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    かけはし2020年1月13日号

香港の人びとに連帯し
民主主義と人権の東アジアを



12.19〜12.21

香港の若者が切り開いた新しい地平

共に作り出そう民衆の未来

生き生きと報告された民衆の闘い


12.19

香港に自由を 連帯行動

本当の闘いはこれからだ

2度目の新宿デモ



人びとの要求
実現はこれから
 一二月一九日、新宿駅東口・アルタ前広場で「『香港に自由を!連帯行動』第2弾 新宿デモ」が行われた。呼びかけたのは、APFS労働組合、ATTAC首都圏、ジグザグ会、LACC(反資本主義左翼講座)、NO―VOX Japanの実行委。
 第一弾の新宿デモ(一一月一五日/約一〇〇人)時における香港情勢は、中国共産党の第一九期中央委員会第四回総会(4中総会/一〇月三一日)で香港秩序システムの強化を確認し、習近平国家主席が香港特別行政区の林鄭月娥行政長官に対して全面的に支援していくことを表明するという緊迫した状況が続いていた。その延長で香港警察は、香港中文大学(一一月一一日)、香港理工大学(一一月一八日)に大量の催涙弾を打ち込みながらあらんかぎりの暴力を行使し、大量逮捕を強行して制圧した。
 しかし、香港民衆は、当局の暴力弾圧に抗して区議会選挙(一一月二四日)で民主派が八五%獲得する圧勝を実現した。林鄭月娥行政長官は、区議会選挙で親中派が大敗北によって「政府は市民の意見を真摯に聞き、真剣に反映させる」などと強がってみせたが、打撃を隠しきれないでいた。中国共産党をバックにして圧政を続けていく姿勢はあいかわらずだ。
 民衆は、区議会選挙圧勝をバネに一二月八日には、「民間人権陣線(民陣)」の主催デモに八〇万人が参加した。あらためて民衆の五大要求〈(1)「逃亡犯条例改正案の撤回(2)デモの「暴動」認定の取り消し(3)警察の暴力に関する独立調査委員会の設置(4)拘束したデモ参加者の釈放(5)普通選挙の実現〉の実現、マスク着用を禁止する「覆面禁止法」撤回を強く要求した。

「香港に再び
栄光あれ!」
実行委は、香港民衆の身体を張った粘り強い闘いと連帯し、香港当局の暴力弾圧をやめさせるために怒りの声を新宿一帯にわたって訴えていこうとデモが取り組まれた(約六〇人)。
アルタ前広場での前段集会は京極紀子さん(ATTAC首都圏)の開催あいさつで始まった。「半年も続けられている香港民主化闘争に連帯して、私たちは新宿駅前、御茶ノ水駅前でスタンディングをしたり、香港経済代表部への申し入れを行ってきた。だが、香港警察は、香港中文大学、香港理工大学を包囲して学生たちを大量逮捕した。このような流れは区議会選挙の圧勝によって跳ね返した。この間、デモ許可がされていなかったが一二月八日には、『民間人権陣線』の八〇万人デモが行われた。私たちも連帯の意味を込めて今日のデモを行っていこう」。
参加者全体で香港の民衆運動の中で唱われている「香港に再び栄光あれ!」を合唱した。
原隆さん(NO―VOX Japan)は、「私たちが目にしている香港の自由への反乱は、まだ始まりに過ぎない。『時代革命』への長い道程は、まだ始まったばかりだ。『香港人、加油(頑張れ)!』『時代革命』『反抗有理』の声は今も香港中に響き渡り、絶えることはない!」(「香港の自由への闘い」から)とアピール。
稲垣豊さん(ATTAC首都圏)は、来日した香港ゲストの陳怡さん、區龍宇さんと一緒に沖縄で報告会(一二月一四日)を行ったことを紹介。また「一二月二〇日に陳怡さんによる『協力と緊張〜香港デモにおける非暴力派と直接行動派』をテーマの講演を行う。一二月二一日には、『衛港之戰2019』をテーマに區龍宇さん、陳怡さんが報告する。ぜひ参加してほしい」と呼びかけた。

一人ひとりが
声を出そう!
さらに區龍宇さんからメッセージが届き、次のように紹介された。
「平和と民主主義を愛するすべての日本の友人の皆様へ。私はこの数日前に沖縄を訪れたところです。沖縄の人々が第二次世界大戦の中、沖縄戦で受けた苦痛を学びました。初めて知ることで驚きに感じました。沖縄では沖縄の自決を守る闘いが続けられていますが、香港では自治・自決を守る闘いが続いています。今日、集まっていられる皆さんが香港の活動を支持してくれていることに心強く思っています。日本から香港に駆けつけた人もいるということで非常に感謝しています。直面する強い全体主義には絶対負けない不屈の闘いを続けています。だが香港単独では勝つことはできません。国際的な支援、中国の中の支援が必要です。国際主義と民主主義は不滅です。共に頑張りましょう」。
香港で不当逮捕(一一月一九日)された井田光さん(東京農業大学) は、「一〇月と一一月、香港に行った。二回とも緊張した状況だった。香港の人たちがなんで苦しんでいるのか。もう自由がないんですよ。いつ襲われてもわからない。怯えており、人間不信となり、なにをしていいのかわからない状況になってます。僕たちが何ができるか。ここから圧力をかけるしかない。一人一人が香港の人たちのために意見を言うことだ。絶対に香港政府、警察を許してはいけない。これからも闘い続けていきたい」と訴えた。 
最後に「香港に自由を! 香港民衆の五大要求支持! 覆面禁止法撤回! 実現しよう民主主義」などのシュプレヒコールを行い、新宿デモに移った。(Y)

12.20

陳怡(チェン・イー) さんが報告

香港デモにおける
非暴力派と直接行動派



 「#FIGHT FOR HONG KONG @ 2019」は、一二月二〇日、二一日、文京シビックセンターで「香港に自由と民主主義を〜沖縄・日本・アジアのなかで」をメインスローガンに香港から二人のゲストを迎え、香港民主化運動について報告した。
 二〇日は、陳怡(チェン・イー) さんが「協力と緊張〜香港デモにおける非暴力派と直接行動派」をテーマに報告した(報告要旨別掲)。
 二一日は、「衛港之戰2019」をテーマに陳怡さん、區龍宇(アウ・ロンユー)さんが報告した(次号)。
 陳怡さんは、大学院で学ぶ傍ら、この間の社会運動にも積極的に参加してきた。なお香港政府の厳しい弾圧下のため報告会では「お面」をつけざるをえなかった。
 區龍宇さんは、香港の左派の民主派活動家。邦訳書に『台頭する中国 その強靭性と脆弱性』『香港雨傘運動 プロレタリア民主派の政治論集』(ともに柘植書房新社)がある。

陳怡さんの報告

民主化運動の経過
闘いの中で生まれる課題

4月から6月
闘いの広がり
香港民主化運動のきっかけは、二月に逃亡犯送還条例の改正案を香港政府が提案しようとしたからです。すでにこの時に抗議行動を始めています。三月末に民間人権陣線(民陣)が組織した抗議行動がありました。一万二〇〇〇人の参加者がありました。四月末には、一三万ぐらいの参加者がありました。大規模になったのは、雨傘運動の中心だった九人に対して不当判決が出たことが大きな理由だと思います。実際に雨傘運動に参加した人たちには大きな怒りがありました。
つまり、逃亡犯送還条例案が出る以前から市民の中で政府に対する不満が渦巻いていたことがわかります。
六月四日は、天安門事件三〇周年であり、その抗議行動の参加者は一八万人でした。また、雨傘運動二〇一四の五周年も重なってました。以前から六月四日の抗議行動が取り組まれていたが、それぼどの参加者ではなかった。六月九日も大勢の人たちが参加し、一〇三万人でした。香港の歴史上最も大きなデモでした。これは国際的にもよく知られていることだと思います。しかし、その夜に林鄭月娥長官が六月一二日に予定通りに逃亡犯送還条例改正案の審議を行うことを宣言しました。
市民は怒り、六月一二日に条例案改正案の二回目の審議に対して抗議するために立法会に集まりました。この時に抗議者と警察との緊張関係になりました。平和的な抗議をする人たちと過激な抗議をする人たちが協力しました。
六月一五日、長官は条例改正案の審議を中止すると宣言したが、その後に二〇〇万人という規模のデモがありました。その理由は、六月一二日に警察が非常に暴力を振るうようになったので、それに対する怒りとそれ以上の要求をしなければと強まったわけです。もう一つの理由は、若い抗議者がビルディングの上で抗議をしていたが、そこから転落死したことでした(六月一五日)。
主催者の民陣は、参加者を二〇〇万人と発表したが、市民たちはさらに亡くなった抗議者も含めて二〇〇万プラス一人と表わわしました。抗議者の参加者があまりにも多かったので警察は、恐れをなして大勢で出てこなかったと思います。抗議の暴力はありませんでした。つまり、警察がいなければ暴力的な行動がないと言えるのです。
ほとんどの人が六月一五日までは平和的な抗議によって、よい結果が得られると考えていたと思います。しかし、長官は六月一八日に謝罪をしたけれども、条例改正案を撤回するとは表明しませんでした。このことによって多くの市民は失望し、抗議者の考え方が変わっていったと思います。
六月二二日、抗議者は警察本部を包囲し抗議した。他の政府の建物に対しても封鎖するという動きを取りました。この時までは民陣は、やれることはなんでもやろうと考えていたと思います。七月一日、抗議者は立法会の中に突入し、施設を破壊しました。民主派議員の一部は、抗議者を止めようとしたが、抗議者はその呼びかけに応えず突入しました。

市民の中から
広がるテーマ
これ以降、色々な団体、個人が色々な抗議行動を企画しました。以前は民陣を中心にやってましたが、誰でも行動していくことになりました。ところが七月一二日、地下鉄元朗駅で白いシャツを着た男達が抗議者に暴力を振るうという事件が起きました。ターニングポイントになった事件です。
香港ラジオテレビは、これに関するビデオを作り、詳細に何が起こったのか、証拠の数々が入っています。これからわかることは、警察はこのような襲撃が起こることを事前に知っていたということがわかります。警察は見て見ぬふりをし、協力したということです。
八月五日は、香港中でストライキを呼びかけました。このあたりで非常に緊張が高まりました。過激派と言われる人たちの行動は、まったく組織だっておらず、バラバラでした。外国勢力がいるとの声もありますが、バラバラぶりはそんなことはない証明です。このころは平和的な抗議者は、過激な行動をとる人たちに対して、自分たちは同じような行動はしないけれど彼らを支援するという姿勢になりました。
写真は八月一一日、女性の抗議者が警察が放ったゴム弾に当たった時のものです。私も含めてこれで怒りをかきたてられた。次の日、空港への抗議行動に向かいました。八月一二日の抗議行動は、全く暴力がない平和的な行動でした。午後のフライトが全てキャンセルとなり、成功しました。
八月一二日の平和的なデモは、一七〇万人でした。民陣は、「和理非」というスローガンを掲げ、平和的にやろうというメッセージがこめられていました。過激な行動をとるある人たちは、「私たちは、今日は平和的なやり方で抗議行動をします」というプラカードを持って参加してました。
ところが八月三一日に緊張がクライマックスになるような出来事が起こりました。香港の地下鉄の駅に警官が乱入し、抗議者を殴り、逮捕しました。八月のはじめ、抗議行動で自殺した人たちがいると言われていたが、警察に殺されたのだという噂が流れていました。三一日も抗議者が殺されたという噂が流れました。
つまり、多くの抗議者が警察によって仲間が殺されたと信じこんでいます。証拠がないのに多くの抗議者は、より過激な行動になっていきました。警察は、捜査の結果、死者は出ていないと発表している。抗議者は、警察を信じなくなっています。

 

弾圧の広がり
と区議会選挙
一〇月一日、警察は抗議者に対して初めて実弾を使用した。民陣は、警察に抗議デモの申請をしたが、許可されませんでした。にもかかわらず大勢の人たちによって無許可デモが行われました。権利が抑圧されてはならないと行動で示しました。
一〇月四日、長官は集会でマスクをつけることを禁じる禁止令を出した。政府は、いつも間違ったタイミングで間違った決定をしています。覆面禁止法で、市民の怒りが高まりました。地下鉄が止まるという抗議行動が行われた。
一〇月一六日、民陣の岑子傑が何者かによって襲撃されました。私の友人です。平和的なデモを行っている人たちも同様なことが起こると感じました。また、自由がなくなっていると思わされました。このことがきっかけとなって平和的抗議者が過激な行動で訴えるしかないという方向に変わっていきました。
一一月八日、警察の強制排除の最中に建物から転落して重体だった香港科技大学の周梓楽さんが亡くなった事件です。これも証拠はないが、ほとんどの抗議者は警察に落とされたのだと信じています。多くの抗議者に悲しみをかきたて各地で追悼集会が行われました。
理工大に立てこもった学生たちは、警察に捕まったら殺されると信じていた人が多くいました。だから降伏しなかったのです。逮捕者は一〇〇〇人で、理工大に立てこもった学生、支援しようとして外にいた人たちでした。その中の二〇〇人は、暴動に参加した罪で次の日に裁判に送られました。この罪は、最高で一〇年も刑務所に送られるのです。
一一月二四日の区議会議員選挙に非常に大勢の人が投票して民主派が勝利しました。区議会選挙以来、状況は非常に落ち着いたと思っています。
区議会選挙で民主派が勝利したことによって彼らが事態を変えてくれるという期待感が強まったからです。抗議に参加している人たちは、長期戦になることを覚悟しています。なおかつ過激な方法ではない抗議行動になっていくのではと考えています。過激なやり方ではなく、別な方法でやったほうがよいと考えるようになってきました。

運動の中での
女性への差別
以下は、抗議行動の中で私が観察したことです。
雨傘運動以来、香港の市民社会は二つに別れています。青リボン派と黄リボン派です。青は政府支持者、黄が抗議をしている人たちの支持者です。
抗議者の宣伝活動は、政府に対して非常に強いものとなっています。政府支持者を効果的に攻撃するようなスローガンなどが考えられています。青も黄もお互いを攻撃するのですが、攻撃の対象となるのが女性になりがちであった。
青の人たちは、六月九日の抗議行動で若い女性が警察に連行されている写真を使いました。この写真は加工されていて、乳首を黒くしています。この女性はブラジャーを付けていないと強調し、実は「売春婦」だと印象づけようとしています。
女性の抗議者は、実際に警察によって恥ずかしいめにあうことがありました。服を破かれたり、下着が丸見えで連行されたりです。 黄は、警察によって女性が侮辱されていると非難しました。それに対して警察を支持する青は、抗議行動に参加するような女にはそのような扱いがふさわしいのだと宣伝しました。
青リボン派は保守だから女性差別をするのは当然だと考えるかもしれませんが、実は黄リボン派も礼儀をわきまえた行動をとると考えるかもしれませんが、女性差別的な宣伝がありました。黄リボン派のある人々は、長官を非難するために女性差別を使った写真を使いました。もちろん長官は最悪ですが、だけれどもそれが女性だからという事実とは関係ないことです。香港は文明化された社会だと考えられていますが、それでも誰かを攻撃する時は、その人が女性だという側面が利用されて攻撃するわけです。
このように黄派の中でも女性差別だけではなく、階級とかを理由にした差別的なスピーチがよくありました。私は差別について取り上げていろんな人たちと話をしようと思ったが、周りはとるにたらないことを取り上げて、騒ぎたてようとしているという感じで非難されることが多かったです。しかし、このような問題についてきちんと意識を持っていることは大切なことだと考えています。


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