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    かけはし2019年10月14日号

新天皇「即位式典・大嘗祭」に異議あり!


天野恵一さん(反天皇制運動連絡会)とのインタビュー

「生前代替わり」―何が始まる?


 「平成天皇」の生前退位に伴って、二〇一九年は四〜五月の「平成」から「令和」への代替わりイベントに続き、一〇〜一一月には「令和天皇」徳仁の即位式典(一〇月二三日)とそれに続く祝賀行事、さらに一一月一四日の「大嘗祭」にいたる一連の天皇行事で埋め尽くされる「天皇イヤー」となった。近代天皇制国家の下では初めての「天皇生前代替わり」行事を伴った「奉祝の一年」の中から何が見えてくるのだろうか。九月二八日に反天皇制運動連絡会の天野恵一さんに話をうかがった。
                               (本紙編集部)

――近代天皇制史上初めての天皇「生前代替わり」が意味するものについて、これまで三回にわたって天野さんにインタビューしました(最初は本紙二〇一六年八月二九日号の「天皇の『生前退位』メッセージをどう見るか?」、二回目は二〇一七年七月二七日号の「『生前退位』特例法は違憲だ」、そして三回目が二〇一八年一一月一九日号の「『昭和代替わり』との『違い』と『連続』を見据え天皇制国民統合との対決へ」)。いずれも「天皇の生前代替わり」という明治以後の近代天皇制史上、初めての事態がどういう意味を持っているかを、具体的局面に即して私たちが考え、批判し、行動する上で非常に示唆に富んだ提起でした。
 今回は、すでに前天皇明仁が生前退位し、五月一日に「代替わり」と「改元」が行われた上での「即位式」と「大嘗祭」ということになるわけですが、あらためて、この「代替わり」儀式の締めくくりをどう捉え、どう闘うのかについてお聞きしたい、と思います。

「昭和」代替わりとの相違と同一性

 前回の「昭和の代替わり」の「自粛」とか「記帳」の流れとは今回は全く違っており、今回は初めから「象徴天皇」だった天皇の「代替わり」儀式として、どうやるのかに関心がありました。
アキヒトの時、結局戦前の「登極令」(一九〇九年【明治四二年】に制定された天皇践祚・即位を規定した皇室令。一九四七年五月二日、新憲法発布の前日に廃止)を事実上、根拠にして、皇室伝統儀礼が大筋で復活しました。今の政府の言い方も、すでに一回やったあの形式でやる、ということです。
前回の戦後一回目の「代替わり」は「自粛」の衝撃で満たされました。「自発的」に天皇制の下にくくられていくという形で「象徴天皇制」のあり方が、全面的に露呈したわけです。つまり「神の国」の儀式が、マスメディアイベントを媒介に完全に再生されたのです。そうとは明言せずに。
それは戦前型の天皇制の復活ではなく、「にこやかに微笑みかける天皇制」として現われたのですが、その連続性に注目すべきです。それは軍事・警察的な暴力装置というよりは、人びとを包み込んでいくというやり方でした。
私たちは、昔の天皇制のようなものを批判するだけではダメと言ってきたのですが、「マスコミじかけの天皇制」との二重構造の中でかつての「神権主義天皇」のようなものが生き残ってきたわけですね。「登極令」的なものの復活は、局面変化の大きな例です。
他方、この間の局面変化の大きな例としては、天皇制を「絶対君主制」的なものとして批判してきた日本共産党が「象徴天皇制」が君主制ではないかのように捉えて容認したことも大きな変化でした。これは地方議会などで、かつて共産党の天皇制批判への攻撃がかけられたことと関連しています。
マスコミも象徴天皇制を自明の前提として扱っていたものの、以前は天皇制への批判の声もある程度は載っていたのに、今回は全くと言って良いほどない。国会の中でも批判の声は上がっていない。リベラル知識人が天皇制を批判することもない。つまり天皇制それ自体を批判する声がマスコミでは事実上なくなってしまいました。
メディアでは天皇制への異論すらほとんど出ていません。天皇制への批判的認識は国民の中にほとんどなく、そうした批判の運動もなく、国民的総意として象徴天皇制を擁護している、という報道になっています。
日本共産党が現憲法での象徴天皇制を擁護するようになったのも、その現われです。共産党は「将来的に天皇制の存否が問題になったときには『民主共和国を実現する』という『立場に立つ』が、そのための運動をすることはしない」という志位委員長の談話を発表しましたね。
「天皇の制度」に反対する「立場に立つ」ということと「そのための運動をする」ということは違う、という主張はまさに「かけはし」(五月二七日号3面)でも書いているように「護憲の立場に立つが、護憲の運動はしない」という詭弁と変わりはない。共産党のそうした根本的とも言える変化は、政治学者の渡辺治さんの「護憲」論が、ほぼ全面的に共産党の転換と歩調を合わせていることにも示されています。
一方、フロント(社会主義同盟)の「先駆」七月号でも「天皇の制度と日本共産党の立場」――『赤旗』志位委員長のインタビューを読む」という小杉完さんの文章を掲載し、実際上、共産党の転換を支持する立場が表明されていますね。このあたりの問題については、私たちの間でもキチンとした論議をしたほうがよいと思います。
横田耕一さん(憲法学者・九大名誉教授)が「天皇代替わりに関する&靖国・天皇制問題情報センター通信」の中で、共産党の立場の転換について「統一戦線的配慮のために原則がムチャクチャになっている」と批判しています。また『中央公論』の九月号では原武史さんが「日本共産党と天照皇大神宮教」と題する短い文章を書いています。
この「天照皇大神宮教」という教団は、西暦も公式元号も一切使わず、自分たちの元号を使うという特異な宗教団体なのですが、原さんはその文章の中で「今や共産党が公式の元号を使い、天照皇大神宮教の方が天皇の元号を使わないという転倒現象が生じている。あくまで自分の元号を使っているのは一つの批判のあり方としてなるほどと思わせる」と指摘し、「どちらの方が左翼だか分からない」と書いています。
原武史さん(近著『平成の終焉』岩波新書)の立場については、ときどき現実の天皇に対するシンパシーのようなものが感じられ、「えっ?」とするようなところもあるのですが、このエッセーは、非常に良い文章だと思います。

戦後憲法下の天皇制――その二重構造

 私たち自身にとっても、天皇問題について国家神道から残されたものに対する自覚が弱かった。しかし「神権天皇制」的なものと「象徴天皇制」的なものとの二重構造を、もっときちんと批判していかなければなりません。マスコミ仕掛けの「笑顔の天皇制」もマスメディアを媒介にした象徴天皇制なのですが、そこには「絶対敬語」を乱発しているメディア自体が「神権的」なものに加担している。つまり「国家神道」という宗教性において天皇制が神聖化されているだけではなく、メディア=大衆天皇制の中で「絶対敬語」の乱発を通じて神聖化が浸透させられている、ということです。
私たちは、こうした「神権天皇制」と「象徴天皇制」との二重構造をきっちりと批判していく必要があるのです。マスコミ仕掛けの「笑顔の天皇制」は、マスメディアを媒介にした「象徴天皇制」と言えるでしょう。「絶対敬語」によってこのあり方もさらに強められています。天皇制は宗教儀礼の中で神聖化しているだけではなく、「絶対敬語」の使用を通じて「メディア・大衆天皇制」の中で賛美される、という構造になっています。それが宗教でない「日本文化」だとして積極的に賛美するものとして現れていることになります。
政治的なあり方としては、それが「文化的・歴史的」なものとの連続面として「勲章」や「恩赦」という形で天皇制が担うことになっています。それはまさに歴史的に連続した構造です。「文化的天皇制」という構造と、神道儀式を軸にした宗教的天皇制=国家まるがかえの宗教的構造――この全体的あり方をきっちり批判していくことが必要です。

憲法3原則との矛盾

 奥平康弘さんは『昭和の終焉』(岩波新書)の中で、昭和天皇の死にいたる「自粛」の流れについて深刻な反省を行い、自分は戦後の天皇制が「新しい天皇制として作られた」という前提に立っていたが、「初めから一本取られていた」と述べています。「新しい機関」として象徴天皇が作られたのならば、なぜ裕仁がまた天皇になったのか、ということですね。「皇室祭祀」はそのままにして、「神」としてのアイデンティティーを継承し、それを国家的象徴とするメカニズムの中で、戦前と戦後の断絶を考えてきたのが間違いだったのではないか、という反省です。その後、その上で『「萬世一系」の研究――「皇室典範」的なものへの視座』(二〇〇五年 岩波書店刊、岩波現代文庫本で上下巻)へ向かうわけです。
渡辺治さんも、三〇年前の「自粛」の大騒ぎが「憲法学の重大な欠陥を明らかにした」と書いていたのですが、今やそういう憲法学者がいなくなってしまった。共産党は、「象徴天皇制にふさわしい儀式」を要求するに至っていますね。
奥平さんの説を詰めていけば、憲法は「民主主義・平和主義・人権」の三原則ではなく、それに天皇が加わった四原則になります。三原則と天皇制は敵対矛盾になります。天皇制が強くなれば民主主義とぶつかり、三原則が強くなれば天皇制とぶつかることになります。やはり、私たちはこの原則で考えるべきです。
共産党は即位の天皇儀式にも参加すること自体は一章含めて護憲なんだから当然と言っていますが、原理的に矛盾しているものが調和するわけはない。共産党の立場は「天皇制にはふれずに三原則を守る」、ということなのでしょうが、しかしそれが矛盾を隠していくことにしかならない。憲法三原則と天皇制は調和できるものだという程度に考えているなら、その〈人権・平和・民主主義〉感覚(思想)が問われるでしょう。

女性天皇の可能性

 他方、「女性・女系天皇制」を否定しているのは右翼であり、女性が天皇になれば天皇制は民主化され、ブレーキになるという意見もあります。今、皇族リストで男性の皇位継承候補は秋篠宮とその長男の悠仁(ひさひと)だけです。世論調査によれば八〇%が「愛子天皇」支持とされています。右派メディアも右翼もまるごと「女性天皇反対」などではない。ここでは、「女性天皇反対」の安倍の姿勢が押しこまれています。
さらに、安倍政権のやっていることをちゃんと見ておくべきでしょう。伝統的右翼の一部からは「生前退位は国体破壊」だという批判もありましたが、大きな流れにはなりませんでした。むしろ天皇制を安定的に継承させるためには女性天皇を認めたほうが良い、という動きが強くあり、女性天皇論になだれ込む現象が起きるのではないか、という危機感もあります。
天皇制を認めた日本共産党も女性天皇論に一瀉千里(いっしゃせんり)でなだれ込む可能性もあり、渡辺治氏なども民主主義を拡大するためには女性天皇がいい、と言っているようですね。しかし超特権的な身分・地位に女性が一人就くということと女性解放・男女平等とどんな関係があるのでしょうか。ある種の女性天皇願望は、象徴天皇制の安定支配にとって「切り札」として使われる可能性がありますね。
ここに、二つの週刊誌のコピーを持ってきました。一つは一一月九日に行われる「天皇皇后両陛下に捧げる皇居前広場二〇万人ライブ」についてで、これは「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」のメインの企画として、人気グループの「嵐」のコンサートが企画されているという『女性セブン』の記事。もう一つは、「男系男子」に限られた皇位の継承者が、いよいよゼロに近くなる中で「皇位継承」を巡って「愛子内親王」を皇位継承者とする「女性天皇容認」論が世論調査で八〇%の支持を占める一方、旧皇族の「復帰」による男系男子の天皇に固執する動きも具体化していると報じる『週刊新潮』です。
ここで注目すべきは「女性天皇」容認論が大きな支持を得ていることですね。私たちは「即位式典・大嘗祭に反対する闘いの中で、「女性天皇」への大きな支持が集まっている枠組み全体をどう批判していくかに知恵をかたむける必要があると思います。

「即位の賀詞」と共産党


日本会議系を中心に、「即位の賀詞」を上げる運動が行われてきました。地方議会では日本共産党も結果的にそれに乗っていってしまっているようです。そうなれば古い言葉ですが「転向」という問題も考えてみるしかない。共産党の志位委員長は「戦前・戦中に天皇制と闘った先輩たちに敬意をはらう」と語っていますが、しかし実際にはほとんどの党員や知識人が、転向してしまったというのが事実です。この問題の方には、今まで同様まったくほとんどふれていません。
党員の間で大量の転向が発生したのであり、戦後は少数の非転向者の権威に依拠した党を絶対化した政治主義的な転向者批判が行われました。しかしなんで大量の転向者を生み出してしまったのかについてきちんとした自己反省はぬきで、今日まで来てしまった。
弾圧だけに問題をしぼることはできません。それは共産主義だけではなくリベラリストについてもあてはまるのであり、リベラリストも同様です。
ここで新左翼とは何か、という問題になります。その点については一九五六年の「スターリン批判」や日本の新左翼とは別の点から考えなければなりません。もちろんスターリン批判やハンガリー動乱が決定的なファクターの一つであったことは否定できませんが、吉本隆明や武井昭夫らの「転向論」や「戦争責任論」における共産党の「非転向」神話の無責任さへの批判が原点だったことが重要です。「スターリニズム」批判というよりは、「非転向の共産党」という神話の無責任さへの怒りが原点であり、内側からの批判、すなわち「転向」の流れそのものの中にあった問題に正面から向き合え、ということでした。
この吉本の批判は論理的・倫理的に筋が通っていると思います。吉本のもう一つの批判は「転向はなぜ起きたか」という問題において「トータルビジョンをつかまえそこなったゆえの」というより「転向論」の軸に置かれるべきテーマとして「大衆からの孤立」を置いたことだと思います。なぜここまで孤立したのか、という思いは左翼インテリの実感だったでしょう。圧倒的に戦争に向かって天皇制を賛美していく大衆からの「孤立」という現実は、今でもあります。
安倍政権支持の大きさへの「絶望感」という問題に関して、天皇制問題における共産党の転換は、共産党だけの問題だけではなく、われわれの問題でもあります。だからこの「孤立」をどう考えるかは、反天皇制運動にとっても大きな問題です。

運動の「社会教育的」機能


「昭和Xデー」にあたっては、大きな批判の運動が広がりました。その時代と比べて、今の「孤立感」をどう考えるか、ということが重要です。
先日、NCC(日本キリスト教協議会)の集まりで「天皇代替わりとマスコミ報道」についての論議がありましたが、その中で「植民地支配の責任問題に時効はない」というスローガンをめぐって、「時効はない」ということをどこまで若い人たちと共有するのか、という話になりました。
すぐ「時効はない」の共有なんてのは不可能、侵略戦争責任が植民地支配と重ねて十分に自覚されてきたのは一九九〇年代の様々な闘いの成果だったと思います。歴史的に「なかったことにする」あり方を批判し、隠蔽を覆し、史実を共有していくという必要性が提起されました。
考えてみれば「昭和代替わり」はそうした闘いを共有していく「世代横断」的な運動として作り出されたのです。
「代替わり」の時期は、戦争体験者との経験の共有、 象徴天皇制との闘いの共有、若い人々を含めた地道な交流が積み重ねられていきました。「戦争責任に時効はない」というスローガンも出されましたが、「時効」のあるなしではなく、今や植民地支配の実態を知るということについて、義務教育だけではなく大学生に対しても、運動そのものが社会教育的機能を持たなければならないようになっている。若い人々はとくに歴史的事実をまったく知らないのだから「偉い先生の話を聞く」のではなく、課題と認識を共有していく討論の積み重ねが必要であり、運動そのものがそういう役割を果さなければならない、と思うんです。
われわれは極少数派から出発し、なんとか踏みとどまってきた。いま東京新聞の世論調査では、天皇制について七%の人びとが「ない方がいい」と回答し、疑義を持っているという人を加えると一割に達する。戦中派の人がいなくなっても、この数はほとんど変わっていない。一〇人に一人が支持しないというのは凄いことです。原発と同様に国家予算を使った天皇制の大宣伝にもかかわらず、巨額のカネで洗脳しても一〇%の人びとがダマされていないということに自信を持つべきだと思います。      (九月二八日)



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