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    かけはし2020年2月17日号

「復興」宣伝が押し隠す現実


ドキュメンタリー映画『サマショール 遺言 第六章』

福島原発事故の今と重ねて

2月29日よりポレポレ東中野で上映


 福島原発事故から九年。東京オリンピックのキャンペーンを通じて、「復興」の宣伝が被災地の現実を忘れさせようとしている。映画監督の豊田直己さんはチェルノブイリの現実と重ね合わせながら、この「忘却」の圧力に異議を申し立てた。新作は二月末から「ポレポレ東中野」で上映される。(編集部)


 フクシマが終わっていないことは『かけはし』の読者には自明のことと理解しています。また、私がカタカナのフクシマと記載することも自明かもしれません。九年前に福島第一原発から放出された放射能の汚染が、福島県境を超えて、今も青森県から山梨県や静岡県の一部で天然のキノコの採取が出来ない状況であることを『かけはし』読者はよく知っているでしょうから。
 しかし、その放射能汚染地帯に生きることの意味は、現地と交流のある方々以外にはあまり知られていないかもしれません。
 フクシマを巡る問題はもちろん風評だけでなく実害であることは知っていても、それが放射能だけの問題ではなく、より広い意味での社会問題であり、人の生き方にかかわる深さを持っていることまではなかなか伝わっていないように感じます。
 「復興五輪」と称する東京オリンピックの聖火リレーの出発の地となるJビレッジが、かつて福島第一原発の爆発対処の拠点であったことを知っている方は多いと思います。でも、そこですでに少年サッカーの大会が行われており、復興のシンボル化している現状は知られているのでしょうか。そこまでは知っているという方でも、その街が、実際は「復興」とほど遠いことは知られているのでしょうか。
 そんな思いも抱えながら『サマショール 遺言 第六章』を編集してきました。計画的避難区域であるゆえに出入り自由であった飯舘村については、さまざまな方々が訪問したことと思います。でも、そこで「家族がバラバラ、地域もバラバラ」にされた内情にどれほどの方々が思いをはせたのでしょうか。村内だけで二二〇万個とも言われる放射能汚染土を詰めたフレコンバックは目に見えるゆえに、放射汚染実態を理解する一助にはなったと思います。
 しかし、その放射能汚染との「共存」を強いられる中で、生きるとはどのような意味があるのかは、ほとんど知られていないと思います。なぜなら、すでに被災者の、避難者の口は限りなく重くさせられてしまっているからです。
 だからこそ、私のカメラの前で、その重い口を開いてくれた人々の呟きに「耳を傾け」、それでも生きようとする人間の美しさに「目を向けて」欲しいと思うのです。
 以下、映画の広報のような文章ですが、続けてお読みください。
 前作・ドキュメンタリー映画『遺言?原発さえなければ』は、皆さんのご協力とご支援、ご支持を得て大きな反響となり、全国で上映されるという大成功を納めることができました。あらためてお礼を申し上げます。
 その映画公開の直後から「次回作はどうなっていんだ?」との声をさまざまな方々より伺っておりました。私も前作の編集終了後も毎月、福島に通って取材、撮影を継続してきました。しかし、原発事故の被災地の、先を見通せない状況が続き、どのタイミングで映画作品として仕上げるか迷っている間に、時間が経ってしまいました。
 一方で「世間」の忘却は早く、また、市民に忘却を促すような原発推進政策、「除染」や避難指示の解除、「復興」キャンペーンの下で、「あの」原発事故も「福島」も、まるで終わったかのような、あるいはなかったかのような状況が日本中に蔓延しています。
 しかも、この流れは東京オリンピックでさらに加速されるのではないかと感じています。
 しかし、その中でも、その忘れ去られようとする「福島」に、その忘却に抗うように生きる人々の営みがあります。それを映画作品としてまとめたいとも思い続けてきました。
 それで、編集体制が整った一昨年末から一年間、編集作業と追加取材を重ねて、ここに映画『サマショール 遺言 第六章』を完成させることが出来ました。皆さんに感謝を申し上げます。ありがとうございました。
 前作同様にポレポレ東中野、続いてフォーラム福島での公開が決まりました。しかし、映画作品が「映画」として認められるためには観客が必要です。そのためには全国での上映が望まれます。是非、ポレポレ東中野に足を運んで下さい。東京以外にお住まいの皆さんには、地元の映画館に『サマショール 遺言 第六章』の上映のリクエストして下さい。まだまだ、「福島」では風評被害ではなく、大きな実害が続いているのですから。
 映画の全国上映へのご支援もお願いします。
『サマショール 遺言 第六章』共同監督
 豊田直巳

口座名:映画遺言プロジェクト 
みずほ銀行 久米川支店 普通 2018406

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小説「犬を愛した男」を読む

佐賀県 K・K

 トロツキーを取り扱った久しぶりのフィクションだ。現代キューバの作家レオナルド・パドゥーラの小説で昨年五月に翻訳・出版された。ソ連邦を追われたトロツキーの流転の生活と、トロツキー暗殺者に仕立てられたラモン・メルカデルの人生、そして晩年のメルカデルと交わった現代キューバの元作家イバンの生活が交差し、物語を紡いでいく。ドイッチャーの「トロツキー三部作」を始めとする相当な数の資料を渉猟したのであろうと思われた。「主人公」三人のさまざまな側面が生き生きと描かれ、その筆力は他の登場人物の人間性をも浮かび上がらせているので、好みの人物に焦点を当てて読むのも面白いかもしれない。当然、スターリンとその配下が果たした歴史上の醜悪な側面も見事に描かれている。豊潤な小説である。
 メルカデルがコヨアカンの「要塞」に入るために手を尽くすところでは、学生時代に観た映画「暗殺者のメロディー」(ジョゼフ・ロージー監督、1972年)を思い出した。アラン・ドロンが主演でリチャード・バートン、ロミ・シュナイダーらが出演していて、京都で観たのだが、配役のせいか、あるいはスリルとサスペンス的側面が強くてそれが受けたのか、客席は満席で立ってみたように記憶している。
 閑話休題。メルカデルの詳しい経歴は初めて知った。細部は作家の自由な発想があるだろうが、大筋は事実に基づいていると思う。一般の人にとっては、トロツキー暗殺という歴史の一瞬に登場した人物に過ぎず、忘れ去られていく人物である。トロツキーとトロツキストを帝国主義の手先とまだ思っているような絶滅危惧種的スターリン主義者は別として、名前さえ知る人はほとんど皆無に近いのではないか、ましてや経歴などは。作家が依拠した資料は、後にメルカデルの実弟が出版したという伝記のようだが、私はそんな本が出版されていたということさえ知らなかった。
 彼は内戦下のスペインで一共産党員としてファシスト軍と戦っていたところを、共産党幹部だった母親の関係からGPUにリクルートされる。どうやら母親はゴリゴリのスターリニストだったが、彼は反ファシズムの市民といった存在だったようだ。フランス、スペインで育って外国語習得の能力の素地があったこともリクルートの要因だったかもしれない。
 この「スターリンの忠実な手下」とはかけ離れたイメージは最後までついてくる。ソ連邦の施設に連れていかれ、徹底的に訓練され「殺人マシーン」へと育っていく。
 物語の中でメルカデルは、スターリニストによるスペインのアナキスト、トロツキスト、POUM(マルクス主義統一労働者党)の抹殺の中で、特にPOUM指導者のアンドレウ・ニン虐殺の真相をしつこく彼のボスに尋ねるのが印象的だ。
 トロツキーについていえばフリーダ・カーロとの恋愛話(浮気)も出てくるのだが、やはり、追放されてもなお理想の旗を掲げ、孤立していく、その強靭な精神力が随所に描かれている。二つだけ挙げる。一つはシュルレアリストのアンドレ・ブルトンとの会談。シュルレアリスム宣言や芸術論について徹底的に議論する。翌日、ブルトンは体全体が麻痺したような状態になったという。強烈な個性で人を引き付ける個性だったがゆえに、そのトロツキーとの議論は肉体的・精神的機能停止を引き起こすほど、耐え難いほどの緊張を強いたというのである。
 もう一つはトロツキーと対照的なブハーリンとの対比。ブハーリンが自己批判した後、一九三〇年代半ばにソ連を出国し、マルクス・エンゲルス関連の資料を求めて欧州に出かけることを許されていた時の話だ。スターリンは少し遅れてブハーリンの妊娠中の妻も出国させてパリによこし、その後に来た指令は「モスクワへ戻れ」だった。
 欧州の知人友人は、このまま欧州に残ってスターリンと対峙するよう勧めたのだが、ブハーリンは「怖いから帰るんだよ」「助かる希望にしがみついて」と青ざめて帰国し、その後は誰もが知っている通りだ。スターリンはブハーリンの性格を知っていてあえて出国させた。自分の掌の上でブハーリンを躍らせ楽しんでいたとしか思えないエピソードだ。
 忘れてはならないのが、作家イバンが青年時代を過ごす一九七〇年代以降のキューバの社会状況だ。経済的困窮はさることながら(アメリカの封鎖によるものだが)、イバンの作家としての活動はすっかり共産党官僚によって型にはめ込まれている。現代中国の作家と同じように芸術家としての自由な表現は禁じられている。その息苦しさから彼は筆を折る。
 本書の出版に際し、トロツキーの孫エステバン・ヴォルコフは「歴史の真実と記憶の回復に貢献した」とメッセージを寄せている。著者パドゥーラは一九五五年生まれ。メルカデルが生涯最後の数年をキューバで過ごしたことを知り、執筆したという。警部が主人公のシリーズもの推理小説を書いているそうで、読んでみたいのだが邦訳はないようだ。最後にトロツキーが犬好きだったとは知らなかった。
(寺尾隆吉訳、水声社刊、税別4000円)

コラム

K君と俳句

 高校時代に親しかった友人のK君は卒業後、デザイン系の巨大専門学校に通いながら、写植版下を扱う小さな会社で働いていた。やがて中途退学した彼は、外資系の広告代理店に正社員として就職した。規模こそ中小だが、業務内容は大手経済紙掲載用の全面広告を担当するなど、まさに花形デザイナーとして昼夜をたがわず働いていた。その労働時間の長さに私は、彼の愚痴の聞き役をしていた時期もあった。
 ところがその会社が倒産。管理職扱いの彼は路頭に迷うことになった。その頃からだろうか。彼はデジカメを常時携帯し、通勤の途中で街の風景を撮り、自身のブログにアップするようになった。撮影の腕は確かで、やがてその写真に「俳句」を加えるようになった。
 今でこそ「写真俳句」というジャンルは広く認知されているが、当時から彼の作品はウイットにあふれ、現在も多くのファンが閲覧しているという。
俳句と川柳の違いもわからず、彼のサイトをたまに見る程度の私だが、地元の自治体が五年前、「俳句のまち」宣言をしたことを知った。いわく「俳句の魅力を次代につなぐ架け橋として子どもから大人まで、俳句文化のすそ野をひろげ、豊かな俳句の心を未来に伝える」云々。
 地域の各公共施設には応募用紙と投句箱が置かれ、兼題に沿った作品を、一年を四期に区切り募集している。「現代俳句センター」と提携し、三年前には松尾芭蕉が「おくの細道」に旅立ったゆかりの地に、金子兜太の句碑も建立されるという力の入れようである。
 かくして俳句普及のためのさまざまな活動が行なわれているが、今年になってから私も、図書館から文献を借りて読み始めた。久しぶりにK君にもメールをして近況を打ち込んだ。
 彼がブログに載せる美しい写真と、軽妙なセンスにはとうていかなわないが、「ダメ元」で作句を始め、細々と投函している。しかし所詮は素人である。投句の後で意味不明な点や、初歩的なミスに気づくことも少なくない。
 川柳に比べて制約の厳しい俳句ではあるが、その歴史をたどると、中世の和歌や連歌といった都を中心とした貴族や武士、僧侶の文芸に対し、地方を基盤にした幅広い庶民の文芸として登場してきた。「権威に媚びることなく、むしろ権威を風刺する文学として、庶民は自分たちの言葉を用い、自分たちの生活に基づいた自己表現を行なってきました」(『俳句の作り方』鈴木貞雄・日本文芸社)という。
数年前、高校時代の同窓会の話を本欄に書いた。人が集まらず流れてきた会の開催は、東京五輪の今年を一つの区切りとしている。K君と共に幹事を担う私の荷は重い。
 「許すまじ もりかけ桜 安倍政権」。作り出すと、どうしてもこうなる。(隆)


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