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    かけはし2020年2月24日号

バスの完全公営制を


民間バス会社ではなく、労働者と市民のために

チョン・ホングンさん(公共運輸労組民主バス本部長)に聞く


 御用労組が支配するバス現場で民主労組を立て闘争して10年、その中の7年を解雇者として過ごした。会社は、法務法人キム&チャンまで動員して最高裁で「正当な解雇」という判決を受けた。しかし、屈することなく長い年月を闘った。時には高所に上がり、時には座込み場で車で夜を明かした。そして今、バス民主労組の団結のために再建された民主バス本部の最初の本部長として、新しい闘いを率いることになった。公共運輸労組民主バス本部長チョン・ホングン同志に「変革政治」が会った。

 

Q:とても遅くなりましたが、本部長当選おめでとうございます。まず、簡単に自己紹介をお願いします。

 私はバス労働者であり、解雇者のチョン・ホングンです。バスで働いてきて、以前の田舎のバスでの勤務まで合わせれば20年ほどになる。そうするうちに全北にある高速バス会社の全北高速で働いていた中、2010年6月に民主労組(公共運輸労組全北高速支会)が発足し、民主労組に加入して活動を開始した。2010年の冬に全北地域バスのストライキが大きく展開され、当時の全北高速支会争議部長を務め、正面から闘った。結局、2013年に解雇されて、問題が解決されず、その後も継続して、闘争しながら業務妨害等で今まで前科25犯になった(笑)。

Q:2010年全北地域バスのストライキの後も、長い間、解雇者として闘って来られた。このストライキは、全北地域最長のストライキでも知られたが、当時のストライキに乗り出した理由は何だったのですか?

 今でもそうではあるが当時のバス労組の大半は韓国労総だった。闘争のきっかけは、2010年に行われた韓国労総車労連(全国自動車労働組合連盟、韓国労総所属のバス労組)所属支部長選挙があった。この支部長選挙で当選した人が会社より強く組合員の懲戒を主張するなどの仕事を行った。その知らせを聞いて「これはない」と考えた。それで民主労組を作らなければと考えて、組合員を組織して、最終的に2010年6月に全北高速支会が設立された。
私たちが掲げた要求の中で最も重要なのがまさに民主労組を認めさせることであった。民主労組を立ち上げて、すぐに使用者側の弾圧が入った。バス会社は、労働者に対する車両配定権を持っており、弾圧するのがより容易だ。簡単な路線から大変な路線に変えるとかするやり方である。
本来、民主労組を作ってすぐにストライキに突入しようとしたが、ストライキの効果を最大化するために、全州市内バスの労働者まで、組織して共同ストライキを推進することにした。そのように2010年12月全北地域(全州)バス共同ストライキに突入したが、市内バスの方は、労使合意に達したが、全北高速は最後まで、使用者側が妥結を拒否しているので、今まで闘いを続けることになった。

不正と長時間労働が幅を利かせるバス現場

Q:今回の民主バス本部本部長選挙の公約で「バス完全公営制争取」を提示しました。バス事業は、今も地域ボス勢力が掌握したまま相当部分・税金をもらい受けて運営する場合が多いことを知っていますが。

 バス事業への補助金支給政策を始めたのが金大中政権だった。そして、その政策を作る時に役割をはたした人がすぐに私を解雇させた全北高速のファン・ウィジョン社長だった。
この補助金というものが誤った政策である。国民の血税がバス事業に広がり、ほとんどの会社が自主的に提出する資料に依存する。結局、実際に賃金をどのように支給しているかなどの履歴を具体的に知らないまま、使用者側の言葉だけを信じて、税金が回されている。
民間バス事業に補助金を支給する方式は、非常に不透明な上、労働者と市民の両方が被害を受けて、ただ使用者側だけが税金で利益を享受している。例えば、バス会社が提出する資料のなかで、賃金コストの項目を見ると、非正規労働者にも、まるで正規職として雇用したように飾って賃金額を算定する場合がある。もちろん、実際にその非正規職労働者には正規職レベルの賃金も、ボーナスや退職金も支給しない。その差額は全部会社が取ってしまいむしろ労働者の賃金を未払いにしたり退職金さえ積み立てていないことも起こっている。
さらに企業が損失が出たと主張すれば、その損失分を自治体が保全してくれる。問題は、ここでも、会社が提出する資料に基づき補助金を出すということである。会社が損失額を膨らませても自治体はそのまま補助金を支給して、民間のバス企業の腹を満たしている。
このように、バス資本の懐にだらだら流れる税金だけでもきちんと使ったら、十分に公営制が可能である。完全公営制は、国と共同体がバスという公共交通に直接責任を負うもので、今でも実際可能だしそうしないことが問題だ。完全公営制になると、完全に市民の必要に応じて路線を組むことができるが、今はバス企業の利益に基づいて路線が組まれている。労働者の権利と労働条件の次元から見てもそうだが、本当にバスが市民の足となるには完全公営制に移行しなければならない。

Q:バスは、代表的な長時間労働業種にあげられる。勤労基準法の改正で週52時間制を実施することになったが、適用が猶予されたと聞いている。今回の本部長選挙でも「弾力勤労制粉砕と1日2交代制争取」を公約として提示しました。現在のバス労働者の労働条件がどうなっているのか教えて下さい。

 これまでのバス業種では、労使の合意があれば、週52時間を超える長時間労働が可能だった。一昨年勤基法改正案通過になって今はバスでも週52時間を守らなければならないが、法を守らなくても事業主に対する処罰を猶予するみみっちいやり方が出ている。
例えば、バス労働者が各日制(1日働いて1日休むこと)で、一日に17・3時間働いた、このうち8時間は所定勤労時間、残りの9・3時間は延長勤労時間であった場合を見てみよう。週52時間制を施行すると延長勤労が1週間に12時間を超えることができないので、従来の方法では、2日働いても延長労働時間(9・3時間×2 = 18・6時間)が法定制限に違反することになる。ところが、処罰を猶予し、韓国労総の車労連の側が事業主と合意したことが何かというと、全体的な労働時間はそのまま維持するものの、その中で「所定勤労時間」に規定された時間を増やして「延長勤労時間」は減らすというのだ。仮に同じ17・3時間を働いても「所定勤労時間」を13・3時間に、「延長勤労時間」を4時間に調整することだ。
何よりも週52時間制を正しく適用するには、1日2交代にしなければならず、そのためには人材補充が必要である。人材を増やせば事業主は、賃金コストが増えるので、どうしようとも既存の人員でみみっちいやり方を使って運営したいのだ。

闘いを後悔しない
今一歩進む時

Q:チョン・ホングン同志は、これまで6〜7年を解雇者として生きながら闘って来られた。全北高速社側はキム&チャンまで引き込んで最高裁判決まで解雇を貫いた。4人の子供までいる状況で容易ではなかったのでは。

 資本主義では、結局はお金が最高らしい。いずれにせよ、法的には、「解雇が正当である」との判決だったが、最も胸が痛かったことは、その過程で一時「同志」や「兄さん」と呼んだ人たちが会社で車両配定権を得るために会社側の証人として出たことだった。
もう一つ胸が痛かったことは、6〜7年間解雇者としての闘争を長く続けてきて労組次元の積極的な支援と闘争がよく行われていなかった点であった。先鋒に立った幹部が解雇されたとき責任を負うのが労組であり、誰かが組織事業に熱意を尽くして闘争の先鋒に立つことができる。今回の民主バス本部体系が少し正されれば、解雇者の実態から把握して、どうすれば解雇者が労組内での役割を引き受けながら一緒にやっていくことができるのかどうか計画を定めてみたい。
解雇が確定されたが、これまでの歳月を後悔したことはない。とにかく誰かがやらなければならなかった役割を果たしたと自負している。
家庭では、実のところゼロ点だ。私を理解してくれた婦人と子供たちに申し訳なくて有難くて。それでも家族は、私の活動が良いことであり、誇りであると考えてくれるので、健康が許す限り続けたい(笑)。

Q:今、新年から民主バス本部本部長の任期が始まり、気持ちは人並みはずれたものがあるでしょう。重要だと念頭に置いた目標があれば?

 全国でバス労働者は10万人だ。労働組合として見れば、民主労組、韓国労総所属者労連、そして企業組合のように分かれている。私たち民主労組だけがよく食べて、よく生きようと闘っているわけではない。民主労組があるところだけが市民に安全な移動権を保障するというのも不合理である。そのため、少なくとも民主労組が全面的なバス政策に関連する事案は、市民の安全を確保することができるバスの運用体系を作成するために最も先頭に立つことができるようにする。そのためにも、完全公営制争取を前面に出して闘うしかない。私たちが要求する完全公営制は税金で、民間業者だけが、私服を肥やす今のシステムを完全に変えて、国家と公共制が市民の移動権に責任をもつシステムを作ろうというものである。
バス労働者は10万人に達するほどで、事業所ごとに状況は非常に違う。ごく少数だが、完全公営制を施行するところもあり、労働者自主管理企業もある。細かい業種でみると、高速バス、直行バス、路線バス、シャトルバスなど種類も様々だ。現場と地域と状況がすべて異なり、市民の移動を助けるという点では全く同じである。状況が違うからと言って劣悪な環境で働いて権利を剥奪されている今の構造も変えなければならない。そのためにも、自治体と国が責任を持って、労働者と市民の両方が安全で満足できる完全公営制に移行させなければならないと考える。

Q:最後に、「変革政治」読者に伝えたいメッセージがあれば?

 民主労組運動を始めてから10年余り、その間に解雇された労働者として難しさも体験し、その結果、家族も大変だったが、私が来た道を後悔していない。今までバス民主労組が本部体系でも協議会体系でも闘争が起きたときに多くの関心と支持を受けたことも、心にとどめている。その後も、より大きな闘争、より多くの政策を作り実現するのが私の役割だと思う。今、私はまた多くの方に助けを求めて意見と助言を求めるものである。
どうしてもバス労働者の労働条件を改善する闘いを優先する必要があるだろうが、さらに市民の安全な移動権を保障することができるシステムを作る闘争をしたい。今までの闘いで多くの仲間に助けていただいて支持してくださったように、民主バス本部体系を転換して、新しい全国的な政策を作成して闘争に出るにあたって、多くの連帯と支援をお願いしたい。

■インタビュー:イ・ジュヨン 機関紙委員長
(社会変革労働者党、「変革と政治」第99号より)

朝鮮半島通信

▲朝鮮中央通信は2月16日、金正恩朝鮮労働党委員長が、金日成主席と金正日総書記の遺体が安置されている錦繍山太陽宮殿を訪問したと報道した。
▲韓国の李明博元大統領が収賄などの罪に問われた事件の控訴審でソウル高裁は2月19日、一審より重い懲役17年の実刑判決を言い渡した。
▲韓国政府は2月21日、COVID-19の患者が続出している大邱と慶尚北道清道郡を感染病特別管理地域に指定した。

コラム

さきたま古墳群を歩く

 一月二六日、行田市観光協会「ぶらっとぎょうだ」が主催するさきたま古墳群のある地域を巡るツアーがあり参加した。朝方はあいにくの雨であったが三時間かけて現地に着いた。遠くから参加したのは私だけで、他の一五人程は地元の人たち。
 埼玉県と群馬県は西の奈良県や岡山県につぐ、巨大古墳群があることを知っていたが今まで訪れることはなかった。忍城(おしじょう)・一〇万石の城主・松平氏の菩提樹や古墳の上に立つ前玉(さきたま)神社などを古墳群をぬうように巡った。忍城は映画「のぼうの城」で、小田原北条攻めの時、石田三成が水攻めをしたが落ちなかった城である。明治になり、藩が取り潰され、寺もすたれたが再建された。前玉神社には万葉集の歌碑が建てられていた。このあたりが万葉の時代に栄えていたことが分かる。
 前玉神社の境内には大きな一枚岩の日露戦役記念碑が建てられている。これは古墳の石室に置かれていた岩を持ってきて作られたものだという。金象嵌の字が彫られていた鉄剣が国宝に指定された稲荷山古墳も戦前に、食糧増産のために、一部が削られてしまった。戦争中には古墳に穴を掘り、防空壕として使ったとも。戦争は遺跡をも壊した。
 ツアーが終わってから、古墳群を歩いた。国宝に指定された鉄剣は国が管理するとして持ち出そうとしたが当時の畑知事が反対し、地元に博物館を建てることで地元で展示されている。この鉄剣は発掘当時は錆びていて文字が彫られていることは分からず、一〇年後に、錆びの修理のためにX線を当て発見された。古墳の被葬者がワカタケル大王の親衛隊長であり、四七一年に作ったと記されていた。大和政権と連携した地元の豪族か大和から派遣された地方長官かは分からない。隣には日本最大の円墳もあり、一一基もの古墳が集中している。
 利根川・荒川が近くを流れていて、稲作に適した土地柄だ。古墳は台地上に連なっている。石室の巨石は千葉県や秩父から運ばれた。古墳群は利根川の上流の群馬県にもつながっている。
 五世紀後半、群馬県の利根川水系に「毛野の国」があり、東国きっての大国であり、西は碓井、北は吾妻・利根、東は栃木県小山、南は埼玉県熊谷・秩父を支配下に置いたという。この地が当時関東平野の中心であったことがうかがえる。その後奈良・平安朝は東北の蝦夷侵略の拠点として使い、防人として福岡へ強制的に送りこんだりもした。
 当時の人がどんな思いでこのような巨大なモニュメントを造ったのだろうか。工事を担った人たちはどんな暮らしをしていたのだろうか。刺激的な遠出であった。 (滝)




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