もどる

    かけはし2020年10月5日号

今や北京がわれわれの本当の敵、が重要


香港

『反乱する香港』:區龍宇との対話 イヴァン・フランチェスキーニ

人々は初めて大きく政治化され
古い政治の死から新しい政治へ


 この一年半、香港は混乱に陥っており、新世代の若者や政治に積極的な市民が、北京の締め付けに抗議するために行動に参加していた。『反乱する香港:抵抗運動と中国の未来』(プルート・ブックス、二〇二〇年)の中で、香港の傑出した左翼知識人である區龍宇は、過去二〇年間に彼の生まれ故郷で起きた抗議運動の発展を、中国本土におけるより幅広い政治的動向という文脈の中でたどっている。
本書は、中国当局が取締りの中での新たな段階を効果的に告げた、超法規的な新国家安全維持法を制定した後に出版されたが、この数カ月間の出来事を振り返り、いくつかの神話を払拭し、そしてもしかすると初期の教訓を引き出す絶好の機会を提供している。

過去10年何が起きていたのか


(イヴァン・フランチェスキーニ)この一年半の抗議行動を振り返り、さらに過去一〇年の間に香港で起きた他の大衆運動を振り返ってみて、こうした市民的反乱の事例を統合する一本の糸を見つけることは可能だろうか? 言い換えれば、それは一体何だったのか?

(區龍宇)過去一〇年間の主な抗議行動を一言でまとめると、「幻滅」ということばになる。香港の人々は、「香港人が香港を統治する」や普通選挙権という北京の空虚な約束にますます幻滅してきた。二〇一〇年、民主派からの普通選挙権を求める圧力を受けて、北京は立法府の直接選挙による議席を五議席増やす譲歩をした。しかし、急進的な民主派はこれを拒否した。というのは、直接選挙による議席の増加は、間接選挙による同数の議席の増加でバランスを取る必要があり、そのことは北京の策略を容易にするという理由からだった。
香港基本法は、北京が改正しない限り、五〇年間しか有効ではない。二〇一〇年にはこの有効期間の四分の一が経過したが、普通選挙権はまだどこにも見えていない。
それ以来、北京は香港の自治に対するさらに大きな攻撃を展開し始めた。まず二〇一二年、彼らは香港政府に「中国のアイデンティティー」の北京版を推進するための「国民教育」を義務化させようと圧力をかけた。これに続いて、中国語の授業では北京語を教材として押し付けた。そのことは、香港の生徒が母語の広東語を使う権利を否定するに等しいものだった。
これは学生たちの強い反感を買い、黄之鋒(ジョシュア・ウォン)率いるもっとも急進的な学生たちは、この新しい政策に反対するために「学民思潮」を結成した。親でさえも学生を支援するために自らを組織した。どちらのキャンペーンも、政府の計画の実行を阻止することに成功した。北京の攻撃は、より急進的な民主派や若い世代に、普通選挙権を求めて闘うためには迅速かつ断固として行動しなければならないと確信させるのに役立った。それは最終的には二〇一四年の「雨傘運動」につながった。
そのような大規模で平和的な市民不服従運動が起こったのは、戦後の香港では初めてのことだった。それは、香港の人々の支持を得られれば、北京も耳を傾けなければならないだろうという強い期待から始まった。その運動は実際に大きな支持を得たが、北京は耳を傾けようとはしなかった。このことは多くの人々の心を打ち砕いた。彼らは七九日間にわたる占拠が何もないまま終わってしまったことに深く心を動かされたのだった。この背後には、北京に対する深い幻滅感もあった。怒り、意気消沈、絶望の入り混じったものが若い世代に降りかかった。
もし二〇一九年に北京が別の攻撃、今度は逃亡犯送還条例案という攻撃を開始しなければ、抗議者たちは第二の抗議行動の大波を起こすことはできなかっただろう。数百万人の参加者を動員し、若者を先頭にした抗議行動は、二〇一四年の運動よりも規模が大きく、時には暴力的で、より長く続いた。それはパンデミックが発生するまで八カ月間続いたのである。彼らはこの条例案が香港の自治の終焉を意味していることを知っていたため、抗議者の間では「終局之戦(エンド・ゲーム)」(訳注:二〇一九年に公開された米映画「アベンジャーズ」シリーズの映画タイトル)ということばが繰り返し登場した。
しかし、「幻滅」には別の側面もある。過去一〇年間で、民主派に対する幻滅感が高まっていた。それは、まず若者の間で、続いてかつては穏健な政治を信じていた民主派の伝統的な支持者である中流階級あるいは下層階級のかなりの部分で起こった。民主派の多くは、(部分的な)選挙政治によって懐柔されてきたため、一般大衆が北京をどう感じているかに対する感受性を失い、対立的な行動への意欲も失っていた。
二〇一四年の彼らのパフォーマンスの悪さによって、若者たちは彼らを軽蔑するようになった。大部分が自然発生的で指導者のいない二〇一九年の反乱は、下から運動を起こすことによる民主派の無力さへの反応であった。それは、古い政治の死と(困難な)新しい政治の誕生を意味している。

中国本土に同盟者求める戦略を


イヴァン)新しい国家安全維持法は、われわれがこれまで知っていた香港の終焉として、あるいはもっとも楽観的な読み方をすれば、最近の民衆動員の驚くべき季節の劇的な結末として見られている。このような悲観論には根拠があると思うか? 何か明るい兆しはあるだろうか?

區)少なくとも短期的に言って、強い悲観論に根拠があるとしたら、それは敗北そのものというよりは、むしろ敗北の理由のためだと思う。われわれが敗北したのは、単に力の深刻な不均衡のためである。このような対決では、一枚岩の国家には決して太刀打ちできないだろう。抗議者の絶対多数は「勇武派」に非常に共感していたが、彼らの闘いに参加することはなく、「勇武派」が物理的に警察と対峙するのを傍観し続けたのである。ここには合理性がある。一般大衆でさえ、一つの都市で革命を成功させることは考えられないことを直感的に知っていた。
運動の前衛である「一九九七年世代」自身は、この問いの答えを持っていなかった。ここに反乱の最大の弱点がある。つまり、戦略的視点の欠如である。この運動は戦術的には非常に優れていたが、戦略的にはそうではなかった。
私の考えでは、香港の運動は国際的な同盟者だけでなく、もっと重要なことなのだが、中国本土にも同盟者を求めなければならない。われわれは、香港の自由は長期的な闘いであることも認めなければならない。これは、香港の運動が本土の人々との関係における対立的状況を解消できていないことを意味している。そして、香港の運動は、香港に移住する人々を含めた本土の人々を遠ざけないようにするにはどうすればよいかを見極める必要がある。
私の本では、二〇一九年七月七日におこなわれた、ある大きな抗議行動を論じている。この行動は、中国本土からの訪問者に近づいて、行動の理由について説得することを目的としたものだった。このデモ行進を呼びかけた活動家は、二〇〇〇人の参加者しか予想していなかったが、二三万人が参加した。彼らは中国本土からの訪問客に会うために、香港と本土を結ぶ高速鉄道のターミナルに向かった。
警察は衝突を予想していたが、抗議者が中国本土からの訪問客に友好的に近づくのを見て驚いた。そのゆえ、中国本土に味方を求めるということが、まだ多くの人々の心の中にあったのだと言える。しかし、全体としては、運動が欧米や日本に味方を求めるのは当然のことだが、これは本土に味方を見つける事例ではなく、それゆえに常に前者を主張する声の方が後者を主張する声よりもずっと強かったのである。
確かに、これは前者か後者かの選択ではなく、われわれは両方をおこなうことができたし、そうすべきだった。しかし、全体としては、運動は中国本土の人々やグループとの意識的な同盟を追求することができなかった。もし運動がそれをおこなっていたとすれば、直接的な結果がどうであれ、有益なものとなっただろう。
当面の成功という意味よりはむしろ、中国共産党の支持者であるすべての中国人に対する右翼香港本土派[訳注:香港こそが自分たちの本土であり、中国人は排除しなければならないというレイシズム的主張]の攻撃を容認するような過ちを犯すことを避けられただろうし、連帯のための長期的な可能性を育てることができただろうという意味で、有益だっただろう。北京は、中国本土の人々を運動から遠ざけ、香港のデモ参加者に共感するのを阻止するために、運動全体を反中国的なものとして攻撃する機会に飛びついたのである。それはある程度成功した。
運動は、ゆるい戦略である「香港ビジョン」を「港中区隔」=「香港の中国からの分離」というスローガンに反映させていた。このスローガンの背後には、親欧米的な感情もある。すべての悪は北京から来ているし、北京との闘いに対するわれわれの共感はすべて欧米や日本から来ている。これは多くの人が感じていることである。中国本土の役割は、この政治的定式にはまったく登場しない。この感情には合理的な根拠がある。
しかし、これまでにも、そして現在も、真面目な分析に裏打ちされておらず、明確な境界線が敷かれていないため、しばしば右翼の手の中に入り込むことになる。右翼は特定の抗議行動を潜在的な中国嫌悪の態度や公然たるアメリカ支配層支持の感情へと向けさせようとしていて、ときにはそれに成功しているからである。中国本土との同盟を求める明確な戦略を打ち出さない限り、香港の人々は孤立したままであろう。
中期的な楽観論の根拠は、人々は闘争の過程で学ぶものだということだ。二〇一四年以降、香港人は初めて大きく政治化され、自分たちに借りがあるものを取り戻そうと運動に参加した。歴史的な観点から見れば、これは大衆的再覚醒の新たな時代の第一段階に過ぎない。運動の「五大要求」がそれを物語っている。政党政治の面では、右翼がより声高になっているが、彼らも他の反対派政党も大きくはない。このことは、二〇一九年の反乱の中で見られたすべての政治的傾向が、統合されるにはほど遠いことを暗示している。行動の進歩的方向に向けた闘いはまだわれわれの目の前にある。

前近代的価値観による近代化

イヴァン)今にして思えば、北京が香港人からの要求に対する圧力を弱めて、それに耳を傾ける機会があったと考えるか? この経験全体からどのような教訓を引き出せるだろうか?

區)北京は自分たちの国内問題を統治したいという香港人の希望に本当に応えるという考えを支持していなかった。一九九七年の香港引き渡し以降、北京がおこなってきたことが明確な兆候だ。香港引き渡しから六年後、北京は国家安全維持法案をわれわれに押し付けようとした。私たちはそれを打ち破った。しばらくの間、北京は少しおとなしくしていたが、実際には、その攻撃はより隠蔽された形をとっただけだった。
十数年前、私は新しい攻撃を象徴する二つのことに気づいた。第一に、以前は無視していた法輪功学習者と対決するために、北京がマフィアを組織し始めたことである。実際には、そんなに多くの人々が法輪功の信仰に惹きつけられていたわけではなかったが、香港への本土からの訪問者が急増しているため、北京はこうした人々が法輪功に改宗してしまうのではないかと心配していたようで、戦術を変えたのだ。
第二に、北京は、本土から香港に移住した人々を縛りつけておけるように、数千とまではいかないにしても数百の「同郷村人会」(同郷会)を設立するために、香港の党機関と中国本土の地方政府との間で調整をはじめた。これらの組織は、親北京派政党の票を得るために不可欠なものであることが示された。民主派は、より緊密な関係を築くことで、北京の独裁政治を和らげることを望んでいた。しかし、起こったのは、変えられたのはわれわれだったということである。
同様に、欧米諸国は北京との「かかわり」を追求し、貿易拡大を通じて、中国本土に政治的自由化へと向かう圧力をかけることができるのではないかと期待していた。一般的に言えば、私はこれについて楽観的に考えたことはない。私は北京の体制を「中国的特徴」の北京版の中で過度に硬直したものとして述べているが、これは本質的には中華帝国の政治的文化への回帰である。
習近平の二〇一七年の演説では、権力は「赤い遺伝子」を持つ人々(つまり第二の赤い世代)に受け継がれなければならないとしているが、これはその実践の現れである。王飛凌の二〇一七年の著書『中華秩序:中原、世界帝国及び中国権力の本質』はこの政権の前近代的な側面をよくとらえている。しかし、彼は中国共産党の近代的な側面、すなわち中国を近代化する野心、毛沢東のことばにある「超英ー美(イギリスを追い越し、アメリカに追いつく)」という点を省いてしまった。
中国共産党の前近代的な価値観への信頼の裏には、非常に近代的で、非常に物質的なもの、つまり中国共産党による支配の根本的な利益がある。中国共産党は、近代的な武器と技術で武装した国家の威圧的な力と、産業資本主義・金融資本主義の力を組み合わせている。それは、法律と官僚機構の隠されたルールという二つのルールを同時に実行することによって成功している。
そこでは、官僚機構の隠されたルールの方が常に法律の上にあるのだが。その支配者たちは、この体制が自分たちの利益によく役立つことに気づいている。トップから地方レベルまで、党幹部はこのために途方もなく金持ちになった。彼らが金持ちになればなるほど、隠さねばならない汚い秘密が生じる。これは、それ自体として、党幹部が反対意見を許容できない理由である。
党は、中国本土にジョージ・オーウェル的な国家を建設することを必要としており、いやおうなくこれを香港にも拡大しなければならない。私は、党支配国家の核心部分の硬直性のゆえに、自己改革を起こすことができないのだと信じている。それは革命史の特殊なタイプ、帝国の政治的文化への回帰、国家総体における確固たる利益によって形成され、強化されたものである。
要するに、北京の体制をより誤りなく評価するためには、その時の中国共産党や指導者の顔ぶれだけを見るだけではなく、歴史的・相関的なアプローチを備えた全体的な視点を持たなければならないのである。私の考えるシナリオの楽観的な面は、中国共産党が中国をさらに近代化していく過程で、中国国内の勢力関係の初期設定を根本的に変えてしまったことである。過去七〇年間、中国国内の他のすべての階級や社会集団は、この一枚岩の党支配国家のなすがままになってきた。外見上は変わらないが、実際の構成は大きく変わった。
これに加えて、中国の上層中産階級、新しい労働者階級、搾取された劣悪な環境の工場労働者の大部分は、経済的にもグローバル市場とつながっている。中米関係の崩壊は、オーウェル的国家に困難な試練を与え、その状況をますます流動的なものにしている。この流動性から新たな国内政治勢力が生まれ、中国共産党の核心部分に挑戦し始めるのだろうか? それがこの新たな段階の謎である。

メディアによる多様性の無視


イヴァン)著書の中で、あなたはまた、動員が何についておこなわれたのかを説明するのに、かなりのエネルギーを費やしている。あなたが払拭しようとしているいくつかの誤解は、抗議行動が人種差別的なもので中国人を対象としたものであったということや、独立を要求するものであったということである。なぜこのような考え方が大衆の間で定着したのだろうか、そしてなぜ拒否されるべきなのか?

區)最初に、今日のメディア企業は、いわゆる「世論」を形成する上で非常に強大な力を持っていることを忘れてはならない。昨年の反乱が始まった当初には、人々が香港独立の旗を振っていたとき、独立に賛成していない他の抗議者が、その運動は独立についてのものではなく、五大要求についてのものであることを思い出させて、彼らを説得して止めさせようとしていた。場合によっては、説得が功を奏することもあった。しかし、欧米のメディアも親北京派のメディアも、まったく逆の理由からではあるが、ほとんどの抗議者が旗を振っていないという事実を無視して、代わりに旗を振っている人々に焦点を当てるのを好んだのだった。このようにして、極少数派の抗議者がメディアに煽られるようになり、大多数の抗議者は落胆を感じながらも、その後の抗議行動では沈黙することを選んだのである。
この反乱の素晴らしいところは、大きいものから小さなものまで、何百もの抗議行動があり、大きな多様性と矛盾を示していたことである。これらの多様な抗議行動を統一していたのは、他のいかなる要求でもなく、ほかならぬ五大要求であった。本土からの移民や訪問客を潜在的な標的にした抗議行動はごく少数しかなかったが、規模ははるかに小さく、また遠隔地でしかおこなわれていなかった。
そのように、そうした抗議行動がこの運動を代表するものとは言えないのだ。しかし、ほとんどの人々が右翼香港本土派には賛成していなかったが、多くの場合、彼らについて沈黙を選んだことも事実である。私が主張するのは、排他的ではない香港のアイデンティティーのために意識的に闘う、組織化された進歩的勢力がなければ、残念なことだが、このことは真実であり続けるだろうということである。

社会運動の新人に必然的な混乱


イヴァン)最後に、あなたは、欧米の一部の左翼団体に定着している「香港の抗議デモは右翼的であり、外国の帝国主義者に操られていた」という考えを批判している。このような当てこすりに対するあなたの答えは?

區)メディアは、独立支持派の旗を振っている抗議者にスポットライトを当てるのが好きなのと同じように、親米的な旗を振っている抗議者にも同じことをするのが好きなのだ。しかし、抗議者たちがカタルーニャの旗を振っていたことや、カタルーニャ独立を支持する集会を開催したことを知っている人はほとんどいない。親米派は「スペインはアメリカの同盟国だから(スペイン政府に敵対するカタロニア独立には賛成しないほうがいい)」という理由で集会の開催を止めようとした。そして、その主張は反論にあった。しかし、このニュースはほとんど知られていなかった。
昨年、私はベルリンで開催された会議に出席したが、ある参加者は、アメリカ国旗を振っているデモ参加者に言及して、この運動はアメリカに操られていると非難した。私は彼女に対して、「旗を振る少数派[訳注:独立派や親米派]をメディアが好んで報じていることをあなたが無批判的に受け入れていることで、あなたの非難自体が『操られている』と見られるかもしれませんね。今回はメディアによって操られているのですが」と返答した。
既成の民主派(泛民)は常にアメリカやイギリスの支配勢力と強い結びつきを持っていたが、このもっとも最近の反乱では傍流に追いやられてしまった。組織化された親米勢力はあったが、小規模だった。大衆運動は誰にも指導されていなかった。アメリカ国旗を振る若者のほとんどは、いかなる政党にも属していなかった。彼らは一般的に社会運動の新たな参加者であり、国際的な支援を求めているだけだった。
したがって、昨年の反乱の問題点は、ほとんどの抗議者が「左か、右か」という考えを持たず、彼らの世界にある何もかもが「北京か、われわれか」という世界観の中に押し込められていたことである。そのため、彼らは「本当の友達なのか」という質問をすることもなく、助けてくれる力を持った外国人を受け入れただけなのである。このような理解が欠けていたことによって、抗議者はときには親トランプ潮流の一部として描かれ、それがメディアによって拡大されてしまうのだ。
しかし、われわれは「外国勢力」に関するこの議論のもう一つの側面も知っておかねばならない。イギリスとアメリカを筆頭とする欧米の政府は、基本法に定められているように、他の誰でもない中国共産党自身によって正当な利害関係者として認められている。基本法は、香港人が自らのイギリス法を維持できること、イギリスのパスポートを受ける権利を享受できること、さらには外国人裁判官を含む、もっとも低い職階からもっとも高い職階まで(本当のトップは除かれるが)の公務員として、外国人が雇用されるのを認めることなどなどを詳細に規定している。これは、少なくとも基本法が失効するまでの残り二七年間は、さらに改正されない限り、米英両国に大きな影響力をもたらしたはずであった。
逃亡犯送還条例案によって、北京は英中共同宣言と基本法の両方の約束をまさに破棄したのである。私はこの二つの文書を支持したことはない。実際のところ、香港人は自らの運命をめぐる交渉からは常に排除されてきた。しかし、もし北京が香港の植民地時代の遺産を脱植民地化したいのであれば、それをより良い人権保護に置き換え、香港のための普通選挙権の約束を守るべきであり、それを自国のさらに悪い法制度に置き換えたり、香港の自治を消滅させたりするべきではない。アメリカ政府がわれわれの本当の友人でないとすれば、いまや北京はわれわれの本当の敵である。それが重要なことなのだ。
(つづく)

 

 


もどる

Back