もどる

    かけはし2020年3月9日号

活動家の新世代に役立つ党へ


パキスタン

同志たちの新たな挑戦

本物の統一と原則的闘争をめざし

ピエール・ルッセ


 アワミ労働者党という形で左翼の再建に挑戦してきたパキスタンの同志たちが、この挑戦には実りがなかったと認め、本紙でも紹介した新たな世代による闘争の広がりに対応できる党の模索、に向かっている。以下では、ルッセ同志がその決断についていくつかの背景を伝えている。(「かけはし」編集部)

同志たちの
闘いの軌跡


 ファルーク・タリクが思い返しているように、パキスタン労働党(LPP)に起源をもつ活動家たちは、他の二つの政治組織とともに、アワミ労働者党(AWP)の建設に七年間挑んできたが、その実験は失敗に終わった。わが同志たちはこの失敗にもかかわらず、差別のあらゆる形態に反対する闘いと連帯の旗の下での並外れた諸決起の中で、今も重要な役割を果たし続けている。それこそが、彼らが弾圧の標的になっている理由だ。
 後にLPPの起源になった同志たちは、オランダに亡命中、「労働者国際委員会(CWI)」のミリタント潮流を通じて欧州の極左と最初の接触をもった。彼らは一九八〇年代に「闘争」という組織を形成した。一九八六年にパキスタンに戻ったこの潮流は、パキスタン人民党(PPP)内で加入戦術を維持した。
 PPPは、一九六七―一九六八年の大闘争の時期におけるある種の社会主義論に基づき形成され、長い間左翼のオーラを身に受けてきた。しかしながらそれは、ブット一族――軍事政権間の文民政権という幕間期に一回以上政府を率いた、この国の主要な「政治的一族」の一つ――が率いたものだった。PPPに対する民衆の幻滅は一九七〇年代に始まったが、それは一直線的なものではなかった。
 加入戦術継続に対する疑問が持ち上がった。LPPの創設者たち(最終的には一九九七年に創立された)、「闘争」のメンバーたちは、加入戦術の時は過ぎ去った、と感じた。しかしながら彼らは、独立の組織建設のためには、その指導部が世界中で加入戦術を維持していた英国の「親会社」、から離れなければならなかった。彼らは、一国の政党(おまけに、元の植民地大国の中で設立された)の~楯の下にある一つの世界的分派としてではなく、「共同の家」として機能している、と確信しつつ、第四インターナショナルに加わった。
 「闘争」の他の活動家たちは、PPP加入戦術の継続を選択したが、しかし二年前にこの戦術を放棄した。「闘争」の名前を維持してきたこの潮流は、過去の論争のページをめくり、われわれの同志たちとの協力的関係を新たにし、前回世界大会で第四インターナショナルの広がりに加わった。

政治的権威を
武器に再出発


 独立したマルクス主義左翼の統一という問題は、軍事政権、特殊機関、原理主義(タリバン)、有産者の社会的残忍さ、に立ち向かうという差し迫った問題として持ち上がった。トロツキズムの伝統とはかけ離れたこの左翼は、本質的に親モスクワ派に起源をもっている。パキスタンにも毛沢東主義者は存在しているが、それは他のアジア諸国と同じような歴史的位置を占めているわけではない。実際北京は、インドやロシアと敵対するパキスタンの軍事諸政権を支援してきたのだ。
 したがってAWPを構成した三政党の内二つは、むしろ特殊な形態における「段階革命」を主唱する親モスクワ派だった。筆者はパキスタンを訪れたときに非常な驚きを実感したのだが、この左翼の政治指導者や知識人で何人かは、IMFの圧力がパキスタンブルジョアジーにそれ自身を「近代化する」よう圧力をかけるだろう、と期待したのだ。しかしながら現代資本主義は、特に従属的な諸国では、煉瓦工場にその実例があるように、搾取の封建的な諸形態を極めて十分に適応させているのだ。
 AWPの経験は検証されなければならない。しかしそれは、これらの政党には彼らの世界観と活動方法を変える用意がない、ということを示した。AWPを創立した諸組織は、新しい組織の中に解消されると想定されていた。しかし、そうしたのはLPPだけだった。
 これはわれわれの同志たちにとって、ある者たちはAWPから離脱し(たとえば、スターリン主義的官僚制に直面したラホールの若者たち)、他の者たちは党を離れたいと思ったり、時は熟していないと感じたりするような事態を伴って、一つの困難な時期に導いた。
 しかしながら「LPPの伝統」は、何年にもわたって政治的な権威を獲得してきた。それが本物の統一を、原則的な闘争を率いたからだ。また、それが変わることなくあらゆる戦線で立ち上がってきたからだ。この伝統を示す「メルクマール」の一つこそ、あらゆる領域であらゆる闘争の一部になるという、まさにその鋭敏さだ。
 彼らはそのおかげで、多くの社会的紐帯(繊維工業で、農民の中で、学生内部で)と連帯(民主的諸権利を支持してパシュトゥンとの間で)を打ち固めてきた。その年月を通じて、その活動家たちは価値ある経験を蓄積してきた。
 これが、この伝統が今日再生されることを、また新しい戦闘的な政治的世代の創設に全面的に関わることを、可能にしている。(「インターナショナルビューポイント」二〇二〇年二月号) 

パキスタン

ラル・カーン同志追悼

なんという心臓が鼓動をやめたことだろう!

アジア・マルキスト・レビュー

 パキスタンの「闘争」グループ指導者、ラル・カーンが二月二一日にラホールで亡くなった。彼は、オランダに亡命中の一九八〇年、ファルーク・タリークらとともに「闘争」グループを結成し、雑誌『闘争』を創刊した。一九八六年にパキスタンに帰国後、「闘争」グループはパキスタン人民党への加入戦術をとり、労働者インターナショナルのための委員会(CWI)のパキスタン支部となった。
 一九九〇年代初頭にCWIが加入戦術をめぐって分裂した際、ラル・カーンは加入戦術の継続を主張した国際マルクス主義者潮流(IMT)に加わり、独立活動を主張したファルーク・タリークと袂を分かった。その後二〇一六年、「闘争」グループはIMTから離れた。現在は、ファルーク・タリークらの旧パキスタン労働党とともに、左翼の共同戦線に参加している。二〇一八年には、「闘争」グループのアリ・ワジールが国会議員選挙で当選をかちとった(本紙既報)。
 ラル・カーンという名前は、パキスタンだけでなく世界中の革命的勢力の中では紹介する必要がないほどだが、彼は二月二一日午後七時、ラホールでその生涯を閉じた。彼は、最近一年半はガンと闘っていた。六四歳だった。
 彼は、ウルドゥー語で隔週に発行されている雑誌『闘争』の創立者の一人であり、『アジア・マルキスト・レビュー』の編集長であり、パキスタン労働組合防衛キャンペーン(PT U D C)の国際担当書記でもあった。
 ラル・カーンは、一九七〇年代後半、ニシュタール医科大学マルタン校の学生指導者として、生涯にわたる革命闘争を開始した。そしてすぐに、マルクス主義思想と革命的社会主義思想に関心を抱くようになった。
 ジア・ウル・ハクによる独裁的体制の間、彼はむち打ち刑や投獄に耐えたあと、戒厳法廷が彼に死刑宣告を下したとき、政治活動を続けるために長期間の亡命生活を送った。四〇年以上にわたって、彼は労働者階級の歴史的利益のために、革命的社会主義の旗のもとで闘ってきた。
 ソ連崩壊という暗黒の時期に、彼は南アジアにおけるマルクス主義的組織の設立を主導しただけでなく、数十冊にも及ぶ著作を通じて、社会体制としてのいわゆる社会主義の失敗を攻撃する帝国主義者のプロパガンダに抗して、マルクス・エンゲルス・レーニン・トロツキーの思想を断固として擁護してきた。人類の共産主義的未来に対する彼の確信は、亡くなるそのときまで揺らぐことはなかった。
 彼の人生の旅は終わりを告げたが、彼の意思は、パキスタンや南アジア、そして全世界における資本主義の搾取と暴政からの解放をめざす闘いの中で生き続けるだろう。彼が残したものは、赤旗を高く掲げ続けなければならない来たるべき多くの世代を励ますことだろう。われわれは同志レーニンのことばで、彼を追悼したい。

 なんという理性の燈火が消えたことだろう、
なんという心臓が鼓動をやめたことだろう!(訳注)

 さようなら、同志ラル・カーン……あなたの思い出に常に栄光あれ。

(訳注)一八九五年にエンゲルスが死んだとき、レーニンはエンゲルスを追悼して『フリードリヒ・エンゲルス』を書いた。ここで引用されているのは、その冒頭の一節である。
(『アジア・マルキスト・レビュー』電子版、二〇二〇年二月二二日)

スペイン

声明:ポデモス市民総会を前に

われわれは指導部の方針を受け容れない

2020年2月21日 アンティカピタリスタス

 

 以下の声明は、予定されているポデモス全国総会を前に発表された。その中でアンティカピタリスタスは、提起されている路線がポデモスの当初の目的から大きく離れていると指摘し、同組織として、全国総会には参加しないことを表明している。(「かけはし」編集部)
(1)この数ヵ月の中でポッデモスが行った諸決定は、われわれが共有できない方向の中にある。それはたとえば、中道左派の社会労働党(PSOE)が支配する進歩的―新自由主義政権への五人のウニダス・ポデモス閣僚送り込みだ。ちなみにその政権においては、PSOEが権力の主要なテコを握っている。
 われわれの観点から見たとき、この政権への参加は、スペイン国家の現政治体制を弱めるどころか、ポデモスをそこに統合し、唯一のあり得る展望としてそれを管理しようとすること、を意味している。議会での信任投票ではPSOE率いる政権を支持する投票を行い、憲法制定権能のある多数派(現状に異議を突きつけることのできる社会的多数派)を発展させることを目的にした一つの構想を築くための闘争を継続することを目的に、直ちに野党へと動く、というアンティカピタリスタスの提案は、現行ポデモス指導部により除外された。
 さらにまたわれわれは、政治協定の策定という政策にも、ある種の社会的総意を実現するという政策にも同意していない。その両者は、もろもろの大きな経済的権力との衝突を放棄するものなのだ。
 その意味でわれわれが見出しているものは、六年前にその発足のためにわれわれが力を注いだポデモスの諸目的と、現在のその組織が見せている漂流という、この間にある巨大な違い、つまり、当初は政治階級と経済エリートに異議を突きつけると決意したが、しかし今や後者の諸特権に襲いかかることもないままに、前者と連携するにいたっている、その政策だ。
(2)同時にわれわれは、大きな割合の左翼の人々がこの政権形成から安心感を得ている、ということを理解している。極右に対する恐れと数年にわたる決起が残した疲労がこの立場を理解できるものにしている。したがってわれわれは、この考えを理解し、尊重する。
 しかしながらわれわれは、この政権がシステムの限界内部に制限されていることを認めているとしても、この政権の目標は決して野心的なものではない、と確信している。したがってわれわれの即座の任務は、運動に街頭を放棄させないような闘争の新たなサイクルを推し進めようと挑むことだ。
 したがってわれわれは三月八日、フェミニストの前進を求めて組織するだろう。われわれは、労働改革の無効化、家賃規制、外国人収容センター(CIEs)の閉鎖、国家助成金を受けている企業におけるレイオフの禁止、住宅ローン破綻者の追い立て取り止め、均衡予算を義務づけている憲法一三五条の廃止、を要求するだろう。
 組織された民衆の圧力がなければ、どんな進歩もないだろう。そして、守られる価値のある成果が、普通の人々に利益になる形で富と権力を配分する成果が一つもないならば、危険な流血の土台が生み出される可能性が生まれる。極右はその中で、そのすべてがいつでも豊かな者たちの役に立つ、その男主義の、レイシズムの、そして権威主義のデマゴギーを推し進めることができるのだ。
(3)この枠組みを前提に市民総会は、ポデモスが苦しんでいる緩やかな退潮を分析することもないまま、さらに事前の政治的検討の十分なプロセスもなしに、単にポデモス指導部とPSOEに自らを従属させるという採択された戦略の承認、として現れている。
(4)したがってアンティカピタリスタスは、次のポデモス全国総会には参加しないと、そしてその代わりにわれわれの討論を、ポデモスとの明確に限定された関係について焦点を絞ると決定した。その討論課題こそ、その確立にわれわれが力を尽くし、まさに多くの努力を振り向けてきた一つの構想なのだ。
 われわれの内部討論プロセスは、われわれがその最終決定を公表することになる大会をもって、三月二八日に頂点を迎えるだろう。われわれはためらいなく、ポデモス総会への参加を決めた人々に最良の幸運を願っている。われわれは、これからも多くの分野で彼らと協力し共に活動し続けることを確約する。

▼アンティカピタリスタスは、第四インターナショナルのスペイン支部。(「インターナショナルビューポイント」二〇二〇年二月号) 

 



もどる

Back