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    かけはし2020年11月9日号

「学術会議」問題に現れた強権主義


菅政権の「所信表明演説」批判

改憲阻止陣形を広げよう


「敵基地攻撃能
力」の意味


一〇月二六日、臨時国会で行われた菅首相の所信表明演説は、彼が初めて国会の公式の場で自らの政治方針を提示するものとして注目を集めた。とりわけ安倍政権の官房長官として内閣を支え、憲法9条改悪をなんとしても自らの手で成し遂げることを究極の目標としていた安倍の「使命感」を引き継ぐべき菅が、改憲プログラムをどのように打ち出すかについても注目されていた。
この点については、「おわりに」の項で、次のように簡単にふれられているだけだ。
「国の礎である憲法について、そのあるべき姿を最終的に決めるのは、主権者である国民の皆さまです。憲法審査会において、各政党がそれぞれの考え方を示した上で、与野党の枠を超えて建設的な議論を行い、国民的な議論につなげていくことを期待します」という幾つかのクッションを置いた表現になっていることについて、どのように捉えるべきか。ニュアンスとしては明らかに「一直線的」な改憲プログラムに傾いていた安倍の姿勢とは微妙な相違も感じられる。
共産党はこの点に関連して、「敵基地攻撃能力」の保有を「違憲」としてきた従来の政府見解をひっくり返した安倍政権を継承する菅新政権のやり方に関して、「『敵基地攻撃能力』保有検討を新たな突破口としつつ、自衛隊明記の9条改憲に向けた危険な姿勢をあらわにしました」(「赤旗」10月27日)と述べている。菅政権は、時間を区切った、早いテンポでの改憲に踏み出す可能性が高い、という評価はその通りだろう。
それとともに安倍政権が成し得なかった「任期中の改憲」という悲願を、菅が引き継ごうとする時、「読売」、「産経」などの「お気に入り」右派メディアを通じて「選別的」に改憲キャンペーンを正面から展開しようとした安倍のやり方とは、異なった方法が取られる可能性も見ておかなければならない。それは「護憲派あるいは明文改憲反対派」にくさびを打ち込んで、ゆるやかな「反改憲ブロック」を分解させることに重点を置く戦略といってもいい。すなわち場合によっては最初に「9条改憲」を正面から提起するのではないという「古くて新しい手法」の具体化である。

本番の闘いが
行われている


いま菅政権を揺るがしている大きなテーマの一つは、言うまでもなく日本学術会議の新会員候補六人の推薦リストを菅新政権が認めなかった、という問題である。安倍内閣の下でも学術会議の新会員任命について首相が問題視し、拒否するということはなかった。菅新政権が、いま敢えて学術会議会員任命問題について安倍政権も成し得なかった「選別排除」の強行姿勢を取ったのは、明らかに安倍政権ができなかった「九条改憲」を自ら実現していこうとする「前哨戦」としての意味をそこに持たせたからではないか、とも考えられる。菅は自らの行為、その理由について固く口を閉ざしたままだ。
そしてそうであればこそ、学術会議の六人の新会員任命拒否の強硬な対応は、菅新政権にとっては改憲プログラムを実行に移すための「テストケース」である、というべきだろう。
「日本学術会議」の六人の新会員任命拒否問題は、労働者市民にとって、決して政権と「象牙の塔」の学者たちとの確執なのではない。われわれは菅新政権によるこの暴挙を、「改憲阻止の闘いの本番の始まり」として受け止める必要があるだろう。
菅新政権の「学術会議新会員六人の任命拒否」問題への批判の渦は、一カ月のうちに人文・社会科学関係だけではなく日本数学会、日本物理学会、日本医学会連合などの理科・自然科学系、さらに日本ポピュラー音楽学会など幅広い分野の職能団体からの抗議声明としても現れている。
労働者・市民は、菅政権による「学術会議新会員任命拒否」問題を、「学問の自由」に止まらない労働者・市民の民主主義的権利のための闘いとして広げ、改憲阻止の陣形を作りだしていこう。       (純)

 

福島第1原発汚染水

海洋放流計画放棄せよ

現行「廃炉計画」は破綻


 【いわき】一〇月二三日、政府は福島第一原発汚染水海洋放流方針の月内決定を延期する発表をし、(10/24朝日)海洋放流のタイミングを設定できないとした。しかし発表は放流の延期であり、撤回ではない。
 「処理水」処分の手段を放流に決定する論拠は失われている。見直すべきは放流方針の撤回であり、「廃炉工程」の根本的な見直しなのである。
 延期の理由として国民的理解の不足―パブリックコメント(今年4月〜7月実施)の結果(4019通反対)及び地元漁民の意見・東京電力が県漁連に発行した文書(関係者の理解を条件とする制約)―サブドレン放流の容認を迫られた際に、県漁連が東京電力との間に交わした―の存在を挙げ、反発を和らげるには一定の時間が必要としている。(10/24朝日)

政府・東電は
「放流」に固執


東京電力、政府は「処理水」放流を諦めてはいない。「処理水」放流による被害を「風評」と矮小化し、対策を「風評対策」と称しているのである。
しかし東京電力・政府による「処理水」放流方針の論拠は失われている。論拠の多くはデマと論点スリカエで満ちている。その幾つかを取り上げると「安全性」「必要性」、共に根拠は失われているのである。
まず「安全性」については「処理水」を「トリチウム水」と呼称しているがそれは、トリチウム以外にも、ストロンチウム90炭素62等の核種も含まれていることは東京電力自身が発表し覆されている。
そしてトリチウムは「自然界にも含まれている」としている。しかし、量は「1945年以降に繰り返し実行された大気圏内核実験及び、各国が設置している原子力施設」により、飛躍的に増大しているのだ。
また「その影響は確認されていない」としているが、大規模な「調査活動」も実行されていないのである。さらに現在タンク中の処理水が含む放射性物質の低減の手段は「浄化の繰り返し」とされている。
しかし、安全性をしめす論拠は濃度が「基準値以下」であり、それは最後の手段が「希釈」でしかないことを示している。デブリに直に接触した汚染水を経て環境に放出される事実は変わらないのである。
次に「必要性」の論拠の一つである用地問題についてもデマが暴露されている。
東京電力・政府はこれまで「タンク増設エリアの不在」を理由に日々の流入量、および放出設備設置に要する時間から、放出決定期限を当初は「今夏、遅くとも今秋」としてきた。しかしタンク設置エリアに敷地内に二年分の容量の存在が報道されている(10/24朝日)。
そしてさらにに重要なことは、汚染水タンク解体後の跡地の活用を、取り出したデブリおよび使用済み核燃料の保管庫、そしてデブリ取り出し試験装置(モックアップ施設)の設置としているが、そもそもデブリについては、量・性質等未だ不明な点は山積みであり、「取り出しの目途は全く不明」が現状である。
またデブリ取り出しは「廃炉工事最大の難関」とされているが、「デブリ取り出し成功」と仮定しても、アルプス等汚染水除去装置に装着されたフィルター等放射性廃棄物も巨大な量であり、巨大な「放射性物質保管庫」の乱立は必至なのである。それは現行「廃炉工程」の完了が、福島第一原発サイトの更地化ではないことを示しているのだ。「廃炉」の意味の明確化及び廃炉計画の見直しが必要なのである。
そしてさらに、燃料デブリ早期取り出し優先の見直し及び、それに基づく現行廃炉計画の根底的な改定は必至なのである。
「処理水」は汚染水だ。汚染水放流は放射性物質の海洋投棄だ。「処理水」放流計画は破棄せよ。現行「廃炉計画」は破綻した。炉心への流入水を止めろ。早期燃料デブリ取り出し計画から撤退せよ。   (浜西)


コラム

液みそにハマる


 最近「液みそ」にハマっている。「液みそ」はダシ入りの液体味噌汁のことである。そうインスタント味噌汁である。だがこれまでのものとは違い卓上用の小ぶりのペットボトルに入っていて量を自由に加減できる。約二〇食分ある。その時の体調によって濃い味か薄い味か選択は自由だ。具は何も入ってはいない。ポタージュやコンソメに対比する和のミソスープと言うこともできる。スープカップにミソスープをつくって飲むのも良いものだ。
 私の仕事はほとんどが泊まり勤務であったため、コンビニ弁当とインスタント味噌汁は日常の食事であった。インスタント味噌汁についてはそもそもの始めから利用してきた。みその中に具を仕込んだもの、粉末味噌と乾燥させた具のセット、生味噌と乾燥させた具のセット、フリーズドライ等だ。だがいずれも量は固定されており自由に選択はできない。具にも変化がないのが難点だ。一〇食、二〇食ともなればかなりのかさ高さだ。液みそは複数のメーカーの製品があり自分に合う味を選べば良い。具も自分で作ることができる。
 味噌の起源は古代中国の大豆塩蔵食品「醤」(しょう、ひしお)だと言われている。日本に伝わったのは飛鳥時代だそうだ。熟成途中のものを味見したところ非常に美味しかったので食用にしたという。
 未だ「醤」にならざるもの。「未醤」が「ミショウ」になり「ミソ」となったと推論されている。
 貴族時代では希少で贅沢な食用品でありそのままおかずとして食べたり、他の食品につけて食べた。現在の金山寺味噌の食べ方が似ているのではないだろうか。また薬としても用いられたようだ。
 武家時代になり「一汁一菜」の食習慣が確立する中で、水に溶けやすいため味噌汁という食べ方が形づくられてきたと思われる。中国からすり鉢が伝わり、それまでの粒味噌からすり味噌に変化した。
 戦国時代では武士は米と味噌を兵糧(戦時食)として様々な形で携帯していた。
 徳川時代は庶民の間で味噌はすでに無くてはならないものになっていた。大都市となった江戸では味噌の生産は追いつかず全国各地の地場の味噌が流れ込んだ。江戸文化が花開く中で味噌を使った料理も数多く生まれ、今日に受け継がれているものもあるという。私は料理の専門家ではないのでよくわからないが。
 「未」という言葉は様々な可能性を孕んだ含蓄のある言葉だ。可能性とは可変性でありどのような方向にも発展することができると言うことを意味する。「未醤」から全国各地数十種類の味噌が生まれた。味噌文化も生まれた。
 「未熟」と言われた時は私は「未醤」と解し、さらに努力したいと思ったりもする。    (灘)


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