もどる

    かけはし2020年1月1日号

 東アジアの連帯深め勝利の年へ


沖縄報告 12月15日

辺野古埋め立ては1% ムダな基地建設やめろ

沖縄 K・S


12.7

辺野古ゲート前に800人

辺野古に基地はつくれない!つくらせない!


 一二月七日、辺野古ゲート前は県内外から結集した八〇〇人以上の人々の熱気で埋め尽くされた。自治労青年女性部の沖縄平和学習プログラムの参加者百数十人も雨のなか傘やカッパの雨具に身を包んで参加した。全体集会に先立ち、川口真由美さんが「We shall overcome」など数曲を元気よく歌った。進行は自治労県本の大城悟さん。はじめに全員で「埋め立てを止めるぞ」とくりかえし声を上げた。
 オール沖縄会議共同代表の稲嶺進さんは「辺野古は止められる。埋め立てを止めれば辺野古の海は元に戻せる。あきらめず頑張り抜こう」と呼びかけた。照屋寛徳、赤嶺政賢、屋良朝博、伊波洋一、高良鉄美の五人の衆参議員がそれぞれ報告と決意を述べた。今年四月の衆院沖縄三区補選で当選した屋良さんは「国会はおかしなところ。官僚が嘘ばかり言う。桜を見る会追求本部のメンバーとしてとことん追及していく。安倍は窮地に追い込まれている。私たちは絶対に負けない」とアピールした。
 与党県議団の一〇人が前に並び、「社民・社大・結連合」「おきなわ」「共産」の会派ごとに議員の紹介と決意表明が行なわれた。共産会派の渡久地修さんは、団長として参加した一一月一一〜一七日の訪米議員団の報告を行なった。「ニューヨークでは国連に行き、事務局次長に要請した。ワシントンでは、国務省の建物に入り、日本副部長と面会した。民意は重い、民主主義国家であれば無視できないことをトランプ大統領に伝えてもらいたいと文書を手渡した。今回私は四回目の訪米になるが、広がりを強く感じる。一歩一歩の積み重ねが確実に世論を動かしている」と述べた。
 抗議船船長の仲本さんは「一二月三日の安和海上行動で土砂の積み出しを止めた。今日も辺野古で搬入はない。人が集まれば止めることができる。オール沖縄の力をもっと結集し、広げて、新基地を止めよう」と訴えた。そのあと、四国など各地の自治労の仲間が前に立ちあいさつした。閉会あいさつとガンバロー三唱は高里鈴代さんの音頭で行った。
 引き続き、東村の田丸さんや海風の成田さんなどの呼びかけによる、「手を繋ごう平和への一歩!」を掲げた、障がい者辺野古のつどいが開かれた。

12.7

東アジア米軍基地シンポジウム

約五〇人が
県内人から
一二月七日午後、ぎのわんセミナーハウスで、東アジア米軍基地問題解決のための国際シンポジウムが開かれ、県内外から約五〇人が出席した。韓国からは米軍基地問題に取り組む平澤(ピョンテク)、群山(クンサン)、ソウル、人権、平和運動に取り組む埼玉解放同盟、奈良、さらに東京の平和フォーラムなどから参加があった。進行係は沖縄韓国民衆連帯の高橋年男さん。
第一セッションでは、「開かれた軍隊のための市民連帯」の朴錫進(パク・ソクチン)さん、琉球新報中部支社の宮城隆尋報道部長が「米軍駐留経費負担と国民生活の犠牲」をテーマに報告した。
第二セッションでは、「歴史を拓く主体とは?」をテーマに、埼玉人権同和センターの小野寺一規さん、なら人権情報センターの西原学さん、同志社大大学院の友寄元樹さん、非営利民間団体プルリムの゙美樹(チョ・ミス)さんがパネラーとして演壇に上がった。
第三セッションは、「歴史・郷土の記憶の継承と今後の課題」をテーマに、平澤平和センターの林允敬(イム・ユンギョン)さんと姜媚(カン・ミ)さん、読谷村の反戦地主で浄土真宗大谷派の僧侶である知花昌一さんが報告に立った。
約五時間にわたる熱の入った議論のあと、同じ場所で交流夕食会が開催された。沖韓民衆連帯の豊見山雅裕さんの進行で、各地からの参加者の自己紹介と報告、歌、カン・ミさんの踊り、望月牧師のサンシンなどで夜遅くまで盛り上がった。

保良地区の弾薬庫建設に抗議行動
翌日午前、シンポジウム参加者約二〇人は自衛隊基地建設が強行される宮古島へ向かった。宮古空港で案内の清水早子さんと合流し、三台のワンボックスカーに分乗して、宮古島の軍事化の現場を回った。
住民の反対を押し切って千代田地区につくられた陸上自衛隊宮古警備隊は一部建築中の建物があるが、すでに稼働していた。この駐屯地の真向かいでビニールハウスなど農業を営む仲里盛繁さんは、「ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会」の共同代表だ。われわれが到着すると、仕事の手を休めてマイクを握り、基地建設がいかに住民生活を危険にさらしているかについて力を込めて語り、「自分の畑の隣から戦争をはじめてもらいたくない」と訴えた。
警備隊の基地となったところは元ゴルフ場で昔からの広大な森・御嶽もあったが、防衛省は住民との御嶽保存の約束を破り、森を大きく削り壊した。埋めた森の上に宿舎を建設した。駐屯地の横手を入って行くと、一見貯油施設のような弾薬庫が見える。住民たちが「保管庫というのはおかしい」と当初から疑問を呈し、東京新聞が大きく取り上げたことで、最終的に防衛相の謝罪にまで行きついた。巨大なミサイル弾薬庫は保良地区に建設中だが、警備隊の中にも弾薬庫が建設されている。
伊良部大橋を渡って伊良部島に入ると、さびれた港だった長山港が一〇隻以上の巡視船の海保の拠点港として整備されている。言うまでもなく、日米軍事一体化のもと尖閣を含む海域の警備のためだ。海保は地元密着のポーズを表すために巡視船に「とぐち」「おおがみ」「ひさまつ」など地域の名前を付けているが、琉球列島の軍事化に邁進している。
保良地区の旧宮古島DGPS局跡地は海保の射撃訓練場予定地となっている。海保の射撃訓練場など、日本のどこにもない。

弾薬庫いらない!ワイド、ワイド!

 翌朝、一行は保良地区に建設中の弾薬庫の現場に向かった。ゲート入り口には覆面姿のガードマンが多数いる。「極真総合警備保障」という会社だ。地下一五mにまで掘り下げられた広大な用地に建設中の弾薬庫は並の規模ではない。ここに弾薬庫三カ所と射撃訓練場をつくる。まさしく巨大ミサイル弾薬庫というしかない。すぐ向こうは住宅地。近い所では二五〇mしか離れていない。清水さんは、軟弱地盤や断層の存在、サンゴ礁の島・宮古の地下水汚染、事故の危険など、宮古島が軍事要塞化される切迫した危機感を表した。
工事用ゲートの入口に陣取ってしばらく集会とデモを続けていると、ダンプが十数台ゲート入り口に到着し待機した。豊見山さんの「ワイド、ワイド、ワイド、ガンバロウ」の掛け声でゲート前を輪になって行進し、阻止行動を続けた。しばらくして、警察官がやってきて規制をはじめ、ダンプを通した。地中深く掘り下げられた用地にダンプが至ると、まるでダンプがオモチャの車のように小さく見える。
駆け付けた仲里さんは「平和な宮古島にどうして基地がいるのか」と怒り訴えかけた。

12.13

82年前を想起し

南京事件を考える映像観賞と学習会


一二月一三日。八二年前の一九三七年、日本軍の攻撃により南京城が陥落した日。以後南京市で日本軍の残虐な殺人、略奪、強姦、放火などの戦時暴力が荒れ狂った。当時南京にいた欧米の新聞記者、キリスト教関係者、ビジネスマン、外交官などが目撃した事実をさまざまな形で世界に発信した。人々は日本軍の残虐行為を「南京アトロシティ―」(残虐、暴虐、非道)と非難した。しかし日本では、新聞、出版、言論に対する国家統制下で全く報道されず、大多数の日本人は無知なまま侵略戦争に動員されていた。翌一九三八年、国家総動員法をつくり、アジア太平洋戦争へと突き進んで、すべての国々を破滅へと追いやった。

元日本軍兵士の証言に驚きの声とため息
一二月一三日夜、那覇市おもろまちのなは市民協働プラザで、南京・沖縄をむすぶ会が主催して「南京事件を考える映像観賞と学習会」が開かれ、約五〇人が参加した。はじめに、南京攻撃に従軍した日本軍の元兵士たちの赤裸々な証言をまとめた、二〇〇二年の久米宏ニューステーションの映像を見た。このニュース番組は松岡環さん『南京戦―閉ざされた記憶を尋ねて。元兵士一〇二人の証言』(社会評論社)に基づいて制作されたものだが、松岡さんは本にまとめると共に映像でも記録していたのである。
そのあと、主催者の三人の報告が行われた。経過報告と今後の取り組みでは、一〇月の南京市の通訳ガイド・載さんの沖縄訪問と講演会を契機に、南京・沖縄をむすぶ会が結成され、本日の集まりが開催されるに至ったことが報告された。中国に半年留学の経験があり、南京を二度訪問したことのある仲村渠さんは、「南京を訪ねて思うこと」と題して、中国の友人との対話や紀念館の内容について語った。稲垣さんも二度の南京訪問の体験を話し、神戸・南京を結ぶ会の宮内陽子さんの最新刊『日中戦争への旅◎加害の歴史・被害の歴史』(合同出版)を紹介した。さらに、三月南京訪問の計画を詳しく話し参加者を募った。
沖縄では、一九四四年の第三二軍(沖縄守備隊)の設立にあたり、中国大陸から第九師団をはじめ多数の日本軍部隊が配置された。牛島司令官、長参謀長が南京の暴行に手を染めた軍の指導部であり、長参謀長が沖縄に日本軍慰安所を持ち込んだこともよく知られている。また、沖縄からも中国大陸に多くの兵士が動員され多数戦死した。日本軍の残虐行為を目撃した証言が市町村史戦争編などに残されている。
載さんの沖縄訪問を契機に、私も改めて南京事件の学習に向かった。実際に南京事件の実像の解明に取り組み、中国の被害の事実、日本軍兵士の証言、外国人の証言、研究者たちの解説などを読んでいけば行くほど、南京事件に真正面から向き合わなければならないと思う気持ちが強くなる。日本軍の戦時暴力の実態、その粗暴さ、残虐さ、そして被害者の悲惨さ、苦しみ、悲しみを直視しなければならない。いい加減に済まされない問題だ。日本のあり方、政治・社会構造の根本問題の象徴ではないか。
南京訪問の受付締め切りに合わせて、次回の集まりは一月一二日(日)午後二〜五時、なは市民協働プラザ、映像観賞と読書会(藤原彰『南京大虐殺』、岩波ブックレット)。連絡先=南京・沖縄をむすぶ会(共同代表 稲垣絹代。電話090-8796-5112)

12.14

香港から2人を迎えて

話を聞く会に25人

 一二月一四日土曜日、激動の香港から二人の民主派活動家が沖縄を訪問した。一人は區龍宇(アウ・ロンユー)さん、六〇歳代の左派の民主派活動家。もう一人は陳怡(チェン・イー)さん、大学院生で社会運動にも参加している活発な女性。香港の現状はどうか?今後どうなって行くのか? 二人の話を聞き、ともに考え、連帯の道を探るために、「香港の今、そして、これから」と題する連帯集会が、ぎのわんセミナーハウスで開かれた。
一一月二四日開票の香港区議会選挙で、民主派が議席の八五%を得て勝利したことは記憶に新しい。得票率は六〇%前後だったとのことだが、逃亡犯条例改正案に反対する運動から端を発し、数度にわたる一〇〇万人デモ、警察の過剰弾圧に抗する屈しない闘いを経て、香港の多数の人々は中国政府の支配をうけない香港の人々の人権と民主主義、自己決定権を切実に求めている。これが香港の民意だ。沖縄とも通じるものがあると感じる県民は多い。
この日は各種の催しが同時に開催された。名護市では、オスプレイNO!大浦湾の自然を守る安部おばぁ達の会が辺野古・大浦湾と日米地位協定を考える集会を開き、桜井国俊さんなどが講演した。那覇では、集まれHENOKOと沖縄平和サポートが安田浩一さんを招いて「ヘイトスピーチとは何か〜差別と偏見の現場を取材して」との講演会を開いた。うるま市と那覇市では、楾(はんどう)弁護士の講演会「檻の中のライオン」が開かれた。

アウ・ロンユーさんとチェン・イーさんの話
まず、おさるのお面を冠って登場したチェン・イ―さんが香港行政府との関係で顔を隠して発言することに関して説明し了解を求めた。チェン・イ―さんはこの間の香港のギリギリとした闘いを身をもって闘い抜いて来た若い活動家らしく、英語のパワーポイントを使いながら、きびきびとした口調で運動の経過を説明した。通訳はATTAC江東の稲垣豊さん。
アウさんは、年季の入った活動家らしく、参加者の年令層別、階層別など、豊富な資料を駆使して、香港の闘いの社会的政治的な背景と基盤に関して述べた。沖縄の参加者の多くにとって、初めて接する運動の社会科学的な分析であった。そして最後に、香港の運動の規模とエネルギーのダイナミズムについて、六〜七月の「進潮」期、八月の「高潮」期、九〜一一月の「相持段階」期、一二月の「暫時休整」期? と説明した。
この日の集まりの参加者はそう多くなかったが、熱気と集中性のある集会となり、終了予定時間を三〇分オーバーした。参加者からは、「ここ何年か講演会を聞きに行った中で第一位の感動し充実したもの」との感想が寄せられた。
月曜日の早朝、二人は辺野古ゲート前の座り込み現場と海上から抗議船に乗り埋め立て現場を訪れた。アウさんは「自分たちの未来は自分たちで決めるとの意思を感じた。香港は中国から、沖縄は日米両政府から圧迫を受けているが、ともに非暴力で沖縄ぐるみ、香港ぐるみの運動を続けている」と感想を述べた。



もどる

Back