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    かけはし2020年10月26日号

共同の対応議論に出る時だ


自動車産業の現場活動家座談会(下)

未来車への転換、全体的な業績不振の二重の危機の中

現場での苦しみやジレンマは

Q:現場での対応を模索するとき、最も苦しかったりジレンマを経験する点があれば。

ソ・ヨンウ:現代車は継続して工程をモジュール化・外注化している。ところが、開発を終えて企業体まで選定して、オーダーをすべて与えてから組合員に話をする。説明会をする時は、すでにこのようなモジュール化・外注化契約が終わった後だ。組合員がどのようにやるのかの余地をなくすのだが、このような点で労働組合がかなり押されている。
例えばGV80 6気筒エンジンを蔚山で生産すると思っていたが、これも現代ウィアに外注化していた。事実上執行部も黙認したのだ。その作業をしていた人たちの雇用問題もあるのだが、執行部や代議員がとても安易に対応していないかと思う。
彼らが先頭に立ってブレーキもかけて積極的に対応しなければならないが、そんなことはない。完成車工場を単純組み立て工場に変えようとするのが目に見えるが、それに対する闘いをまともにできなければ、これから人員が10年で2万人以上減るので、それだけ労組の力は欠かすことはできない。そのような深刻性について内部的に話がたくさんできないのが事実だ。

ハン・ジョンウ:甲乙の場合、会社がわれわれよりも分かっていない。われわれは研究もして、議論もして、関連情報も入手して、未来車について完成車がどのような計画を持っているのかどうかを把握しようとしているのに、使用者側は労組破壊の後の資金流動性の問題に没頭するだけである。
対案を出して要求を作成するには、その根拠と情報が必要であり、その不確実性があまりにも大きい。指導部と活動家が見通しと対案を作り出さなければならないが、これも侮れない。例えば変革党忠南道党のレベルで、この問題について昨年から議論をしてきた。金属労組忠南支部事業場のうち部品社の労組を集めて、事業場の特性や製品に応じて細部の議論もやろうとした。
しかしわれわれが一番弱いのが、実際それぞれの現場で作る製品がどのような技術水準なのかわからない。だから各自の事業場から具体的に調査して、何が問題なのかを明確に把握してみようとしたが、今年に入ってコロナに加えて、先制的な構造調整の問題で闘いに入っているので、引き続き押されている。

キム・ソンミン:私は個人的にこのように考えている。われわれの労働運動、労働組合運動が経済闘争に、いわゆる現場権力の争奪闘争に慣れてしまっていないかということだ。80年代の後半から労組破壊の前までは、その闘争だけしてきた。ところが今はまったく別の問題に出くわしたと見ている。
現場でこのような問題で悩んできた人がいない。事実、労組破壊だけでも手に余る状況であり、このような問題は不慣れなものである。そうすると「労組が将来の産業に悩まなければならないのか」というジレンマがある。一方では、将来の労働について、その条件はどうあらねばならないのか悩みもするが、これまでわれわれは賃金団体協議をよくやって、賃上げと労働時間の短縮を勝ち取る程度であり、そのレベルを超えることをわれわれがやってきたのかということも考えた。

チョ・ナムドク:いま金属労組で「自動車フォーラム」を作って、政府の産業部と金属労組、自動車使用者側が協議体を構成して議論しているが、はたしてそれを通じて産業変化過程での構造調整を最小限にすることが可能なのかという悩みがある。また一方では、こうしたやり方に反対しても、この変化にはたして逆らえるのかという問題もあり、これも悩みだ。
要求をどのように立てなければならないかも問題だ。事業場ごとでの利害関係があるなかで、それを乗り越えて要求をどのように作り、闘いをどのように組織するのか、さらに個別の事業場で解決するのは難しく限界もあるようだ。これをどうすれば解決できるのか、うっとうしい問題である。

オム・ジョンフム:一番うっとうしいのが産業レベルの問題だと見て、個別事業場での対応がまともにできないことだ。主導権を現代車が握っているからである。最初の開発段階から物量をどの事業場にどのように割り当てるのか、そのすべてを現代自動車が管理している。事前に労働組合も知らないうちに行われる。いま事業者の状況がまちまちで対応が容易ではなく、それはおそらく構造調整が迫ってくる時期も皆違うからだ。
以前にも経験したように、絶対に同じ時期にまとめて事を起こさない。労働者が集まれなくする方法を知っているのだ。その方式を少しもたがわず同じように使わないか。ひょっとしたら、むしろ労働者間の争いになることもありうる。物量割り当てをめぐり、事業場間での争いをさせるということだ。

どのような実践が必要か


Q:構造調整と産業再編に受動的に引きずられないのなら、現場闘争力量を構築しなければならないが、それぞれの事業場レベルではどのような実践や事業が必要だと思いますか。

キム・ソンミン:とりあえず組合員がまず、このような状況と変化の流れについて知らなければならない。われわれを取り巻く環境がどのように変化していて、資本の戦略は何なのか、このようなことを伝えなければならない。さらにわれわれは、このように変化する状況で何をすべきかともに悩まなければならない。例えば、少なくとも基本的な所得保障に対する闘争とか、雇用の安定を要求する闘争がとても難しい点もたくさんあるが、そのようなことを要求して闘っていかなければならないだろう。

ソ・ヨンウ:組合員の教育とか配布資料とか、こんなことを通じて組合員の意識を粘り強く変える実践をおろそかにしてはならない。また組合員が肌で感じるのは、直接的な闘争である。会社の外注化に立ち向かい、直接その中で闘う人々は皮膚ですぐに感じる。現場闘争を続けて作り出すことは、また活動家の役割だ。そんなことの継続が必要である。

ハン・ジョンウ:甲乙は産業再編の問題以前に、労働組合破壊の後遺症で物量がとても縮小された状態だ。さらに2016年からの累積赤字がほぼ1千億ウォンだ。使用者側が労組破壊に注ぎ込んだ間接費用までで1千億ウォンを超える。結局昨年には資本の切り崩しに入り、今年はコロナで資金事情がさらに悪化した。いま不渡りが出ても不思議なことではない。われわれが譲歩すると解決される問題ではないのだ。だから不渡りまで前提にして、どのように闘うのか悩んでいる。
既存の交渉のすべてで労働条件の譲歩なしに闘うという基調を立てて、不渡り対応マニュアルを準備している。産業再編と構造調整の問題も同じだと思う。死ぬか生きるかだ。そのためにその闘いの条件と状況を作らなければならない。整理解雇禁止協約のようなものだ。そして退職金の保全措置に関する事項は、団体協約で定めさせて、最低でも退職金の受け取りで闘争を放棄する事態を防ぐことができる。
今は闘いの準備をすることがより確実で優先的だ。最悪のシナリオに対比して、われわれのできることからじわじわとやらなければならない。内燃機関部品メーカーや私の所のように不渡り間近に迫っているところでは、そのように闘わなければならないのではないかと考えている。

労働者相互間での共同の実践や事業は

Q:現在、自動車産業関連の各事業場の状況は千差万別である。しかし、自動車産業全般の危機と変化という点では、個々の事業場レベルの対応では限界を感じざるを得なくなっている。今後、部品メーカーと完成車の労働者相互間でどのような共同の実践や事業を行うことができるのか、提案するとすれば。

キム・ソンミン:これからは部品社の労組同士の集まりだけでなく、資料を作って討論会形式で話を交わしてみたら良いだろう。これをさらに拡張させると、金属労組と民主労総レベルでこのような内容を議論する場が必要になると思う。
問題は経験上、これは決して容易ではないだろうという点だ。以前に私が金属労組中執に二度、喪服を着て行って、現代車本店前での全国一人デモを提案したことがあるが、二度とも無視された。危機的状況でお互いに鋭敏になっているし、年代が難しくなっていることも事実である。それでも労働者同士の連帯を何とか具体的に作らなければならないと思う。

ソ・ヨンウ:未来車に関しては、完成車の活動家が集まって一緒に議論する場があることは知っていた。私はそのような試みが重要だと思う。しかし、今ここで具体的な対案や根本的な解決策が出ないのだ。だが情報を共有するネットワークは必要である。変革党もそのような事業場を集める試みをしてみてはどうか。この分野での政策的力量の強化とモニタリングも必要であり、学習しなければならない素材でもある。われわれが知らないことがあまりにも多い。そのような学習と情報交流のネットワークの中で議論しながら、要求も出していくことができないだろうか。

オム・ジョンフム:かつては自動車の活動家と部品メーカーの活動家が集まって、本当に話をたくさんした。夜を明かしながら議論したことも多かった。ところが、ある瞬間から断絶され始めた。命脈が維持されるだけで、今の自動車の活動家の中で知っている仲間は多くない。部品メーカーの活動家同士もこれまたうまくやれていない。諸般の事情が違うので一つに束ねることは難しいが、そのような集まりの時に議論することが重要である。活動家が集まるといつごろからか、ますます闘争ではなく、選挙の話ばかりしながら「私は何のためにここに居るのか」と思うことが多かったが、本当の激しい闘争をどのように準備するのか議論しなければならない。
インタビュー:イ・スヨン(機関紙委員長)
(社会変革労働者党「変革と政治」第112号より)

朝鮮半島通信

▲朝鮮労働党の創立75年に際し、10月10日午前0時から金日成広場で軍事パレードが実施された。軍事パレードでは金正恩党委員長が演説を行った。
▲日本製鉄(旧新日鉄住金)の敗訴が確定した韓国の元徴用工訴訟を巡って韓国の大邱地裁浦項支部は10月11日までに、関連書類が同社に届いたとみなす公示送達の手続きを取った。
▲「韓国挺身隊問題対策協議会(現・日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯)」による寄付金流用疑惑で、寄付をした市民らが同団体と同団体の元代表で共に民主党議員の尹美香被告(在宅起訴中)、そして「ナヌムの家」をそれぞれ相手取り寄付金返還を求めた訴訟の第1回口頭弁論が10月12日、ソウル中央地裁で行われた。
▲朝鮮中央通信は10月14日、金正恩党委員長が咸鏡南道検徳地区の災害復旧現場を現地指導した、と報じた。
▲朝鮮中央通信は10月15日、金正恩党委員長が咸鏡南道新浦市や洪原郡の災害復旧現場を現地指導した、と報じた。

コラム

厄年のあとのあと

 ボクの今の年齢に当てはめると前厄が六〇歳、本厄が六一歳、後厄が六二歳と数えるのが一般的らしい。これも宗派や地域によって満年齢や数え年を用いるので何が正しいのかはわからないが、通例によれば前述したとおりボクは、今年後厄ということになる。
 もちろん厄年に科学的根拠などあるはずもないが、陰陽道に由来するものとされ平安時代にはすでに信じられていたという日本古来の風習だ。関東でいえば、西新井大師や川崎大師、佐野厄除け大師が有名だが、神社仏閣巡りが好きなボクもなぜか、これらには一度も参拝したことがない。つまり厄払いなどは、これぽっちも信用していなかったのだ。
 それが祟ったのか、本厄、後厄のこの二年間はまさしく凶事や災難にみまわれ続けた。このコラムでもたびたび書いたが、本厄の昨年は、前立腺がんがみつかり、十一月には憩室炎を突如発症し一週間の入院。内視鏡検査では、七つのポリープがみつかった。今年に入ってからは、前立腺がんの全摘出でまたしても一週間の入院生活。
 それからしばらくたって、腹痛が治まらないので病院に行ったら虫垂炎だと診断された。薬で散らしたので手術と入院は免れたが、医師からはこの年齢で虫垂炎にかかるのは珍しいと言われ、一週間の禁酒を忠告された。確かに虫垂炎に酒は禁物であることくらいアルコール依存症に近いボクにだってわかる。憩室炎、前立腺がんで退院したその夜から呑みはじめたそんなボクにだってもだ。
 しかし、口寂しさから病院の帰りに、酒屋に寄り、日本酒、ワイン、ビールとありとあらゆるノンアルコール飲料を購入し、初めての禁酒生活を送ったのは言うまでもない。だが、その不味さは形容しがたい代物である。飲み残した何本かのそれらが、未だに冷蔵庫の奥に眠っている。
 さて、これらは後厄のまさに前段だった。七月の初めのことである。A市のケアハウスに住む方から、原稿があるので本にしたいとの電話があった。午前一〇時半に伺う約束をして東北自動車道を北上。Bインターチェンジを過ぎたところで、前方の合流車線から本線に入ってくる大型トラックが目に入った。先に行かしてしまおうと減速したその瞬間、後方から大きなクラクションを鳴らされ、ものの見事に追突され車は大破。それも産廃を運ぶ大型ダンプにである。
 もちろんダンプの前方不注意、車間距離の甘さが原因であるが、その衝撃に何事が起こったのかと思わずたじろいた。こちらも走行中だったこと、ダンプも急ブレーキをかけていたことから怪我もせず、ムチうちもならずにすんだが、もし高速走行中の追突事故だったら追い越し車線に飛ばされて二重衝突の可能性もあった。
 あとからドライブレコーダーを再生してみると、その衝撃から運転席でバウンドする様を見て「生きていて良かった」と思わずにはいられなかった。
 災難はまだまだ続く。九月に入って、大宮でしたたか呑んだ晩のことだ。一軒目、二軒目とはしごして、外に出たとたん、ふらっとしたその瞬間、コンクリートの壁にしたたか後頭部を打ちつけ一〇分くらい気を失ってしまった。
 その様に気づいた店の人たちが救急車を呼んでくれ救急病院に搬送されるという不始末。救急車の中で意識は戻ったものの、病院でCTを撮られ、大丈夫だと診断されたが、時間外なので保証金として一万円を預け一週間以内に精算に来て欲しいと預かり書を渡された。
 次の土曜日、病院まで電車とタクシーを乗り継ぎやってきたが、その差額はなんと一三〇円也。これも不幸中の幸いであったが、後厄が明ける来年は、どんな災いが待ち受けているのか。自粛した生活を送ることが何よりであることは、十分わかっているのだが。
(雨)



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