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    かけはし2020年2月24日号

「平和の象徴」への欺まん的変身


2.11

大阪「建国記念の日」反対集会

沖縄を切り捨て延命した裕仁

高嶋伸欣さんの講演から



 本紙前号(2月24日付)で報じた2月11日の大阪「反紀元節」集会での高嶋伸欣さん(元琉球大教授)の講演要旨を掲載する。

 教育勅語体制

 “歴史と伝統”の偽造は、一九八〇年の教科書検定がその先駆けだった。戦前の学校で、歴代天皇すべてに丁寧な表現を用い、敬愛の念を持つようにという指導が行われるようになったのは、明治維新当初からではなく、一八九〇年の教育勅語発布以降である。
それ以前は、文部省刊行の教科書にも、例えば武烈天皇について、「天皇、刑律ヲ好ミ、法令厳明ナリ、諸々ノ酷刑親臨セザルハ無シ、民皆震怖ス」とあった。この天皇は、師範学校版歴史教科書に明記されている説明では、「妊婦の腹を割き、生爪をはいだ手で山芋を掘らせ、樹に上らせた罪人を弓で射落とす刑罰に立ち会うのが大好きだった」などと具体的に書いてあり、この教科書の著者は、「多クハ旧史ノ定論ニ基キ」書いたといっている。
この定論を崩したのは、教育勅語であった。歴代天皇のすべてが、皇祖である天照大神の子孫として尊ばれなくてはいけないといわれるようになった。
「歴史の中で、この天皇が具体的にどんなことをしたのかの事実の中から、敬愛の念を感じる人は感じ取る。それが歴史の教科書だ」(教科書問題を考える市民の会の永原慶二さん)。定説であった「当たり外れの天皇」観が大きく変えられた年の前年一八八九年に大日本帝国憲法ができている。「教育勅語体制」下で、天皇の神格化が学校を通じて徹底され、「紀元節」も定番化した。教育勅語元年の時に小学生であった子どもは、四〇年間のマインドコントロールを経て一五年戦争の時代を迎えるのである。

遅すぎた「聖断」

昭和天皇もひどい天皇だった。今年はオリンピック・イヤーだが、その前に敗戦七五年を考えよう。
今年の二月一四日は、一九四五年二月一四日の近衛上奏文七五年の日だ。近衛は、戦争終結を決断するよう昭和天皇に上奏した。そのとき天皇は、天皇制を存続させるためには、「もう一度戦果を挙げ」てからにせよと、戦争継続を主張した。このときに終結を決断していたら、米軍の沖縄上陸もないし、広島・長崎の被爆もないし、東京大空襲やその他多くの都市への空爆もなかったし、前線でのおびただしい戦死も戦争加害もなかっただろう。
日本政府は、八月一〇日午前九時、天皇の地位存続を条件に、日本に無条件降伏を勧告するポツダム宣言を受諾すると、連合国側に伝達した。連合国側の回答をうけ、一四日午前の御前会議を経て、午後の閣議で降伏を決定。同日午後一一時にスイス公使に打電し、連合国側に伝わったのは、一五日だった(昭和天皇実録)。
米国公文書館の当時の記録によると、当時日本の国策通信社だった同盟通信は日本時間八月一四日午後三時前、「日本、間もなくポツダム宣言受諾の昭和天皇の詔書公表へ」の臨時ニュースを英語で放送した。
グアムで指揮を執っていたスパーツ司令官は、グアム時間午後一〇時(日本時間午後9時)に、ワシントンとの遠隔会議で「今夜三〇〇機のB29で日本を攻撃する。中止なら、当地午後一一時が限度だ」と報告し、中止命令に備えることを伝えた。しかし、日本時間一五日午前一時時点でも日本からの正式な降伏通告がないとして、予定通り作戦続行を指示した。
最終的な作戦中止命令は、外交ルートで連合国に降伏の意向が伝わった直後の一五日午前四時四五分だった。昭和天皇の玉音放送の七時間前だった(2015年8月13日東京新聞)。八月一四日の空襲は二度延期の末、実行された。八月一五日に空襲を受けたのは、秋田市・熊谷市・大阪市。八月一四日は、岩国市・光市だった。

「私はどうなっ
ても構わぬ」
終戦の「聖断」の後で昭和天皇はこう語った。
「……私のことを心配してくれると思うが、私はどうなってもかまわない。私はこういう風に考えて、戦争を即時終結することを決心したのである」(迫水久常書記官長の証言)。これをそのまま受け取るかどうか、以下の史実から明らかになるのではないか。
昭和天皇は一九四六年一月、いずれくる講和条約に向け、「心配なことが二つあるといい、一つは、沖縄は返還しないというマッカーサーの方針について、同一人種民族が二国になるということはどうかということ。もうひとつは、再軍備の問題だ。ここで私の責任のことだが、従来のようにカモフラージュでいくか、ちゃんと実情をはなすのかの問題がある」(宮内庁初代長官「拝謁記」)と語り、カモフラージュという言葉を使っている。

沖縄メッセー
ジの真の意図
もうひとつ、一九七九年に発見され、天皇の沖縄メッセージとして有名になった文書がある。
一九四七年九月一九日、宮内府御用掛寺崎秀成は対日理事会議長兼連合国最高司令部外交局長ウィリアム・ジョセフ・シーボルトを訪問し、米国による沖縄の軍事占領に関する天皇の見解を伝えた。
シーボルトはその内容をまとめ、同月二〇日付で連合国最高司令官に、同月二二日付で米国国務長官に報告した。内容は概ね以下の通りだ。
(1)米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。
(2)上記(1)の占領は、日本の主権を残したままで長期租借によるべき。
(3)上記(1)の手続は、米国と日本の二国間条約によるべき。
メモによると、天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し、共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得られるなどとしている。
この文書は、象徴天皇制の下での昭和天皇と政治の関わりを示す文書として注目を集めた。(天皇メッセージをめぐっては、日本本土の国体護持のために沖縄を切り捨てたとする議論や、長期租借の形式をとることで潜在的主権を確保する意図だったという議論などがあり、その意図や政治的・外交的影響についてはなお論争があるようだが、沖縄を犠牲にしたことには変わりがない)

戦争放棄と
象徴天皇制
第二次世界大戦に敗れ、新しい体制のもとで国際社会に復帰を果たした日本・ドイツ・イタリアの憲法には、それぞれの歴史を背負った特徴的な条文がある。それは国家の根幹の理念になっている。一九四六年二月一三日、GHQ憲法草案を示された日本政府には当初、天皇が統治権の総覧者から「象徴」となることへの強い抵抗があった。
だが、マッカーサーは一月二一日の幣原喜重郎首相(当時)との会談で、「これにより天皇の地位も確保できるし、主権在民と戦争放棄は日本が将来世界における道徳的指導者となる規定である」と発言。政府は、象徴天皇制と戦争放棄は拒否できないとみて、GHQ案の受け入れを決めた。
天皇制の維持と平和の推進が一対であることに最も早く気づいていたのは実は昭和天皇だと思う(憲政史家・古関彰一さん)。

2.13

ひだんれんと脱原発福島
ネットワークが共同声明

「復興五輪」の欺まんを認めない

 2月13日午後、原発事故被害者団体連絡会(ひだんれん)と脱原発福島ネットワークは、福島県庁の県政記者室で「福島はオリンピックどごでねぇ」、「これでいいの?!原発事故と復興五輪」に関する共同声明を公表し記者会見を行いました。

共同声明

オリンピック聖火リレーを前に

「福島はオリンピックどごでねぇ」

 2020東京オリンピックへ向けての聖火リレーが始まろうとしています。しかし、未曽有の原発被害の渦中にある私たちは、「オリンピックどころではない!」と言わざるを得ません。原発事故の被害者がどれだけ「復興五輪」を歓迎しているでしょうか。

 忘れもしません。2013年9月、ブエノスアイレスでの招致演説で安倍晋三首相はこう言ったのです。「状況は、アンダーコントロール」「汚染水の影響は、港湾内の0・3平方キロの範囲内で完全にブロック」「健康問題については、今までも、現在も、将来も全く問題ありません」と。
あれから6年。いま、私たちの目の前にある現実は、どうでしょう。

 メルトダウンした核燃料は所在すらつかめていません。壊れたままの原子炉建屋には毎日百数十tの地下水が流れ込み、ALPS処理汚染水は溜まり続け、漁民や住民の意思を無視して海洋への放出が画策されています。40〜50年と言われた廃炉計画は見通しすら立っていません。1400万tに及ぶ除染土の多くは、福島県内760カ所の仮置き場に野積みされたままです。国は汚染土を「再利用」の名の下に全国に拡散しようとしています。
子どもの甲状腺がんは、公表されただけでも237人。心筋梗塞、周産期死亡率が上昇しているという報告もあります。健康問題は、「今までも、現在も、将来も」多くの人々を脅かしています。

 国はオリンピック招致決定直後に「福島復興加速化指針」を決定、「2020年までの復興」を至上命令とし、福島県も「復興ビジョン」で「2020年避難者ゼロ」を掲げました。それに従って避難指示は次々と解除され、賠償は打ち切られ、帰還困難区域からの避難者に対する住宅提供までも、この3月末で打ち切られようとしています。そればかりか、県は昨年4月以降、国家公務員宿舎に残っている避難者に、「退去せよ」「家賃2倍相当の損害金を払え」という通告書を毎月送りつけ、未契約の5世帯を被告として立ち退き訴訟を起こすというのです。これが福島の現実です。

 事故から9年。今も避難生活を余儀なくされている4万8千を超える人々、県内に残って生業と生活、地域の再興に懸命に取り組んでいる人々のすべてが、人として生きる権利が保障された、一日も早い「本当の復興」を願っています。しかし、被害の実相を覆い隠し、傷の癒えない被害者を蔑ろにする「偽りの復興」は認められません。
ましてや、スポーツを道具として使い、世界のアスリートをだますような「復興五輪」を認めるわけにはいきません。国も福島県も、「復興五輪」などにお金や力を投入するのではなく、福島の現実と向き合い「被害者の復興」にこそ、力を注ぐべきです。

2020年2月13日
原発事故被害者団体連絡会
脱原発福島ネットワーク

投書

共産党「党名変更」めぐって
その名に値する党なのか

K・S


 一一月一六日(2019年)の『神奈川新聞』の投書欄(「自由の声」欄)に「「共産」の党名を改めては」という投書が掲載された。これに対して「共産党 党名変更必要ない」という投書が一二月二日の『神奈川新聞』の投書欄に掲載された。内容は、〈共産党には、大きな誤りも目的や綱領の大きな変更もないので、党名を変える理由がない〉というものだ。これに続いて「『共産党』変える必要なし」という投書が一二月三一日の『神奈川新聞』の投書欄に掲載された。
 私は一月三日(2020年)に『神奈川新聞』に五〇〇字くらいの投書をファックスで送ったが、一カ月たっても投書は掲載されなかった。
 日本共産党は、スターリン主義インター日本支部だった。ソ連共産党や中国共産党の「兄弟」だった。ソ連や中国を「社会主義」と規定し、「社会主義の核」を肯定した。原発も肯定し反原発運動に悪罵を投げつけた。「戦前型の天皇制」に対しては闘っても「戦後の象徴天皇制」に対する闘いには消極的であった。
 北方領土の先住者はアイヌ民族だ。北方領土返還交渉は「泥棒同士の縄張り争い」にすぎない。だが、日本共産党は北方領土「返還」の立場に立っている。「竹島」や「尖閣諸島」についても「日本の領土だ」という立場に立っている。
 綱領も大きく変わり、ついには象徴天皇制容認に転向した。オリンピックを肯定し、死刑制度に対する闘いにも消極的だ。中国共産党の人権抑圧に対する批判にも最近まで消極的だった。今の日本共産党には「スターリン主義天皇党」という党名がふさわしい。私はそう考える。
 日本共産党がスターリン主義や天皇主義を革命的に克服するのか、それとも「日本共産党にかわる新しい革命政党」が出現するのか、それは私には分からない。資本主義やスターリン主義的にゆがめられた「社会主義」や内ゲバ主義者の「社会主義」ではなく、民主主義・エコロジー・フェミニズムなどと両立する「人間の顔をした社会主義」を望む。
(2020年2月17日・月曜日)


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