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    かけはし2020年2月24日号

天皇制との闘いを広げよう


2.11

改憲阻止の課題と一体だ

反レイシズムとの結合へ

小倉利丸さんが講演



 二月一一日、文京シビックセンターで「『代替わり』に露出した『天皇神話』を撃つ!2・11反『紀元節』行動」が行われ、一四〇人が参加した。
 「建国記念の日」(紀元節)は、一九六七年、自民党政権が戦前の天皇神話である「紀元節」(初代神武天皇の即位)を天皇賛美としてデッチあげた「祝日」だ。だが、二〇〇五年から社会的批判によって政府式典は中止のままだ。憲法九条改悪をめざす安倍政権と日本会議、神社本庁など天皇主義右翼は、グローバル派兵国家建設の一環として天皇制統合装置の強化に向けて政府式典の復活をねらつている。昨年の天皇「代替わり」キャンペーンとインチキ儀式の強行をバネに、かつ東京五輪を利用しながら天皇制賛美とナショナリズムへとからめとり、改憲攻撃への踏み込みに向けて憲法審査会での強引な審議へと加速させようとしている。
 安倍首相は、例年通りにメッセージを公表し、「令和初の建国記念日」を確認し、「伝統を守りながら困難な課題に果敢に挑み、乗り越えていく」などとあらためて憲法九条改悪に突進していくことを強調した。 連動して日本の建国を祝う会(神社本庁)ら天皇主義右翼は、明治神宮周辺で「建国記念の日奉祝パレード」、「奉祝式典」(自民党、日本維新の会などの国会議員も参加)を行い、「憲法改正を始めとした真の祖国再生に向かう、新たな時代となることを心より祈り念じる」などと意志一致している。また、「自民党の選挙公約には、政府で建国記念の日を祝う式典を開催するという一項があった。残念ながらその約束は未だ果たされていない」と批判し、政府主催の式典実施を強く求めた。
 安倍政権を支え、日本会議「機関紙」の産経新聞(2・11)は、「連綿と続く歴史祝いたい」というタイトルで「建国記念の日ができたのは、戦後二〇年以上もたってである。いまだにこの日に反対する声がある。いいかげんにしたらどうか。これは国として健全ではない」「政府は式典を主催し、堂々と祝うべきである」などと危機感丸出しで叫んでいる。
 この一連の天皇主義右翼らの「いらだち」は、憲法改悪反対運動の反撃に直面し、かなりボディーブローがきいていることを示している。安倍政権と日本会議の野望を許さず、天皇「代替わり」反対闘争の成果を打ち固め、安倍政権打倒! 天皇制解体に向けた陣形を強化、拡大していこう。

習近平来日と
新しい天皇政治
集会は、実行委の基調報告から始まり、冒頭、「わたしたちは、自身『神』とつながり、またそのことを通して、国家の神聖性を文字通り『象徴』として体現する天皇という存在が、象徴天皇制のもとで明確に生きていることを、確認せざるを得なかった。われわれは、この『代替わり』に露出した『天皇神話』を撃つという視点から、今年の2・11反『紀元節』行動に取り組む」と宣言した。
そして、@「紀元節」と右派をめぐる状況A「女性天皇」も「女系天皇」もNO! 天皇制はいらないB安保、軍事、沖縄米軍基地、「積極的平和主義」、戦争の時代の「平和」天皇C徳仁天皇制との対決を!D今年も展開される天皇パフォーマンス――を提起した。
とりわけ四月の中国の習近平国家主席の国賓としての来日について言及し、「中国との経済関係を重視せざるを得ない日本政府・財界は、領土問題や戦争責任問題で声高に反中を叫ぶ右派勢力を押さえるために天皇を利用するのであろう。一方の習近平にすれば、国内にくすぶる戦後補償(個別補償)要求の声を、天皇から『お詫び』あるいは『反省』に類する言葉を引き出すことによって押さえようとする意図があるのかもしれない。また米中経済戦争の渦中で、日中関係を正常に近い形で維持したいという思惑もあるだろう。いずれにせよ天皇(利用)の政治が展開される」と分析した。
そのうえで「天皇制を廃止して、真の意味の私たちの主権を確立して、その主体において、侵略戦争・植民地支配に対する謝罪・反省の表明と、被害に対する補償を行うことでしか、中国等被害国に対する責任は果たしようがないのである(この立場は、この原則に固執して、現実的な「解決」の一切をかたくなに拒絶することではもちろんない)と結論づけ、今後の総路線構築に向けてアプローチした。

文化・伝統押し
出すレイシズム
小倉利丸さん(批評家)は、「天皇制 文化・伝統のレイシズム」をテーマに講演した。
小倉さんは、明仁の生前退位表明を取り上げ、「憲法では象徴天皇の国事行為は、内閣が責任をもって助言して行われる国事行為であるはずだ。しかし、明仁はそのようなものとして天皇の象徴的行為を考えていない。憲法の枠に縛られた国事行為の外にも、天皇が主体となる象徴的行為があることを明言した。……少なくとも、晩年の彼は天皇の象徴的行為の憲法超越性を自覚していたのではないか」と批判した。
一九九〇年代以後、反グローバリゼーション運動に参加してきた小倉さんの経験から「冷戦後、左翼は衰退し、多くの人たちは社会主義を言わなくなった。その代わりにオルタナティブと言い出し、『もうひとつの世界は可能だ』をスローガン化した。『もうひとつの世界』の何かは不明だった。だからヨーロッパの若者の一部は、新しいイスラムを見出しIS(イスラム国)に向かった。もう一つは極右にむかった。例えば、『ドイツのための選択肢』がある。新自由主義とグローバリゼーション反対は、右翼も言い出し、伝統的なコミュニティーを守ろうとしている。左翼が将来像を出せないなかで民衆は、伝統主義的解決、権威主義へと向かった。『移民・難民は自分の家に帰れ』と排外主義とレイシズムを強めていった」と現状をスケッチした。
さらに日本に引きつけながら天皇、皇室が繰り返す「伝統」「文化」の言説がレイシズムを支える大衆意識の基層を構成してきたことを明らかにし、「天皇制の構造は、見掛けと違って日本に固有とはいえない側面がある。神話や伝統への回帰を武器にするレイシズムと闘う世界の運動と日本の反天皇制運動とが共通の課題を見出すことは難しくなくなっている。むしろ連帯の可能性が拡がっている。このことは、伝統主義と闘う左翼の運動にとって大きな希望だと思う」と強調した。
参加諸団体から連帯アピールが行われ、デモに移った。神保町一帯にわたって、「『紀元節』反対!天皇制はいらない!安倍政権を倒そう!」のシュプレヒコールを響かせた。(Y)

2.11

反五輪も課題に入れて

「日の丸・君が代」強制反対

不起立処分との闘い

 

 【大阪】大阪市大淀コミュニティセンターで二月一一日、例年この日に行われる「建国記念の日」反対、「日の丸・君が代」の強制反対の集会が、今年はオリンピックによる国民統合に反対する集会として開かれた。「日の丸・君が代」強制反対・不起立処分を撤回させる大阪ネットワークが主催し、二七四人の市民が参加した。

黒田伊彦さんが
闘いの課題提起
黒田伊彦さん(「日の丸・君が代」強制反対・不起立処分を撤回させる大阪ネットワーク代表)があいさつをし、集会の意義を話した。
祝日法には、「建国記念の日」の意義を「建国を偲び、国を愛する心を養う」とある。建国とは、文部省唱歌の「紀元節」にあるように、天皇による支配を喜べという国民主権に反する日だ。天皇徳仁は、神話による剣と勾玉を皇位継承の証として引き継ぎ、大嘗祭で神格性を身につけたとされる。天皇が日本国と日本国民統合の象徴とされる根拠は、神の末裔としての万世一系の聖なる血の連続性という観念によるカリスマ性のある身分としての権威を、国民が受け入れていることにある。統合とは、「社会の成員が、共通の社会規範や価値を抱き、共通の権威に対し忠誠を有する状態」(日本大百科全書)といわれる。忠誠は、元号や陛下等の敬称、さま等の敬語の使用によってあらわされる。「日の丸・君が代」への起立斉唱もその表現の一つである。
オリンピックの開会宣言は、天皇徳仁の国際デビューの場だ。天皇明仁と皇后が八王子市の昭和天皇陵に退位を報告に行く車列を、同市の小学校の児童五四〇人が出迎え、見送った。抗議に対し、校長は「オリ・パラ教育としての『日本人としての自覚と誇りを持とう』の実践である」と答えている。
一九八〇年にIOCは国旗掲揚・国歌演奏の規定を「選手団の旗・歌」に改めた。それを知らずにか、東京都教委は小中高別のオリ・パラ「学習読本」と指導書等を作成し、一校三〇万円を支給し、年三五時間の学習を課した。そこには、国旗掲揚、国歌演奏時には、敬意を表し起立脱帽を指示している。高嶋伸欣琉球大名誉教授ら住民が住民監査請求をしたが棄却され、損害賠償訴訟が提起され係争中だ。
「君民一如」の心を支配する君が代にNO!。「おもてなし」の裏は、フクシマ・ヒロシマ・ナガサキを隠す復興五輪。「われ反抗す。ゆえにわれ在り」(カミユ)。人々の闘いが花火となって、人々の心に火をつけよう。
あいさつに続いて、高嶋伸欣さん(元琉球大教授、「オリ・パラ学習読本」住民監査・損賠訴訟原告)が「“歴史と伝統”の偽造と五輪による国家主義再構築の阻止をめざして」と題する講演をした。高嶋さんは、筑波大学附属高校に勤務していたとき、家永三郎さんが筑波大にいた関係で、家永さんの教科書検定裁判の闘いを受け継いで闘ってきたと語った。(講演要旨次号)

東京・福岡・
広島から報告
講演の後、各地からの報告。
東京・根津さんと永井さん(裁判は根津さんのみ。オリ・パラ教育で予算付けアスリート講演会。競技観戦に生徒を動員。引率の教職員は暑さ対策どうするの?)
福岡・木田さん(講師を集める方便として、教育センターが教員免許無料講習)
広島・平野さんメッセージ(広島市が街頭宣伝マイクの音量規制。ひとまず八月集会は規制を阻止。教職員一〇〇人声明出した)

さまざまな分野
から連帯の訴え
子どもたちに渡すな!危ない教科書・大阪の会(育鵬社の歴史・公民教科書の採択阻止)、子どもをテストで追い詰めるな!市民の会(チャレンジテスト廃止をめざそう)、朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪(幼保無償化も朝鮮学校だけ除外、許せない)、日本製鉄元徴用工裁判を支援する会(日本政府の責任で解決せよ)、森友学園問題を考える会(さいばんは勝訴。佐川元理財局長の証人喚問を!) 【不起立バンドのライブ】 
日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク(結成10周年を迎え、活動を報告)、辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動(毎週土曜日行動、2月15日で1810回目)、代替わりに異議あり関西連絡会(4月12日共和制日本を考える講演集会に参加を!)、全日建連帯労組関生支部(憲法28条・労組法を無視した弾圧。絶対負けられない、支援を!)。

「日の君」不起立
処分を許さない
?井前さん(大阪府条例三回不起立で免職の問題、教員起立は子どもに対する愛国心教育と見なすのは問題だ)?梅原さん(不起立を再雇用不採用の理由にするのは筋が通らない)?松田さん(人事委員会審理は終わり、決定待ち)・増田さん(評価システム、生徒アンケートに対する対策を考えよう)
最後は山田さん(事務局長)のまとめで、「すべての子どもにタブレットを持たせる計画が総務省主導で進んでいるとか。そのねらいを考えよう。四月二四日、大阪で原告集会を開催する」。
集会後、梅田の中心までデモを敢行した。(T・T)

2.9

「北方領土の日」に異議あり

アイヌ文化から「北方
諸島」の問題を考える

 日本政府は一九八一年一月六日、二月七日を「北方領土の日」とする閣議決定を行った。一八五五年に当時の徳川幕府とロシア帝国の間で国境線の取り決めが行われ、エトロフ島とウルップ島の間に、日ロの国境線を引く「日露通好条約」が調印されたことを根拠にして、エトロフ島以南の千島列島を「返還」せよというキャンペーンがこの日を中心に行われている。
 しかし、この「日露通好条約」以来の歴史は、言うまでもなく先住民族であるアイヌ民族の意思を無視した日ロ二国間の「取り引き」の産物であった。アイヌ民族など北方先住民族は日ロ間の取引の材料だった。
 われわれは、あらゆる大国主義的民族主義と領土拡張キャンペーンに反対し、先住民族の自決権を擁護する立場から、この「北方領土返還」の要求に反対し、アイヌ民族など北方先住民族の独自の歴史、文化、生活の尊重と自己決定権を擁護していかなければならない。
 「北方領土」とは決して日本とロシアの政治・経済・軍事的角逐・取引の材料なのではない。北方諸島が、なによりもそこで独自の歴史と文化を築いてきた諸民族のものであるということを確認することが出発点なのである。
 安倍政権は、ロシアのプーチン大統領との会談を三〇回近く行うという「個人的関係」の上に、なんとか「北方四島返還」を自らの実績として歴史に名を残したいとの執念をむきだしにしてきた。しかし、その目論見は成功していない。「二島(歯舞、色丹)先行返還」への方針転換によってもプーチン政権から合意を取りつけるには、大きな壁が立ちはだかっている。
 われわれは改めて、「北方四島」問題を日ロ両国の、「領土」をめぐる「取り引き」の材料としてではなく、北方先住民族の「自決権」を擁護する立場から取り組んでいかなければならない。それはまさにアイヌなどの先住民族が自らの歴史・文化・尊厳を折り戻していくための闘いである。

「北方諸島民族」の
歴史と文化学ぶ
二月九日、東京の神保町区民館で「アイヌ文化から北方諸島の問題を考える」をテーマにした集会が行われた。集会には四〇人以上が集まった。
講師は北海道新聞編集委員の小坂洋右さん。小坂さんには『流亡―日露に追われた北千島アイヌ』(道新新書)という著作がある。一八七五年の「樺太千島交換条約」によって強制移住させられた北千島アイヌの苦難の歴史にスポットライトを当てた著作だ。
小坂さんにはそれ以外にも『アイヌ、日本人、その世界』(藤田印刷エクセレントブックス、2019年)、「大地の哲学:アイヌ民族の精神文化に学ぶ」(未来社 2015年)、『アイヌを生きる文化を継ぐ―母キナフチと娘京子の物語』(大村書店 1994年)など、アイヌの歴史、文化に関わる著作があり、アイヌをテーマとした著作以外にも「ルポ原発はやめられる ドイツと日本―その倫理と再生可能エネルギーへの道」(寿郎社 2013年」という著作もある。
アイヌなど北方諸民族の、現在の千島からカムチャッカにいたる生活、文化の足跡は少なくとも二五〇〇年以上の歴史があり、こうした北方諸民族と生活と文化の歩みを検証し、敬意をもって接することが改めて求められる。
小坂さんの講演はアイヌをはじめとする北方諸民族の文化と歴史、ロシア、日本の進出・侵略に対する抵抗を数百年の歴史的射程を持って検討していくことの重要性を改めて提起するものだった。(講演要旨別掲)
小坂さんの講演と質疑応答の後、「北方領土の日」を問い直し、アイヌなど北方諸民族の権利のための闘いを訴えるデモを行った。          (K)

小坂洋右さんの講演

奪われた歴史の中から

 先住民族という概念は先に住んでいたという意味だけでなく、文化・言葉を奪われた歴史を持っているということが重要だ。
 二三〇〇年前、縄文時代から弥生時代へと日本列島は進むが北海道は続縄文時代が続き、五世紀から一〇世紀にはオホーツク人がやってきてその影響も受けた。アイヌ民族は一三世紀頃に狩猟・採集、交易の民族として形成されたとされている。アイヌ文化は動物を捕るそして動物を信仰していた文化が残る。
 北海道で噴火があり、アイヌが外に出たのではないか。一三世紀まで四〇〇年は空白だ。
 元が樺太に軍を送り、アイヌと戦争(1264年〜1308年)になる。この時、ギレミ(ニブフ民族)がアイヌに圧迫されて、元に救援を求めたからだ。ロシアが一六九七年に、カムチャッカを征服した。一七一一年、ラッコを追って千島列島に進出。北千島を支配し、毛皮税を課した。
 
ロシアと松前藩
の圧迫に抗して  一四世紀に、安東氏支配の津軽十三湊や秋田湊にアイヌが出向いて交易していた。一四四三年、南部藩が安東氏を追い出し、安東氏は北海道松前に移る。松前藩の圧迫に対して、一四五七年、コシャマインの戦いが起こり、百年戦争になる。一五五〇年、講和成立。アイヌが戦ったというのは、アイヌに力があったということだ。
 一六〇四年、徳川幕府は松前藩にアイヌとの交易の独占権を認めた。しかし、鮭とコメの交易で松前藩は不当な扱いをしたので、一六六九年にシャクシャインの蜂起が起きた。その後、商場から場所請負へ変わり、ニシン漁場で肥料を作り、輸出するようになった。そのため、アイヌへの強制労働・強制移住が行われた。平取から三五〇q離れた厚岸に連れて行かれた。強制労働から逃れるために、指を切ったり、フグの毒を体に塗り病気になる話も伝えられている。
 一方、ロシアの支配から逃れるために、千島アイヌは北千島から中部千島に逃げた。一七六〇年、エトロフにロシアが到着。一八世紀、ウルップを猟地に。一七七一、七二年、ラシュワ島と択捉島のアイヌがロシア商人を殺害。場所請負制で飛騨屋久兵衛がアイヌに対してひどい扱いをしたので一七八九年、クナシリ・メナシでアイヌが蜂起した。その結果、アイヌの三七人が処刑された。一八〇〇年前後に、幕府が松前藩から蝦夷地を取り上げ、直轄地にする。一八〇三年ウルップ島への出稼ぎを禁止した。
 松浦武四郎が書いた書物によると、四一人の番人が三六人のアイヌの女性を妾にしていた。
 
アイヌ新法と
「自己決定」 
 一八二二年、松前藩に復帰、一八五五年に幕府直轄地になるが酷使をやめなかった。一八五五年、日露国境交渉。アイヌ民族が住んでいる土地は日本領、カラフトは雑居地、北千島はロシア領。一八六九年、日本が蝦夷地を北海道に改称し領土化。その後、一八七五年千島・カラフト交換条約によって、カラフトはロシアへ、千島は日本へ。カラフト・千島のアイヌは国籍選択を迫られ、強制移住させられた。
 シコタンの一〇〇人のアイヌも農業や牧畜をやったことがなかったので、ほとんどが死にたえた。一八八四年、生き残ったのは四家族のみだった。「ヌペ・モシリ(涙の島)」と言われた。十勝が避難先から飢餓の地へとされた。一八七八年、サケ漁が奪われた。一八八四年、サケ禁漁。
 そして、一九四五年、ソ連占領。
 和人は農耕を選択し、アイヌは狩猟・採集を維持した。魂を大事にする生き方を選び、あえて農耕を拒み、国を持たない価値観を持ったのではないか。
 昨年できたアイヌ新法について、札幌でアイヌ民族が自分たちのための法律ではないと撤回のデモを行った。アイヌの自己決定権がない。主体は国と市町村。予算は市町村につく。アイヌが利用されている。この新法で職を得るアイヌもいるし、アイヌ民族を知るきっかけにもなるから、すべて否定というわけにもいかないだろう。
 白老には、かつて八〇万人が訪れていたが、今は観光ルートが代ってしまい一〇万人減っている。北海道の遠野のように、民話のアイヌの里のように再生出来たらいい。(発言要旨、文責編集部)

 




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