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    かけはし2020年2月24日号

市長であり革命家であること


アルジェリア

モハンド・サデク・アクルーへのインタビュー

貧しい地方での行政経験をふり返る


 昨年以来既成支配層への民衆による強烈な異議申し立てが続いているアルジェリアの一地方自治体で、三期にわたって行政の責任を担ってきた同志がいる。以下は、その活動実態とその経験からの教訓に関するインタビュー。民衆的闘争に同行する行政という位置づけに、また開発の遅れた地域での苦闘、という点でも興味深いものがある。(「かけはし」編集部)
 わが同志、カビリー地方バルバチャのPST(社会主義労働者党、第四インターナショナル・アルジェリア支部)市長、モハンド・サデク・アクルーが、特別に腐敗し行き詰まった体制と衝突している自治体の市長としての活動、および同志が住民と共にこの都市で率いている闘争について、われわれの質問に答えた。

革命ではなく
損害の最小化


――あなたはどのようにして、市長であり、革命家であることを可能にしているのか?

 われわれは革命家である、とは言えない。それは大きな言葉だ。それは今の全体的趨勢には合っていない。われわれは矛盾の中で泳いでいるのだ。われわれは選挙至上主義者ではないが選挙に参加している。地方のレベルでは、われわれは住民と、諸々の大衆と直接の接触を築き上げている。われわれは、損害を最小化しようと努める一つの機能に基づいて、いつでも大衆の役に立っている。しかしわれわれは、アルジェリアのような腐敗し、後進的な資本主義システムの中では、それ以上のことはできない。
われわれは闘争の中で人々に同行するためにそこにいる。選挙キャンペーンの中でわれわれが行う約束はただ一つであり、それは、大衆が闘いたいならばわれわれは必ずその闘いの先頭にいる、彼らはわれわれの後ろで闘いに入ることができるだろう、というものだ。われわれはまた、すべてが取り上げられているようなシステムの中では与えられるものは何もない、問題を解決するのは市長ではない、それは力関係だ、とも言っている。われわれは最初から正直だった。
われわれは、経験というわれわれの資本、われわれの戦闘的資本を通してこの自治体を勝ち取った。二〇〇七年には、RCD(文化市民連合)、FFS(社会主義勢力戦線)のような既成政党、またカビリーの地方政党に対する、しかしまた権力の座にある政党――FLN(アルジェリア民族解放戦線)その他――に対しても、いわば制裁投票があった。
われわれの目標は、それがわれわれの使命にわれわれを引き連れるような住民の階級意識の変革につながらなければならない、というものだ。一万八〇〇〇人の住民を抱える自治体でそれは容易ではない。そこは公的財源に全面的に依存している自治体で、そこには自分自身の財源がほとんどなく、開発のための手段もまったくないのだ。

初歩的な必要
を満たす段階


――策を講じるあなたの余地は何か?

 われわれは公的財源に全面的に依存しているのだから、策を考える経済的余地は限られている。われわれはただ、優先度の確定に関し行動できるだけだ。たとえば、われわれに自治体開発計画(PCD)として五〇億サンチーム(サンチームは一〇〇分の一を示す単位、アルジェリアの場合は一〇〇分の一ディナールに当たる:訳者)が与えられるとして、住民参加の下に、優先度をランク付けするのはわれわれの責任になる。
それはわれわれに権力の真の顔を示すことを可能にしている。そこに当地の富をつくり出すための材料がある。
われわれの下には、一九二六年から一九五七年まで操業していた鉄鉱石と石灰岩の鉱山がある。しかしそれはムジャヘッディンによる解放戦争の中で閉山にされた。権力を握っている政府は、自らを統治する自治体を求めてはいない。今でさえ、二〇一四―二〇一五年の原油価格崩落に基づき、自治体が自ら資金を探すという話があるが、支援も、それ自身の富を生み出すために自治体に与えられる手段も、まったくないのだ。
われわれは田舎の、山地にある自治体だ。したがってそれは開発される可能性があり、林業生産で、畜産で雇用を生み出すことができる。林業生産でわれわれは、農業の可能性を開くことを求め、公的当局と力比べを行ってきた。これをやるために林野部局と農業部局が今間に入っている。しかしそれらは十分なことを行おうとはしていない。したがってわれわれは、農民の彼らの圃場に対する投資を助ける可能性を自治体が発展させるための装備を今求めている。
これは、二〇〇七―二〇一二年にワリ(当該州の代表者)との紛争の引き金を引いた課題だ。われわれは、問題と期待を説明するために彼を数回迎え入れた。そしてわれわれの任期の最後の二年間、彼が機械類、ブルドーザー、グレーダー、、バックホーをもってこないならば、と条件を示してわれわれの自治体に彼が訪れるのを差し止めた。
われわれの下には工場がまったくない。あるのは小売商店とコンクリートブロックのような建設資材の小企業だけだ。税制は、われわれが地方自治体向けの一定比率を受け取ることを可能にしている。支出に向けわれわれが選択の自由を確保しているのはこの財源だ。
したがってわれわれは日々の暮らしで一杯であり、本当のところ政治を行う、われわれが行うことを利用する時間、はもてない。地方自治体の発展には巨大な格差がある。三四の村落があり、今なおある形態の部族主義があり、国家の補助金は住民の必要を満たすには不十分だ。
われわれは基本的に、依然として初歩的な必要――飲料水、下水設備、ガス、電力のための基礎作業――を満たす段階にある。

それと分かる敵
が決起を助けた


――あなたはどのようにして住民を巻き込むことができているか?

 われわれが住民の決起を求めて声を上げる場合、参加する政党が一つあるが、しかし同時に、関与の不在を理由とする住民内部の一つの慣習、一つの行動様式がある。それは次のように言うことを要素にしている。つまり、あなたは市長だ、われわれはあなたに票を投じた、出かけて、知事、ワリ、公式の責任者の前で頭を下げるのは、あなたの義務だ、と。
われわれはバルバチャのような自治体の開発の点で他よりも多くのことをやってきたのかもしれないが、残念だが生産基盤を稼動させるという意味で、ではない。しかしわれわれは、多くの構想を開発することができた。
その上最初の任期である二〇〇七―二〇一二年の間に、われわれはわれわれの勢いを引き下げようと試みた体制を大いにかき乱した。二度目の任期である二〇一二―二〇一七年の間、われわれは勝利し、体制は、われわれを妨げるために少数派が連携することを可能にする一つの手続きのでっち上げを強要された。こうしてわれわれはバルバチャで、市長がいないまま五年を過ごした!
しかし、移住をはじめ、ワリが選んだ市長に反対する巨大な抵抗があった。そして自治体は五年の間、日々の案件担当としておかれた仲裁人、市長室の秘書長、最後の二年は副知事、との関係で、多少とも自主管理された。
われわれは、一つの集会で民衆主権は無視されてきたと説明した限りで、相対的な多数派を一つの資産に変えることができた。
住民は五年の間動員され、特にわれわれが一日間封鎖したベジャイア県での大集会ではそうだった。夜になって警察が介入し、われわれの内二四人が拘留された。翌日住民は、バスや自家用や公共のあらゆる交通手段を使って再び大挙して介入し、われわれは逮捕から四八時間後釈放された。
それは住民を強く刺激し、体制に立ち上がったことで彼らに誇りを与えた。困難な時代には、結果としてわれわれが統一でき、共にストライキを行える、そうした見分けることのできる敵を得ることはよいことだ。
現在のものである第三期でも、われわれはまた多くの敵を抱えている。公的資金や農地を利用し、システムの中で利益を得ている者たち、カビリー右翼、FFS、RCD、FLN、日和見主義者、これらの人々がわれわれに対し問題をつくり出す。しかし彼らの中傷が何であれ、彼らの嘘はすぐさま消散するためにわれわれが勝者になっている。

困難は困難として正直に伝えよう


――現在の決起では、町役場はどのように役立っているのか?
現在の全体構図の中でわれわれは、残りの市長や諸々の自治体とウィラヤ(アルジェリアで州を指す)の住民総会の中で際立つことができた。まさにその始めからわれわれは、運動に町役場を引き込み、資材、バス、諸声明印刷、また諸々の行進への自治体労働者の参加を提供した。さらにわれわれは、自治体は大統領選挙を組織しないだろう、と公表する新聞声明を出した最初の自治体にもなった。
これは二重の矛盾をつくり出している。つまり住民は運動に参加し続けているが、しかし同時に彼らはあらゆる問題がシステム内部で解決されることを強く求めている、ということだ。スローガンは、ワリ、システムは出ていかなければならない、だ。しかし同時に、構想への補助金を得るために、君たちは公式の当局を通じてウィラヤを使い尽くさなければならない、ということだ。
われわれはまた、真の問題、資本主義システム、地代システム、腐敗、そしてシステムを解放するための力関係に対する必要、を討論する会議や集会を組織する可能性をも得てきた。
われわれの経験とフランスにおける選挙との関係では、教訓を与えたいとは思わないが、私の考えは次のようなことだ。つまり、嘘をつかず、人々には真実を、発展が可能になる上での困難さ、そして闘いに同行するために地方選や地域圏選挙では住民の側にいるという事実とシステムと選挙至上主義への拒絶の間にある矛盾、を告げるだけで十分、ということだ。黄色のベスト、年金に関する法との関係では、われわれが勝利する可能性のある自治体はこのタイプの闘争の前衛になるだろう、と語ることだ。そして、自治体や地域圏のための、資本家を富ませる代わりに貧しい労働者や農民などにではなく彼らに重荷を負わせる構想を、機を見てつかみ取ることだ。
資本主義に関してわれわれが確保している分析の諸要素のおかげでわれわれが予見していることが今現に起き続けている、ということを示すことも重要なことだ。たとえば、環境の課題について、あるいはジェンダーの平等に関し、これが事例だ。これがわれわれがやることに対し、われわれの日々の闘争に対し正統性を与えている。(「ランティカピタリスタ〈フランス反資本主義新党機関紙〉」二〇二〇年一月一七日号)
(「インターナショナルビューポイント」二〇二〇年一月号)



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