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    かけはし2020年1月1日号

反マクロンの大衆的ストライキは勝利可能だ


フランス

2019年12月5日 反資本主義新党(NPA)


 マクロン政府が計画する年金「改革」に強く反対して、フランスの労働者が一二月五日を期して大規模なストライキに突入した。一方政府は以下にあるように、同一一日、彼らの年金「改革」計画を公表、若干の譲歩を示したが、労働者はむしろ反発し、これまでストを抑制してきたもう一つの有力労組、フランス民主労働同盟(CFDT)も同一七日からのスト合流を呼びかけた。事態は、二〇一〇年以来のゼネストへと動きつつある。以下は、ストライキ初日に公表されたNPA声明。(「かけはし」編集部)
 八〇万人(警察によれば)から一五〇万人(フランス最大の労組連合、CGTによれば)の抗議行動参加者の下で、政府の新自由主義的な年金「改革」に反対するストライキの一日目は特に印象的なものだった。パリと数多くの地方都市では、これは一九九五年冬における大規模な労働者階級の運動以後では、われわれが経験した最大の街頭動員だった。そしてそれは、未来にとって良い前兆だ。
 警察は多くの都市で、労組の行進を混乱させようと試みたが、それに失敗した。デモの参加者たちは、警察の挑発と暴力にもかかわらず断固として行進したのだ。
 諸々のデモへの参加は、大統領、エマニュエル・マクロンの諸政策に反対するストライキの一日目を映し出している。そのストライキは、多くの公共部門で、またいくつかの私企業部分で、巨大なものになっていたのだ。フランス国鉄(SNCF)の六〇%から九〇%がストライキに決起し、この日列車の九〇%を止めた。そして、組合はすでに明日に向けた同様のストライキを公表済みだ。総会を開いたパリ交通公団(RATP)の労働者もまた、明日に向け彼らのストライキの更新を票決した。
 一方、国の公立学校と公立大学を貫くストライキは、多年の間、これほどまで広がったことはなかった。教育相は、労働者の四〇%がストライキを行った、と認めた。一方諸労組は、多くの学校を全面的閉鎖に置いた初等教育と中等教育の労働者の数は、七〇%ほどと評価した。
 この迫力が不意の形で、政府のケチな策謀では労働者の怒りを抑えられない理由を明らかにしている。マクロンは、本日公表したように、年金に対する彼の攻撃を当初計画していたよりも次週半ばまでとして少しばかり前倒しで提示することにより、これからすり抜けることができると期待しているのだろうか? マクロンの「パートナー」である何人かの政治指導者は疑いなく、あらゆる者が交渉の対象になるものなど何もないと分かっているにもかかわらず、この小細工的なゲームで勝負するつもりになっているだろう。実際ストライキ労働者は、この年金改革の撤回――疑問の余地なく――をマクロンに要求しているのだ。
 無期限ストライキの組織化とゼネストに向かう運動の高まりにとっては、次の二、三日が決定的になるだろう。そしてそのゼネストは、当局者を彼らの年金カットを撤回するよう強制するだけではなく、マクロンと彼のシステムから労働者を解放するものにもなるのだ。(「インターナショナルビューポイント」二〇一九年一二月号) 

ギリシャ

軍内外を繋ぐ運動への
有罪判決ノー

OKDE―スパルタコス

 ギリシャの召集兵連帯運動(注)が、自由兵士ネットワーク「スパルタクス」と召集兵連帯委員会に対する訴追が進行する中、再び攻撃を受けている。より正確には、ギリシャ軍の現役当直士官(アレクサンドロウポリ市の一軍部隊前指揮官)が、「絶えざる名誉毀損および中傷」との告発をもって、「スパルタクス」ネットワークの一メンバーを告発した。
 この訴訟は、召集兵連帯委員会と自由兵士ネットワーク「スパルタクス」のブログに掲載されたこの士官の行為に関する不平に関わっていた。この軍将校は、ブログ管理者に敵対し、政治活動家である人物、ニコス・カララムポポウルスの中にスケープゴートを見つけ出した。ちなみに彼は、召集兵とその家族が抱く一定の不平のために使用されている公開の電話番号をもっている。
 自由兵士ネットワーク「スパルタクス」と召集兵連帯委員会は、軍の基地内の状況に関する大きな数になる不平に声を与え、それに光を当て公開してきた。こうして、召集兵の問題を解決し、軍の基地内外両者で一つの運動をつくり出す上で、助けになってきた。それらはさらに、軍国主義、民族主義、また戦争への抵抗を通じて、反戦政治潮流の創出にも力を貸してきた。
 多くの召集兵は、連帯委員会を通して、虐殺的戦争への反対を込めた手紙を公表してきた。連帯委員会と「スパルタクス」ネットワークは、彼らの暮らしの決定的な改善を求める集団的な闘争を通じて全召集兵の諸権利を守る必要に、着実に光を当ててきた。彼らは、民衆に耐え難い重荷をもたらす軍備計画に反対の声を上げ、NATOからのギリシャの即時離脱、および米軍基地の閉鎖を求める声も上げてきた。
 われわれは、自由兵士ネットワーク「スパルタクス」と召集兵連帯委員会に対する起訴を終わりにすることを要求する。
軍内の運動を引き継ごう!(アテネ、二〇一九年一〇月一五日)

▼OKDE―スパルタコスは第四インターナショナルギリシャ支部
(注)ギリシャでは一九歳から四五歳の男性全員に軍務が強制されている。(「インターナショナルビューポイント」二〇一九年一〇月号) 

福島県からの台風被災状況報告―支援に感謝をこめて

浸水で家財・車、すべてを失った

いわき K・T

 台風19号の被災は、わが家は床上一・五メートルの浸水で家財・車、すべてを失いました。目の前二〇メートルの堤防が決壊していたのでは、かないませんでした。
 深夜午後一一時頃に雨はやんで、まだ浸水はありませんでした。つれ合いは睡眠導入剤を飲み就寝しました。翌目の午前〇時半頃地元の消防団が避難するよう勧告に来ましたが、もう雨も止んで、水も出ていないので避難する人はいませんでした。
 この地域は三〇年ほど前、床上一〇センチほどの水害がありましたが、堤防の決壊はなく周辺の雨水が川に流れ込めないのが原因として、ポンプ場が整備され、これでもう水害は起こらないという思い込みがありました。
 午前一時前、おそらく上流域の堤防の決壊により浸水が始まりました。最初は少しずつでしたが午前一時半頃になると急激に水量が増え始めました。この時点で目の前の堤防が決壊したのだと思います。睡眠導入剤でもうろうとしているつれ合いをたたき起こし、避難の準備を始めました。遊難場所は集合住宅の二階階段の踊り場です。
 貴重品だけを確保して、くるぶし程度の床上浸水に、つれ合いがドアを開けようとしても開きませんでした。私が力任せにようやく開けましたが、すでに外は床下まで浸水していました。急いで階段を駆け上がり避難をしました。
 隣は八〇歳代前の目があまり良くない女性が一人で住んでいて、避難しようとドアをたたきましたが応答はなく、家電に連絡(携帯を持っていない)をしましたが、最初は出たのですが何かわからない会話の後不通になりました。もうこの時点で浸水は床上一・五メートルに達していて誰も救出にいける状態ではありませんでした。
 明け方、明るくなり始めた頃、向かい側の集合住宅の住民が女性の存在を確認しました。彼女は、水によく浮く断熱材の畳床の上に避難して難を逃れていました。
 その後は、避難所→ビジネスホテル→民間アパート→最後に公営仮入居などを転々としましたが、この頃には仲間たちの支援が届き始め、生活・活動の再建に非常に助かりました。ありがとうございました。

 見れば分かるのですが、農家の母屋はすべて山沿いの高台にあります。浸水被害のあった住宅はすべて田んぼの埋め立て地です。川の氾濫が田んぼを栄養豊かな土地にすることを前提に農業は行われていたのですが、ある日、草野心平の愛した川に堤防が作られ、堤防内の河川敷に個人所有の土地が残されましたが、そこは今や照葉樹と竹の林になっていて川の流れを複雑なものにして、至る所で堤防の決壊を起こしました。
地球温暖化の流れで起きた水害とは思いますが、私たちの住居は、元々洪水になることが前提の土地に作られていることを忘れてはいけません。

 今回の水害で、流される自分の車を見ながら、また一からだねとつれ合いとのんきに話していました。私がぼーっとできたのは、雇用が破壌されず明日の生活の糧がまだ残っているからだと思います。東日本大震災では働く場所が喪失し明日の生活の糧を失った労働者があふれました。避難民とは結局働く場所を失った労働者なのです、私は、ぐちゃぐちゃめんどくさいことを考えずに雇用にこだわり、そこによりそい闘ってきました。それは今も間違っているとは思いません。
ぼーっとしている私たちにやきもきして、仲間たちが動いてくれました。いつの間にか義援金が集められ私たちに届きました。ありがとうございます。
みなさんの支援に恥じない闘いを今後もしていく所存です。本当にありがとうございました。

朝鮮半島通信

▲朝鮮中央通信は12月8日、金正恩朝鮮労働党委員長が7日に平安南道陽徳郡温泉文化休養地の竣工式に参加した、と報じた。
▲12月8日の朝鮮中央通信は、国防科学院のスポークスパーソンの発表を掲載した。スポークスパーソンは、2019年12月7日午後に東倉里で行われた「非常に重大な試験」の成功を強調した。
▲韓国の元財閥、大宇グループの創業者の金宇中元会長が12月9日、京畿道水原の病院で死去した。82歳だった。
▲文在寅大統領は12月13日、「三一運動および大韓民国臨時政府樹立100周年記念事業推進委員会」の委員らを青瓦台迎賓館に招き、昼食会を行った。
▲韓国の財閥、LGグループの名誉会長の具滋ギョン氏が12月14日、死去した。94歳だった。

コラム

寒暖差アレルギー

 最近「寒暖差アレルギー」という言葉をよく見かけるようになってきた。だがその内容については未だよく知られていない。地球的な気候変動による気温の寒暖差が大きくなり、私たちの身体的・精神的状況に与える影響が大きくなってきた。
 風邪に似た症状だが熱はなく、はなみず、くしゃみ、涙が止まらず「アレルギー性鼻炎」という症状として知られるようになってきた。だがそれだけではなく様々な症状がある。
 私は子供の頃から悩まされてきた。もちろん当時は「寒暖差アレルギー」などという言葉は私は知らなかった。
 例えば、ふろ屋に行って湯船に浸かり体が温まってくると全身が痒くなる。すぐに湯船から飛び出し水をかぶって体を冷やす。カラスの行水などと言われたものだ。家庭内では当然にもシャワーだけで湯船には入らない。冬季でもシャワーだけである。
 また冬の時期、学校の体操の時間にランニングをするのだが、同様に体が温まってくると全身が痒くなる。その時は体操服を脱ぎ肌を冷やすのだ。だからよく風邪をひいていた。教師は「変わった体質だな」と言って気にかけていてくれていた。
 さらに寒風にさらされて思わず喫茶店に駆け込んだ時に、暖房が良く効いていたりすると痒くなってくるのだ。そそくさとコーヒーを飲んで店を出なければならない。新聞一紙に目を通すこともできない。冬の時期にスーパーやデパートで買い物をする時も同じだが、この時は大変だ。必要な物を買い終わることが出来ない時がある。二度三度と出入りすることになる。
 私のこのような状況は長い間理解されることはなかった。街頭デモの時も同じである。我慢しきれなくなればデモの隊列からはずれることになる。いちいち説明しても理解されることはないので適当な理由つくってきたものだ。足が痛い、腰が痛くなった、目に何かが入った等々。現在でも不思議そうな顔に出会うことが多い。
 「寒暖差アレルギー」になる人は増えているそうだ。だが一様ではなく個人差がある。気温の寒暖差についても個人によって幅がある。百人居れば百の「寒暖差アレルギー」があると言えるだろう。もちろん個性としての身体的特性がある。それだけでなく地球的な気候変動による寒暖差の拡大が大きく関与しつつあることも無視できなくなってきていると言えるのではないだろうか。
 私は五度の寒暖差を超えると危険ラインだ。この危険ラインの中では体が暖まる行動は避けなければならない。しかも高齢になり体のバリア機能が低下している中ではなおさらだ。
 人々が混雑している中でコートだけでなく上着までも脱ぎ始めればまさしく変な人なのである。
(灘)


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