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    かけはし2020年3月16日号

課題はパレスチナ民族運動のオーバーホール


中東

トランプの「世紀の取引き」

パレスチナ民衆への全面的敵対
強力な国際的連帯運動が不可欠

ジュリアン・サリンゲ


 もったいぶって「世紀の取り引き」と称されている中東に対する「トランプ・プラン」は、すぐさま、それが何であるかを、つまりイスラエル右翼の立場と完全に一線となって植民地化の既成事実を認める計画であることを、あからさまにした。それがあらゆるパレスチナ人勢力とアラブ同盟から拒絶されたという事実は、この「計画」の内容が憤激を呼ぶまでにイスラエル寄りであり、パレスチナ人の民族的諸権利すべてを踏みにじっている以上、何ら驚きではない。大ファンファーレをもって始められた「和平プロセス」のオスロ合意――その破綻は十分に確定している――から二六年以上を経て、トランプの提案がどのような結果をもたらし得るかは、まだ不明のままだ。

パレスチナへの明確な意思表明


 トランプ・プランはそれ自身を、「紛争」に終止符を打つ「イスラエル―パレスチナ和平協定」の起草と署名に向けた基礎として役に立つ包括的な枠組み、と描写している。「最終的地位の交渉」にいたることを予定した五年の時期に道を開く「暫定」合意とそれ自身を表現したオスロ協定とは異なり、トランプ計画ではそれゆえ、最終的な合意文書の基礎にすることが意図されている。そしてそれこそが、ほとんどあらゆる「対立」問題に対応していると主張している理由だ。ちなみにそれらの問題は、植民地(イスラエルの用語にしたがえば「入植」)、国境、エルサレム、収容者、難民、その他だ。
 そしてわれわれが最低でも言うことができることは次のことだ。つまりトランプ・プランには、一九九三年の「諸原則の宣言」――アラファトとラビン間でのホワイトハウスの芝生で行われた握手を引き起こした――、および、あらゆる決定的な問題を慎重に迂回して、また曖昧な定式でも満たされていたその後に続いた暫定文書とは異なり、明晰さという利点がある、ということだ。

確定された諸原則を全面否定


 国際法の観点からはイスラエルとパレスチナ間紛争のあらゆる解決を形作ると想定されている国連の諸決議との関係では、以下のメッセージはこれ以上鮮明とはなり得ないだろう。
 「一九四六年以来、この紛争に関しては七〇〇に近い国連総会決議、および一〇〇以上の同安全保障理事会決議があった。国連の諸決議は時に矛盾し、時に期限付きになっている。これらの決議はこれまで平和をもたらさなかった。その上さまざまな関係者たちは、もっとも重要な国連決議のいくつかに対し、対立する解釈を与えてきた。そこには、安全保障理事会決議二四二号が含まれている(注)。現実に、国連の決定的な諸決議に関し直接に努力してきた法学者たちも、それらの意味と法的効果について意見を異にしている。われわれは和平プロセスにおける国連の歴史的役割を重んじているが、今回の構想は、今回の問題に関する国連総会、同安保理事会、また他の国際的な諸決議を敷衍するものではない。なぜならば、それらの決議は対立をこれまで解決せず、これからもそうなるからだ。これらの決議はあまりに長い間政治指導者に、和平に向けた現実主義的道を可能にするというよりもむしろ、この紛争の複雑さに取り組むことへの回避を可能にしてきた」と。
 国際法と国際諸機関を相手にしたトランプの立場そのものが、イスラエルの立場と完全に一線にある。そこで対象にされた「政治指導者」がイスラエルの指導者ではなく、パレスチナ人(および彼らの支持者)であることはまさに明白だ。そして後者はいつも、彼らの諸権利を確定している国連諸文書を思い出させ、他方国連の諸決議は前者には一度も言及したことがないのだ。
 そしてそこには十分な理由がある! われわれがたとえ国連には何の共感もなく、国際法に対する物神崇拝も皆無だとしても、ベルギー人法律家のフランソワ・ドゥビュッソンがわれわれに思い起こさせるように、以下のことは心にとどめられなければならない。つまりこれらの諸決議は、現実に次の諸原則を提示しているのであり、それは、パレスチナ民衆の自己決定権、ガザ、西岸、東エルサレムを「占領されたパレスチナ領域」と考えること、パレスチナ領域におけるイスラエル人の入植地の違法性、一九六七年六月の戦争中に占領した地域からのイスラエルの撤退義務、パレスチナ難民の彼らの住居に対する帰還権あるいは公正な補償権、安全で認められた国境内部で生きる地域のあらゆる国家の権利、イスラエル人であれパレスチナ人であれ暴力の糾弾、なのだ。そしてこれらの諸原則は、トランプ「版」の中には絶対に見つけ出されず、大量にあるのはそれに反するものだ。

言葉だけのパレスチナ「国家」

 われわれが領土問題を見るならば、ものごとはあらためて極めて鮮明になる。トランプが提案するパレスチナ「国家」は、連続性もしばしば近さもないままに断片化された、小片の領域から構成されている。そしてそれは不可避的に、南アフリカにおけるアパルトヘイトのバンツースタンを思い起こさせる。これらの領域は、もう一つの国家、エジプトとの間にただ一つの直接的「境界」をもった(ガザで)、イスラエルの海に浮かぶ島々を形作る。そしてこの境界に関しイスラエルは、エジプトとの「特別な取り決め」を手段として監視の権利を確保すると思われる。
この計画は、その各出入りがイスラエルから統制されると思われる、バンツースタン間の「パレスチナ人の移動の自由を促進する道路、橋、トンネルの革新的なネットワーク」にふれている。他方でイスラエル国家は中でも、その領土的連続性に基づき――明白に――、肥沃な農地と淡水の供給のほとんど、西岸の四〇%以上、入植地ブロックとヨルダン渓谷、を併合すると思われる。
われわれはその計画の中に、次のことを読み取ることができる。つまり、「防衛戦争〔原文通り〕期に獲得した領域から撤退することは歴史上の珍奇であり」、イスラエルがその一部からすでに撤退を終えているという事実は「重要な譲歩」だ、という考えだ。どのようなコメントも不要だろう。このトランプ・プランの一八一ページ中には「占領」という語が一語もないことに注意しよう。
エルサレムに関しても、「エルサレムはイスラエル国家の首都としてとどまり、それは分割のない都市としてとどまるだろう」について何の驚きもない。それは、二〇一七年一一月の米大使館をエルサレムに移動させるという決定と一直線につながり、国際法に完全に反するものだが、こうしてトランプ計画は、この都市の併合がもつ逆転不可能な性格を確証している。そして、あらゆる神聖な場所を確実に保護し、したがってそれについて全面的な主権を行使することはイスラエル国家が行うことだ、と断言することによりさらに一歩を進めている。
同文書は終局的な挑発のように、「パレスチナ国家の主権をもつ首都は、カフル・アカブ、シュファトとアブ・ディスの東部を含んで、現在の安全保障バリア〔壁〕の北地域と東地域に位置する東エルサレムの一部に置かれるかもしれない、そしてアル―クズあるいはパレスチナ国家が選択した別の名前を名乗るかもしれない」などと明記している。
換言すれば、都市や町の名称を、それがエルサレムのはずれとさえほとんど言えないにもかかわらず、エルサレムと名付けて変えることができ、それを彼らの首都にできる、ということだ。ちなみにたとえばカフル・アカブは、エルサレム中心部よりもラマラ中心部にもっと近いのだ。

パレスチナへの侮辱も露骨


したがってイスラエルの立場への同調は全面的であり、同じことは他の問題にも当てはまる。難民に関してはそれは、「帰還権はまったくなく、イスラエルへのただ一人の難民の吸収もないだろう」と述べる。アラブ諸国家は、難民を統合するよう指示され、そして難民が将来のパレスチナ「国家」への「帰還」に招かれる場合は――彼らは今日イスラエル内に位置している彼らの土地に帰ると主張している中で――、その条件は、この「帰還」がイスラエル―パレスチナ合同委員会により規制されるというものだ。換言すれば、オスロ協定後に設立された「合同委員会」の経験に照らした時、パレスチナ領域と想定されていない地域に難民が入ることに対しては、米国がいつでも反対の可能性をイスラエルに提供するのだ。
それは、パレスチナ人収容者(イスラエルのNGO発の数字によれば、現在ほぼ五〇〇〇人になる)に関してトランプ計画を導いている同じ「哲学」だ。そこには釈放に関して厳しい制限があり、あらゆる釈放には収容者による署名の条件が付いている。それは、「彼らのコミュニティ内でイスラエル人とパレスチナ人間の共存の利益を促進するという、また共存を尊重するやり方で自らふるまうという約束」に対する署名だ。
そしてわれわれは、トランプ「版」に含まれた憤激のリストをさらに伸ばすこともできるだろう。それは、全面的に武装解除されたパレスチナ人「国家」に対する要求から、イスラエルによる制空権の維持まで広がり、さらに、パレスチナが確定的にあらゆる権利を放棄するという条件で、パレスチナ領域に数十ドルを注入するという約束も含まれる。
とんでもない部分もある。トランプ計画は、イスラエルの地位を「ユダヤ人の民族国家」と確認しているだけではなく、イスラエル内の二六万人にのぼるパレスチナ人市民の強制「移送」をも主唱しているのだ。そして彼らの市と町は、パレスチナ統治下の一つのバンツースタンになるだろう。
概して言って、「世紀の取り引き」は、ラマラのパレスチナ自治政府(PA)指導部のようなそのもっとも「穏健な」者をも含んだ、パレスチナ人に対する本物の平手打ちと何ら変わらない。彼らに対する侮辱は全面的だ。
ネタニエフと彼の競争相手であるベニー・ガンツがトランプの提案に拍手喝采を送った――それは、三月二日のイスラエル総選挙で問題になっていることがパレスチナ人に向けての政策では絶対にないことを確証している――一方、アッバスと彼の首相は、それらをひとまとめに拒絶した。二、三日後アッバスは、安全保障協力の分野をも含めて、イスラエルとの関係の決裂をも公表した。
これらの公表が今後厳密に追求されることになるかどうかはまだ不明だ。PAとしての政治的統治機構が、包括的に、また特に経済レベルで、イスラエルとの関係に依存しているからだ。イスラエルが毎年、付加価値税、およびパレスチナの輸入品に課された関税に関して数百万ユーロを払っていることに基づくものであり、それは、PAの財政に、特に公務員の賃金のために必要になっている。

オスロプロセスは完全に終った

 しかしながら一つのことは確かだ。つまり、トランプ・プランは確実にパレスチナ人から拒絶されるが、しかしそれは、イスラエル国会の廊下ですでに議論されていた、特に入植地ブロックとヨルダン渓谷の急速な併合に基づいて、イスラエルの植民地化政策の加速に対する保証として役立つことになる、ということだ。
トランプ・プランとの関係では、「二国家解決」への選好を思い起こすことに甘んじたフランスを例に、ある者たちが見るのを拒絶し続けている現実を、さらに確証することになる諸決定がそれだ。事実として、地中海とヨルダンの間には、不安定さの要素がない限りにおいてその内部にいくつかの「自治圏」を容認している、一つの国家しかない。
そして、一九九三―一九九四年に始められたオスロプロセスに「すがりつく」ことを強く求めることは特に難しくなるだろう。トランプ計画はそのプロセスを事実として、言葉の双方の意味でまさに終わりにした。つまりオスロは、PAに任されたパレスチナ人のもっとも密集した居住域を明け渡すことに基づく、イスラエル占領システムの再組織化以外の何ものでもなかったとして、そして後者に関しては、イスラエルが交渉された論理の一部と主張するその植民地化政策を継続する中で、経済的注入の上で、秩序維持の責任を負わされるものとして。
「和平プロセス」としてのオスロの破綻は、両役者の、あるいはどちらかの側の意志の不在、あるいはまずい選択、あるいは好機の取り逃がし、といった話ではない。オスロの破綻は、それによって一つのもくろみが作られたプロセスの、最初から組み込まれた破綻だ。そしてそのもくろみとは、幻想的な自治、および植民地管理の特権と権力の一部の、実のある主権のない土着の管理者に対するある種の移行を名目に、パレスチナ人に彼らの権利の放棄を強要する、というものだ。
オスロプロセスが和平プロセスではなく、占領を再組織化するプロセスであると理解されるならば、その時トランプ・プランはオスロプロセスを完成するものとなる。米国の鼓舞に基づきイスラエルが踏み出そうと準備している新たな歩みが、死に向かい危機がのしかかったパレスチナ民族運動に、「大きな飛躍」に向かわせ、繰り返し行われた脅しを実行させることになるかどうかは、未だ分からない。ちなみにそこでの飛躍とは、「自治」あるいはパレスチナ「原型国家」という虚構を終わりにし、イスラエルを占領権力としての責任の前に立たせる基本的な一歩として、PAの少なくとも政治的な解消を告知することだ。
それは、すべてを解決することとは全く反対に、少なくとも紛争に関わる用語の再定義に関係し、民族運動の長期にわたるオーバーホールの可能性を開くと思われる一つの決定だ。そしてそのオーバーホールは、パレスチナの全勢力を含み、解放の目標、そしてまがいものの国家機構の管理ではない目標、を軸としたものになるだろう。
現在の情勢とパレスチナ運動の衰弱が進む状態を前提としたとき、そうした展望は希望的観測のように聞こえるかもしれない。しかしながらほとんど疑いがないことは、「交渉されたプロセスの終点におけるイスラエルと並んだ独立したパレスチナ国家を求める」闘争としてのページは決定的にめくられたということ、そしてパレスチナ人は、イスラエルのアパルトヘイト体制と対決する彼らの闘争において強力な国際的連帯運動を必要とするだろうということだ。

▼筆者は反資本主義新党(NPA、フランス)、および第四インターナショナルのメンバーであると共に政治学研究者であり、いくつかの著作がある。
(注)一九六七年六月の「六日間戦争」後に採択された決議二四二号は、力で占領した領域(西岸、ガザ、シリアのゴラン高原、エジプトのシナイ半島)からの撤退をイスラエルに求めている。しかしそうであってもフランス語版では、それは定冠詞の付いた「占領された領域」からのイスラエル軍部隊の撤退を求め、英語版は、「占領された領域」を定冠詞を付けずに呼んでいる。イスラエルは常に、圧倒的な国際的孤立の中で、イスラエルがしたがうのは英語版だけ、と主張してきた。(「インターナショナルビューポイント」二〇二〇年二月号) 



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