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    かけはし2019年9月16日号

命を犠牲にすることはできない


半導体のために生活を破壊

イ・サンス (半導体労働者の健康と人権守備 常任活動家)




「フッ化水素」、
化学物質管理法
 日本の半導体素材の輸出規制で世界が賑やかである。不慣れな半導体素材名が連日メディアに取り上げられている。その中でも最も多く聞こえるのが「フッ化水素」だ。もっと慣れている言葉では「フッ」と呼ぶ。複数回の漏出に労働者を死なせた、まさにその化学物質である。2012年欧米でフッ酸漏出で労働者5人が死に、18人が負傷した。地域環境まで破壊して、農作物や家畜の被害はもちろん、数百人の地域住民が治療を受けていた。
 サムスン半導体工場でも2013年1月にフッ酸漏れ事故で4人がケガをして、一人が命を失った。事故当時、サムスンは、作業者を避難させず、むしろ事故を隠蔽して、社会的公憤を買った。サムスンは「フッ酸の外部への流出はない」と主張したが、大型送風機を回してフッ酸を工場の外に抜き出すシーンがCCTVに入れられた。この映像が公開され、再びサムスンの嘘が明るみになった。
 この事故について、労働部が勤労監督を実施した結果、なんと2千件を超える産業安全保健法(サンアンボプ)違反を摘発した。以後作成された安全衛生診断レポートの内容を見ると、さらに深刻である。吸入すると死亡に至るほどの致命的なあらゆる化学ガスを扱うサムスン半導体工場では、ガス漏れを検知する機構が不適切な位置に依存しているか、頻繁に故障した。さらにセンサーや漏洩時の排出装置が全くない場合もあった。
 フッ酸だけでなく、アンモニア、消化用二酸化炭素などのガス漏れ事故は繰り返され、間違いなく労働者がケガをして死んだ。化学物質管理法(花冠法)は、このように、反復的な化学ガス漏れ事故の危険性を減らすために制定された。

「フォトレジスト」、
加湿器殺菌剤、和平法
日本のもう一つの輸出規制の対象「フォトレジスト」はベンゼン、ホルムアルデヒドのような発ガン性物質を副産物として発生させることが確認された有害物質である。フォトレジストを使用する工程は、半導体工場でも職業病の危険が最も高いことで数えられる。1980?90年代のアメリカ半導体産業で職業病問題が最初に浮上したきっかけも、まさにフォトレジストからだった。当時、原因が明らかになり、1995年から米国での使用を禁止していた成分が、2009年に韓国のサムスンとハイニックス工場フォトレジストから検出された。
半導体産業は、使用する化学物質の種類が多く、代表的な業種である。発がん性、変異原性、生殖毒性などを誘発する有害化学物質だけでも、数百種類にのぼる。しかし、「企業の営業秘密」という理由で情報を隠して、その危険性が正しくあらわれていない。
リスクは、工場だけにあるのではない。加湿器殺菌剤惨事は、化学物質を厳しく管理していないときどのように大きな被害を及ぼすかおもい知らせた。被害情報提供のみで数千件に上る。ソウル大保健大学院の調査によると、被害者の数は200万人を超えると推定される。このように広範囲に使用された化学物質についての最も基本的なリスク評価さえ行われないほどの企業は、安全に関心がない。化学物質を導入する際にどのような危険があるかを正しく評価することは、このような惨事を防ぐために必ず必要である。化学物質の登録評価法(和平法)は、まさにこのような惨事を防ぐために作られたものだ。

半導体のため
に死んだ人
資本と親企業のメディアは、花冠法和平法を「半導体材料の国産化の障害」と非難する。すでに下位法令でぼろになった改正サンアンボプにも規制を緩和するように要求する。製品安全データシートMSDS を登録して、営業秘密を審査するよう規制したことを指摘するようだ。しかし、この法律の一つ一つがすべての人が死んで作られたものである。この法律をなくしたり軽減しなければならないという主張は、「半導体生産のための安全と命を犠牲にする」という言葉に過ぎない。
さらに、政府は、「素材の国産化」を名分にし特別延長勤労まで許容すると発表した。災害を収拾するとき制限的に許可する条項を一度に適用するというものである。特別延長勤労は、最大労働時間の上限がない無制限労働が可能である。適用対象も素材の開発業務に限らず適用テストなどの業務まで包括しており、ほぼすべての半導体労働者に悪影響を与える。
半導体職業病被害者から聞き取りをしてみると、例外なく過労に苦しんだ姿を発見することができる。過剰生産と品質競争で労働強度が高く、ストレスもすごい。半導体危機が誇張されたものとは別に、一体なぜ既に過労疲弊した労働者が無制限労働に追いやられるべきであるか。本当に開発が急がれる場合は、雇用を増やす、になる。サムスン電子とSKハイニックスが積み上げたお金を使用すればよい。
この国、半導体産業で蓄積した天文学的利益が労働者と国民に戻って来ていなくて久しい。その利益は、労働者が安全でない工場での化学物質にさらされ職業病に苦しんで死んでいったものである。労働者の死を少なくしようとした法を、半導体製造と交換することはできない。あまりにも多くの人々が既に半導体のため死亡した。
(社会変革労働者党「変革と政治」91号より)

三陟(サムチョク)原発を撤回させた

抗争の記録を刻んだ碑完成

 サムチヨクに原発建設予定地を撤回させた抗争の記録を刻んだ第2の碑が完成したが、そこに住み共に闘ったサムチヨク平和さんの感謝の文を紹介する。(「かけはし」編集部)

 三陟(サムチョク)が脱原発の歴史に残る二番目の記念碑を建てました。私は事情があって三陟にいなかったけど過去の多くのことが走馬灯のように過ぎ去ります。写真を撮ったと言ってある男が私を殴ったり人を送って活動できなくしたりしました。多分三陟で活動した人々は皆そんな抑圧を経験したはずです。水曜ロウソクの日は、家が三陟市内から遠いところにあって終バスに乗り降りると、雨の日には本当に寂しかったです。
 多くの方々を思い出します。
 何より序盤に苦労したトゲのお年寄りたちと浄福会の小さな花社会福祉館館長、そしてパク・ホンピョ神父さんのことを思い出します。
 水曜ミサとロウソク集会の写真をフェイスブックに載せると、写真の中の人物を探し、苦労して、浄福会の小さな花館長が山の中で暮らす道界聖堂のお年寄りを雪が降っても、雨が降ってもワゴンに乗せて来て、席を満たしました。
 1歳にもならないサンイが母親の懐に抱かれて集会に出たことも思い出しますね。暑い夏、母さんは市場住民召喚活動の時、事務室のお風呂に入って遊んだ場面も思い出されます。もう、サンイが背の高い小学生になったので、サンイが脱原発の歴史証人です。

 パクホンピヨ神父さんの話は長く書いても足りないですよね。大本堂の所任だけして、修道女もいない炭鉱村の小さな本堂で勤め、まるで左遷されたような感じでした。
夜は赤幕江山です。
ところがある日三陟に住む市民何人かが尋ねて来て三陟に核発電所が入ってくるそうですが、当時の現市長が誘致を申し込んだので、市民たちが直接闘ってくれないので助けてくれと言ったそうです。
神父の恩師が当時の市長だったのですぐに対立して闘えませんでした。しかし司祭として神様の意に反することが分かるので多くの悩みと祈りの後に信任する友を呼ぶと、今では巨大な核と闘うことを決心したとおっしゃりながらたくさん苦しみました。
これから闘う闘争が火を見るように見えたからでしょう。その後、まるで独立軍が独立宣言文を秘密裏に作成して配布するように、夜になると神父と核発電所の危険性を知らせるビラを作成して、家ごとに配るのですが危険なことなので配布は郷友にさせず自分でされました。ある日、雨が降って紙のカバンが少なくてチラシが地面に全部落ちているのを見て神父が困りながら立っている場面を、あるク友が見ました。
イ・グァンウさんも苦労しました。赤と烙印を押して葬ろうとしましたが、それをはねのけ、市会議員の当選という扉を開いた人です。その後核反対をしなければ地方選挙で当選できないほど民心を確認させてくれたんですから。ひまわり弁護士さんたちはその遠いところから来られて私たちに力を与えて午前零時を超えて帰っていく日があまりにも多かったです。大きなお力添えを頂きました。脱原発巡礼を行った成元基(ソン・ウォンギ)教授は旗を持ってお祈りしました。最初一人で出発したのですが、この巡礼を知らせなければならないと思って、私はソン教授に行く所ごとに写真を撮って送ってくれと言いました。ソン教授は、SNSをしらない方なので、私は送ってくる写真をフェイスブックで知らせて一緒に歩ける人を探しましたが、ちょうど金イクジュン教授が一緒に歩きながら、ソン教授に原子力発電所の個人教授をしました。
その後5日後からパク・ホンピョ神父たちが一緒に歩くことになりました。巡礼の時密陽から来たペ・スチョルさんが三陟から京畿道ヤンスリまで一緒にしてくれた義理は忘れません。そして、三陟核反対闘争委の共同代表、鄭玉善(チョン・オクソン)さんの活躍もすごかったです。
闘争がとても大変で疲れているとき三陟女子高校の同窓会が参加するようにしてくれ、再び起ち上がらせてくれ、財政が苦しくなると、1年一度飯屋をして後援金を集めて、財政を尽くしてくれました。チャン・ブヨンさんは、「コランも車を運転して、山の海岸沿いの道に沿って私の住んでいた故郷に歌と原子力発電所反対放送を流してくれました。そして初戦から今まで闘った近徳面の民は本当に苦労が多かったです。
特にジュヨンホ政策委員長が三陟に来てどうにかして私たちを懐柔しようとする席で80を超えられたチェボンスクンドク核反対闘争委代表は、「私は30年を闘ってきた。これから300年はもっと闘う自信がある」とおっしゃいました。

 そうです。
三陟市民はすべて300年は、闘う自信があります。固くもう一つの脱原発碑が建てられました。政権が代わっても私たち三陟市民は固い脱原発の精神を受け継ぐでしょう。
全国にてご協力頂いた方々にもお礼申し上げます。
このすべての話は壁書で子孫代々受け継いでいくと思います。

朝鮮半島通信

▲朝鮮労働党中央軍事委員会は9月6日午前、緊急拡大会議を招集した。会議では、台風13号による被害を防ぐための国家的な緊急災害防止対策が討議された。会議には金正恩朝鮮労働党委員長が参加した。
▲朝鮮中央通信の報道によると金正恩党委員長は9月6日、第14回全国教員大会に参加し、参加者と共に記念写真を撮った。この際、金正恩党委員長は朝鮮を訪問していた在日本朝鮮人総聯合会の教育活動家代表団の団員らとも別途の記念写真を撮った。同通信は同大会を過去最大の規模と報道した。

コラム

広がるヘイト状況……

 外食での出来事二つ。早朝、食事をとっていたのは二人だけ。青年が食べ終わり、帰り際に店員に対して「言いたいことがある。ご飯に固いダマが残っていた。気をつけなよ。ごちそう様」と言って去った。私も以前に同じようなご飯だったので、注意しようと思ったがそのままにした。最後の「ごちそう様」がよかった。
 数日後、自主夜中の仲間たちと昼食をとっていた。後からやってきた若者三人組が大声でしゃべっていた。店員が餃子を持ってくるとそのうちの一人が横柄な態度で「作り置きした餃子なんて持ってくるな。そんなもの食えるか」と店員に文句をつけた。店員は全員、外国人労働者。とまどいながら、餃子を下げた。店員が外国人労働者だから文句をつけたのかは分からないが「作り置きをした」などどう考えてもいやがらせでしかなかった。なんとも後味の悪い光景だった。
 同じようなことを小学館の週刊ポストがやらかした。九月一三日号で「韓国なんて要らない」という特集を組み、「嫌韓」でなく「断韓」だというのだ。連載を執筆している作家がこれを批判して連載から降りる騒動となっている。嫌韓本が書店にうず高く積まれる状況があるが今回のタイトルは究極の「ヘイト」だ。大手出版社がここまで堕落して排外主義を煽り、極右民族主義の先兵になり果てた。
 安倍内閣の支持率は上昇し五八%になっている。安倍の徴用工問題での韓国制裁はますます嫌韓状況を作り出し、排外主義的で危険な状況を作り出している。
 例えば今年四月、埼玉県川口市に公立の夜間中学、市立芝西中学校陽春分校が開校した。夜間中学の生徒七七人のうち外国籍が四七人と報道されている。外国籍の生徒が多いことを問題にし、税金も払っていない外国人を公立の夜間中学に受け入れるのは問題だ。外国人が日本人の就労の機会を奪っていると、排外主義的なネット記事が流されている。
 夜間中学は在日朝鮮・韓国人や中国からの帰国者(残留邦人)、さまざまな国の難民、新渡日者を受け入れてきた。国籍に関係なく義務教育未修了者を対象にしてきた。外国籍の労働者たちを単純労働の短期労働者として、受け入れてきたのは政府の方針だ。もちろん税金だって払っている。日本の公的支援を受けるのは当然のことだ。
 もう一つ憂慮すべき事態が起きている。毎日新聞夕刊(9月2日付)が大きく報じているオーバースティの外国人が収容されている茨城県牛久の東日本管理センターで一〇〇人ぐらいの収容者がハンストに入り、釈放を要求している。三年以上の長期にわたり収容されている人も増えているという。収容されている人は連れ合いが日本人だったり、子どもが日本で生まれ、日本に生活基盤を築いている。強制送還されれば家族がバラバラになってしまう。オーバースティ者は仮放免されても日本で働くことが許されていない。
 日本政府の政策が排外主義を生み出す温床になっている。民衆運動の力で国際連帯・外国人の人権を守ろう。 (滝)



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