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    かけはし2019年9月16日号

完成の見通しは全く立っていない


辺野古新基地建設阻止闘争の現段階と展望(上)

沖縄 N・J

8月31日



1.辺野古埋め立て工事の現状と見通し

 岩屋毅防衛相は八月八日の会見で、辺野古埋め立ての進捗状況について明らかにした。それによると、今年七月末段階の土砂投入量ベースで、昨年一二月に土砂投入を始めた辺野古側埋立区域A―1(約6・3ヘクタール)が約七〇%、今年三月に着手した埋め立て区域A(約33ヘクタール)が一〇%以下、とのことだ。
 沖縄県は、防衛局の提出した資料を基に計算して、埋立工事の進行率は五月末で二・八%と発表した。平和市民連絡会の北上田毅さんは、埋め立て工事の完成段階の高さは八mだが現在の工事の高さは三・一mにすぎないので、全体の埋め立て工事から見れば七月末段階でも〇・八%にとどまると分析している。
 ただ、この間土砂投入のスピードが加速している。琉球セメント安和桟橋からのダンプ積み込み台数は、五月八八三二台、六月八七八五台、七月一万二八〇台と増え、本部港塩川地区からも、五月二回、六月二回、七月一四回と増加した。このままのテンポで行くと、一年後には辺野古側の埋め立てがある程度出来上がるかもしれない。
 政府防衛局にとって難関は大浦湾だ。活断層と推測される辺野古断層と楚久断層の周辺に広がる最深九〇mに及ぶ軟弱地盤が立ちはだかる。大浦湾の埋め立て予定地の約六〇%で地盤改良が必要とされる。しかし、国内のみならず世界でも施工実績があるのは七〇mまでで、それ以上の深さの工事実績もなく、工事船もない。七万七〇〇〇本もの砂杭の打設、敷き砂・砂杭の六五〇万立法メートルの砂(沖縄の年間海砂採取量の3〜5年分)、地盤改良工事の最低五年におよぶ工期、大規模工事による深刻な環境破壊、さらにとてつもない費用だ。
 安倍首相は今年初めの国会で「今後の工期や費用について確たることを申し上げることは困難」と答弁した。昨年一一月末発表された県の試算では、埋め立て工事に五年、軟弱地盤の改良工事に五年、埋め立て後の施設整備に三年の計一三年、埋め立ての総工費二兆五五〇〇億円となった。政府の当初の埋め立て承認申請の計画では二三一〇億円だったので、実に一〇倍以上に膨れ上がる。
 沖縄防衛局は八月八日、地盤改良工事に向けた設計変更の業務について入札結果を発表した。地盤改良工事を含む設計変更は日本工営・日本港湾コンサルタントの共同体(落札率99・9%)、それに伴う環境影響評価の業務はいであ・沖縄環境保全研究所の共同体(落札率99・0%)が受注した。これらの企業には防衛省のOBが天下りしている、軍事産業の一翼であり、見え見えの官製談合だ。
 そして、政府は大浦湾の地盤改良工事に関する有識者会議を設置し九月初めにも都内で初会合を開催するとのことだ。有識者会議は、政府防衛局が強行する辺野古・大浦湾の埋め立てに専門家の立場からお墨付きを与えようとするものになることは明らかだ。政府防衛局はこの御用学者の会議を受けて来年早々にも沖縄県に対し埋立願書の変更申請を行うと見られる。
 政府防衛局は大浦湾の埋め立てに向けた動きを加速させているが、実際のところ、全く見通しは立たない。埋め立て工事は中途で必ず挫折する。問題はどこで挫折するか、政府防衛局がどの時点で断念するか、だ。大浦湾の地盤改良工事に突入しサンゴの海を破壊しつくした後に取り返しがつかない状態で断念するのか、そうならない前に早期に工事を中止するのか、の選択だ。

翁長雄志知事の言葉(要旨)

 昨年八月八日亡くなった翁長雄志知事は次のように述べている。(『戦う民意』P99〜101、2015年、角川書店)――
日本政府は、当然ながら私たちよりも強大な権力を持っています。
強引に土や石を海に入れるところまではできるかもしれません。しかし、さまざまな問題で支障が出てきます。おそらく工事はどこかで中断するでしょう。結局、一六一ヘクタールすべてを埋め立てることができず、たとえば三〇ヘクタール埋め立てたところで中断すれば、工事の残骸が残ることになります。
日米政府にとって、最後まで基地建設の工事が続けられなかったという意味からすれば、そうした事態は完全な「敗北」でしょう。
ではそのとき、私たちは「勝った」のでしょうか。私たちが守ろうとした大浦湾の美しい海は汚れて、ジュゴンがいなくなれば、それを「勝利」とは決して言えないと思います。むしろ「敗北」なのではないでしょうか。
この工事は誰にとっても「勝ち」はないのです。
結局、いたずらに時間とお金を浪費していくことになります。国と地方の財政が破綻寸前の時、さらに無駄なお金が費やされることになります。日米両政府は基地の完成予定を一〇年以内と見積もっていますが、この工事は順調にいっても一五年や二〇年はかかります。
一〇年以上工事期間があることを考えると、まさしく普天間基地は固定化されるといっていいでしょう。その間、世界情勢は変わります。現政権も続いていないでしょう。そうなれば、基地をめぐる環境も変わります。

 歴史を後から振り返って、政権の愚行をどうしてその時止められなかったのか? という疑問を抱くことがあるものだ。その最たるものが、一九四一年一二月真珠湾攻撃から始まる日米戦争であり、休戦や講和ができず破滅ののちに至った終戦への道のりだ。辺野古新基地建設においても、安倍・菅をはじめ政権中枢の政治家や官僚は同じような破滅の道を進んでいるようにしか見えない。国家権力の私物化と暴走にストップを!

2.建白書以後の闘いの経過と現段階

@オスプレイ配備と建白書、 上京要請


普天間飛行場への配備が正式に発表されたのは、二〇一一年六月一三日、当時の北澤防衛相が沖縄県庁で仲井真弘多知事と会談し、二〇一二年後半に米海兵隊のMV―22を普天間飛行場に配備すると説明したのが最初だ。
沖縄では降ってわいたような「空飛ぶ棺桶」オスプレイの配備に反対する県民ぐるみの声がわき上がった。二〇一二年九月九日には「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」が宜野湾市海浜公園で開かれ一〇万人以上が参加した。会場は「レッドカード」を意味する赤一色のプラカードや人、人、人であふれかえった。共同代表は、喜納昌春(県議会議長)、翁長雄志(市長会会長)、照屋義実(商工連合会会長)、仲村信正(連合会長)、平良菊(婦人連合会会長)の五人。自民党の佐喜真宜野湾市長もあいさつに立った。
年が明けて二〇一三年、県民ぐるみの怒りは沖縄県知事、県議会をはじめ全四一市町村長・議会長の連名による「建白書」をもって一〇〇人を超える代表団が上京し、四〇〇〇人が参加した日比谷公園での集会・デモの翌日に安倍首相に手渡すところまで突き進んだ。これまで何度も繰り返してきた「要請」では生ぬるいと「建白書」と命名された。
「建白書」は、「安倍晋三内閣総理大臣殿。沖縄の実情を今一度見つめて戴きたい。沖縄県民総意の米軍基地からの『負担軽減』を実行して戴きたい」と訴え、次の二項目を要求した。
1.オスプレイの配備を直ちに撤回すること。及び今年七月までに配備されるとしている一二機の配備を中止すること。また嘉手納基地への特殊作戦用垂直離着陸輸送機CV22オスプレイの配備計画を直ちに撤回すること。
2.米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設を断念すること。

A2014年県知事選挙と 翁長知事の誕生

 仲井眞知事も表立って辺野古容認の立場を表明することができず、「環境への影響が甚大。辺野古は時間がかかり、県外が早い」などと言い続けた。沖縄のすべての政治勢力による県民ぐるみの闘いの高揚に最も強い危機感を抱いたのはほかでもない、日本政府・自民党だった。このままでは新基地建設のめどが立たない。政府自民党は強力なテコ入れを進めた。
記憶している人も多いと思う。当時の石破茂幹事長が演壇のマイクの前に立ち、自民党沖縄県連の五人の国会議員(衆院1区の国場幸之助、3区の比嘉奈津美、4区の西銘恒三郎、2区で照屋寛徳さんに敗れ比例で復活した宮崎正久、参院沖縄選挙区の島尻安伊子)と共に、一一月二五日自民党本部で記者会見したときの模様だ。五人の国会議員は壇上に並んで座り、叱られた子犬のようにうなだれて、「辺野古反対」で当選した公約を破り「辺野古容認」へと変節したのである。
それから一カ月後、仲井眞は県庁で記者会見して安倍から「普天間基地の五年以内の運用停止の約束」を得たことを大きな理由に「埋め立て承認」したことを明らかにした。安倍との会談や県庁での記者会見の模様は、ネットで当時の映像を見ることができる。安倍の卑劣なごまかし、仲井眞の屈従の姿が記録されている。
翌二〇一四年一一月一六日の県知事選挙で、仲井眞はあえなく落選。翁長雄志知事が誕生した。親子代々自民党の政治家として那覇市長を四期にわたって続けた翁長知事は「イデオロギーよりアイデンティティ」を掲げ、安倍政権と対決し「辺野古阻止」の姿勢をハッキリと打ち出した。「勝つ方法は決して諦めないこと」を合言葉にねばり強く闘いぬかれてきた辺野古新基地反対の闘いは、翁長県政の誕生を機に、行政と大衆運動が手を携えて共に闘う足場を獲得した。建白書に結集した県民ぐるみの闘いの流れは、政府自民党による分断に抗して、県内政治勢力の多数派、オール沖縄へと進んでいった。

B沖縄県と日本政府との
 全面対決の開始


翁長知事は就任後まず、埋め立て承認を検証する法律家や環境問題専門家による第三者委員会を設置した。そして二〇一五年三月二三日、仲井眞前知事が与えた岩礁破砕許可により進行中であった防衛局のボーリング調査にたいし、破壊の恐れのあるサンゴ等を潜水調査するために、沖縄防衛局に対し一週間ボーリング調査を中止するよう指示した。新基地建設という国策をめぐって沖縄県と日本政府との全面対決が始まった。県民は辺野古現地での連日の行動と共に、二〇一五年五月一七日のセルラー球場での辺野古NO!県民大会への大結集などで県政と連携して安倍政権に対峙した。
翁長知事は二〇一五年一〇月一三日、第三者検証委員会の報告をもとに、埋め立て承認を取り消した。沖縄防衛局による埋め立てのためのボーリング調査は直ちに中止に追い込まれた。第三者検証委員会の報告は、「前知事の埋め立て承認には法的な瑕疵が認められる」として、具体的に、@「埋め立ての必要性」の要件を満たしていると判断できない、A「国土利用上適切かつ合理的」といえない、B環境保全措置が十分に講じられていると認められない、と指摘した。

C三つの裁判と和解による工事の中止、およびその結末

 沖縄防衛局は国土交通相に埋立承認取り消し無効の審査請求と取り消しの効力を止める執行停止を申し立て、国交相は執行停止を決定。同じ穴の二匹のムジナによる自作自演。そして、事態は代執行裁判の二〇一六年三月四日の和解による工事の中止と裁判の一本化へ進んだ。
辺野古の工事は完全に止まった。安倍官邸には大きなショックだったであろう。政府はその間、高江に集中した。全国から五〇〇人の警察機動隊を動員し、他方で山城博治さんなど三人の逮捕・起訴・長期勾留で現地闘争を押さえつけ、裁判手続きを進めた。
七月二二日、政府は翁長知事に対し違法確認訴訟を提訴。九月一六日の高裁判決を経て、最高裁は二〇一六年一二月二〇日、沖縄県の上告を棄却する判決を出した。判決は、中学生の作文のように形式論理に貫かれたひどいものだ。
翁長知事は判決後の記者会見で、「法の番人として少なくとも充実した審理を経た上で判断をしていただけるものと期待していた」が「深く失望し憂慮している」と述べた上で、「行政が司法の最終判断を尊重することは当然」と語り、一二月二六日、埋め立て承認の取り消し処分を自ら取り消した。
その後、翁長知事は首相官邸で菅官房長官と面談し、前知事が埋め立て承認時に留意事項として付した工事再開前の事前協議を求めたが、日本政府・安倍官邸は県との協議を拒否して工事を再開した。
沖縄が直面する日本の国家権力の不条理な壁。翁長知事の悲しみと怒りが伝わってくるようだ。今年八月二二日に行われた翁長知事の一周忌の「偲ぶ会」で、樹子夫人はあいさつに立ち「那覇市長時代までの政治家人生は全身全霊喜びにあふれていました。知事のころからはほとんど心から笑っているのを見たことがありません」と述べていた。

D県の抵抗と国の
 不法工事強行

 当初、辺野古新基地建設を強行する安倍政権の正当化の根拠はただ一つ、仲井眞元知事の埋め立て承認だったが、以後のお墨付きは最高裁判決となった。日本政府は埋め立て工事の強行推進に乗り出した。二〇一七年三月三一日の岩礁破砕許可の期限切れに対しても「漁協が漁業権を放棄したから、岩礁破砕許可は不必要」と、県に許可申請をせず工事を継続した。
翁長知事は日米両政府との全面的な対決の中で、辺野古阻止のために、県ワシントン事務所の設置、アメリカ政府・議会への要請、国連人権理事会での訴え、全国知事会での日米地位協定改定の問題提起・基地問題研究会の設立、辺野古新基地に関する詳細なパンフレットの作成と全国の自治体への送付、数度にわたる県民大会への参加などに取り組んできた。二〇一七年七月には県議会での議決のうえ工事差し止め訴訟と仮処分申請を行った。さらに米軍特権の日米地位協定の改定のため、ドイツ、イタリアに調査チームを送った。

E県による埋立承認撤回と 玉城デニー知事の誕生

 翁長知事は不幸にも二〇一八年八月八日病に倒れたが、生前明らかにした埋め立て承認撤回の方針に従って、八月三一日、職務代理者の富川盛武副知事とその委任を受けた謝花喜一郎副知事が埋立承認を撤回した。二〇一五年の翁長知事による埋立承認取り消しが承認を与えた時点の瑕疵が理由だったのに対し、承認撤回は、承認後に新たに生じた、ないし新たに判明した事実をもとに行われた。
翁長知事死去に伴う九月三〇日投開票の知事選挙の結果、県知事選挙史上の最高得票の三九万六千票余を得て玉城デニー知事が誕生した。自公維に小池の希望まで加わった沖縄つぶしの反動派連合が安倍官邸と共に猛烈な勢いで選挙運動を進めたが、翁長知事の遺志を引き継ぎ、辺野古NO!普天間閉鎖!アジアの平和の中に沖縄の自立した発展を展望する県政を訴えた玉城デニーさんを次の知事に押し上げた。
安倍官邸は沖縄県知事選挙の結果を尊重しようという気はさらさらなかった。三年前と同じように、国を私人と偽って一〇月一七日、沖縄防衛局は沖縄県の埋め立て承認撤回の取り消しを求める審査請求と執行停止の申し立てを、同じ内閣を構成する国土交通相に行った。記者会見で、岩屋防衛相は「行政不服審査法は国であっても処分によって大きな損害を被る場合には申し立てができるようになっている」と破廉恥にも述べた。
数年前の行政不服審査法の改正に伴い新設された第七条二項では「国の機関又は地方公共団体その他の公共団体若しくはその機関に対する処分で、これらの機関又は団体がその固有の資格において当該処分の相手方となるもの及びその不作為については、この法律の規定は、適用しない」と明記している。実際、年間一〇万件以上の国または地方公共団体に対する行政不服審査の申立ては、生活保護、社会保険、国税、情報公開、労災などに関する個人や企業からのものばかりだ。
安倍官邸は一〇月三〇日、公明党の石井国土交通相が沖縄県の埋め立て承認撤回の効力を止める執行停止を決定し、翌日工事を再開した。

F辺野古埋め立ての是非を
 問う県民投票

 二〇一九年二月二四日辺野古県民投票が行われた。県民投票は「辺野古米軍基地建設のための埋め立てについて」、「賛成」「反対」「どちらでもない」の三択から各々該当する欄に〇をつける方法で実施され、即日開票された。二月一五日から実施された期日前投票を合わせた開票結果は次の通り。

有権者数115万3591
投票数  60万5394
投票率   52・48%
賛成   11万4933
反対   43万4273
どちらでもない 
5万2682
無効票   3497

 投票数に占める「賛成」「反対」「どちらでもない」の比率はそれぞれ、一九%、七二%、九%であった。県民の圧倒的多数が辺野古埋め立て反対の意思を示した。県民の意思はゆるぎなく頑強に辺野古新基地NO!だ。
県民投票条例の第一〇条(投票結果の尊重等)によると、「いずれか多い数が投票資格者の総数の四分の一に達したときは、知事はその結果を尊重しなければならない」、そして「知事は、内閣総理大臣およびアメリカ合衆国大統領に対し速やかに県民投票の結果を通知する」となっている。投票資格者の四分の一は二八万八三九八である。反対票はこれを一四万票以上上回った。そして、県民投票成功のひとつの目安だった、県知事選挙の玉城デニー票(39万6632)を四万票近く上回った。辺野古埋め立て反対!を圧倒的な県民の声として示した県民投票は沖縄の反基地闘争の新たなジャンピング・ボードとなったのだ。
玉城知事は結果が判明した深夜の記者会見で次のように述べた――。
県民投票による民意の明確化を受けて、改めて辺野古新基地の阻止に全身全霊を捧げる決意だ。政府は、沖縄県民の辺野古の埋め立てを決して認めないという断固たる民意を真正面から受け止め、辺野古が唯一というこれまでの方針を直ちに見直し工事を中止するとともに、普天間飛行場の一日も早い閉鎖返還という根本的な問題解決に向け、これまで再三求めてきた県との対話に応じるよう強く求める。国民の皆さまは国会や政府の議論にゆだねるだけでなく一人ひとりが自らの問題として議論し考えて欲しい。

G国政選挙


過去五年間で国政選挙は以下の通り行われた。比例区は別にして、結果は一〇勝一敗。これまでの保革の枠をこえて辺野古NO!で団結し、翁長知事を生み出したオール沖縄の勢いが続いた。
2014年12月衆院選 
沖縄選挙区@ABC
2016年7月参院選@
2017年10月衆院選 
沖縄選挙区@AB?
2019年4月衆院3区補選@
2019年7月参院選@

Hこの夏 県が提起した
 二つの裁判

 沖縄県は七月から八月にかけて日本政府を相手に二つの裁判を起こした。地方自治法に基づき七月一七日に福岡高裁那覇支部に提訴した裁判は、国交相が認めた裁決は国の違法な関与にあたり、その取り消しを求めたものである。
玉城デニー知事は記者会見で、「国土交通相の採決はあたかも選手と審判を同じ人物が兼ねているようなもので、まさしく自作自演、結論ありきで公平さを欠いている」と述べた。
それに先立つ七月一一日の沖縄県議会の最終本会議で、訴訟提起と関連予算六八九万五千円余を二四対一九で可決した。自民党・公明党は「勝算がないまま訴訟をするのは予算の無駄遣い。対話を求める姿勢とは裏腹で基地問題の解決につながらない」と主張した。
もう一つの裁判は八月七日那覇地裁に提訴された。行政事件訴訟法に基づき、国交相の採決取り消しを求める抗告訴訟である。この裁判で県は、埋め立て承認撤回の中身に踏み込んだ審議を行い、軟弱地盤や活断層などの新たな問題の発覚を理由に埋立承認撤回が適法であり、国交相の採決が違法であることを主張する。また、昨年八月三一日の撤回ののち知事選、衆院三区補選、参院選で辺野古反対の候補者が当選し、二月の県民投票でも投票総数の七〇%以上が埋め立て工事に反対したことを訴状で明記した。

I現地闘争


辺野古の現地行動は休みなく展開されてきた。一九九六年四月一二日の橋本首相とモンデール駐日米大使との会談で合意された「普天間飛行場の全面返還」は年末のSACO(沖縄に関する特別行動委員会)に至って、返還条件が辺野古での新基地建設だとされてのち、ヘリ基地反対協議会は辺野古の海辺にテントを設置し、抗議船とカヌーによる抗議・阻止行動を続けてきた。ボーリング調査と護岸造成のための資材搬入が始まった二〇一三年七月以降は、米海兵隊キャンプ・シュワブのゲート前で連日座り込みが行われてきた。加えて、昨年一二月に本部半島からの赤土土砂の搬入が始まって以来、積出港となった本部港塩川地区と琉球セメント安和桟橋での抗議行動が連日行われている。
本部半島の採石場から赤土土砂を搬出するルートは、琉球セメント安和桟橋と本部港塩川地区の二カ所だ。通常、塩川はダンプ一七〇〜一八〇台分を一台の台船に積み込み、安和では、一日平均運搬船三〜四隻分の土砂を辺野古の埋め立て区域へ運んでいる。安和桟橋の入口ゲートと出口ゲート前ではカンカン照りの日も雨の日も毎日早朝から午後まで各島ぐるみ、各団体のローテーションで抗議行動が継続されている。カヌーチームは週に二〜三回、辺野古からカヌーを運んできて、安和桟橋の運搬船の出航を身を挺して止める海上行動を行っている。
キャンプ・シュワブの工事用ゲートからは、生コン、砕石、砂利、砂、鉄製品など埋め立て工事関連の様々な資材が搬入されている。通常、搬入は午前九時、午後〇時、午後三時の三回だが、毎日搬入時間に合わせてゲート前に座り込み、搬入が終わればテントで集会を開く行動が続いている。ゲート前には毎月第一土曜日の県民大行動をはじめ、日本各地、海外から様々なグループ、団体、個人が参加してくる。海上では、抗議船、カヌーが連日、赤土土砂を積んだ運搬船が台船に積み替えてK9、K8護岸に陸揚げするのを止める海上行動を繰り広げている。     (つづく)


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