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    かけはし2020年11月16日号

勝利をもたらしたものと今後の課題


大阪市廃止住民投票で再び勝利(上)

大森 敏三


 一一月一日におこなわれた大阪市廃止=特別区設置の住民投票は、本紙前号既報のとおり、二〇一五年に引き続いて再度の否決という勝利をかちとった。今回も僅差の勝利ではあったが、維新の会の看板政策である「都構想」にまたもノー!を突きつけたのである。この勝利をもたらしたものは、当初の劣勢をはね返した草の根からの反対運動の高揚だった。しかし、この勝利を維新による大阪支配の「終わりの始まり」とするには、多くの課題が待ち構えていることも事実である。まさにボールはわれわれの側に投げ返されているのだ。新自由主義的な都市政策に対するオルタナティブ、つまり住民参加型住民自治と民主主義、環境と共生する都市政策と運動を創りあげるために、労働組合・社会運動・住民運動などの連携した闘いが求められている。

再度の勝利に歓喜の声

 午後一一時前に、テレビ局が開票速報で「否決確実」を報じ始めると、SNS上では「勝った!」「やった!」という投稿が次々とアップされた。投票日当日も「反対」を訴えて奔走してきた人々の喜びの声が文字通り爆発した瞬間だった。そして、この日深夜まで、勝利を祝い、お互いの奮闘をたたえ合う投稿がSNS上であふれた。もちろん、これで維新との闘いが終わるわけではなく、誰もが今後も闘いが続くことを覚悟していたのだが、とりあえずはこの再度の勝利を喜び合おうという率直な気持ちだったのである。
 「都構想協定案」は、大阪府議会では八月二八日に、大阪市議会でも九月三日に可決され、住民投票の実施が確定した。この時点では、世論調査で賛成が反対を大きく上回り、一〇ポイント以上の差がついていた。世論調査の結果だけではなく、反対運動の盛り上がりもそれほど感じられないという状況だった。
 街頭での反対行動に立っていた多くの活動家の実感は(私自身を含めて)、前回に続いて否決にまで持ち込むのは困難ではないかということだった。実際のところ、衆院選挙の候補者擁立をからませた維新の恫喝に屈した公明党を自らの陣営に取り込んだこと、府議会での採決時に一部の府議が協定案に賛成したことに見られるように、自民党内部に亀裂を生じさせたことなどを考えると、「都構想」可決に向けた態勢は盤石のように見えた。この圧倒的劣勢からの勝利だったことが、「否決」を受けた感情の爆発を生み出したのだった。

一万七千の差で「大阪市解体協定案」を否決

 それでは今回の住民投票について、その結果を見てみよう。まず、投票率は六二・三五%で、前回(二〇一五年)と比べ四・四八%低かった。それでも、前回の住民投票以降の市長選挙や国政選挙で投票率がもっとも高かったのが、昨年四月の市長選の五二・七〇%だったことを考えると、大阪市民の関心は高かったことがわかる。そのうち期日前投票は四二万人近くで、前回より約六万人多かった。また、選管で集約した性別による投票者数では、女性が男性よりも一〇万人多く、投票率も四%高かった。
開票結果は、反対六九万二九九六(五〇・六三%)、賛成六七万五八二九(四九・三七%)だった。一万七一六七(一・二六%)の差をつけて「都構想協定案」は否決されたのである。これを前回と比べると、前回は反対七〇万五五八五(五〇・三八%)、賛成六九万四八四四(四九・六二%)で、一万七四一(〇・七六%)の差だった。わずかだが、賛否の差が拡大したことになる。
各区別の結果を見ていくと、区ごとの賛否分布はほぼ前回と同じで、湾岸部と南部の一四区では反対多数となり、北部と東部の一〇区で賛成多数だった。
唯一、前回と結果が異なった東成区では、前回は二二票差で賛成多数だったのが、今回が六六九票差で反対多数となった。
協定案で想定されていた「特別区」ごとでは、賛成多数は「北区」のみだった。この「北区」はマンション建設などが進み、現役世代の比率が高い地域である。

出口調査の結果からみた住民投票の分析


住民投票では、メディア各社が出口調査をおこなった。その結果をみると、期日前投票、当日投票のいずれも賛否が拮抗していた。ここでは毎日・日経・産経・共同通信・関西テレビがおこなった出口調査(六四か所、二八一六人)をもとにして、住民投票の結果を分析してみたい。もちろん出口調査の正確性には疑問符がつく場合もあるが、一つの傾向を知ることはできる。
まず世代別での賛否を見てみると、二〇代はほぼ賛否伯仲、三〇代、四〇代は五四%が賛成、五〇代もほぼ賛否伯仲、六〇代では五四%が反対、七〇歳以上は六一%が反対という結果だった。維新が意識的に施策を集中させた(たとえば、保育料の無償化、私立高校授業料の一部無償化など)年齢層で賛成が多かったことがわかる。前回は、二〇代では賛成の方が多かったと言われるが、今回は違った傾向が見られたことになる。この傾向は事前に橋下徹元市長も認めていた。
二〇代で反対の声が広がっていたことについて、政治ジャーナリストの安積明子さんが興味深いエピソードを紹介している。安積さんは「若者が維新に嫌悪感?」として、見聞きした例を二つ書いている。その一つは、二人の若い男性が「都構想なんかやったら、相当ひどいことになるで」「もし成立したら、五年後にひっくり返してやればええやん」「それはできひんのや」「ええ! そうやのん? あいつら、本当に大阪をメチャメチャにするんやな」と会話を交わしていた場面、もう一つは、若い男性たちが「四分割していいことあるん?」「ないやろ」「ほな、やめといた方がええな」と話しながら歩いている場面だったという(ヤフー・ニュース『なぜ松井・吉村は負けたのか』より)。反対運動の主張が若い層にもある程度浸透していた証左であろう。
また、政党支持別の賛否については、三七%を占める「支持する政党はない」層は反対が六割を占め、自民党支持層(二五%)でも六割以上が反対だった。前回の反対の立場から今回は賛成に回った公明党支持層(四%)は、前回は反対八七%、賛成一三%だったが、今回は反対五二%、賛成四八%という数字になった。投票日一週間前の世論調査(毎日)では、反対五二・七%、賛成一九・五%、分からない・無回答二七・八%であり、新聞報道によれば「悩んでいる」という人が多かったという。二〇一七年の衆院選挙では、公明党は比例区で一七万票余りを得ているので、公明党支持者が出口調査に支持政党名を言わない傾向があることを差し引いても、悩んだ末に投票に行かなかった支持者が相当数いることも考えられる。

最終盤での逆転

 本紙一〇月一九日号でも世論調査の動向に触れたが、その時点では賛成が多数を占めていた。それが最終盤に向けて逆転し、住民投票の結果に結びついた。毎日新聞などが実施した世論調査によれば、九月上旬には反対三九・六%、賛成四九・二%と一〇%近くの差があったのが、投票一週間前には反対四三・六%、賛成四三・三%とわずかだが逆転した。
また、今回の住民投票に向けて一週間ごとに世論調査をおこなったABCテレビとJX通信社のデータでは、投票日直前に逆転が起きたことがより顕著に示されている。九月下旬には反対三五・三%、賛成四九・一%、未定・不明が一五・六%、投票日一週間前でも反対四一・二%、賛成四六・九%、未定・不明が一一・九%だったものが、投票日前日には反対四六・六%、賛成四五%、未定・不明が八・四%と逆転した。未定・不明が減るにつれて反対が増えていったことがわかる。
それでは、なぜ投票直前に逆転したのだろうか? もちろん、後述する反対運動の草の根からの高揚が大きな力を発揮したことはもちろんだが、それに加えて、毎日新聞一〇月二六日夕刊の報道とその後の維新の対応が影響したことも間違いない。

毎日新聞による「コスト増」報道と維新による強権的対応が決定打に

 毎日新聞の記事は、「大阪市を四つの自治体に分割した場合、標準的な行政サービスを実施するために毎年必要なコスト『基準財政需要額』の合計が、現在よりも約二一八億円増えることが市財政局の試算で明らかになった。人口を四等分した条件での試算だが、結果が表面化するのは初めて。一方、市を四特別区に再編する『大阪都構想』での収入合計は市単体と変わらず、行政コストが同様に増えれば特別区の収支悪化が予想される」として、府に移管される事業の分を引いても二〇〇億円程度のコスト増になるというものだった。
維新はこの記事に対する反響の大きさに驚愕し、日本維新の会・馬場幹事長は、一〇月二九日の国会代表質問で「大誤報」だとして毎日新聞を非難した。これは、総務大臣の答弁で「公職選挙法違反」を引き出そうとしたものと言われているが、結果として不発に終わった。毎日新聞も馬場幹事長の発言を「極めて遺憾」と批判した。一方、松井大阪市長は、大阪市の部局の試算を報道した記事をさすがに「誤報」とは言えず、試算を出した財政局を槍玉に挙げた。松井市長は「世の中にない数字を提供することは捏造だ」と財政局長を激しく叱責し、その後の記者会見で、財政局長に試算の「撤回」と「局長として試算は虚偽だったと認識した」との謝罪を強制したのである。このとき、財政局長は「質問に対して数秒間沈黙を守るなど、終始厳しい表情を浮かべ」ていたとされ(毎日新聞)、不本意な謝罪だったことは明らかだった。
しかし、この報道とそれをめぐる維新の強権的な動きは、反対運動が訴えてきた「コスト増」と「住民サービスの低下」について、逆に改めて維新の側から「証明」する形となった。その影響は出口調査の結果からも読み取れる。反対票を投じた人の三三%が「住民サービスが良くなるか悪くなるか」を、三五%が「都構想のメリットが明らかかどうか」を重視したと答えているからである。
実際のところ、副首都推進局が作成した特別区の財政シミュレーションでは、現在は二四区それぞれにある施設を大幅に削減する内容が盛られていたのである。たとえば、市民プール(温水プール)を一五カ所削減、スポーツセンター・老人福祉センター・子育て支援活動は六カ所削減という具合である。こうした事実も、次第に市民の中に浸透していったと考えられる。

反対運動はどのように展開されたのか


本紙一〇月一六日号にも書いたように、住民投票に向けた都構想反対運動は、前回とは違って自民党市議団、立憲民主党・連合、共産党、市民運動などがそれぞれで反対運動を繰り広げる形となった。「都構想」反対の各政党は独自に運動を展開し、それが相乗効果を発揮したとも言える。
もっとも多くの活動家を動員したのは共産党で、団体ごとに地域割り当てを決めて、大阪府下からも精力的に動員をかけていた。立憲民主党や社民党は、党代表が大阪に入るなどして街頭宣伝を繰り広げた。れいわ新選組の山本太郎代表も、公示以降、連日大阪市内でゲリラ街宣をおこない、若者を中心とする多くの市民に「大阪は成長していない。維新の成長戦略は博打場」と訴えた。
市民運動サイドでは、「大阪・市民交流会」「どないする大阪の未来ネット」が、毎日の駅頭街宣と街宣車の運行、土日の街宣・商店街練り歩きなど持続的な運動を展開した。連合大阪などで構成される「REAL OSAKA」も、スタートがかなり遅れたが、チラシの全戸配布、街頭での宣伝に組織的にとりくんだ。
また、大阪府下からさまざまな団体が大阪市内に入って、それぞれ街宣やポスティング、路地裏での対話活動などにとりくんだことも前回と大きく異なる点だった。堺市の「市民一〇〇〇人委員会」「堺からのアピール」などは西成区の天下茶屋駅周辺での対話活動をおこない、毎回多くの参加者を結集していた。北摂地域の「豊中市民連合」「高槻・島本市民連合」「MINITs9(大阪九区の市民グループ)」などが加わる「大阪市廃止・分割、住民投票NO!北摂市民アクション」も、東淀川区淡路駅・上新庄駅周辺で商店街・路地裏練り歩きや駅頭での街宣を展開した。「茨木総がかり行動」は同じく東淀川区上新庄駅での街宣と周辺でのポスティングにとりくんだ。これらのグループは、投票日当日も投票所前に立って、最後まで訴えを続けたのである。
こうした反対運動の成果は、テレビのインタビューで「反対」に投票したある男性が「どこにいっても反対の声が響いていた。最後にはそれが心に残った」と語っていたことによく表われていた。

最終盤に向けて急速に盛り上がった草の根からの運動

 夏頃に反対運動を再開した時点では、街頭ではそれほどの大きな反応はなく、むしろ「もういい加減にしてほしい」という人たちが多いという印象だった。それが変化して、急速に運動の盛り上がりを実感し始めたのは一〇月一二日の住民投票公示の前後からだった。
私自身の体験でも、街頭での宣伝行動をすると、何人もの市民が自分で書いた原稿持参で参加し、マイクを握って道ゆく人々に訴えたり、手作りのバナーを持ってきてくれたりと参加者の幅が広がっていることが実感できた。また、街頭で行動していると、ドリンクの差し入れを受けたという報告があちこちであった。小学生たちが「大阪市なくなったらアカンやん」と言って、チラシ配布を自ら買って出てくれるという嬉しい話も聞いた。
投票日が近づくにつれて、「(期日前投票で)反対に入れてきたよ」と声をかけてくれる市民の数が増えてきた。普段はほとんどチラシを受け取らない若い層もチラシを手に取ってくれる数が増えてきた。投票日当日、多くの投票所前には、動員された人々と並んで、個人で反対を訴える市民の姿があった。投票所ごとに、スタンディングする市民・活動家と投票に足を運んだ大阪市民との間で多くの対話が生まれた。その中で、迷っていた市民が「反対」投票を決めるなど多くの物語が生まれた。こうした草の根からの反対運動が「協定案否決」という結果を生み出したのである。こうした「下からの」運動の高揚による結果は、自民党には理解できなかったらしく、自民党市議団の幹事長は「なぜ差が縮まったのか全く分からない」と本音を漏らした。(つづく)



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