もどる

    かけはし2019年10月14日号

大中国圏貫く民主主義運動を展望に


香港

自己決定求めるミレニアル世代の闘い

市民社会は新しい段階に入った

區龍宇語る

 この数ヵ月、香港では大衆闘争の大きな波が登場し、世界の注目を引きつけた。そして今、民衆に対する警察の実弾射撃による負傷者の発生、行政長官による立法会を迂回した緊急条例という強権発動によって、事態の展開は予断を許さない段階に入っている。この危機的情勢とそれが左翼に突きつけている課題を考える視点として、一つのインタビューを紹介する。現在の香港で発展する政治的危機について、主流メディアを超える展望からの深い理解を読者がもつことを可能にする目的の下に「シンク・レフト」誌(注一)が香港の社会主義者である區龍宇に対し行い、同誌に掲載されたものだ。(「かけはし」編集部)

自らの主人になる切望の全体化


――現在の運動は香港の政治的力関係に何らかの影響を及ぼしているか?

 この運動の主な構成要素としては、一方にミレニアル世代とその最も急進的な翼がいる。そして他に、民間人権陣線(CHRF)と他の社会運動諸組織により代表されている、汎民主諸政党(右翼の当地主義者と外縁の自決主義者を含む)がいる。前者がこの運動を先導していることに疑いはない。運動をその頂点に推し進め、最終的に行政長官の林鄭月娥(キャリー・ラム)を強制して論争の的になった送中法案を最初は棚上げさせ、そしてその後撤回させたのは、彼らの非妥協的な決意だ。
しかしながらわれわれは、後者の役割を否定してはならない。彼らは、今年三月以来政府の法案への反対を始めた。彼らは、何ヵ月にもわたってキャンペーンを続け、その当時「戦闘的な部分」は現れていなかった。CHRFにより組織された六月九日と同一六日の行進は、客観的に言って、運動を支える重要な役割を果たした。
同時に、二つの潮流が他と離れないと決定することによって、汎送中運動は本物の民衆的性格を保持している。この主な二つの潮流の収斂がはじめて、送中法案に有効に異議を突きつけることを可能にした。政府が妥協した後も、われわれは今も今日まで運動の絶え間ない発酵作用を支援できている。
それでも、今後の運動の発展について話す場合、疑いなく、ミレニアル世代の役割がもっと決定的になる。
香港史の最初の一五〇年、香港は英国の植民地だった。その後の二〇年は、中国共産党(CCP)の植民地になった。CCPと香港間の関係は、国内植民地化の一形態だ。CCPは、政治的統制を通して植民地の主人/北京 の経済的目標に奉仕する、中心と周辺間関係を、英国から引き継いだ。したがって両者共、経済都市(植民地主義によって元々割り当てられた義務)である香港が政治的都市になることを許さず、その住民が本物の自律性をもつことは絶対的に許さなかった。
汎民主派世代はCCPがその約束を満たすことを待つことをいとわなかった。しかしその間に、ミレニアル世代が登場し、香港人はすでに四〇年も待ってきた。今やミレニアル世代が姿を見せ、「あなた方は単に横になっている、しかし私たちは再び待つつもりはない」と声に出している。
CCPは、反送中法案抗議に参加しているこれらの若者たちに、香港の独立運動に取り組んでいるとして責めを帰すやり方を知っているにすぎず、以下のことははっきり理解していない。すなわち、「川を渡った後に橋を壊し」、香港に自治を与えるというその約束を破り、この都市に対する直接支配をスピードアップするというその行為が、若者世代の死力を尽くした抵抗を引き起こし続けている、ということをだ。
外国の脅威に共に立ち上がるということが、帰属感、アイデンティティ、また民族感情すらをも打ち固める触媒だ。これは、普遍性のある何かであり、香港もまったく例外ではない。イエローリボンの大衆(注二)にとって、「香港人」というアイデンティティなしにはほとんど成功はあり得ない。このアイデンティティは初めて、彼らが彼ら自身の主人であり、もはや他の者に頭を垂れない、という香港人の切望を表現している。香港の歌(ネット市民によって書かれ現在流行している歌である「香港に栄光あれ」)は、そうした感情の表現として理解され得る。

思考の上に大きな飛躍が起きた


私は、香港民族主義と「香港アイデンティティ」を等号で結ぶこととは異なる見解をもっている。もちろん、今この用語を使うほとんどの人々は、必ずしも厳格な定義に従わなかった。しかし私の考えでは、これに関する厳格な討論は、分析的に手間暇をかける価値があると思われる。
あなたが言えることはたかだか、イエローリボンの大衆の多くはすでに香港に帰属しているというある種の感覚を、また香港民族感情すらも持っているということだが、しかしこれは「民族主義」を意味するわけではない。すべてのことに優先する価値としての「民族的アイデンティティ」に関する限り、それは民族主義だ。しかしイエローリボンの大衆は今、ミレニアル世代のある者たちですら、香港が独立することは不必要、と考えている。彼らにとって香港の独立はまさに大望だが、しかし彼らは、これは「夢想」の部分にすぎないということも分かっている。
運動は今日依然として、その目標を五つの主な要求に限定している。もしある者が香港独立を求める横断幕を掲げるならば、あるいは行進でそれに関するスローガンを叫ぶとすれば、それを止めようとする人々が現れるだろう。大人たちは、香港の独立はほとんど達成不可能(そして、北京の政権が米帝国主義によって打ち負かされる場合に初めて、想像可能になる)、と分かっている。その一方急進的な若者たちは、何百万人というイエローリボンの大衆と団結する目的で妥協するつもりがあり、独立ではなく、どんな対価を払っても独立を達成するということではなく、より大きな自治を、あるいは最大でも自己決定――幅広い意味で自らの運命を決定するための――を求めるつもりでいる。
しかしいかなる意味でもこのことは、香港人の思考における大きな飛躍だ。現在の運動は「反送中法案抗議運動」と呼ばれているとはいえ、しかし事実としてこの運動は、送中法案反対のはるか先まで進んできた。将来への影響から判断すれば、この運動は、以前の民主運動からそれ自身を区別するために、「ミレニアル自己決定運動」と呼ばれてよい。

市民全体貫く大きな政治化


――香港の普通の市民と市民社会に対するこの運動の影響とはどういうものか?

 「ミレニアル自己決定運動」の貢献の一つは、ブルーリボンの大衆を含めて普通の市民を大きく政治化したことだ。植民地主義は、植民地化された市民が政治に関心を持つことを決して望まない。植民地主義は、支配者に対する臣民としての彼らの地位で心地好くいることを欲する。それゆえ選挙の時期には、「政治については話すな、実用的なことだけをやれ」とのスローガンを掲げる政治家が出てくる。
しかし選挙は不可避的に政治的だ。政治について話さない政治とは、事実上、全員が「食料探し」(暮らしを立てること)にだけ関わるようにとの、政治を支配者に渡すようにとの切望だ。これは実のところ、多数の中、低層にいる中国の市民がもつ控えめな心性と一致している。つまり彼らは、心中穏やかに暮らしを立てることを彼らに可能とする社会秩序を維持したがっているのだ。
これはまた、ブルーリボンの大衆が抱く思考の基礎でもある。実際市民の多数派は以前はそのように考えた。これは、絶対的専制支配の二〇〇〇年プラス一七〇年の植民地の歴史がつくった結果だ。
香港の民主運動の歴史は実際にまったく短い。それは主に一九八九年の民主主義運動によって動機を与えられた。しかし香港統一民主党(UDHK)が一九九一年の立法会選挙で最大の議席を獲得し、それを受けて植民地政府に内閣に入ることを許すよう求めた時、彼らは市民から叱責を受けた。彼らは「われわれが君たちを選んだのは、ただ政府を監視するためにであり、君たちが政府の一部になるためではない」と語ったのだ。
多くの市民たちは、民主的な熱望をもつ者たちですら、依然として支配者に対する臣民の心性を抱えている。それゆえに、一九九七年のCCPへの移行は極めて円滑だったのだ。
しかし政府が香港基本法二三条(国の安全保障に関する)を制定しようと欲した時、その時はじめてそれは、香港人内部でその自治を守ろうとの強い心性を刺激した。五〇万人もの民衆が街頭に繰り出した。CCPはこの法案を撤回したものの、自治を縮小する違ったやり方を利用し続けている。すなわち、学校内での教育媒体として北京標準語を使ういわゆる「国民教育」の実施だ。若い世代はこれにより敏感なゆえに、彼らは絶えず抵抗し、この抵抗は二〇一四年の雨傘運動になるまで発展した。この雨傘運動は今年の「ミレニアル自己決定運動」にとってはリハーサルだった、ということが今明らかになっている。
六月一六日に街頭に繰り出した二〇〇万人をもって、運動には民衆的性格がある、ということが示されている。これは、大中国圏の中国人が住む地域における、台湾の民主化に続く第二のもっとも強力な民主運動だ。
普通のイエローリボンの大衆は、力を使って警察に対決する若者たちに受動的に共感することから、そのような動きに積極的に共鳴し、支援することへと、徐々に移行することまで行いつつある。これは、何十年もの経験と教訓の吸収を経た大衆の大規模な爆発だ。この大規模な爆発をもって、われわれの市民社会はバージョン2・0へと進歩を果たしたのだ。
香港の市民社会は以前は強くなかった。香港には確かに多くの政党、労組、ボランティア組織、その他がある。しかしそれらのほとんどは、専従スタッフにより支えられ、そのメンバー内部の十分な熱気には欠けて、紙の上の支持があるだけだ。最初に雨傘運動の中で、次いで現在の反送中運動の中で、われわれは大衆的自然発生行動と強力な自発的活動の始まりを目撃することになった。これは、偉大な大衆的民主運動になった。

労働運動の政治化に一つの契機

――この運動参加者の階級的構成は? 香港での以前の民主運動との違いは何か?

 この運動は、資本家と頂点にいる大立て者を除く一つの民衆運動と見なすことができる。それには、プチブルジョアジー、中間階級、労働者階級、若者、学生が含まれている。
しかし、われわれが指導部について話すとすれば、それははっきりと若者と学生だ。私は、何人かの活動家と彼らの活動的な支持者が、若いとはいえ、学生ではなくすでに働いていることを理由に、ここでは若者と学生と呼ぶ。若者と学生はアナーキスティックな運動モデル――指導者がいず、組織を欠き、自発性を強調し、高度に機動的――をより好む傾向がある。これらは、普遍性があり、香港に特有なものではない。
しかしそうしたモデルは労働者階級に対しては適切ではない。活動家たちは、労働者階級の参加がなければ彼らが成功することは難しい、とすぐさまはっきり理解した。それゆえ今回、雨傘運動と比較して、労働者のストライキとビジネスストライキを始めることに関しもっと多くの強調がある。
呼びかけられた最初の政治ストライキ(香港の共産主義者が一九六七年に組織した政治的ストライキに次いで)は、六月四日の事件(天安門事件を指す:訳者)を受けた一九八九年だった。「中国の愛国的民主運動支援香港連合」は同年六月七日に、三分野ストライキ(労働者ストライキ、学生ストライキ、ビジネスストライキ)を求める呼びかけを行った。しかし同連合は、CCP工作員による妨害の噂への怖れから、その日の行進を取り消し、間接的に三分野のストライキも取り消した。
これはまた、香港の労働者運動がそれ自身の声をもつことができなくなり、もっぱら汎民主派諸政党の追随者になるよう、あらかじめ方向付けることにもなった。さらにこれは、雨傘運動の中で諸労組がストライキを求めて呼びかけを行った際に、それが失敗したことの理由でもある。
反送中運動の中で、諸労組は六月一二日のストライキを呼びかけた。しかしこれもまたうまくいかなかった。二ヵ月後運動が次第にその最高潮にはいった時、香港は最終的に一九六七年後では初めての政治的ストライキを経験した。急進的な若者/学生、諸労組、普通の勤労民衆がストライキの中で一つの事実上の連携を形成した。
およそ数十万人の人々が、積極的な参加として、あるいは受動的なしかし共感を秘めた参加として(交通が半ば麻痺させられたことを理由に)、その日仕事場に姿を見せなかった。航空産業は、キャセイ・パシフィック従業員労組の半数がストライキを行ったために、半ば麻痺させられた。この政治ストライキを理由に、運動は新たな頂点へと推し進められた。
しかし、キャセイ・パシフィック経営者が対抗策に出た後、九月二、三日のストライキはうまくいかなかった。しかしながら八月五日の上首尾のストライキは、この世代の若者と勤労民衆を早くも訓練することになった。彼らは初めて、労働者としての集団的な力を経験したのだ。
それでも、政治的な労働者運動の将来は依然として極めて厳しい。他の諸国にいる多くの左翼の友人たちは次のように尋ねる。つまり、五つの主な要求の中には配分の公正に関する要求が一つもないが、それは香港の貧困がすでに解消されているからか、と。もちろんそんなことはない。逆に、それはむしろ悪化の途上にある。
しかし、香港の労働者運動はそれ自身の議員を選出し、政党を確保しているとはいえ、この運動が政治的な民主運動の中で労働者の綱領をまったく提起しなかったがゆえに、それが政治的課題設定の決定に主導性を発揮することはまったくなかった。これはもちろん、何か偶然的なことでも、単純に労働者運動の諸組織が抱える欠陥でもない。香港の勤労民衆は、自由市場と「個人責任」のような諸々のイデオロギーに深く洗脳されているのだ。それゆえ階級意識の実体的欠落がある。
最近一つの調査が出され、それは、普通の市民は現在の政治的諸対立を深く懸念していること、しかしわれわれに十分な社会福祉があるかどうかには実際に大した注意は払っていないこと、を明らかにした。同時に、左翼傾向のある若者はオンライン・フォーラムのLIHKGで、討論に向けて六番目の要求を提起しようと試みた。企業に左右される民衆の暮らし、という問題に注意を求めるためだった。しかしこれは何らかの反応も議論も引き出すことができなかった。
われわれの前には、労働者運動の政治化に関してまだ長い道のりがある。しかし千里の道も一歩からであり、今この時がいくつかの機会をもたらしたのだ。

人為的政治闘争と必然的なそれ


――現在の運動は、一九六七年の暴動期における闘争と比較可能か?

 暴力の程度に関しては、今起きていることは一九六七年よりはるかに穏健だ。当時香港の共産主義者は香港中で爆弾を用意していたが、今ほとんどのデモ参加者は抗議の中で、警察に向けて火炎瓶を投げる程度だ。前者は多くの無実の人々を傷付けたが、後者はまったく比較にならない。
しかし最も重要な違いは政治的な側面だ。一九六七年の暴動は、香港内部の階級対立が激化した結果ではなく、北京における政治闘争の延長だったのだ。一九六七年暴動の出発点は、造花を生産する一工場におけるストライキだった。しかし一九六七年の運動全体が「反英反専制」と称された。
小さな工場のストライキはどのようにして植民地政府反対の武装闘争へと発展できたのだろうか? 香港の共産主義者が一九六七年について語る場合彼らは、植民地政府はそれほどまで悪質で、その結果運動のエスカレーションを引き起こした、と言いたがる。しかしこれは真実ではない。
六月四日の弾圧後、香港の共産主義者陣営内部の高位指導者何人かが、たとえばジン・ヤオルは、実際の事実を詳細に説明した。それは文化革命の頂点の中で起きたことだった。そして新華社の高官たちが四人組を満足させたいと思い、こうして、香港で政治的暴動をつくり出すために小さなストライキを利用したのだ。それは、本土の文化革命の香港における継続だった。
当時、香港市民の下層階級は確かに、植民地政府によい印象をもっていなかった。しかし当時階級対立には激化の兆候がまったくなかった。したがって、当時の状況は、労働者階級内部に政治的反乱を広げることを可能にしてはいなかった。香港の共産主義者は大衆的政治闘争を人為的につくり出したが、しかしそれ自身の基盤を犠牲にすることに終わった。そして、普通の市民を香港の共産主義者から離れてとどまるように仕向けたのだ。
逆に現在の反送中運動は当地における階級対立激化の結果であり、その対立は、香港内のCCP代理人グループと多数派市民間の対立、支配者と非支配層間の対立だ。

根拠ある普通の市民の親西姿勢


――われわれは反送中法案運動を通じて何らかのむしろ右翼的シンボルを見ることができる。たとえば何人かのデモ参加者は、植民地の旗、英国国旗や米国国旗を掲げ、ある者は米国の介入を求める声まで上げている。これに関するあなたの見解は? 抗議参加者内部には極右イデオロギーに向かう傾向があるのか? その上である者は、この抗議運動の背後の首謀者は米帝国主義だった、と言っている。これについてあなたの見解は?

 この質問は事実として複雑だが、われわれはそれを、二、三の層に分解することで議論することができる。
すべての人は、米国国旗を掲げる人々の数が現在の運動の中に増えてきた、ということは知っている。しかし一〇〇万人単位が参加する一つの運動にとって、それはほんの少数部分に過ぎない。もちろんわれわれはさらに続けて、そばの大衆はなぜ何も言わないのか、と問うこともできる。その場合でも、彼らは、多くがそれに進んで反対する特別の必要など何もないと考えるから何も言わないのだ――敵の敵は友――。これが多くの人びとがもつ実際的な観点だが、それは、それを積極的に支持することとは違っている。
第二に、香港人は概して、国旗や国民的シンボルに敏感ではない。今彼らが敏感なのは、CCPに関係するものだけだ。香港人の経験は、世界の元植民地のほとんどとは極めて大きく異なっている。
第二次世界大戦後われわれは、当地発祥の反植民地運動を一度も発展させたことがない。香港の共産主義者は、一九六七年に反植民地闘争に取りかかった。しかしその破綻後彼らは、「長期的に香港を利用する」政策にすぐさま舞い戻り、香港を「安定と繁栄」に保つために英国と協力した。一九七〇年代に登場したわれわれのような「青年左翼の類」が英国支配者と香港共産主義者の協力について抱く感情は、まったくのうんざり感だ。当時のわれわれのスローガンは「反資本主義、反植民地主義、反官僚制」だった。
しかしこの新しい世代の左翼は、ほとんど影響力のない極めて小さなものだった。当時香港人は概して政治には無関心だった。選択の余地がなく植民地の臣民としての地位を受け入れ、それ以上の多くを考えない、ということだ。反植民地の経験の欠落は普通の香港人に、他の国々とは異なり、国民的アイデンティティを表す国旗に対する強い感受性をつくらなかった。それとは別に無知が原因で、中国の五星紅旗を別として、彼らは各国の国旗が表す政治的な意味を理解していない。
第三にわれわれは、平均的香港人は西側に近いということをわきまえなければならない。これは驚きではない。これは西側のソフトパワーだ。一九五〇年代以来全員が、欧州、米国、日本から来る映画を見るのが好きだ。特に文化革命以後、中国本土作品の映画を見るのが今も好きな者はどれほどいるだろうか? 文化革命以前、香港の共産主義者といわゆる愛国映画会社は、低層階級の民衆の間で人気だった映画を作った。しかし文化革命が到来した時、これは彼らがもっていた小さなソフトパワーを破壊した。いわゆる愛国映画は、一九七〇年代後映画館から消えた。
この現象の背後には、資本主義のもっと悪い形態へと堕落した、CCPが実践したいわゆる社会主義の全面的な破綻の避けがたい結果があった。CCPの頂点にいる指導者たちもまた極めて親西側であり、こうして彼らは、彼らの子どもたちを欧州や米国での勉学に送り出し、彼ら自身も必死になって彼らの富を西側へと移している。今日のフェンキン(文字通りには「怒れる若者たち」を表し、普通は、中国民族主義を強く見せつける中国人の若者を指す)は、彼らのトップ指導者たちが抱える暗い歴史を知らず、こうして彼らのいわゆる愛国主義を無批判的に支持している。
香港人は七〇年間本土を注視してきた。そしてこれが彼らを、親西側であるよう、また北京から距離をとるようにしている。これを認めることができないということは、事実を認めることの拒絶を意味する。

CCP自身が外国勢力に依存


最後に、いわゆる「外国勢力」について語ろう。北京は絶えず「外国勢力」の危険を話し回っている。しかし北京自身はすべての外国勢力に反対してはいず、高度に選択的なやり方でふるまっている。北京は外国勢力の使い勝手の良さを十分に分かっており、北朝鮮のような専制国家を彼らの応援団にするような影響力の及ぼし方を知っているのだ。彼らは、香港警察内部の英国人警官が香港で中国人のデモ参加者をひどい目に合わすことを気にかけていない。香港はなぜ今も英国人警官を数百人も抱えているのか? これは根源としての、ケ小平と香港基本法にまで遡る。「一国家二制度システム」自身は、ケ小平と外国勢力間の妥協の産物だった。CCPは、その貧しい諸条件を取り除きたかった。しかし、資本主義復古を通じて自らを富裕化することをもっと求め、こうしてはっきりと英米と妥協したかった。ケ小平は敵とベッドを共にし、これが香港基本法と呼ばれた赤ん坊を誕生させた。
基本法下で保証された第一のことは、香港における英米の利益だ。それは、公用語としての英語使用の継続であれ、慣習法の継続であれ保証されている。あるいは、香港の裁判所が外国人の判事を雇うことを許すこと、あるいは香港人が英国パスポートをもつことを許すことも同様だ。さらに一〇一条も同様であり、それは、外国人が公務員や顧問の地位を保つことができることを規定し、それは事実上、現職の植民地時代の公務員を一掃しないとの誓約を意味する。それゆえここには歴史の別の側面があり、それが、英国人警官が「中国人を打ちのめす」ことを今許しているのだ。
北京が約束した一国二制度システムは基本的に、ここで外国勢力が力をふるうことを許している。それは、汎民主諸政党、メディア、中間階級の専門職への影響力を含め、英国と米国が強力な影響力を保持することを許しているのだ。これは、欧州人と米国人に対し北京から公式に約束された歴史的な特権だ。
われわれは本土の宣伝だけを読んではならず、CCPの利益の本質、すなわぢ、資本主義の世界システムに同化し金持ちになるために彼らが外国勢力に依拠しているということ、を理解しなければならない。今や習近平は、中国は成長し強くなった、そしてもはや「川を渡った後に橋を落とす」ことができる、ケ小平の政策を捨てることができる、と考えた。こうして彼は、香港への直接的で全面的な支配を予定を早めてどんどん進めるために、送中法案のようなものを導入した。しかしCCPが欧州と米国に対する約束を破った時、同時に、彼らは報復するつもりがない、との期待があるのだ。これは愚行にならないだろうか?
われわれは左翼の観点からCCPを支持していない。CCPは最初から資本主義の道をたどってきた。労働者の歴史的利益は資本主義の克服に、平等主義社会の構築にある。そしてわれわれが平等主義によって意味することは、第一に、国家機構と資本主義論理の衰微であり、それらを強めることではない。

何よりもまずCCPへの抵抗

 しかし左翼はユートピアについて単に夢見てはならない。何よりも左翼は現実的活動家にならなければならない。世界的ヘゲモニーを求める中・米闘争を前にわれわれは、確かなこととしてにどちら側も支持しない。しかし香港における具体的な情勢の見地では、CCPは実際に英国植民地政府よりもっと悪質だ。私は植民地時代に郷愁を抱く者ではない。私は逆に、十代の時以来植民地主義に反対してきた。しかし英国は少なくとも、英国国歌を歌うようわれわれを強制することはなかった。また、国家に関連する何らかの立法に言及することもなかった。しかしCCPはこれをやるよう強要し、この不快な方策は、他のもっと不快な多数の政策ではほんの小部分にすぎない。
これは一つの原理的な問題に戻る。つまりわれわれは自由市場資本主義を支持しないが、しかしCCPの資本主義はもっと悪質なのだ。それを私は官僚制資本主義と名付けている。それは、最も重要な二つの力、つまり国家の強制的権力、および資本の際限なく蓄積を求める力を、自らの掌中に合体させている。これは、「全体主義」という用語に新しいかつより恐るべき生命を与えている。そのような全体主義は、自由市場資本主義よりもはるかにたちが悪い。
特に香港にいるわれわれの場合もちろん、われわれはCCPに抵抗するためにわれわれの力の九〇%を費やさなければならない。そして、国際的な地政学の戦略的な利用法を知らなければならない。しかしこれは、米国政府が民主主義の真の旗手、という幻想にわれわれが同意している、ということを意味するわけではない。
今のところ香港内の親米勢力は、香港人権・民主主義法案を通過させようと米下院に圧力をかけている(同法案は先頃下院委員会で採択された:訳者)。私は最近明報紙に論評を書き、この法案の問題を、つまり香港の人権を問題のある米外交政策に結びつけていること、を指摘した。

本土市民の獲得が戦略的に重要


――現在の政治的危機の地域政治に対する影響は?

 最も重要な影響は、中国本土の公衆全般に対するものだ。われわれがメディアから知るところでは、CCPは選択的にニュース報道を阻止し、中国本土に嘘を広め、そしてすでに多くの人々を香港人を憎むようけしかけた。すべてには二面がある。あなたがあまりに煽りすぎれば、それは混乱に終わる可能性がある、と。
キャリー・ラムが問題の送中法案の撤回を公表した時、北京の当局者たちはばつの悪い思いをさせられ、それに目立たない形で対処しなければならなかった。しかし、なおも疑問をもつ人びとがいる。「しかしあなたはなぜ『テロリスト』と妥協するのか? 『暴徒』を押さえつけようと務めている香港警察に、あなたはどのように答えるつもりか」と。
まったく驚きではないが、北京の当局者は、以前の反日運動の中でのようには、秘密裏にデモを組織していず、自身をメディア上での心理戦にのみ限定している。その政治的弱みは今日、狭量な民族主義感情を煽りたいと思っているものの、またそれが統制を外れるまで高まるかもしれないとも恐れる、そのようなレベルにまで達している。
中国には政府を支持していないが、自らを守るために沈黙を守っている、もっと多くの民衆がいる。次いで、重い対価を払いつつも、中国本土には、なおも香港の運動を公然と支持している何人かの親民主主義的民衆がいる。
この後の香港人にとっての最も決定的な戦略的な選択は、本土と香港で共に民主主義のために闘うよう、彼らの同盟者となるよう、中国本土の民衆に訴えようとするのか、それとも互いに干渉しないとの原則を続けようとするのか、あるいは最悪の場合、本土の中国人すべてを「イナゴ」として攻撃する右翼の香港人主義者の立場をとることでそうするのか、だ。前者の選択は広々とした道になるだろう。そして後者は行き止まりになるだろう。
現在の運動をふり返れば、その特質は、どの政党にも指導部の役割がない、ということだ。つまり運動が前進する道は、政治的経験や政治的背景があまりない大衆によって自然発生的に決定されている。彼らの実際の活動から見れば、上述した二傾向が曖昧な形で存在している。この運動の中で、香港の運動の目的を理解するよう本土からの旅行客に訴える一つの行進があった。他方に、差別的な言葉を使用しながら、本土からの商売人を標的にしている何人かの当地活動家がいる。左翼の任務は、あらゆる種類の悪質な傾向に抵抗しつつ、同時に進歩的な傾向を勇気づけることだ。運動内部で指弾し合うことは最も無益な行いだ。

求められる長期的抵抗への移行


――行政長官のキャリー・ラムは、大衆的抗議と蜂起の三ヵ月後、問題の送中法案の撤回を公式に公表した。しかしそれは、抗議参加者によって提起された他の重要な諸々の要求が、特に普通選挙権の要求が満たされていない以上、香港の情勢を静めるには大した助けにならないように見える。今の運動状態に関するあなたの考えは? それはここからどのように発展するだろうか?

 始まりからここまで、反送中法案運動には二つの重要な構成要素、つまりイエローリボンの大衆と急進的な若者、がある。後者は諸行動の前線として、他方前者は擁護者としてだ。二つが合流する時、運動はその頂点に達する。それらが離れる時、運動は後退するだろう。二〇一九年六月以来、傾向は次第に合流へと向いている。
そして八月末以来、運動はもう一つのハードルを越えつつあるように見える。つまり、普通の市民もまた、警察に力で抵抗している急進的な若者に共鳴している。もしいつの日にか普通の市民までが力を使う実力的抵抗に参加するならば、その時それはおそらく革命的情勢になるだろう。まさに「支配者はもはや現存の形で支配はできず、民衆もこの政府を容赦するつもりはない」。
しかし今われわれは、民衆大衆の、このハードルを越える決意をまだ見ていない。それを完全に超えるためには、はるかに大きな対価を払う用意をしなければならず、どれほど多くの大衆がそのリスクを引き受ける意志があるかどうかは依然分からないからだ。
第二に、八月五日の政治ストライキが当初うまくいったとはいえ、九月二、三日のストライキはうまくいかなかった。こうして、労働者運動がその頂点に達し続けることは容易ではない。この理由から運動は、勢いがまだ低下していないとはいえ、ある種進行を妨げられた状態にあり、エスカレートもできない。エスカレートの不能性は、他の四要求の獲得ももっと困難、ということを意味する。北京は今日簡単には妥協しないだろう、ということが理由だ。このような環境下では、戦闘的な活動家たちがその抵抗を高め続けるならば、それは単独で闘う危険を犯す可能性があると思われる。

――この運動の将来に関するあなたの期待は?

 私の考えでは、運動は今、エスカレーションの困難さは運動が抱える固有の欠乏が理由、ということをはっきり理解しなければならない。事実として、運動がエスカレーションができ、この都市内部で一つの革命へと発展するならば、それはあっという間にCCPにより粉砕されるだろう。中国本土における政治的な突破がまったくない情勢の下では、香港という一都市における革命は成功しないだろう。そしてこれが明らかであるがゆえに、年配層と勤労民衆に、どんな犠牲を払っても香港政府を打倒しよう、と訴えることは現実的ではない。
われわれは、民主的闘争の長期的な性格について明確になるために、「最終的戦闘」という思考を放棄する方がいい。われわれは、現在の運動の強さを保持し、その協調と組織を打ち固めつつ、長期的抵抗へと移る必要がある。われわれは特に、運動の戦略的な位置取り――中国本土の民主運動と団結するのか、それとも境界として珠江を抱えたまま一つの民主運動を構築するのか――について明確である必要がある。(二〇一九年九月二六日、「シンク・レフト」の「自己決定のためのミレニアル世代の闘争(香港での特別インタビュー)」より)

(注一)「シンク・レフト」は、マレーシア社会党(PSM)が発行している。
(注二)同右誌注:イエローリボンは普通選挙権を支持する汎民主派あるいは反既成エリート陣営支持者を表し、ブルーリボンは、親既成エリート陣営を表す。
(注三)同右誌注:運動の主な五要求の提示(ここでは割愛:訳者)。(「インターナショナルビューポイント」二〇一九年九月号) 



もどる

Back