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    かけはし2020年3月9日号

悲痛な経験を語り継ぐ意味


呼びかけ

「PTSDの日本兵」交流館・お茶飲み処(仮称)

戦争による心の傷に直面して

家族たちの交流ふれ合いのために


 東京・武蔵村山市に日本の侵略戦争で深刻な傷を負った復員兵と暮らした家族の「交流館」が作られます。このプロジェクトを進めた黒井秋夫さんからの「呼びかけ」を掲載します。(編集部)

★情報の発信の場、心の傷の安らぎの場、戦争体験を語り継ぐ場、地域の人たちのお茶飲み場になります! 武蔵村山館だけでなく、二つ目、三つ目、全国各地に「PTSDの日本兵」交流館・お茶飲み処を作りましょう!

@「PTSDの復員日本兵と暮らした家族」たちの情報を発信します。

?PTSDの日本兵と暮らした家族の体験談、手記が「おしゃべりカフェ」の場で、一〇〇〇人アンケートで、お手紙、メールで寄せられています。これらは、PTSDに精神を侵された復員兵(父親、祖父)から受けた生々しい暴力などの体験が綴られています。そして、受けた体験により従軍兵の子ども、孫たちが精神的打撃・心に傷を受けているのです。PTSDの復員兵の心の傷の影響がその子ども、孫へと連鎖を続けているのです。
?戦争は戦闘の停止で全てが終わる訳ではありません。戦後七五年を経てもそれらを体験した人たちの心の傷や困難な生活はいまだに尾を引いているのです。
?「PTSDの日本兵」交流館・お茶飲み処は、「PTSDの復員日本兵と暮らした家族」たちの様々な情報、声を展示、発信します。
?「PTSDの日本兵」に関する研究者の研究資料、書籍、映像、新聞報道などの資料を展示、放映します。
?二度と「PTSDの日本兵」を作らない日本(世界)をめざします。問題の解決を戦争や暴力ではなくあくまでも「話し合いで解決する社会」をめざす力になるよう力を尽くします。

A「PTSDの復員日本兵と暮らした家族」の安らぎの場をめざします。

?「PTSDの復員日本兵と暮らした家族」はその体験から心に傷を負っています。黒井秋夫自身が父親を尊敬できず、打ち解け、信頼し合う普通の親子関係を遂に作ることはできませんでした。そのことは私の人生、生き方、家族関係などに大きな影響を与えました。しかし、父親のPTSDにより自分自身が精神に傷を負っている認識はありませんでした。自覚しないままに家族に、その周囲に様々な負の影響を与えてきたに違いありません。
?PTSDの負の連鎖は本人が気づいている、いないに関わらず連鎖しているから恐いと言えます。
?そのような心の傷と負の連鎖はどうしたら解消できるでしょうか。
解決方法にはすでに多くの実例があります。それは体験者どうしが、お互いに経験を語り合うことです。口に出し、心の悩みを「話し合うことで心が軽くなる。傷が消えていく」という方法は種々の心に傷を持った病気を和らげる効果が確認されています。
?「PTSDの復員日本兵」交流館・お茶飲み場を「出会いの場、体験交流の場、おしゃべりの場、交流館の周りの人たちとのふれあいの場」として運営するのは「心の傷をおしゃべり・交流を通じて軽くする。解消する」ことをめざすということなのです。

B地域の子供たちに戦争体験を語り継ぐ場にします。

?地域の児童館が隣接しています。子どもたちが毎日、ランドセルを背負って「交流館・お茶飲み処」の前を遊びながら通ります。この子どもたちに寄り道してもらい、地域の老人たちの戦争体験(PTSDの兵士の家族の体験談、従軍した父親から聞いた話など含む)を紙芝居など使用して、語り聞かせる場所を作ります。児童館と協力して進めます。

C地域の人たちにも愛される「交流館・お茶飲み処」をめざします。

?「PTSDの復員日本兵と暮らした家族」の心の傷はそういう経験を持つ家族だけではなく、周辺の人たちとの交流、ふれあい、お茶飲み話をすることでも改善に向かうことが期待されます。
?また、周辺の住民たちの理解が深まり、交流が毎日実現すれば「交流館・お茶飲み処」は地域の人たちにとっても楽しい憩いの場所になるでしょう。
?建設する武蔵村山市を一館目に更に二つ目、三つ目の「PTSDの復員日本兵と暮らした家族」の交流館・お茶飲み処を作りたいと思います。「出会いの場、体験交流の場、おしゃべりの場、ふれあいの場」を全国各地に広げたいと思います。
?先の戦争では九〇〇万人の日本軍兵士が従軍しました。心に傷を負ったと推測される兵士は一〇〇万人以上存在したと思われます。「PTSDの復員日本兵と暮らした家族」の心の傷は現在進行形です。終結していません。
?一〇〇万人単位で存在する「PTSDの復員日本兵と暮らした家族」の交流の場は武蔵村山館一つで足りる訳がありません。日本全国各地域に必要です。
?「PTSDの日本兵」交流館・お茶飲み処を日本全国各地に作りましょう!

黒井 秋夫
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」代表

 ホームページhttp://www.ptsd-nihonhei.com

読書案内

「山本太郎現象」をどう見るか

安倍政権と闘う道を探る

―2019参議院選をふり返る2冊

 昨年一二月、『#あなたを幸せにしたいんだ――山本太郎とれいわ新選組』(集英社/一三〇〇円)と『「れいわ現象」の正体』(ポプラ新書/八八〇円)が同時期に発売された。
 前者の集英社本は、立候補した一〇名のベストスピーチとインタビューで構成。ベストスピーチはれいわ新選組のホームページに掲載されるテキストから選んだようだ。インタビュアーはノンフィクションライターの木村元彦と雨宮処凛。表紙には「山本太郎」の名だけだが、奥付は三人だ。インタビューでは、九人が山本代表から候補者としてどのように一本釣りされたかがわかる。
 後者のポプラ新書は一転して支持者らへのインタビューを中心に構成されている。いわば、集英社本にあるようなスピーチのどんな内容に共鳴して支持者になったのかが伝わる。著者は朝日新聞「労働問題チーム」現役記者の牧内昇平。この本で目を見張ったのが巻末に収録されている「[特別収録]安富歩氏インタビュー」だ。両書とも「安富歩」と書かれているが、本原稿では以降、「やすとみ歩(あゆみ)」と記す。

 ポプラ新書の二二三頁を抜粋する。
(牧内)山本太郎さんへの評価を教えて下さい。火付け役としての功績は大きかったと思うのですが、支持者の方を取材していると、神格化されてきていないかという心配もあります。
(やすとみ)太郎さんは、基本的には一人でしかやらないんです。自分一人で全部やる。かつ組織化は絶対やろうとしない。何を言いたいかというと、彼は独裁者ではないってことです。独裁者であれば組織を作りたがるわけです。
このインタビューは、一〇月上旬に申し込んだと書かれているので、少なくとも一カ月以内には行われたのだろう。やすとみは一二月一日、自身のブログに「れいわ新選組の組織論」をアップしている。一一月二九日にあった名古屋の山本太郎街頭記者会見での自身の発言と、終了後に会場参加者から渡された「提言」が掲載されている。ここでのやすとみは「(れいわ現象が)ファシズム運動になっていたら、もうそこには山本太郎はいない、と思います。それは保証できると思う」と断言する。だが、これはやすとみの山本に対する期待と感じる。これまでのれいわ支持層以外から山本への期待が高まり、山本が望む総理大臣になったらどうだろうか。
【参考】やすとみ歩ブログ
https://anmintei.net/

れいわ新選組の組織論

次期総選挙への取り
組み議論を進めよう


【追記として】
れいわ新選組規約の第四条(構成員)には「本党は、国会議員及び国会議員予定候補者で構成する」とあり、第八条には「予定候補者は、代表が選定し、総会の承認を受ける」とある。この二月一八日までに衆院選の公認候補予定者一四人を決定、うち八名の選挙区を発表した。
三名は昨年の参院選に立候補したオリジナルメンバー≠ナ、渡辺てる子さんは東京一〇区、辻村ちひろさんは石原伸晃元環境相の地盤である東京八区、三井よしふみさんは千葉九区から出馬。さらに旧民主党衆院議員の、くしぶち万里さんは東京二二区、太田和美さんは千葉八区から出馬する。新顔≠ニして東京二区にゴールドマンサックス証券元社員の北村イタルさん、埼玉二区に元格闘技K1選手でスポーツジム経営の田島つよしさん、静岡二区には島田市議を三期、静岡県議を二期経験した大池ゆきおさんが出馬する。
東京都知事(六月一八日告示/七月五日投開票)での山本太郎代表の去就、衆議院解散の動向などから、れいわ新選組という組織が安倍自公政権との対決で重要な役割を増すことは間違いないだろう。その意味でも、昨夏の参議院選を振り返る必要があるだろう。
(二月一九日 KJ)

コラム

禁煙宣言

 二〇二〇年四月から国の「改正健康増進法」と東京都の「受動喫煙防止条例」が施行される。現在でも相当に「社会の片隅」に追い詰められている喫煙者にとっては、最後の一撃に近い。一歩でも家を出ると野外では「喫煙場所」、飲食店を含む屋内では「喫煙専用室」以外で喫煙することができなくなるのである。しかも喫煙者には最大三〇万円、施設管理者には最大五〇万円の罰金付きなのだ。
 Xデーがやってくる前に、つべこべ言わずに本気で禁煙を実現しなければならないのだろう。
 以上の文章は私が一八年九月一七日号の「コラム」に書いたものだ。そのXデーは来月の一日なのだが「本気で禁煙」することもなく、今もこの原稿を書きながらスパスパとタバコを吸っているという体たらくなのである。それでも先月あたりから「禁煙計画」なるものを考えて、一日一五本を二週間、次に一〇本を二週間、五本を二週間、三本を一週間、そして最後に一本吸って禁煙するという涙ぐましい苦肉の策。いよいよ明日から一五本デーが始まる。この計画では四月一日には間に合わないが、計画通り実行されれば四月の第四週には四〇数年の喫煙から「卒煙」するということになる。
 四〇年以上「過激派」をやってきたのだから、法律や条例が怖くて禁煙するということではない。昨年の夏ごろから咳とタンが増えているからだ。それは丁度、電子タバコを吸い始めた時期と重なるのである。米国では電子タバコによる肺疾患ですでに六〇人が死亡している。どうもその主原因は、溶液に含まれている「ビタミンEアセテート」というオイルのようだ。それに加えて「エンドトキシン」(細菌の毒素)、「グルカン」(カビの科学物質)、鉛・ニッケル・クロム・マンガンなどの有害金属(加熱によって発生)、また「ジアセチル」というバター風味の香料なども原因物質にあげられている。
 そういうことなので電子タバコは昨年末にやめたのだが、咳とタンは相変わらずなのである。新型コロナVショックのこのご時世で、電車内で咳をするのには一苦労する。使い回しの紙マスクは付けているものの、白い眼が一斉に向けられるからだ。
 もう一つの理由は私の両親ともに肺疾患が原因で亡くなっているということだ。父は喫煙が原因の肺気腫で片肺だった。母は肺がんだった。私も三歳の時にジフテリアで死にかけたり、二六歳の時には自然気胸で左肺が破れて入院している。呼吸器官に弱点を持ちながら喫煙を続けてきたということになる。
 仕事をリタイヤしたということもある。一日五〇〇円のタバコ代を支出し続ける余裕などないはずだ。次回の「コラム」で「吉報」できるよう、明日から計画通りに事を進めたい、と思う。(星)

 



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