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    かけはし2020年11月16日号

自身の権利掲げ女性が再び反乱


ポーランド

屈しない女性たち

中絶の権利否定した最高裁判決
に抗議がすぐさま国中に広がる

エワ・マジェフスカ


 一〇月二四日、ポーランド憲法裁判所はほとんどすべての中絶を禁止した。これは、女性の権利に対するより広いカトリック――保守派の攻撃の一環である。しかし、この判決はすでにポーランド全土でストライキや封鎖を引き起こしており、密かに中絶をする余裕のない労働者階級の女性たちが反乱を主導している。

強化された中絶の権利への攻撃


中絶禁止は、一九九三年にポーランド議会によって導入され、一九九七年に憲法裁判所によって法律として確定されたもので、ポーランドが国家共産主義から新自由主義的資本主義へと移行する際の重要な出来事の一つであった。
一九九七年に制定されたその法律は、レイプによる妊娠の場合、女性の生命や健康に重大な危険がある場合、胎児が重篤な病気や死亡の危険性がある場合という三つの状況での中絶を認めていた。一〇月二四日、憲法裁判所の判決は、この三つ目の状況でも妊娠中絶を違法とした。
ポーランドで合法的に行われている中絶の大半が、この第三の理由でおこなわれていたことを考えると、この判決が意味するのは、ポーランドでは、中絶がほとんどおこなわれないということだ――つまり、公式にはということだが。ポーランドの主要なフェミニスト団体の一つである「女性と家族計画連盟」によると、ポーランドでは年間約一〇万件の中絶が非公認でおこなわれているとのことである。
ポーランド内外のさまざまな団体が、ポーランド人女性が中絶薬の取得や、それ以外にも妊娠中絶したりするのを支援している。現行法では、妊娠中絶をしたという理由で女性が罰せられることはない。しかし、女性が妊娠中絶をするのを手助けした場合には最大三年の禁固刑を課すことで、その法律は医師および薬を提供する手助けをした者を危険にさらしている。
一〇月二四日の決定は、ポーランドの保守的な「法と正義(PiS)」政権の下でおこなわれた。しかし、あらゆる政治的選択肢がすでに女性を裏切ってきた。
社会民主党は、二〇〇四年には、抜本的な中絶禁止法を変更するために必要な多数派を議会で持っていたが、ポーランドのEU加盟に教会の支援が必要だったため、そうしないことにした。あるいは、リベラル派について言えば、一九九七年に制定された法律は「妥協」だったと主張している。
少なくとも二〇一六年以来、ポーランドでは中絶について憂慮すべき状態が続いてきたが、保守派はいまや、憲法裁判所を再び利用して、それをさらに推し進めることを決めたのだった。与党「法と正義」の指導者であるカチンスキは、二〇一六年に、女性はリスクの高い妊娠を続け、たとえ胎児が死んでも何があっても出産すべきだと発言した。

資金的能力による命の分断


すべてのことがそうであるように、中絶にも階級的な側面がある。中絶は、ポーランド社会を中絶する資金のある人とそうでない人に根本的に分断している。大都市圏に住んでいようが地方に住んでいようが、すべての医師が「良心」を理由に妊娠中絶することを拒否するような地域に住んでいようが、そのことが重要なのは明らかである。
今日もっとも広まっているフェミニストのスローガンの一つは、「良心のない医師が欲しい!」というものだ。近年、「選択」というリベラルな言説は、「必要性」という言説に置き換えられてきた。これは、女性の選択権を否定するためではなく、中絶に関しては、ほとんどの女性に選択肢がないことを強調するためである。
ポーランド国内で中絶する、あるいは国外で中絶するというどちらを選ぶかに関係なく、毎月の賃金の五〇%から一〇〇%の費用がかかる。費用がいくらかかるかは、都市、その形態、アクセスの度合いによる。実は、ポーランドでは、どの新聞にも「生理の誘発」や「生理周期の調整」という名目であっても、中絶の宣伝が掲載されている。公立病院で中絶することを拒否する医師の多くは、民間診療所での中絶には同意している。すべては金―そしてコネの問題なのだ。
ここ数十年間、「例外の状態」は、難民や非正規移民の例外的な状態、つまり法の外にいるという事実を表現する方法として、一般的に議論されてきた。ネクロポリティクス(訳注1)――アシル・ムベンベ(訳注2)の造語――によれば、新自由主義的でグローバル化されたバイオポリティクス(訳注3)が、集団全体や人々を死にさらすことを無造作に許すことによって、いかに現代世界を支配しているかが明らかとなる。
私は、今日のポーランドの女性たちもそのようなグループであり、ポーランドの国家機関やカトリック教会でキリスト教の遺産を継承していると主張する人々によって、死の危険にさらされていると考えている。保守的価値観と自由主義市場が新自由主義的な協定を結んでいる状態が永続化することによって、伝統主義的な価値観の名のもとで女性への抑圧がおこなわれているのだ。

連綿と続く抵抗がさらに力得て


しかし、支配があるところには、常に抵抗がある。そして、ポーランドの女性たちは、中絶が禁止されたその日から、中絶禁止に異議を唱え、その土台を掘り崩し、闘ってきた。
一九九七年には、中絶に関する国民投票のために約一〇〇万人の署名が集められた。二〇一六年四月、中絶へのアクセスをさらに制限しようとする最初の試みに直面して、一〇万人の女性がネット上で臨時に作られたフェミニストグループにただちに参加した。約一五万人の女性がポーランドのさまざまな都市や町で行進し、すぐに「黒い抗議」として知られるようになった。そして、女性ストライキや最終的には国際女性ストライキへとつながった。
この抗議行動が今日でも明らかになっている。一〇月二六日、ポーランドでは、女性の権利を支持する自然発生的な抗議行動として、約三〇の都市や町が車やバイク、歩行者によって封鎖された。その前日には、新たに制定された中絶禁止に抗議するため、いくつかの小さな町で農民が車を使って通りを封鎖した。
判決が出されたその日である一〇月二三日の最初のデモに続いて、抗議行動は全国の大都市から小さな町や村へと広がっている。ざっと数えてみると、ポーランド国内では少なくとも七〇カ所、海外では二〇カ所の町や都市で抗議行動が行われている。
水曜日にはゼネストが呼びかけられており、多くの職場ではすでに女性の大義への支持を宣言し始めている。新たな非常に広がっている抗議のやり方は、フェミニストが中絶の権利と女性の権利を主張するために教会を訪問することである。活動家たちは教会に入り、そこに立って横断幕を掲げ、ビラを配る。通常は暴力的な衝突もなく、平和的におこなわれる。
現在の抗議活動は、以前の抗議活動とは少し違った雰囲気を持っているようだ。つまり、われわれはいまや、不幸なだけではなく、怒っているのだ。主なスローガンは、「とっとと失せろ!」という罵りのことばになっている。
本当に嫌な連中であるカジンスキと彼の保守的な同僚が本当にそうすれば、他に行く場所を見つけるのに苦労することになるかもしれない。しかし、ポーランドのフェミニストたちは対応しなければならないもっと深刻な問題を抱えているのだ。

(訳注1)ネクロポリティクスとは、ネクロ(necro:ラテン語で「死」の意)とポリティクス(politics)を結び付けた造語で、生ではなく死を管理することによって、新自由主義的グローバル資本主義が実際に価値(利益や支配)を生み出すようになっていることを指す。ネクロポリティクスのもとでは、資本によって生み出される異常な状況(死という状況)によって生がコントロールされ、生は最低限の日常生活の下限を下回る単なる存在へと変わってしまう。
(訳注2)アシル・ムベンベは、カメルーンの哲学者・歴史学者・政治学者。スト・コロニアル理論の主要な理論家の一人であり、著作ではアフリカ史、アフリカ政治、アフリカの脱植民地化などを論じている。
(訳注3)バイオポリティクスとは、フランスのミシェル・フーコーが一九七〇年代半ばに創造した単語であり、バイオ(bio:ラテン語で「生命」の意)とポリティクス(politics)を結び付けたもの。集団を対象とした国家や政治のあり方を指す。
(エワ・マジェフスカは、ポーランドのフェミニスト文化哲学者。)
(『インターナショナル・ビューポイント』一〇月二八日、もともとは『ヤコビン』に一〇月二七日にアップされた)

スリランカ

NSSPについて

核心的な原則での決裂を確認

10月2日 第四インターナショナル執行ビューロー

 第四インターナショナル執行ビューローは、NSSP(ナヴァ・サマ・サマジャ党)との関係に関し、以下の声明を出した。

 二〇二〇年はじめ、スリランカにおける第四インターナショナル組織の一つであるNSSPの議長、「バフ」・カルナランテが八月五日の総選挙で候補者になるだろう、とのニュースが知られることとなった。バフは、統一国民党(UNP)名簿で、その選挙シンボルの下に立候補し、その中でUNP指導者で元スリランカ首相のラニル・ウィクラマシンゲへの支持を呼びかけた。第四インターナショナルのビューローはこのニュースへの対応としてNSSPに、スリランカにおける右翼政治の歴史あるブルジョア政党の名簿で彼らの中心的指導者が選挙に立候補している理由を質問した。
 NSSPは、彼らが組織としてバフの立候補を支持した、と明確にした。彼らはビューローに送られた文書でこれを、ゴタバヤ・ラジャパクサ陣営によって表現されたものとしてのスリランカにおける「ファシズム」の脅威から必要になった、一つの「統一戦線」として正当化した。ビューローは、統一戦線は労働者運動諸部分の共同行動の問題であるとして、先の説明を受け入れなかった。
 なぜならばUNPは労働者政党ではなく、スリランカ・ブルジョアジーの自由市場派の右翼リベラル部分を代表する政党なのだ。UNPは、ラジャパクサ陣営のあからさまなシンハラ排外主義との対抗として、もっとましな「リベラル」な人権志向の主張を取り入れるにいたった。しかしこれはどのような意味でも、この党がその階級的な性格を変えた、というようなことは意味しなかった。
 ラニル・ウィクラマシンゲは二〇一五年にスリランカ首相に選出された時、彼の目標はスリランカを南アジアでもっとも開かれ競争力のある経済にすること、と宣言した。彼はこの中で、首相としての第一期から彼の政治を継続していた。その時UNPは最初の九〇日で、新自由主義的改革導入に際し重要な役割を演じた。
 ビューローは、バフの立候補が第四インターナショナルによって支持されなかったということをはっきりさせるために、七月二日に「スリランカの来る選挙に関する声明」(本紙八月一〇日号参照)を公表した。われわれは、NSSPにこの情報を知らせた時、彼らからは何の回答も受け取らなかった。また彼らは、翻訳されインターナショナルへの配布が可能になる返答を書くこともできる、との提案にも応じなかった。
 われわれは七月一七日、第四インターナショナルと連携するスリランカのもう一つの組織、レフトヴォイスが出した声明「ナヴァ・サマ・サマジャの伝統を進展させよう」(本紙八月一〇日号参照)を公表した。彼らはその中で、バフの立候補を政治的降伏として批判していた。NSSPはこの声明にも、われわれが選挙後の八月二〇日に出したレフトヴォイスによる声明「三重の危機と二〇二〇年のスリランカ議会選挙」にも応答しなかった。
 八月五日の選挙は、UNPのほぼ完璧な敗北という結果で終わった。UNPは一議席しか確保できなかった。しかしNSSPからの対応の不在は、この破綻ですらブルジョア右翼の一政党支持という彼らの戦略に関し彼らを再考させなかった、ということを示している。
 第四インターナショナルビューローは、NSSPはわれわれの核心的な原則と基本的に決裂した、との結論に達した。労働者階級の政治的独立性はわれわれの構想では中心にある。バフとNSSPによる選挙キャンペーンは、はっきりとこの原則に反していた。バフの諸言明は、UNPとウィクラマシンゲを「資本主義者」と認めつつ同時に、人々に彼らを支持するよう訴えていた。
 バフは二〇一五年に、UNPを「資本主義の社会的文化内における民主的な主流」部分と描き、ラニル・ウィクラマシンゲを「資本主義社会における急進的な一指導者」と描きつつも、選挙連合は依然拒絶した。八月五日の選挙はその結論になる歩みだった。バフはこの選挙の僅か二、三日前になっても、UNPは「資本主義の民主的な側面を代表する」「政治的に自由で民主的な政党」であると、また「この国にファシズムの脅威があるがゆえに彼はこの段階に達する」ことになった、それゆえ「社会主義者は、リベラルな資本主義指導者と結びつき、民主主義を求めて反攻する用意をしなければならなず、結果として今日の闘争は公正とフェアプレイと民主主義を求めるもの」、と言明した(注)。
 NSSPにおけるバフの中心的役割、選挙に関する彼の諸言明、NSSP内部の強力な反対を示すものの不在、そして第四インターナショナル指導部に対するNSSPの沈黙を考えた時、われわれは、この組織が彼らの重大な間違いを今後修正する、と期待する理由を全く見出せない。
 第四インターナショナルビューローは、NSSPとの関係すべてを見合わせること、そして次回国際委員会(IC)に、この関係停止およびNSSPがもはやスリランカで第四インターナショナルを代表しないとの確認を票決するよう求めること、を決定した。NSSPは、IC会議で対応する機会を与えられるだろう。次期世界大会は、NSSPとの公式的な関係解消を求められるだろう。
 NSSPは上に概括したようにわれわれの政治との原理的な決裂を行うにいたった。近年、スリランカのFIメンバーは二つの異なった組織、NSSPとレフトヴォイス、を構成してきた。この分裂は、いくつかの分野における政治的違いの結果だった。第四インターナショナルは、レフトヴォイスとの関係を以前と同様に継続する。

(注)「デイリー・ミラー」二〇二〇年八月一日、「現在ファシズムの脅威がある―ヴィクラマバフ」。(「インターナショナルビューポイント」二〇二〇年一〇月号)




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