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    かけはし2020年3月23日号

Covid―19感染症の力学


フランス

われわれは中国の惨事から教訓を学んでいるか?

ピエール・ルッセ

 以下は、現在世界に大きな影響を広げている新型コロナウィルス感染に対するルッセ同志による論評の後半部分を抜粋したものだ。医療情報を中心にした前半部分と事実情報の出所を示す注は割愛した。現在の感染の広がりと政治的、社会的問題の間にある看過してはならない関係を論じている。本紙に掲載した矢野同志や小林同志の主張と重なるものであり、今後の議論の発展のため紹介する。(「かけはし」編集部)

権威主義体制は
責任を免れない


 Covid―19はすでに「つきとめられ」、遺伝子情報が明らかにされ、以前のSARSのような近い関係にあるウィルスのために開発されたものを基礎として、ワクチンの研究を可能にしている。しかしながらそれらの変異も適応もありそうなことだ(インフルエンザウィルスのように)。

 中国は、決定的な問題、大流行の大本と力学、を理解するための研究に向けて唯一の「データベース」を提供している。しかしながら、中国の研究センターは2019―nCoVの遺伝情報配列確定を共有してきた〈それは国際的なワクチン研究を可能にしている〉とはいえ、政府はこの感染の完全かつ信頼できる経過を提供していない。これが現在知られている事実だ。
WHOと国連は、中国政府の「透明性」と感染に対するその戦いを賞讃してきた。しかしわれわれはここで、医療情報の領国から離れ、政治に入ろうとしている。これらの言明は、北京がこれまで透明どころではなかったということをわきまえた上で、手厳しく批判されてきた。
これはわれわれに次のことを思い起こさせる。つまり、WHOは政府間機関であり、その制約に従っている、ということだ。国際諸機関における中国の重みは、その財政拠出の重要性を前提にすれば、相当なものだ。これは忘れられてはならない。しかしWHOはもちろん、保健警報の問題においては、欠かすことができない医療の情報源としてとどまっている。
さまざまな理由から、感染の経過、罹患者数、快復率、また致死率に関する中国のデータは信頼に足るものではない。軽症のまま感染した相当数の人々が、彼らの状態を軽微だと思い、自ら病気だと声に出すことが必要とは気付いてこなかった、ということがあり得るのだ。
第二の理由は政治的だ。政府は、リ・ウェンリアン博士のような内部告発者を投獄し、少なくとも一ヵ月情報を隠そうと努めた。なお先の博士は自身がこのウィルスに感染した後すでに死亡している(彼は住民の中で一人のヒーローとして、また殉教者として称賛を受け続けている)。
WHO自身はそれゆえ、長い遅れの後に警報を伝えられ、次いで北京は、特にあり得る経済的結果に対する恐れのために、国際的エマージェンシー宣言を遅らせるためにその重みを利用した。今日でさえ中国の政権は、WHOが台湾と共に活動することをなおも禁じている(この論評が書かれた時点で:訳者)。台湾は中国の一つの省とみなされているのだ。
中国の医療システムとの関係では他にもいくつか理由がある。地方の医療センターには、訓練を受けたスタッフがいず、あるいはこの種の爆発に対処するための技術的手段がない。病気を検査するための十分なキットもない。最先端の病院は私立であり、費用がかかり、疾病に対処する点での不平等は非常に大きい。今日、国家は確かにコロナウィルスの犠牲者に対し入院コストをまかなっている。しかしその対象者として公式に認められることが依然必要とされている。湖北省では、今も医療システム全体が危機にある。コロナウィルスの爆発で手一杯になっている病院は、他の患者を、その命が危機にある場合でも、もはや処置できていない。

社会防護能力の
腐食進める源は


警戒警報がもっと早く昨年一一月に出され、諸方策が即座にとられていたならば、あり得ることとして、おそらくだが、流行の危険はつぼみのうちに摘み取られていただろう。
権威主義体制、それが行使する社会的統制、透明性の欠如、また表現の自由の抑圧に対する抗議が、中国それ自身内部で、また国際的に高まり続けている。これらの批判は完全に正当化される。
しかしながら問われなければならない質問がある。それは、この中国の惨事から学ぶ何らかの教訓を、われわれは得ていないのではないか、というものだ。われわれの「民主制」はそうした過ちから保護されているのだろうか?
フランスでは、一年以上の間絶えることのない決起として、あらゆる職種の医療スタッフが、公的医療サービスの崩壊を絶えず厳しく非難してきた。これは英国でも、さらに米国でも一つの決定的課題になっている。
フランスでは、無能力、腐敗、利害関係団体(大製薬企業、建設、自動車……)への従属、保身、司法の機能不全、というさまざまな理由から、医療のスキャンダルが次々に続いてきた。アスベスト、ディーゼル、仲介業……と。
フランスの当局は、チェルノブイリの惨事後の、核の「雲」はフランスには到達していないとの偽りの主張がそうだったように、一度ならず嘘をついてきた。彼らは、非軍事核プラントの臨時労働者や核実験の犠牲者といった、危険にさらされている住民を追跡観察する手段を、承知の上で捨て去ってきた。これは、近頃起きたルーアンのルブリゾル工場での火災の中でも再度現実になった。何と政府は、そのような多重的化学汚染の影響をその後に評価できるそれが唯一の方法だった、とセヴェソ(イタリア)の前例が示していたにもかかわらず、大規模な血液検査の実施を拒絶したのだ。
中国の「教訓」は、フランスにおいて――そして英国でまた他のところで――、流行が起きた際にはそれは「対処」されなければならないことになるとの単なる周知よりもむしろ、国中の公共医療サービスが即刻再度強化されなければならない、ということだ。ちなみにその場合の「対処」とは、極めて限られた数の陰圧処置室(空気が入ることはできるが出ることができない)を使い、次いで患者を病室に隔離し、一旦サービスが手一杯になれば、深刻さが最低の感染患者……を家族と共に家にとどめ……、といったものなのだ。
公共医療システムはあらゆる諸国で、流行に立ち向かい、さらに他の患者に対するケアができなければならない。しかしこれは、現在ある現実ではないのだ。
高まる一方の貧困、不平等、さらに不安定化、そして社会的紐帯の解体もまた、大流行に対する社会的抵抗力に強い影響力を及ぼしている。国際貿易の増大は伝染性疾病の広がりを助けている。新自由主義秩序は、一つ以上の道筋でわれわれの社会の防護能力を腐食させ続けている。(二〇二〇年二月一五日)(「インターナショナルビューポイント」二〇二〇年二月号) 


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