もどる

                     

新型コロナウイルスについての論文集

かけはし2020年3月9日号





生活と健康を破壊する安倍政権

不当きわまる「全国休校措置」

失業・貧困・無権利なくせ

今こそ休業補償・医療無償化を

惨事便乗型強権政治だ

 二月二七日、安倍首相は突然三月二日から全国で小中高の休校を要請することを発表した。当然にも直後より激しい批判の声が上がった。この政策には様々な問題点がある。まずは決定のプロセスである。小中高の休校を最終的に判断するのは地方自治体の教育委員会であり内閣総理大臣ではない。したがって安倍は要請することしかできなかったのだが、要請すること自体が地方自治に対する不当な介入である。
安倍政権がこのような民主主義のプロセスをあえて無視するような行為を行うのは、自らのコロナ対応の失敗を糊塗するばかりでなく、今まで無策のまま感染を拡大してきたにも関わらず「この一〜二週間が正念場」とまるで緊急事態であるかのように言いつのり、緊急時には超法規的手段をとっても良いという前例を作ろうとしているからである。このような政治手法はまさに惨事便乗型政治である。二月二八日、非常事態宣言を出した鈴木北海道知事は「外出制限に法的根拠はない」と述べた。このような発言を利用して「緊急事態条項が必要」といった具合に議論を誘導しようとする右派イデオローグ・マスコミを批判していかなければならない。
また自粛の自己規制が商業イベントばかりでなく公立博物館や美術館、労組や市民団体の取り組みにまで「無批判」に拡大していることにも注意が必要だ。とりわけ労組や市民団体の取り組みに対して、感染予防を理由に公共施設の貸し出しを行わないなど、この機会を利用した恣意的な運営が行われないように注意が必要である。

リスクを住民に押しつけ


小中高の一斉休校は、子どもと子育てを担う人だけの問題にとどまらない。子どものケアのために何万もの労働者が仕事を一時的に離れることを余儀なくされれば感染症指定病院である帯広厚生病院の診療縮小に明らかなように、社会機能がマヒするような事態が全国で発生するだろう。また一斉休校は、家庭に居場所がない子ども、家庭で十分なケアが受けられない子どもたちにとって命の問題になりかねない。
二月二八日現在、政府は一斉休校について「柔軟に対応してほしい」と態度を変化させている。これだけ全国にインパクトを与える政策を二五日に政府の基本政策を発表した二日後に唐突に発表していることから、緻密な検討を加えた発表とはとても思えない。徹底的な批判の声を上げて一斉休校方針を撤回させよう。
全国の小中高一斉休校が、感染を封じ込める効果があるのかという点でも重大な疑問がある。東京圏での満員の通勤電車などを放置したままで実施される一斉休校は極めてアンバランスな対策であり効果はないかあっても限定的なものになるだろう。また仮に対策に効果があると仮定しても、一斉休校により生じるリスクのほとんどを小中高生個人、労働者、中小企業に押し付ける政策は、その副作用により早晩破たんするだろう。

公共医療機関への攻撃


感染者を少なく見せるために意図的に検査がサボタージュされているのではないかという疑惑がもたれている。検査しなければ感染者は見つからないので検査のハードルをいたずらにあげているのではというわけだ。患者を担当している医師が必要性を訴えても検査をさせていないので、多数の「検査難民」が生まれていると国会でも取り上げられている。
検査体制が不十分なことは明らかだ。しかしここではサボタージュがあるのかどうなのかは論じない。それよりも、このような新型感染症の拡大の時に検査・研究を行う公的機関である公立の衛生研究所の体制が極めて脆弱なものにされているという事実を確認しておく必要がある。
その象徴的な例が大阪府・市である。維新の会は、一七年四月に府・市それぞれの衛生研究所を「二重行政」として統合し半民営化ともいえる地方独立行政法人化してしまった。この際、四割近い研究者がリストラされている。全国の衛生研究所の多くは長年にわたり人員・予算を削られてきて検査技術の継承ができないなどの問題が各地で発生しており、このような突発的な事態に十分対応できる余力がないのが実情であり、検査に応じたくても応じられないのである。いたずらな公務員数の削減は、感染拡大のような臨時の事態が生じたときに、住民の切実なニーズに応えられないという結果をもたらしたのである。
患者が殺到し医療機関が機能不全にならないように受診制限、自宅療養が呼びかけられ「不安だから受診する患者はわがまま」のような報道がされている。しかし健康上の不安を抱えた時に相談できる窓口である保健所も一九九四年の保健所法により大きく数を減らしている。「わがままな患者」の自己責任論ではなく、地域の中で孤立した弱者を多数産み出し、それをケアする公的機関を削減してきた責任が問われなくてはいけない。

新自由主義の現実


日本の医療機関は欧米に比べ医師・看護師などの人員配置が極めて低く、本紙二月三日号でも指摘した通り労働環境は極めて劣悪である。感染症指定病床は全国で一八〇〇床あまりしかなく、全国で重症者が発生すればあっという間に感染症指定病院は機能停止になるだろう。また感染症指定医療機関の多くを占める公立病院は公立病院改革ガイドラインにより経営効率を第一に求める地方独立行政法人などに経営が変更されている。新型肺炎対応で一般診療を縮小するようなことになれば、たちまち採算がひっ迫し経営に行き詰まる病院が多数出てくるだろう。すべては医師をはじめとする医療従事者数を抑制し、公立病院を統廃合することにより医療費を抑制してきたことが原因である。

 労働者に犠牲を強いながら感染予防のために経済活動を制限すればリーマンショックを超えるような不況が襲うことは確実である。三〇年近く続いた新自由主義的経済政策により社会の格差は拡大し貧困が蔓延している。一方で社会のセーフティネットはボロボロの状態である。個人に一方的にリスクを押し付ける安倍政権の対策を批判しなければならない。とりわけ新型肺炎予算が一円も計上されていない新年度予算の衆院での採決を厳しく批判しなければならない。

消費税減税と
医療無償化を
二月二八日、全国でトイレットペーパーなどが不足するというデマが流れて買い占めに走る人々が多数出た。トイレットペーパーなどは国産であり不足することはあり得ないと繰り返し報道されていたが、さほど効果はなかったようだ。この背景には「国・自治体は何もしてくれない。自分の才覚で抜け目なくこの事態を切り抜けるしかない」という発想が多くの人に共有されていることを表している。まさに「社会はない」と言ったサッチャーの言葉が実態化されたかのようである。
貧困を放置したまま感染症を克服することはできない。したがって新型肺炎ウイルスを克服するには、新自由主義から決別し貧困をなくすことが不可欠である。労働者個人にリスクを押し付ける安倍政権の対策を拒否しよう。リーマンショックを超える不況が確実に襲ってくる。生活防衛のために今すぐ消費税五%への減税を訴えよう。待ったなしの休業に対する十分な補償と医療の無償化を求めよう。医療機関や中小企業等への支援を行うために、大企業・高額所得者への累進課税強化を訴えよう。住民福祉第一への自治体を目指す運動を開始しよう。   (矢野薫)


もどる

Back