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    かけはし2019年12月2日号

世界は変革具体化めざす実験場になっている


世界情勢

動乱の一年

緊縮と権威主義に反撃する
戦闘準備が世界中で進行中

ダン・ラ・ボッツ


 現在世界の多くは、資本主義に対する治療法を探す実験室となり、実験を行っている社会科学者は街頭にいる。

同調した政治的反乱の一時代

 世界中で民衆は、ほぼあらゆる大陸で、また一二ヵ国以上で、戦闘準備を整えて立ち上がり続けている。この六ヵ月では、フランス、カタルーニャ、プエルトリコ、香港、レバノン、チリ、エクアドル、ホンジュラス、ハイチ、イラク、スーダン、アルジェリアで反乱が起きてきた。
これらの反乱は概して、民衆的かつ左翼の傾きを持つ特性を帯びたものとなり、それらは怒りに満ち、戦闘的、かつ反抗的だ。共有されている特徴は、これらが中間階級下層、労働者階級、また貧困層からなる反乱、ということだ。
これらのさまざまな運動はあらゆるところで、政治システムの堤防からあふれ出て流れ出した。抗議のこの波は国家の基礎とぶつかっている。街頭の活動家はどこでもシステムを、彼らがその中で生きているシステムがどう呼ばれようとも、疑問に付している。諸政府がこれらの運動を粉砕しようと試みた場合は、民衆は街頭の明け渡しを拒否し反撃に出ている。
これらの反乱の背後にあるもの、それらを引き起こすにいたったものは何であり、それらはどこに向かおうとしているのだろうか?
各国の政治情勢には大きな違いがあり、起爆要因となったできごとはまったく異なっていた。すなわち、不愉快な新たな法律から選挙不正まで、あるいは耐えがたいものに成り果てた何十年も続いた独裁から公共交通料金値上げまで、という具合だ。
レバノンでのそれは、ワッツスワップを使った携帯通話に対する課税強要だった。エクアドルでは、ガソリン価格引き上げを許可した政府決定であり、チリでは、地下鉄料金引き上げだった。ホンジュラスでのそれは、大統領が麻薬カルテルを率いている兄弟を助けた、ということの発覚だった。プエルトリコでは、腐敗し女性蔑視の大統領が起爆剤になった。香港では、当地の自治を侵害する一つの法律の公表が引き金になった。スペインのカタルーニャにおけるそれは、カタルーニャ民族運動の抗議に立ち上がった者たちに対する長期刑宣告であり、イラクでは人々が、失業、腐敗、そして権威主義的政府に反対して立ち上がった。アルジェリアとスーダンでのそれは、長期に続いた権威主義政権に対する住民の嫌気だった。ニカラグアでは社会保障年金改革があり、ハイチでも腐敗し権威主義の大統領に反対する抗議行動があった。
あらゆるところで異なった一つの引き金があった。それでも中心的な課題はどこでも、尊厳の下でまた敬意をもった取り扱いを受けたい、との強い願いだ。
これらの反乱の中には共通の要素がある。つまり、経済的不平等、緊縮の強要、政府による権力の乱用だ。その感情は、彼らはわれわれのことを気にかけていない、というものだ。これらの国の多くでは、国家はその正統性を失い、市民はもはや歴史的な諸政党に信頼を寄せていない。しかし一般的に言って、オルタナティブな政治的課題を前に進める位置にある政党、あるいは新たな指導部の位置にいる政党は一つもない。それでも反乱は各国で、現にある諸権力を揺さぶることになり、国際的な政治秩序を貫く衝撃波を送った。われわれは、協調の下にあるわけではないとしても同調した、民主主義とより良い暮らしを求める政治的反乱の一時代にいるように見える。

過去にも幾度か似た時代あった

 われわれは以前そこにいたことがある。先に見たことは、反乱の、あるいは革命とも言えるものの明白な国際的同時性があった、その最初の事例ではない。最初のそうした波――ほとんど全体的な画期的できごと――は、一七七六年のアメリカ独立革命、次いで一七八九年のフランス革命の勃発をもって、一八世紀の最後の四半世紀に起き、それには、一八〇四年のハイチ革命、そしてその後の一八一〇年から一八二一年のラテンアメリカにおける諸革命が続いた。
そうしたもう一つの波は、フランス、ドイツ、そしてオーストリア・ハンガリー帝国を貫いて起こった一八四八年の欧州革命をもって起きた。そしてわれわれはその波に、英国のチャーチズム運動を含めてもよいかもしれない。一九一七年から一九一九年の時期は、ロシア、ドイツ、オーストリア、そしてハンガリー、同様にオスマントルコ帝国に革命をもたらした。
そして一九六八年は、一つの革命ももたらさなかったとはいえ、それは、フランスからチェコスロバキア、メキシコにおよぶ急進的な動乱の一年だった。
今日とまさに同じく、これらの急進的な動乱の各時期の中では、各国における起爆要因となるできごとは独特だった。それでも人は同時に、いくつかの共通の要素を、また多くの場合似たような力学をも見ることができただろう。ほとんどの場合、ブルジョアジーが自身を遅かれ早かれ革命運動の先頭に置いたが、それでも、全体としてこれらの反乱にその攻撃力を与え、切っ先を提供したのは、勤労民衆と貧しい者たちだった。
異なった時期に異なった諸条件が前革命的情勢をつくり出した。そしてある種幅広い違いを見せるできごとが革命的な諸運動に火をつけた。しかし通常、その波の各々には共通性をはっきり認めることが可能だ。
国際貿易の成長、帝国の競合、そして旧式の貴族的秩序と勃興中にあるブルジョア社会間の差違が、一八世紀末と一九世紀初めの革命を条件付けている。自由主義の国家と抑圧的政府のそこにおける存在感の高まりと一体になった、英国、次いでフランスにおける帝国主義、工場、次いで鉄道の成長が、労働者階級の革命という脅威がブルジョアジーを貴族の腕の中に追い込み、そして彼らが一体となって民主主義運動と社会主義の運動両者を押しつぶすまで、西の諸理念が東に圧力を加えるように 一八四八年の対立を駆り立てた。
競合国家における工業企業と資本主義の銀行の拡張とそれによる支配が、近代の帝国主義へと、次いで一九一四年の戦争へと導いた。そして何百万人という死と巨大な破壊を伴った戦争が、革命へと、次いで古い帝国、つまりドイツ、オーストリア・ハンガリー、さらにオスマントルコの帝国の崩壊へ導いた。一九一七年一〇月のロシア革命、労働者と農民による底辺からの一つの蜂起は、欧州とその先を貫いて社会主義革命と労働者評議会を広げようとの企てに導いた。

動乱の背後にある推進力

 われわれが名前を挙げた諸国すべてにおける今日の反乱は、これら国家内部で国民国家間および社会諸階級間の力関係を再形成してきたいくつかの力により駆り立てられ、新自由主義秩序の危機へと、またより重要なこととしてポスト第二次世界大戦秩序の最終的な崩壊へと、同時的に導いた。
中国の高度に成功を見た資本主義社会への変革、一九九〇年代のソ連邦と東欧の崩壊、次いで一体的に襲いかかった二〇〇八年の不況は、資本主義国、共産主義国、また第三世界の国への、あるいはもっと近くでは先進国と発展途上国への、世界の旧来的分割をほとんど消し去った。われわれは今、ほとんどすべてと言ってよい国の中に極度の富と無用な貧困からなるある種のモザイクがあるという、そのような世界に暮らしている。
これらの展開の底に潜む駆動力――それらのいくつかは当座、放水銃のジェット水や催涙ガスを通してはほとんど見ることができない――は、利潤と経済的支配を求める切望により駆り立てられた、世界経済の金融業界による再組織化の中に見つけ出せるだろう。
一塊となった金融と企業の諸々は、この五〇年間で、また最後の二〇年間では一層速度を増して、人工衛星とマイクロチップにより、コンピュータとオートメーションにより、労働力管理組織の新たな諸形態により、産業の形を変えるにいたり、電子的監督により海外に職場をつくり出してきた。すべてが国際貿易協定を通じて水路が開かれ、倉庫と船積みコンテナを備えた物流産業によって運ばれる、世界を貫く生産の信じ難い増大――鉱物採掘からサービス製造まで――は、新自由主義的な経済枠組みの中で、今や経済的不平等の巨大な成長に帰着している。
あらゆるところで、資本家階級とその政治的協力者は、労働者階級と貧しい者たちの犠牲の上で自らを富ませるにいたった。このすべてが、途方もない、また世界中の諸国の多数派によって十分に正当と見られている憤り、に帰着している。
二〇〇八年の大不況の余波の中で、われわれが新しい政治の一時期に入り込んだ、ということに疑問の余地はまったくない。そしてその一時期では、反乱と弾圧が交互に起き、それは、スペインの広場占拠運動、米国のオキュパイ・ウォールストリート、中東と北アフリカのアラブの春をもって、二〇一一年に始まった。
この経済危機はまた、イタリアの北部同盟からドイツのためのオルタナティブ(AfD)までの、英国のボリス・ジョンソンから米国のドナルド・トランプまでの、新しい右翼民族主義の諸政党と政治的個人の誕生をもつくり出した。北米(カナダ、米国、またメキシコ)はこれまでのところ、この革命の感染に事実上免疫性を保っているとはいえ、この危機の枝分かれは、今もほとんどすべてのところで感じ取られている。
われわれは至近の動乱すべての中に、労働者の諸階級と貧困層が、過去には彼らを代表するふりをしてきた諸政党や労働組合、また社会的諸組織や諸機関の外側で、あるいはそれらに反して立ち上がり、行動していることを見ている。多くの場で起きたように、左翼政党と労組官僚がこれらの運動を抑えようともくろんだときは、労働者は自らそれらの機関を迂回するか、彼らに行動するよう迫ろうと務め、また現在の指導者たちを脇に押しのけ、組織の政策を代えようと骨を折ってきた。自らのものである政党を欠いた中では、勤労民衆は多くの場合、一つの鮮明な綱領を定式化することができずにきた。しかし彼らの戦闘的な諸行動とスローガンは、全体的に見て一つの異なる類の社会を、労働者の声が聞き届けられ彼らの要求が満たされる社会を求めている、ということを完全に明らかにしてきた。

屈服拒否する民衆vs権威主義


これらの同時的に起きている反乱には多様な性格がある。フランスの黄色のベスト運動は、国中で何ヵ月も交通を妨げ、次いで彼らの抗議行動をパリの最富裕地区に持ちだしたが、労組経験をまったくもっていない勤労民衆、理髪師、よろず屋など、労働者総同盟(CGT)の諸産別労組や社会党によって保護されてこなかった民衆から構成されている。
チリでは、新たな高料金の支払いを拒否し、改札口を飛び越えることで、学生が反乱に火をつけた。しかし、政府がアウグスト・ピノチェト将軍の独裁以来初めて戦車を街頭に配置するや、港湾労働者がストライキに立ち上がった。
香港では、レストランの料理人からコンピュータプログラマーまでのあらゆる人々が、抗議行動に加わった。ニカラグアでは、高齢者に学生が、次いで住民総体が町全体にバリケードを設けて合流した。
政権はほとんどすべてのところで、機動警察、放水銃、催涙ガス、殴打、逮捕を使って運動を弾圧しようとのもくろみの下に対応してきた。ほとんどすべてのところには、いくつもの死と重傷がある。香港やニカラグアのようないくつかのところでは、警察力がならず者集団や民兵で補充されてきた。スーダンとチリでは、運動を潰すために軍が送られた。一方香港の外側には、命令のかけ声を待ちつつ、中国の人民解放軍が境界上に集結したままとどまっている。
しかし人々は街頭を明け渡すことを拒否し、他の人々を大声で呼び出し、抗議の新しい道を探し、そして多頭の蛇がまさに次の角を曲がって再出現し続けているのだ。反乱が広がるにつれ彼らは、現代のツァイトガイスト(時代精神)を形成し、反乱の理念を正統なものにし、革命の問題を提起し始める可能性を得る。
それでも人は誇張してはならず、われわれは、この騒動のすべてが、世界の民衆のほとんどを支配している塹壕で固められた専制政治と権威主義的諸政権を背景に起きている、ということを思い起こさなければならない。それらの体制の例としては、中国で資本主義を管理している共産党の独裁、ロシアにおけるウラジミール・プーチンと彼の寡頭マフィアによる個人独裁、シリアのバシャールアル・アサド、インドのナレンドラ・モディによる個人主義的権威主義体制、さらにレセプ・タイイップ・エルドアン、フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ、さらにブラジルのジャイロ・ボルソナロの新たな右翼政府を挙げることができる。それらの政権は、ここでわれわれが今議論している変革を求める戦闘的な運動に類したものをまさに阻止するために、彼らの住民を完全に動けないようにしているのだ。

全民衆的反乱ゆえの多様さは健全

 住民の多くが抗議行動に共鳴するか加わっているかしている反乱それ自身に関するわれわれの議論に戻れば、これらは民衆的反乱に、つまり全住民的反乱になっている。したがってそれらの階級的特性は、たとえ勤労民衆がそれらを前に押しやり続けているとしても、曖昧かつ漠然としたものになる可能性がある。同様に民主主義を求めるそれらの要求も、時として不明瞭で未発展だ。民主主義を求めるそれらの叫びは、いわば自由主義の国家と議会制民主主義――銀行とビジネスが支配する――を欲する者たちと、すべての者が平等な声と票を保持する何らかの種類の労働者階級民主主義を欲する者たちの間にある固有の対立を不明瞭にするかもしれない。まさにこれらが大衆的動乱であるがゆえに、それらはその内部に数多くの社会集団と幅広い多様性をもつ考えを抱え込み、論議と論争で引き裂かれている。そしてそれは、必然であるとともに非常に健全なのだ。
これらの反乱の多くが民衆的であり、左翼諸党によって指導されておらず、社会主義的イデオロギーによって導かれているわけではないという事実は、米国内と他のところの双方の左翼グループ内でひどい驚きを引き起こすことになった。彼らの混乱は、彼らがほぼ五〇年、そうした大衆的民衆運動を理解し解釈しようと努めることを迫られてこなかった、という事実から生じている。
一人の香港のデモ参加者が「トランプがわれわれを解放する」と書いたプラカードを掲げているとき、あるいは一握りのニカラグア人がワシントンに出かけ、共和党議員と話すとき、他の国にいる左翼は、その反乱を見捨てるかもしれない。彼らが、大衆的民衆運動、およびそれらが抱える諸々の複雑性と諸矛盾と関わった経験、をまったくもっていないからだ。彼ら自身の国においてすら左翼は、何カ月もの間左翼の多くが黄色のベスト運動をファシストと性格付けたフランスでのように、何が起きているかを理解できない可能性があるのだ。
逆にわれわれは、大衆的民衆反乱がある種の政治的探求へと、またそれらの綱領と指導者の探索へと入っていることを認識しなければならない。われわれは歴史から、社会的反乱が政治的になる場合、またもしそうなれば、指導者、諸政党、そして綱領が、古い秩序に反対する闘争の中で、また新しい秩序を確立する運動内部におけるさまざまな傾向間の競争の中で、試されることになる、ということを知っている。諸々の運動はそれらの観点を苦心してつくり出すために、おそらく異なったあるいは競合する立場へと分かれるために、時間を必要とする。そしてその時間を稼ぐために、それらはわれわれの連帯を必要とするのだ。

まず第一に反乱中の民衆と共に

 ここで再びわれわれは、いくつかの傾向を、それらがそれだけしかないわけではないとしても、またまだ明確な政治的オルタナティブではないとしても、見ることができる。独裁を寄せ付けたくないと思っている香港のようなところでは、あるいは古い独裁秩序を倒すために運動が起こっているアルジェリアやスーダンでは、当初の要求は議会制民主主義と市民権を求めるものだった。そしてそれは、独裁制を超える巨大な前進を意味している。同じことは、プエルトリコやホンジュラスでのように、住民が政府は民主的規範を裏切っていると考えているところでも真実だ。
それでも歴史は、勤労民衆は議会制民主主義を求める闘争の中で、同時に経済的な要求と社会的要求をも掲げるようになり、その中で彼らの闘争は、古い政党に対するオルタナティブとしてだけではなく古い憲法と議会に対してのオルタナティブとしてすら、新しい諸機関を提示する可能性がある、ということを示唆している。フランスやチリのような他のところでは、まさに始めから経済的課題をめぐる闘争と民主主義を求める闘争が完全に織り合わされている。
しかしながら真実として、アルジェリアとスーダンを、またおそらくチリを例外として、それらの諸国のほとんどどこも前革命的な情勢にはない。また実質的にそれらのどこにも、革命的な政党の源になった社会的反乱はない。それでもまた真実であることは、この時点での世界の多くが資本主義に対する治療法を求めるいわば実験室であり、実験を行っている社会科学者は街頭にいる、ということなのだ。
これらの闘争すべては、無批判ではないとしても、多くの場合無条件的な、われわれの支援に値している。われわれは街頭にあるこれらの民主主義を求める闘争を支持する。しかしわれわれはまた、われわれ自身と同じく、それらはまだそれらの政治的立場を明確にしておらず、社会を変える不可欠な政治的ツールをつくりだしてはいない、ということも理解している。われわれは今、民主主義と経済的公正を求める底辺からの世界を貫く一つの大規模な同時発生運動を目撃中だ。そしてわれわれは、これらの運動とともにある。(二〇一九年一〇月二六日、「ニューポリティクス」より)(「インターナショナルビューポイント」二〇一九年一〇月号)    


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