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    かけはし2020年2月17日号

気候破局の未来まざまざと


オーストラリア

未曽有の大森林火災

醜悪さ露呈した支配階級打倒し
民衆による歴史的転換現実化を

ジェームス・プレステッド


奥底からの恐怖、魂をも鈍感に

 オーストラリアの森林火災の破局に張り付いた恐ろしさと重大性は、適切な言葉を見つけることが不可能だ。われわれは、引き続く何ヵ月も、明けても暮れても死と破壊の――一〇〇メートル以上の高さになる燃えさかる炎の壁の、消防車をひっくり返すに十分なほど強力な死を呼ぶ「火災竜巻」の、まだ存在している森の前で新たな火事に火をつける、野火が自らつくり出す落雷を伴ったスーパーセル状雷嵐の、昼間を不気味な煤の暗闇に変える煙の巨大な柱の、灰と残り火が降りかかり彼らのコミュニティが眼前で燃えるなか海岸に群がり小舟に身をかがめている何千人という人々の、炎でふさがれた道路上で動かない避難者の車列の、他方で海を使った避難を待つ他の人々の、地球上のどんな消防力も止めることができないと思われるほどはげしい火事で全体が燃やされた町の――数と恐ろしいイメージを浴びせられてきた。
 この火事の影響を直接受けてはいない数百万人も、数週間の間この国の広大な領域を一度に飲み込んだ、息をつまらせる煙の雲に耐えてきた。霧に覆われ、雪片の柔らかな降り注ぎの中で静まった光景を見ることは、自然の驚きと美しさという感覚を呼び起こすものだ。しかし、この火災に伴った煙と灰の降下は、まったく異なったものをもたらしている。平和に満ちた、というよりも何もが意味を無くしているという沈黙であり、地平線を越えて展開中の惨害への不安な気づきの中で魂が一時止まるような、光景に対する鈍感化だ。
 われわれは今、われわれの骨まで染み込む鈍い恐怖の感情――地球上におけるわれわれの存在そのものを脅かすかもしれない極端なもの、かけ離れ有害な力、によって脅かされているという感情――をもたずに夕焼けを見ることができるだろうか。

破局的惨事と歴史的転換点


 これほどの規模をもつ惨事はしばしば、政治と社会における転換点になることが後で分かった。それらがもたらす恐怖は社会を深部まで――自身に対するわれわれの感覚と世界におけるわれわれの場に対するわれわれの理解をかき乱し――揺り動かす。
 一七五五年のリスボン地震は、おそらくそのもっとも劇的な事例だ。その地震は、リスボンでは多数だったカトリック住民が何千人とこの市の教会と大聖堂に一度に詰め込まれていた万聖節に襲った。六万人と見積もられた地震の犠牲者の多くは、これらの建物の屋根が崩落した中で死亡した。他の者たちは、それに続く日々この都市中で猛威をふるった火事の中で死亡した。その多くは教会の中で燃えていたろうそくで引き起こされた。それでももっと多くの者が港を襲った津波で溺死した。そこは、地震を生き延びた人々が避難場所を探していたところだったのだ。
 この地震は信仰の危機を引き起こした。そしてそれは、啓蒙運動への刺激に力を貸した。このような規模の死と破壊が敬虔なカトリックのリスボンに浴びせられ得るとすれば、その時、慈悲深い神へのどのような信念が維持され得ようか? その後の何十年かにわたって、カトリック教会とそれと結びついた封建制の諸制度の権威は、もっと合理的で科学的な基礎の上に社会と文化を移そうと追求していた思想家の新しい世代によって、度を増して疑問に付された。一七八九年に始まるフランス革命は、哲学者と科学者の洞察を利用しつつ、人間の能力に関する楽観主義の新たな時代の中で、公正で持続可能な社会秩序の建設を先導した。
 しかしながらこれらの希望は、封建主義の宗教的専制を資本主義市場の専制で置き換えようと力を尽くした勃興中のブルジョアジーにより裏切られた。その後の二世紀にわたって、資本主義は世界の隅々まで広がった。少数の者が、世界の労働者と貧しい者の搾取を通じて莫大な富――あらゆる封建制の王や女王がかつて夢見ることができたと思われるもの以上の――を獲得した。
 そしてそのシステムが成長し広がるにつれ、その破壊の大きさもまた同じようになった。啓蒙運動の思想家たちに本物の「自由、平等、友愛」の社会を約束した科学とテクノロジーは、今日の資本家階級の支配下で、地球の自然と人間の力量の、利潤を名目とした略奪に対する単なるツールに一層なっている。

人災隠蔽に走る支配階級の退廃


 資本主義の基本的な破壊性はどこでも、気候変動の場合でもっとも露わになっている。そしてどこでも、われわれの支配者の知的、道徳的退廃は、それへの対応でもっとも露わになっている。オーストラリアの現在の大火は、リスボン地震のような予期できない「自然の」できごととはまったく異なっている。科学者たちは何十年もの間、より暑くより乾燥した夏が駆り立てる野火の危険性に警鐘を鳴らし続けていたのだ。
 問題は単純だ。われわれが二酸化炭素と他の温室効果ガスを大気中に注ぎ込めば注ぎ込むほど、われわれはますます、今遭遇中のもののような惨事に直面するだろう、と。われわれが今から始めて抜本的な排出削減を行うことができなければ、オーストラリア南東部のまさに多くをこの間の週と月を通じて荒廃させた火災はただ、われわれを待つ恐怖の先触れにすぎないのだ。
 われわれの政治指導者たちは、彼らの回りで燃えている国を抱えながら、オーストラリアの化石燃料経済という「いつも通りの仕事」を進めることがあたかも可能なように行動し続けている。われわれはこの事実をどのように説明できるだろうか。われわれの首相であるスコット・モリソンは、この惨害のあらゆる成り行きに際して、破壊の大きさを軽視しようともくろみ、気候変動に関するもっと真剣な行動の必要性にこの惨事を結びつけるあらゆる試みをそらそうと策動してきた。
 この国の広大な地域を貫いて直接の脅威下に置かれた住宅と生き物を伴った惨状の高まりを前に、彼はなんと、火事はオーストラリア対ニュージーランドのクリケット国際戦「を背景に」起きている、と述べ、この惨害で苦しめられている人々は「タスマニア海両岸出身のわがクリケット選手の偉業によって勇気をもらう」かもしれない、などと主張したのだ。

支配階級が頼る文字通りの反動


 それはまるで啓蒙運動の時計が巻き戻されているかのようだ。モリソンは、科学者の声をじっくり聞く代わりに、マードック(世界のメディアに所有の網を広げている右翼の有力者:訳者)の新聞に現れる保守派の「高位司祭」の論点を伝えている。われわれは、この火事を引き起こしたものに対する、また将来の火災の惨事を防ぐためにわれわれができるかもしれないことに対する、合理的な、科学的な評価に似たあらゆることの代わりに、おとぎ話――ものごと全部はグリーン派の落ち度だという、あるいは火事はオーストラリアの「自然なサイクル」がもつ正常な部分にすぎないという――を聞かされているのだ。
 モリソンの連合の仲間であり、国民党の元指導者であるバーナビー・ジョイスは、彼がクリスマスイブに録画したとりとめのないビデオメッセージの中で、この道をもっとも先まで進んだ。その中で彼は、気候が変動中であることは認める、と語る。しかし、それに関し政府が何ごとかをできる、あるいは何かを行わなければならない、ということは否定する。むしろ彼は「われわれがこれまでに存在を認めるようになった……われわれの理解力を超えるもっと高い権威があるのだ――まさに天上の高みに――。そしてそれが当然尊重される定めになっているということをわれわれが理解しなければ、その時われわれは単に愚か者であり、動けなくなる運命にある」と語るのだ。ついでながらこれは、リスボン地震の余波の中で欧州のカトリックの権威が行った議論と基本的に同じだ。それは、啓蒙思想の進行に対抗して彼らの権力を守ろうとする一つの試みとしてだった。

万能のドルが支配階級の「主」

 ある者は、森林火災に関するモリソンの明白な懸念の欠落は、福音派原理主義に対する彼の信仰に関係している、と示唆した。あなたの世界観に来たるべき「終末」が含まれているとすれば、いくつかの森林火災をなぜそんなに心配しすぎるのか、というわけだ。ちなみにその「終末」では、世界全体とすべての罪深い者たちが滅び、一方信心深い僅かな者たちは天国に昇ることになっている。
しかしながらこれは持ちこたえ不可能だ。モリソンの実際の宗教は、自由市場原理主義と同じほどまで福音派原理主義ではないのだ。彼の真の主は、ジョイスの「天におわすより高い権威」ではなく、同じく全面的に世界的な、形のある薄汚れた、「全能のドル」という権威にほかならない。モリソンの世界における誘導灯は、資本の利益という明かりだ。そしてオーストラリアの未来が今犠牲として捧げられているのは、宗教の祭壇にではなく、利潤の祭壇になのだ。 
展開中の森林火災という大災害はリスボン地震同様、われわれを破滅へと駆り立てている資本主義の専制からわれわれ自身を解放する運動に拍車を当てる助けにならなければならない。これまでのところいくつかの兆候には望みがある。モリソンと彼の仲間の石炭を愛する保守派に対して何百万人というオーストリア人が感じている怒りは明白だ。とはいえわれわれは、長く困難な闘争に向かう中にいる、ということを認めなければならない。

一切の幻想排し街頭での抵抗を


おそらくわれわれは、モリソンを退陣させるかもしれない。これはこれで重要な勝利だろう。しかしながら、支配を引き継ぐ用意を整えた仲間の「信者」の長い列が待機中なのだ。われわれにとっては不幸なことに、この列にはまた野党の労働党も含まれている。そして彼らは、二〇一九年の連邦選挙の後、自由党と同じほどに化石燃料の大物たちに忠実な従僕であることを示そうと骨を折ってきた。
われわれはいかなる幻想も心に抱いてはならない。オーストラリア内の、また世界中のわれわれの現在の支配者たちは、彼らの利潤と権力が維持される「天空の王国」を自分のために保持できる限り、われわれが焼けるのを眺める用意がもっとできているだろう。これは、われわれが向かわされている新たな暗黒時代だ。それは、富裕層が問題に背を向け、要塞化された飛び領土に引きこもり、あるいは彼らの支配に異議を突きつけるすべての者に暴力を振りかざして脅す中で、山積する環境と社会の大災害の真ん中で、普通の民衆が独力で何とかやっていくことを迫られる暗黒時代だ。
われわれがその運命を避けたいのであれば、革命から離れては何ごとも十分ではないだろう。われわれは、化石燃料中毒の資本家階級および彼らの政治的従僕の権力との対決へ、労働者、学生、被抑圧層の諸力を動員する必要がある。われわれは、一握りの富裕層の利益という観点で動かされている社会に反対して、すべての民衆に奉仕する社会を必要としている。われわれはこれを行うために、街頭の大衆を必要としている。われわれは、システム全体に亀裂が入り、われわれの回りでぼろぼろと崩れるまで、そしてその瓦礫からその場に、より良いものをわれわれが築き上げることができるまで、抗議し、占拠し、ストライキに立ち上がらなければならない。
これは、今日われわれが生き抜いている大惨事から現れている一つの希望だ。それは、歴史家がこれからの数十年のできごとを振り返ったとき彼らが、「彼らにはクリケットを見させよう」が、オーストラリア革命にとって、「彼らにはケーキを食べさせよう」がフランス革命で果たしたものになった、と記録することになるという希望だ。(「レッド・フラッグ」より)

▼筆者は、オーストラリアの雑誌、「レッドフラッグ」の寄稿者。(「インターナショナルビューポイント」二〇二〇年一月号) 

フランス

国鉄ストつぶし策動徹底糾弾

スト権はく奪許さない

2020年1月30日 反資本主義新党(NPA)

 SNCF(フランス国鉄)での歴史的なストライキがほぼ六〇日間続いてきた中で、上院議員たちとSNCF当局が必要なあらゆる手段によってこの運動を壊そうと試みるために協力している。
 上院の社会問題委員会は、雇用主にストライキ労働者を徴発する権利を与えて交通部門でのストライキ権に敵対する新しい文書を票決したばかりだ。
 同時にSNCF当局はいくつかの場で、紛争期間中の好ましく忠実な奉仕を理由に、ストライキに参加しなかった者たちに三〇〇から一五〇〇ユーロのボーナス(労働法の観点からは問題になり得る動き)を払う準備を進めている!
 これら二つの事例――この時点でまさに浮上中の――として、それこそが実際、経営者たちが交通労働者たちのストライキを破壊する方法を見つけ出す方法なのだ。
 NPAはこの薄汚い小細工を強く糾弾する。そして年金改悪に対決する、またマクロンに対決する闘いにおける彼らの模範的役割の点で、RATPとSNCFの労働者を全面的に支援する!(「インターナショナルビューポイント」二〇二〇年二月号)


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