました。行き届いた内容ですので抜粋を次に紹介します。
―「れいわ新選組」の名称には違和感を抱く方が大勢おられます、私もその一人です。しかし八つの緊急提言に賛同できるので、名称は作戦の一つと理解するようにしています。それよりも現在の焦眉の課題とは何か、山本太郎の回答は「市民生活の立て直し」です。そのための処方箋として、市民一人一人の所得の増大を主張しています。消費税の廃止、最低賃金の引き上げ、奨学金をチャラに(奨学金徳政令)、一次産業への戸別所得補償など、その財源として、消費税導入以前の所得税率の復活、金融所得の分離課税を廃止、法人税の累進税化等々を上げています。これで消費税を廃止しても、それ以上の税金は確保できます。今回の選挙で特徴的であったのは、何回か訪れた選挙事務所や街頭演説の場所に、見知った顔があまり見当たらなかったことです。これまでに選挙に関わったことのない人たち、それも若い人たちがおおぜいボランティアとして参加していました。れいわ新選組はカンパとボランティアによって作られた政党、初めての市民政党です。選挙が終わって、三分の二の改憲議席が取りざたされていますが、れいわ新選組の「緊急提言」はすべて現行憲法の枠内でできることであり、現行憲法をいじる必要性は全くありません。護憲、改憲の前にそもそもいじる必要がないと理解しています。
れいわ新選組は山本太郎さんという強烈な個性があって成立した組織であって「初めての市民政党」といってよいかどうか議論の余地はあるとおもいます。組織名については歴史観・人間観に関わることで「作戦の一つと理解する」ことはできません。その他についてはMさんの分析は丁寧でとりたてて異論はありません。山本太郎さんについては、これまで数々の名演技を見せてくれて、きらいな人ではありませんし「住所は権利」などという気の利いたツイッターをこまめに寄せてくださっています。それと注目すべきは、この逼塞した時代にそれぞれの分野で果敢に闘っている個性あふれる候補者の面々。この方たちと山本太郎さんが今後素晴らしい人間関係を築いて、進むべき方向に必ずや大きく舵をきって行かれるとおもいます。それががなによりの楽しみです。次の衆議院選挙でれいわ新選組が躍進することを期待します。

重度障害者の自己決定権


私は四〇年ほど前、重度障害者の「村田実学校へ入る会」を支援し村田実さんの介護に入っていました。当時、「障害者の自己決定権」が叫ばれその鮮烈な自己主張に多くの労働者・学生が介護に入りました。村田実さんは重度の脳性小児麻痺で歩行も不可、食事も入浴もすべて介助が必要でした。その彼が「重度障害者の自己決定権」を高らかに宣言し、みずから八百屋へ行き大根を値切るのです。八百屋のお兄さんが舞い上がって「よし!人参もジャガイモも半値にしてやらあ。もってけ!」と叫んでいました。持って帰った大根を切る介助者の手元を見ながら、もっと大きく切れ、小さく切れと文句を言い、そんなにグツグツ煮てしまったらビタミンが壊れるなどなどなど、介助者もハイそうですかとは言わない。そのぶっつかり合いのところに「自己決定権」が生まれるのです。
村田さんの車椅子を押して市の福祉課へいきます。障害者の言葉は分かりにくいので担当者は私の顔を見て話をします。私は「この方に頼まれて車椅子を押してきただけなのに、どうして私の顔を見て話をするんですか。失礼でしょう」と食い下がります。当然のことです。脳性小児麻痺者の発音は「し」を「ち」と発音するような特色があって、少し慣れればばそれほど難しいものでもありません。福祉に携わる者はぜひ勉強してもらいたいものです。東京久留米園という障害者施設にいた村田さんが施設から出て自立生活をしたいと言い出して、私は村田さんの車椅子を押して不動産屋さんへ行き私が保証人となって契約して帰りました。しかし、その後私のところに不動産屋さんから電話がはいり「火の始末のことが心配だから家を貸せない」というのです。私は村田さんに頼まれて保証人になったのに、どうして私にそれを言うのですかと、そしていろいろ話し込むうち不動産屋さんも理解してくださり家は借りられることになりました。このように言いますと私がカッコヨイ役割を演じていたように見えますが、そんなことはありません。自己決定権の旗の下に集まってきた当時の介護者は、どのような状況におかれても原則を曲げるような対応はしなかったのです。
さて、今回れいわ新選組から当選したお二人の席が、国会の議場の後部入り口のドアを開けたすぐの所に設定されたことに、私はかなり頭にきています。「いい加減な答弁をする閣僚どもを、睨み倒すために議員になったのに、最後部の席とは何事だ!」と村田実さんだったら激怒したにちがいない。しかしその人も故人となってしまっているのです。国会議事堂の管理者はお二人と、直接話あってバリアフリーのことなど決めたのでしょうか。お二人も直接伝えようとしたのでしょうか。初登院に間に合わないなどの時間的制約はあったとしても最大限の努力をしなくてはならないのです。完璧を要求するのではなく、お二人の自己決定権が叶うよう出来うる限りの努力をすることが求められるのです。なによりもたいせつなのは、そこに至る過程なのです。山本太郎さんの七月一〇日の政見放送で「障がい者を利用して障がい者施策を変えようじゃないか」という言い方に批判はあるけれども、障がい者を受け入れる態勢をもたない国会を変える手段としてそれでいいんだと明言しています。私は人様をあくまでも連帯の対象とする姿勢を大切にしたいと思います。障がい者の解放はあくまでも障がい者自身の握力でかちとるものです。山本太郎さんが政見放送でのべていたように「障がい者を利用して障がい者施策を変え」たとしても、それは上から目線の「お恵み」となることを私は恐れるのです。山本太郎さんの歴史観・人間観の危うさが心配になるのです。
(つづく)

8.3-8.4

山谷夏祭り2019

連帯のきずなを強め
生きぬき闘い続ける

 八月三日、四日の二日間、南千住の玉姫公園で山谷夏まつり2019が行われた。 実行委員会に結集する労働者と支援者は初日は正午、山谷労働者福祉会館に集合し、会場への物資の運び込み、設営を行った後、共同炊事を行い祭りを始めていった。亡くなった仲間の遺影の前で、ひとさじの会のお坊さんと、ほしのいえのキリスト者を中心に宗派を超えた追悼が行われた。
 両日とも今年もアルミ缶の買い取りが行われ、相場より少し高い価格に設定された。共同炊事(炊き出し)の後、実行委員会の仲間の乾杯が行われる。ウーロンハイとウーロン茶は今年も無料。隅田川医療相談会やほしのいえ、ひとさじの会、フードバンクなど山谷周辺で活動する団体や、ゆんたく高江、渋谷のじれんなど様々な団体が、やきそばやたこ焼きなど一律五〇円の屋台で盛り上げる。
 ステージでは一日目はロックバンド蟹座など3バンド、二日目は仲間のカラオケが行われ、その後の岡大介、中川五郎、ジンタらムータの各出演者が熱演。 祭りの最後は両日とも盆踊り大会。二日目は終了後、参加者で協力してヤグラや屋台などすべての撤収を終えた。     (板)


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