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    かけはし2019年11月4日号

トールゲート闘争が民主労総の道を示す


下半期情勢と労働者闘争

チョン・ナウィ(ソウル)

 民主労総指導部は、文在寅政府の登場で、一時その対応に迷った。しかし、労働者がその権利を勝ち取る道は、団結し、闘うしかないという道を非正規労働者の闘いが示した。下半期どのように闘い、今度は勝つ道を示すか。

今度は勝つ


 「こんなに闘えてうれしいです。 10年、20年で使い捨てられる存在で堂々と闘えるようになってすごくうれしいです。ここにも数十人の最高裁判決を受けた者達がいるが、残りの1100人の手を離して去ることはできませんでした。彼らと最後まで闘い、一緒に道路公社に復職するつもりです」。9月23日、民主連合労組パク・スンヒャン副支部長。

全員の直接雇用のために闘う


 トールゲート労働者の直接雇用闘争が続いている。全国のトールゲートで料金収納、ハイパス業務などを担当している労働者たちだ。子会社を拒否したという理由で6月30日、集団解雇された後、ソウルトールゲート天幕、大統領府の前、金泉道路公社本社で闘争を続けている。
 解雇された1500人には民主労総と韓国労総の組合員が一緒にいて、民主労総も4つの組織(民主連合労組、公共連帯労組、地域一般労組など)で、所属が多様だ。しかし、要求は一つだ。「1500人の料金収納労働者を直接雇用せよ」。
 8月29日、勤労者の地位確認訴訟に対する最高裁の判決は「私たちが正しい」という労働者らの叫びにもう一つの根拠を加えただけだ。トールゲート労働者たちは最高裁判決前にも、判決以降、道路公社が一方的に勝訴者304人の雇用方針を明らかにした後でも1500人全員の直接雇用のために闘う。道路公社は最高裁勝者だけ復職させるとして、教育召集令を下したが、50人余りの勝訴者が復帰を拒否して闘っている。
 最高裁の判決を受け、直接雇用を要求したのではなく、彼らの長年の労働が、これまで我慢してきた差別と鬱憤が、「私たちは道路公社の労働者」という堂々とした気持ちが、この闘いの根拠となっている。

子会社に帰結させる政府の公共部門非正規職政策、トールゲート労働者が示した突破口

 文在寅政府の「公共部門の非正規職ゼロ」という約束は子会社での正社員化だった。雇用労働部は約16万人の公共部門労働者を正規職に転換したと発表したが、このうち12万人(80%)が直接雇用、3万人(19%)が子会社だと明らかにした。しかし、実状は違う。そもそも子会社を設立できない中央省庁、自治体、教育機関を除けば、子会社の割合は60%を超える。
大統領が非正規職ゼロを約束した仁川(インチョン)空港から子会社が登場し、産業銀行、国公立大学病院など、数ヵ所で子会社転換反対闘争が続いた。
2018年10月、雇用労働部傘下機関の韓国チャプワールドで子会社反対闘争の波が高まっているかに見えたが、解雇通知書と子会社という選択がせまられ屈した。
トールゲート労働者らは解雇通知書を受け取り、闘争を始め、子会社の廃棄や直接雇用獲得の要求を明確に掲げた。彼らは、政府の政策や最高裁判所の判決に期待したり履行を促すのではなく、闘争の力で政府と道路公社に直接雇用を要求している。「われわれが正しい」というスローガンは、トールゲート労働者の闘争の方向性を明確に表している。

政府への対応で道を見失った民主労総にトールゲート労働者が道を示した

 最低賃金算入範囲の拡大、弾力勤労制と労働法改悪の試みなどを通じて文在寅政府の核心であった労働関係公約は破棄された。全教組の法外労組の撤回、特殊雇用労働者の労働基本権の保障、労組破壊への厳罰など、どれも解決されていなかったが、戦線は鈍くなった。民主労総の組合員数と集会の量的増加にもかかわらず、闘争は停滞した。
このような状況で、トールゲート闘争が最初から民主労総の闘いだったわけではない。7月3日、公共部門の非正規ゼネストを組織していたところ、大量解雇が発生し、ソウルトールゲート天幕と大統領府の座り込みが開始されたが、ひとつの組織の闘争にすぎなかった。
公共機関の子会社は民間企業と違って、直接雇用だけでは価値がないので、子会社を受け入れながら、制度改善を果さなければならないという声も少なからずあった。「私たちが正しい」という叫びが、初めから全体のスローガンだったことはなかったわけだ。
トールゲート労働者たちは闘争で言葉に力を吹き込み、集会や座り込み場を訪れる人々と確信を分かち合った。非正規職は当たり前ではないということ、熱心に働いたわれわれには正規職になる権利があるということ、最後まで闘って直接雇用を果たすということだ。
9月23日、民主労総代議員大会が、金泉(キムチョン)道路公社本社で開催されたのはトールゲートの労働者たちが、民主労組運動に踏み出しているという証だった。民主労総は9月、闘争基金1億ウォン募金と座り込み現場占拠の際、金泉集結だけを決定したが、当日の討論は活発にできなかった。その場に集まった人々は、全身で正しいことを証明し、進むべき道を示しているトールゲート労働者に闘う方法とともに勝つ方法を学んだだけだ。

国公立大学病院、鉄道、発電…。道が開いている
「一緒に闘って一緒に勝とう」


非正規職闘争が最前線にある。不法派遣に対抗して闘う現代・起亜車の非正規職労働者たちがハンストと共にソウル高等労働庁前で座り込みをしている。韓国GM非正規職労働者が解雇者の復職と不法派遣の撤廃を要求し、工場前の鉄塔に上がった。鉄道の非正規職の労働者が子会社転換後の約束不履行を糾弾し、9月2回もストに乗り出し、10月には正規職と共にするストを準備する。
子会社の方針だけを固守する国公立大学の病院派遣・委託労働者らも共同ストを予告した。学校非正規職労働者たちも公正賃金制を要求し、10月のゼネストを組織している。この最前線にトールゲート労働者がいる。トールゲート労働者たちは一様にこの闘争は自分だけの闘いではないと言う。
すでに闘っていたり、闘争を組織している単位が多い。子会社の廃棄、直接雇用の勝ち取り要求をかけて一緒に闘争を組織しなければならないことが理由だ。政府にトールゲート問題を解決しなければ、より多くの所が闘争に乗り出すという点を認識させなければならない。
トールゲート労働者1500人を放棄させればいいということではなく、大統領府の前で、非正規職問題を解決すると闘う労働者が増えるだろうということを知らせなければならない。
勝利の端緒も見えてくる。ソウル大学病院の労働者は、元請け、下請けの共同闘争で正規職と差別のない直接雇用を実現した。正規職と同一の号俸適用、団体協約の一括適用など大きな成果をあげた。
他の国公立大学の病院が相変わらず子会社の方針を固守しているが、労働者らは直接雇用できるという自信を得た。この過程で、トールゲート労働者闘争が勝利の道を示している。
あきらめないこと、自分の要求を勝ち取ることができると信じること、これからは変わることができると闘うことだ。
「私たちが正しい」という彼らの言葉が証明される時、非正規職のない世界への扉が開くだろう。
トールゲート労働者はすでに道を開いている。
今度は勝つ。
(社会変革労働者党「変革政治93号」より)

朝鮮半島通信

▲韓国軍合同参謀本部は10月22日、ロシアの軍用機6機が韓国防空識別圏に繰り返し進入したため、軍用機を緊急発進させ警告したと発表した。
▲朝鮮中央通信は10月23日、金正恩朝鮮労働党委員長が金剛山観光地区を現地指導したと報じた。同通信によると金正恩党委員長は韓国側の施設の撤去について言及し、「国力が弱い時に他人に依存しようとした先任者たちの政策が間違っていた」などと述べた。
▲安倍晋三首相と「即位礼正殿の儀」への参列に合わせて来日中の韓国の李洛淵首相は10月24日午前、首相官邸で会談した。
▲韓国検察は10月24日、文書偽造、不正金融投資などの容疑でチョ・グク前法相の妻のチョン・ギョンシム氏を逮捕した。
▲朝鮮中央通信は10月25日、金正恩党委員長が平安南道陽徳郡温泉観光地区の建設場を現地指導したと報じた。

 

コラム

緊急入院


 それは突然やって来た。週に一度の筋トレに特化したデイサービスの日だ。もちろん歩いて行くことのできる距離ではないので送迎してくれる。筋トレに入る前に体温と血圧を測ることになっている。日常とかなりのギャップがあれば筋トレに入れない。
 私は当然クリアした。ただエアコンの風が冷たく感じたのでバスタオルを借りて羽織っていた。体も日常より重く感じていた。
 筋トレの会場には数台のマシーンや平行棒、マット等がある。個々人の状態に応じて筋トレのプランが作られている。「要支援」の高齢者が対象であるから複雑なものはない。脳トレもある。
 一五〇分ほどのデイサービスを終え送迎の車に乗る時には明らかに異変を感じた。車に乗り込もうとするのだが自分の体を支えきれないのだ。
 デイサービスのトレーナーが「自宅で熱を測った方が良い」と忠告してくれた。体温を測った時にはすでに四〇度近くになっていた。意識も薄らぎつつあった。私は直感的に危機を感じ救急車の手配を連れ合いに頼んだ。
 入院先の診断は急性肺炎。直ちに二四時間の点滴に入った。血中酸素濃度と心臓の動きをチエックするモニター装置も取り付けられた。わずか三時間ほどの間の急変であった。入院時のことはほとんど記憶にない。
 私には何の心当たりもなかった。肺炎になる理由がみつからないのだ。しかも入院という事態はおよそ三〇年ぶりである。救急車で搬送されるのはもちろん初めてだ。三〇年前は解熱剤を飲んでも熱が下がらないので近くの医者に診てもらったところ肺炎であることがわかり即入院が決まった。そんなにつらい症状ではなかった。それでも十日間の入院になった。だが原因は明確だった。それだけに今回は私の危機意識はかつてないものだった。そんなにも体力が衰えているのかと思わざるを得なかったからだ。
 六人の相部屋だった。地域ではそれなりに信頼されている旧い病院だ。私はこの病院は始めてだ。旧いだけあって病室は狭くかなり不自由なものだった。深夜に二度、早朝と点滴が追加されるためほとんど眠ることはできない。さらに同部屋の高齢者でタンの吸引を必要とする患者がおり、もちろん深夜でも吸引している。その器具の音、ナース達の励ましの声、患者のうめき声が私の心を揺さぶる。私にとっては初めての経験であり驚き以外の何ものでもなかった。
 退院するまでの夜はほとんど一睡もできなかったと言っていいだろう。昼間にウトウトできただけだった。
 あるいは、私は慢性的な腰痛のため杖が必要である。昼夜を問わず大、小便の時にキャスター付きの支柱に点滴を吊り下げ、杖をつきながらトイレに行こうとすれば転倒の恐れがある。そのため小はシビンを使わざるを得ない。私は初めてシビンに小便をしたが何とも寂びしい気持ちであった。大の方はナースコールをすれば車椅子でトイレに連れて行ってくれるというが、そんなに都合良く出るわけがない。入院の緊張感のためむしろ便秘にならざるを得ない。
 歯磨きもベッドの上ですることになるのだがそのための水を自力で準備することも出来ない。必然的にナースに頼むことになる。
 書かねばならないことは山ほどあるが私の手には負えない。医療の現場は今も若いナースたちの過酷な労働によって支えられていることが実際に入院することによってあらためて実感させられた。ナースたちの献身的な努力には感謝するほかはない。自然と頭が下がる。
 今回は四日間の入院だったが、ほとんど寝たきりであったため筋力の低下は顕著だった。病室から病院の入り口までの少し長い距離を歩く自信は失われていた。とりあえずは車椅子を使うことにした。言うまでもなく車椅子を押してくれるのは連れ合いである。
 もし私が単身者であれば退院の準備からその手続き、入院費用の手配、自宅に帰り着くまでの方法等さまざまな困難が待ち受けている。単身の高齢者が増え続けている現在、その困難を軽減する社会的な支援のあり方がもっと検討され強化されなければならないだろう。        (灘)


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