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    かけはし2020年11月2日号

時代遅れの思考を克服しよう


ナゴルノ―カラバフ

反戦声明:憎悪煽動と戦争動員を拒否する

この地で再び共に生きるために

アゼルバイジャン青年左翼

 ナゴルノ―カラバフ紛争は、アゼルバイジャンソビエト社会主義共和国時代に、アルメニア民族が人口大多数を占めるこの州がアルメニアとの統一を求めた一九八八年以来、われわれの下に存在してきた。その後に続いた戦争は、ナゴルノ―カラバフといくつかのアゼルバイジャン領域がアルメニアの支配下に置かれ、一〇〇万人に近い人びとが難民になる形で、一九九四年に終わった。その時以来ずっと、アゼルバイジャンが失った領域を取り戻そうと挑み、ときたまの交渉が実りないことが分かる中で、二〇一六年の四日間戦争のような、周期的な紛争のエスカレーションが起きてきた。しかしこれまで戦闘は、各々の側で数百人の兵士(および市民)が殺害されることになったような、この二、三日の戦闘規模にまで達したことは一度もなかった。双方の側における民族主義プロパガンダが熱病的調子に達し、極めて小さな反戦活動がこきおろしによって沈められるばかりではなく、逮捕で処罰をも受ける中、アゼルバイジャン左翼の若者たちによる以下の声明を、「レフトイースト」は誇りをもって共にする。

権力の座にある者たちこそ敵だ


ナゴルノ―カラバフにおけるアゼルバイジャンとアルメニア間のエスカレーション最新版は、国民国家の枠組みが現在の実体にどれほど時代遅れか、をあらためて見せつけている。単に生まれた場所を基礎に人々を人間と非人間に分断し、次いで一定の領域境界内部での人生に対しただ一つのあり得るシナリオとして、非人間化した「他者」の上位にある「人間」の優越性を確立する、そうした思考の線を越えることができないあり方は、われわれが闘いを挑むことが必要な一つの占領にほかならない。
それは、略奪的な民族主義諸政府がわれわれに押しつけているものであり、そのような人生を想像するやり方と物語り、を超えて考えるわれわれの能力と魂に対する占領なのだ。その思考の方向付けこそが、「民族」が「敵」からそれを守るためにその声を上げるや否や、われわれ相互の国におけるギリギリの生き延びという、われわれの搾取的諸条件をわれわれに気付かせなくする。
そうであっても、われわれの敵は、これまでわれわれが人生の中で一度もあったことのない、またおそらくこれからも決して出合うことのない、アルメニア人一般ではない。われわれの敵は、特定の名前をもつまさに権力の座にある者たち、二〇年以上の間彼らの利益のために普通の人々やわが国の資源を搾取し貧しくし続けてきた者たちだ。
彼らはあらゆる政治的な異議を受け入れず、異論をもつ人々を彼らが大量に抱える治安要員を通して厳しく抑圧してきた。彼らは、自然豊かな地区、海岸、ミネラル資源を彼ら自身の楽しみと利用のために独り占めし、これらの地区に対する普通の市民の利用を制限してきた。彼らは、木を切り倒し、水を汚染し、全面的な「強奪を通じた蓄積」を行い、われわれの環境を破壊し続けてきたのだ。
彼らは、国中での歴史的で文化的な地区や文化遺跡の消失で共犯関係にある。彼らは、帝国主義的な野心をもつ資本主義の隣国――ロシアとトルコ――に利益を与えつつ、教育や公衆衛生や社会福祉といった不可欠な部門から軍へと、財源を移し替えてきた。

民族的憎悪は
人為的構築物


全く奇妙なことに、この事実に個人としてはあらゆる者が気付いているがしかし、アゼルバイジャンとアルメニアの接触線上で最初の弾丸が発射されるや否や、記憶喪失の突然の波があらゆる人々を襲っている。彼らは、サラマンゴの小説に出てくる同じ名前の登場人物とまさに同じく何も見えなくなり、すぐさま自己破壊的に向きを変え、「神聖な」大義のための「殉教」という名の下にわが若者たちの死に喝采を送っている。この大義は、その存在の自己目的化以外の何かであったことなどまったくない政綱であり、こうして、アゼルバイジャンとアルメニア双方の政府の正統性を保ち、より多くの暴力と死の完遂と並んで社会の終わりなき軍事化に奉仕している。
しかしわれわれは人々に責任を着せることはしない。二つの民族間の対立と戦争を理解するための代わりとなる解釈上の枠組みがない中で、民族主義のイデオロギーが今なお無敵なまま残っている。われわれの資金不足の諸教育機関が成功していることが一つあるとすれば、それははっきりと、憎悪を完成させ、民族主義のプロパガンダを広げる教え込みなのだ。なぜならば、憎悪は決して個人の魂の産物ではなく、特殊な力関係内部で構築され生産されているからだ。
「憎悪する者」と「憎悪される者」の間に直接の接触がまったくないという背景の中で、「憎悪する」聴衆が日々の経済的生き延びという自身の大事に懸念を深めるようになればなるほど、「憎悪される者」を憎悪し憎悪を再生産するよう、「憎悪する」聴衆に常に思い出させる必要が、それだけ生まれる。何といってもそこで切実な生き延びは、財とサービスの平等な再配分が否認され、日々の悲惨が次第次第に蓄積するという、そのシステム内部にある問題なのだ。
だから憎悪は完成される必要がある。彼らは「われわれの」土地を盗んでいる、だからわれわれは彼らを憎む、とわれわれは言う。争う余地のない所有権を主張する唯一の集団という観点がなければ、その土地に住む他の方法は無数にあるはず、などとは決して気にかけるな、と。
われわれの仲間の一人の弟、十代の彼はかつて、海外におけるアルメニアの仲間との間近な作業会合について聞いた後、声を張り上げた。「みなさんは本物のアルメニア人に合うつもりなのか」と言ったのだ。そういえば、ある世代の人々は、数世紀の間同じ空間でわれわれが共存してきた彼らとは接触のない、真空で成長を遂げたのだった。
存在のそのような孤立はわれわれの心と想像能力にどのような種類の暴力をもたらすのだろうか? 言うまでもなくそれはまた、「他者」の非人間化に対しては完全な処方箋でもある。人生で一度も相互交流したことのない人々に悪の特質すべてを帰せることよりも容易いことは、何かあり得るだろうか?

権力者は真剣な和平追求を放棄


当事者間の休戦を結論としたビシュケク協定(一九九四年)調印後の数年、アルメニアとアゼルバイジャンの政府は致死的な兵器類のゆゆしい量を蓄積し続けてきた。そして彼らはそれを今互いに向けて使用する準備を行っている。
諸国が平和的解決に近づいた最後の時は二〇〇一年にあった。それは、ミンスクグループ共同議長――フランス、ロシア、米国――の仲介による和平対話の中のことだった。しかしながら、はびこる民族主義感情と両側の指導者が妥協の用意ができていなかったという事実が原因で、和平対話は破綻した。そしてそれは、二一世紀始めにあったほど決定的には、決して取り組まれることはなかった。
われわれは、現在の情勢にあるこの地域でもう一つの戦争を避ける道を探すことは極度に挑戦的だ、と気付いている。われわれは、両側での物語を支配し高まり、また広がっているヘイトスピーチを、特にそれがTVチャンネル、公式の諸言明、あるいは懸念を呼ぶ強さで拡散されているソーシャルメディア投稿に現れる場合、を目撃している。真偽を見極めがたい、それゆえ恐怖、相互の憎悪、不信を生み出す主張が双方から作り上げ続けられている。
両側の民衆は、パンデミックと経済不況を通して、危機がもたらした挑戦課題に自分自身で何とかついていこうと挑みつつ、苦しみ、耐えてきた。そして今彼らは、ナゴルノ―カラバフ紛争のあらゆる建設的な解決を遅らせる軍事紛争に引き込まれようとしている。それはまた、紛争を維持するために、結果としてそれから利益を両側のエリートが引き出し続けるために、大量の経済的人的資源をも必要としている。
二〇二〇年に対するアゼルバイジャンの軍事予算は二三億ドルにも跳ね上がっている。一方アルメニアの場合この指標は、六億三四〇〇万ドル。基本的に、両国でGDPの五%を構成している。
われわれ、アゼルバイジャンとアルメニアの若者がこの時代遅れの紛争を自分たちの下で解決する、という課題はとうの昔に期限が来ている。それはもはやスーツをまとった者たちの大権であってはならない。彼らの目的は、紛争の解決ではなく、経済と政治両者で資本の蓄積なのだ。
われわれは、歴史のくずかごの部類に入る国民国家というこの見苦しい仮面を脱ぎ捨てなければならない。そして分かち合われた平和的な共存の新しい道を想像し生み出さなければならない。ここに向けて、和平対話と協力を今後再確立する、主として現場の普通の市民から構成される政治的な草の根のイニシアチブ、を生き返らせることが極めて重要だ。

連帯への民衆的イニシアチブを

われわれ、アゼルバイジャンの左翼活動家は、この国の若者がこの無意味な戦争にさらに動員されることを決して支持しない。そしてわれわれの第一の目標として対話の取り戻しを想像する。
われわれは、さらなる軍事的エスカレーションと相互の憎悪を広げることでの紛争の解決やわれわれの未来を想像しない。ナゴルノ―カラバフにおける近頃の軍事衝突は、この地域における平和の確立という目的に対しては全く役に立たない。われわれは、戦争がわれわれの社会と未来の世代にどのような種類の意味をもち得るかを理解するがゆえに、全面戦争に引き込まれる危険性を心に描きたいとも思わない。
われわれは、紛争の引き延ばしや両民衆間の憎悪激化に向けて取られるあらゆる動きを徹底的に糾弾する。われわれは、過去を振り返り、われわれの社会と若者たち間の信頼を再建するために必要な歩みを進めたい。われわれは、この土地の上で再び共に生きるという可能性すべてを排除する民族主義と戦時の物語すべてを拒絶する。
われわれは平和構築と連帯のイニシアチブを求めて声を上げる。われわれは、相互尊重、平和的な姿勢、そして協力を通じた、この行き詰まりからのオルタナティブな出口はある、と確信している。(以下に九人の署名が付記されているが割愛。「レフトイースト」より)(「インターナショナルビューポイント」二〇二〇年一〇月号)

(訳注)「レフトイースト」は主に東欧・ロシア圏を対象にしたウェブサイト政治・社会運動情報誌。   

トルコ

軍国主義政策反対と
生活防衛の闘いの結合を

メチン・フェイヤズ

 過去一〇年間にトルコで強力な労働者運動が存在したと言っても、それほど間違ってはいないだろう。とりわけ経済が急速に成長している間は、賃金や労働条件の改善を求める労働者の要求も存在していた。これは、二〇一五年五月の自動車産業や二〇一八年からの空港建設労働者のような、いくつかの大きな自然発生的な労働者反乱において見られたものだった。
 しかし実際には、それは少数の行き当たりばったりの大反乱というよりは、一般的な傾向であり、過去一〇年間には、新しい権利を獲得し、自らの権利を前進させるための労働者の行動が多く見られた。だが、それらはほとんど可視化されず、あまり注目もされていなかった。

過去10年続いた
生活改善の逆転

 この傾向を観察する一つの方法は、米ドルの通貨レートおよび年間インフレ率との比較で、賃金の推移を見ることである。二〇〇九年の税込み最低賃金、平均日収、年間インフレ率、年間平均米ドル為替レートをすべて一〇〇とすると、それぞれがどのように成長しているかを観察ができる図がある。ここで、二〇一八年までは、税込み最低賃金と日収の年間平均の両方が、年間インフレ率あるいは年間平均米ドル為替レートよりもはるかに速く成長したことは、非常に明白である。
したがって、トルコの労働者階級は、二〇一八年までは、新たな権利を獲得し、労働条件と賃金を前進させるために攻勢に出ていたと言っても、それほど間違ってはいないだろう。この攻勢はたいてい、何らかの団体によって組織されたものではなく、残念ながらほとんどが急進的な左翼によっても見過ごされていた。そのため、政治的な左翼運動にはならず、これは急進左翼にとっては失われた機会だった。
二〇一八年までには、この状況は一変した。二〇一八年半ばに、トルコは雇用の喪失とともに、自国通貨リラの暴落と巨大なインフレを経験した。つまり、トルコにとっての実際の経済危機は、新型コロナウイルスのパンデミックよりもずっと前から始まっていたのである。そして、経済が成長していた過去一〇年間には新たな権利を得るために攻勢に出ていた労働者階級の運動は、今では、既存の権利や雇用/賃金を守り、解雇に反対するための、あるいは未払いの賃金や退職手当などを得るための防衛的運動へと後退してしまっている。パンデミックは、この傾向を増幅させただけだった。

軍事の費用負担
を労働者に強要


パンデミックの間に、トルコはヨーロッパ諸国のようなロックダウンを経験しなかった。工場は労働者の命を危険にさらすことで稼働していたが、一部の製品の需要不足・供給不足のため、生産に大規模な停止が生じた。
これを受けて、政府は短期失業給付金制度を導入した。この制度では、政府は手取り額で平均総所得の六〇%を支給し、その上限は月額四三八一トルコ・リラ(四九八ユーロ)だった。政府自らの発表によれば、三七〇万人の労働者がこの短期失業給付金制度から給付を受けていた。しかし、この給付金には、一部の労働者を排除する厳しい条件がつけられていた。そのため、この短期失業給付金を受けられない労働者のために、政府は、雇用主が労働者を無給休暇にすることができるという別の制度を導入し、政府は月に一一七一トルコ・リラ(一三三ユーロ)を支払うことになった。
約一二〇万人の労働者がここから給付金を支給された。しかし、この給付金の額は、基本的なニーズを満たすには程遠いものである。危機が雇用に対して本当に影響を及ぼすのは、おそらく政府による支援がいったん終了する九月になってからのことだろう。予想される大量解雇の波とともに、防衛的闘いの波もまた予想される。
政府がまた、労働者を民族主義的・軍事的動員の列に引き込もうとすることで、労働者の反応を操作しようとしているのはそのためである。八月中旬、経済相へのテレビインタビューで、トルコ・リラの暴落について質問されたとき、彼はその答えとして軍事作戦の費用について語り、さらに、もちろん軍事作戦は経済に影響を与えるだろうし、国民はその費用を負担すべきであると述べたのである。二〇一九年には、エルドアンも同じようなことを言った。「私は、ナス、ジャガイモ、唐辛子の値段について話す人に『あなたは弾丸一発の値段を知っているのか?』と質問してみたい」と。
このように、いまやトルコの左翼の前には、労働者の不満や日常的ニーズのための闘いを、政府の侵略的な民族主義的・軍国主義的政策に対する闘いと結びつけるという、はるかに大きな任務が立ちはだかっているのである。
(メチン・フェイヤズは、トルコにおける第四インターナショナルのメンバー)
(『インターナショナル・ビューポイント』九月三日)

 


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