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    かけはし2020年3月23日号

京都市長選はなぜ勝てなかったのか?


投稿

“技術は法則を越えられない”

本紙3月2日号選挙総括に寄せて

 本紙3月2日号1面に掲載した京都市長選挙の総括について、京都の活動家から意見が寄せられた。この投稿では、共産党が「全国一」強い京都で、旧社会党をふくむ野党勢力の「反共」主義に対して、どのような闘いが必要なのかについて討論を呼びかけている。ともに論議を作り出そう。(本紙編集部)

はじめに


 本年二月二日の京都市長選挙の総括論議が本格的に始まっている。久しぶりに京都府知事選・京都市長選で革新・民主陣営(いささか表現が前世紀的だが、わかりやすいのでこれでいくしかない)が勝利できるのか、できれば一九七四年の蜷川虎三候補最後の選挙の時以来だし(のちの「五色豆」と言われた保革・呉越同舟の京都市長選は除いて)、全国的にも関心が集まり、選挙戦にも熱が入り、投票率も前回より五・〇三%高まった。
 だが結果は予想以上の大差(門川大作市長21万0640票対福山和人16万1618票で4万9022票差)で現職が勝利し、一二年前とほぼ同じメンバーだったものの、三つ巴僅差の大激戦(福山弁護士の先輩格の新人・中村和雄弁護士が950票差で新人・門川候補に肉薄)とはならなかった。なぜか、いくつかの「総括」を読んだが、京都で長年労働運動・政治的な運動の末席を汚してきた筆者としては、それらの総括に違和感がぬぐいがたい。大健闘された皆さん、高い見識をお持ちの論者には非礼を省みず、今後の運動、政治革新のために、あえて総括論議に一石を投じたい。

歴史を踏まえること

 
 「京都(市)の共産党は日本一強い」という。京都市上京区釜座の京都府庁前の共産党京都府委員会の凛と立つビルを見ると、他府県から来られた特に同じ共産党員には、感慨深いものがあるのだろう。ましてや、先般立派な新築のビルに建て替わり、巨大ビル林立の昨今でも共産党都道府県組織でああいうビルを建てて、と人の目を見張らせる。
 確かに京都では共産党が強く、かつ昔で言えば日本社会党、今でいえば立憲民主党も(国民民主党はもちろん)社民党も反共で「右」が強く、連合京都が絶対に共産党系と共闘しないように縛りをかけている。問題の根本はかつてで言えば日本社会党・総評ブロックの左派、今でいえば新社会党や全労協や社民党の左派と平和フォーラムの左派が弱すぎるということだ。
 それで、共産党に首長を渡してはいけないという連合の圧力で、府知事も京都市長も府内の多くの首長選でも自公と相乗り反共で統一、自民党にくっついていくという国政との「ねじれ」が京都では日常茶飯事になってしまっている。
 そうするとそこには行けない新社会党が共産党系の候補者を推し、革新無所属・無党派の人たちが共産党支持者になってしまい、ますます新旧社会党左派系は先細るという最悪のパターンで推移していくという状況となってしまっている。もちろんすべてではないが。
 一九七四年の蜷川虎三候補を担いだ最後の知事選挙で、日本社会党中央執行委員会は蜷川推薦を決定した。党内左派の人々の要望を受けた成田執行部の英断であった。ところでなんとその時の蜷川さんの対抗馬は、当時の日本社会党京都府本部の委員長で現職の参議院議員で大病院の理事長だった。その自公民に推された候補者・大橋和孝参院議員を除名して、日本社会党中央本部の成田知己委員長が蜷川候補応援に入洛した。これを聞いただけで、隔世の感があるだろう。
 現実には京都の社会党はこれで真二つとなり、翌一九七五年春の統一自治体選挙で、一区で京都市議では社会党は一〜二議席しか実力のないところに(政令指定都市なので行政区単位の中選挙区制)、ことごとく左派二人右派二人がぶつかり合い双方共倒れ、府議ではやっと一議席確保の所に1対1で激突して共倒れ、共産党の大躍進を招いたというのが、京都社会党の凋落の直接の原因である。
 あとは当時の社会党内左派が共産党と労組内の役選などでも全面対決して、すべて消えていくなどということも多々あり(当時の京都の左派主流の指導部が悪かった。唯物論ならぬ「ただもの論」者が指導者だと言われた)、民間労組も右派の委員長で共産党員が書記長で粘り強く共産党系の労組にまるごと仕立てていくなどして、まともな平和センター・フォーラムを作れず今や新社会党はもとより、「社民党もお呼びでない」右翼的京都平和センターとなっている(社民党京都府連は門川候補を推薦して無党派の市民運動関係から怨嗟の的だった。立憲民主党もだが)。
 そして、連合京都などは野党共闘などもちろん論外という情勢で、平気で自民・公明と一緒の首長選をやるようになっている。

敵失で伸び、技術で大躍進
してきた京都共産党  


従って、もっともっと他の要因ももちろんあるものの、直接的には一九七五年春の日本社会党京都の敵失によって、少なくとも二六〇万府民の中の一五〇万市民が住む政令指定都市・京都市で、二けたの行政区で東山区などの人口減の所を例外として、複数の市議と最低一人の府議をもつ、盤石な体制を日本共産党は持てるようになり、今に至っている。蜷川知事を失っても、また皮肉にも失ったがゆえに。
昨夏の参院選でも定数二人の京都選挙区で、「連合艦隊」を打ち破り(連合京都の指導の下、立憲民主党候補に旧民進党系が一本化して共倒れ防止策を講じたが)、自民に次いでだが、共産党公認現職女性議員の二度目の当選を果たしたのは、記憶に新しいところだ。
従って、私が言いたいのは京都共産党と言えども他府県と比して強いのは敵失であり、社会党があまりに反共が強く蜷川知事相手でも個人取引で「仕事」をして組織性がなく、ある程度存在していた左派(太田派の社会主義協会京都支部は関西でも全国でも有数であったし、七〇年代に三分裂する前の日本社会主義青年同盟の本部書記長を京都地本から太田派の人物だが出していた)も思想性に乏しく、長期にわたる不屈の社会主義政党建設の視点と作風はなかったのである。そして、一度獲得した議席を共産党はむざむざ手放すことはなく、保守政党顔負けの世話役活動で支持票を固め今日まで維持させてきた。
ちなみに京都府議会京都市内部で一一行政区:選挙区で共産ゼロは二区のみで、三四議席中一〇議席で、二九・四%の占有率。京都市議会でも六七議席中一区のみ空白で、一八議席確保し、占有率二六・九%で、社民党は久しくゼロであり、たまに一〜二区で挑戦してもかなりの差で敗退している。新社会党は府議・京都市議は党結成以来挑戦も出来ていないし、緑の党や市民派無所属も何度か出ても敗退。
しかし、地域世話役・生活相談は保革の違いがあまりない分野であり、一二年間の「現役」市長として市内隅々まで悪名もだが、名をはせた門川陣営にしてやられ、一二年前は駆け出しだった「京都党」党首の維新の会の京都版のような、公務員攻撃に血道をあげる新自由主義丸出しの三極目の候補者にも、結構の票を残念ながら許してしまって(村山祥栄元市議9万4859票、20・3%)、あの票差となった。
選挙技術、地域の世話役活動の積み重ねで維持・堅持してきた勢力が、若干の市民運動や地域ユニオン運動を担う活動家たち、そしてれいわ新選組や新社会党、緑の党などをはじめとする勢力に応援されて挑戦した選挙であった。
確かに最初、今回の市長選本番突入前のチラシを見て、いい意味で私はびっくりした。れいわ新選組の山本太郎代表や新社会党本部の岡崎宏美委員長などの名前・顔写真がばんと出て、福山陣営の街頭大演説会が組まれるというのである。選対中心メンバーの方のご努力がさぞかしあったことと敬服するが、府立体育館での大集会で一時間半のうち、一時間は不破哲三共産党委員長の大演説で、知事選候補の顔も名前もたくさんの参加者の頭から消えてしまう、というような集会を経験し尽くしてきたこれまでの支持者からすると、想像もできないチラシであった。かつてなら私がこういうチラシを考え、内部からさえ一笑に臥されるか、「弾圧」を受けていたであろうが、それだけ「あと一〇〇〇票差をどう逆転するか、五〇〇票をどう埋めるか」に必死だ、ということがひしひしと伝わるものであった。
しかし、いかんせん。問題はそういうレベルでは突破できない敵の布陣が敷かれていたのである。

現職自公相乗り候補には絶対にできない運動

私の筆力の貧困化でつい冗長になりすぎ、紙幅も尽きていることだろう。結論を急ごう。地域の世話役の積み重ねは大事だが、保革の別はあまり感じられない分野だし、量的差異で勝負するしかないものであり、大事だが量が少ないとただ単に負けてしまう。次に発展できる独自のものはあまり残らない。これを越えるのは、結論を言えば労働運動を中心とした資本、とりわけ大企業・大独占との職場からの闘いである。理不尽な不当労働行為、その独占資本と結託・忖度する当局も含めたところとの大衆的な闘いである。その中でこそ、労働者はめざめ、鍛えられ、活動家が誕生し、地域での選挙闘争も担える広範な支持者が広がっていく。全部とは言わないが、やはり活動家誕生はその大部分は今も昔も職場からの労働運動であり、活動家として鍛えられ視野を広げるのは市民運動、政治闘争によってである。
今年で、総評解体・連合発足三一年である。かつての蜷川知事選挙・富井京都市長選挙を担った京都府職労や京教組を中心とした「革新・民主陣営」の活動家も七〇〜九〇歳代となり、五・三や一一・三の二〜三千人の憲法・円山野音集会(京都市東山区)の参加者七割を占めて矍鑠(かくしゃく)として頑張ってはいるものの、現役職場ではその後継者の数はその最盛期とは比較にならない現状である。政治集会となれば、選挙の集会となれば円山野音や府立体育館で数千人を埋め尽くすことができても、労働運動プロパーの春闘や秋年末闘争などでは、連合・京都総評の入居する三百人収容のラボール京都ホールで京都総評が決起集会をやっても、百数十人参加で閑古鳥が鳴く有様だ。労働争議支援での資本・当局への大衆的行動で数千人の京都駅前ヒューマンチェーンを取り組むなどということは、遠い昔話となっている。
もちろん、自治労連(京都府職労・京都市職労)と全教(京教組)というかつての京都府医師会(これはもう自民党に鞍替えしている)と並んだ「蜷川御三家」の一定の部分がかなりかつてと比すれば少数化しても(それでも他県と比べれば両ローカル単産とも、絶対的には大きな組織だが)、全建総連加盟の京建労などが二万人近く組織建設し、この三〇年来力をつけてきているが、やはり建築職人の組合であり、職場の反合理化闘争や春闘ストライキで奮闘できる労組とは性格が違う。京都生協も経営側の不当労働行為による、かなりの労組員脱退というかつては考えられなかったことが発生しているし、京都医労連が相対的に力をつけているが、その闘いにはいろいろ限界が見られる。
結局、「京都で長年……」とか言いながら、結論はそんなことかと言われてしまうかもしれないが、K・マルクスが生涯の書、『資本論』第1巻の結語で述べた「資本主義的蓄積の一般的法則」、つまり搾取の強化への抵抗闘争こそが労働者を人間として、労働者として目覚めさせ、資本の搾取のからくりを打ち破る、それを忖度する行政・国家権力機構への闘いに決起させるのである。これはどう努力しても、今回のように福山陣営の政策・公約をパクれても、自民・公明やそれと一心同体の現職市長陣営にはできない運動である。やらない運動である。
かつての六〇、七〇年代のように春闘・大幅賃上げを掲げ毎週円山野音数千人の決起集会と四条通・河原町通りのデモ行進や、反合理化・不当労働行為粉砕を掲げた数百人・数千人の資本・当局攻めがすぐにはできなくても、署名請願型の運動や政策対置路線(連帯ユニオン関西生コン支部のような大衆運動を伴った産別・大衆運動としてのそれではおよそなく)に徹しているような運動に、やはり昔も今も「民主陣営」の中心であるローカルセンター・京都総評がとどまっている限りは、この「かつてないチャンスを生かしての革新・民主市政奪還」はできないだろう。

勝利をめざして


三一年前までのような京都総評・社会党左派の中心的部隊であった全国金属・私鉄総連・全逓は連合に取り込まれてなくなっても、全労連・全労協加盟の階級的民主的ローカルセンターのめざすべきものを組合員の生計費調査から「京都市内四人家族一カ月四八万円の生活費が必要」というようなことを政策対置するだけではだめだ。職場からのストライキをかけた闘い、労働争議支援の大衆行動で不当労働行為企業を追い詰め、社会的に孤立させる(JAL争議の京セラ・稲盛和夫JAL名誉顧問などへ等)闘いなどを軽視、反弾圧闘争を懸命に闘う連帯ユニオン関生支部との共闘などを異端視しているようでは、革新市政の奪還はおぼつかない。その反撃力を、根源的な力を養成する運動を怠っている、回避・忌避していると言っては言い過ぎだろうか。
ちなみに、京都府民二六〇万人というのは述べたが、労働者数一三〇万人と言われ、連合京都八万人で京都総評は六万人である。連合対反・非連合の組織勢力比が、全国四七都道府県で圧倒して京都が高いと言われている。京都市内だけに限ったその調査数はないが、もっとそれは高いだろう。
“技術は法則を越えられない”。反共におもねり、内ゲバを続ける日本社会党の府本部や全国の党の三分裂に乗じてかつての社会党票:革新票をかなり取り込むことはできても(96年総選挙、98年参議院選挙とその後)、体制側が懸命に全力投球(「京都に共産党市長はNO!」の新聞広告を最終盤に門川陣営が出した)してきているとき、法則無視での政党建設の術(すべ)や選挙技術だけでは勝てないのである。

2020・3・6
(山村 竜)

 


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