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第16回世界大会決議「気候変動とわれわれの任務」

 

1 現在進んでいる気候変動は、人間活動一般の産物ではなく、資本主義によって発展させられ、資本主義に替わるものであると主張した他のシステムによって模倣された生産力主義のパラダイムの産物である。人類が生きてきた時代では前例がなく、不可逆的なエコロジー的・社会的破局の危険に直面して、そのシステムは、蓄積という根本的な論理に疑いをはさむことができないまま、それ以外に方法のない危険な技術的前進にまい進している。

現在進んでいる気候変動は、人間活動一般の産物ではなく、その主要な原因は、短期的利潤と超過利潤を最優先する資本主義システムが、労働力の搾取に依存するだけでなく、自然資源、とくに有限・再生不能・安価な化石燃料の略奪に依存してきたし、現在も依存しているという事実にある。

i. 十九世紀末から二十世紀初めにかけて、太陽エネルギーの活用をベースとした代替エネルギー・システムに向けての一貫した提案は、資本主義的利潤の法則によって脇に追いやられるか、あるいは石炭産業の圧力によって粉砕された。

ii. 一九四五年以降、石油独占企業と石油依存産業は、自らの超過利潤を永続化させるために、多くの代替技術の開発を抑制し、量的にずっと増加し続ける商品を販売する、とりわけ自動車やその他の大量生産される個人向け消費財を販売するという欲望の赴くままに、交通手段、消費、都市・地方計画を押しつけてきた。

iii. この四十年間、ますます多くの確証が得られているにもかかわらず、科学者たちの警告はブルジョア政府やメディアによって無視されてきた。反対に、ブルジョア政府やメディアは、資本家ロビイストたちの虚偽のキャンペーンを支持し、その一方で同時に、生産と交換の新自由主義的グローバリゼーションは、温室効果ガス排出の爆発的増加をもたらした。

iv. 今日、二十一世紀の初頭において、地球温暖化の原因は完全にデータによって証明されており、各国政府はその危険について知り、認めており、技術的解決策は存在し、状況の深刻さは専門家によるレポートが発表されるごとに増している。もし利益を度外視した自発的な政策が実施されなければ、十八世紀と比較して二一〇〇年までの平均気温上昇は六℃を超えるだろうと専門家は見積もっている。しかし、ある推計によれば、(工業化以前と比べて)三.二五℃の気温上昇(これはIPCCの見積りのほぼ中間値である)でも、二〇五〇年までに、沿岸洪水によって一億人から一億五千万人が犠牲者となり、六億人が飢餓に苦しみ、三億人がマラリアにかかるだろう。その一方で、三五億人以上の人々が水不足の影響を受けるだろうと推計されているのだ。しかし、資本主義は依然として、あらゆる問題にもかかわらず、主に化石燃料を使っており、それには従来にはなかった燃料源(重質油、タールサンド、シェールガス)や、膨大な量の低価格の埋蔵石炭が含まれる。資本主義は蓄積の論理をベースとするシステムであるため、危険性を顧みず生産力主義的なギャンブルを進めてきた。原子力、有害なバイオ燃料生産を拡大するための遺伝子工学、いわゆる「クリーン石炭」と二酸化炭素地中隔離保管技術の開発等である。資本にとって、再生可能なエネルギー源は単に一つの価値蓄積の新しい分野にすぎない。そのため、その導入は非常に破壊的な形を取り、化石燃料の代替ではなく化石燃料の補完とみなされる。

「資本にとっての唯一の制約は資本そのものである」(マルクス)。富と過剰消費を一極に集中し、貧困と欠乏を他方に集中するこのシステムの常軌を逸した競争は、歴史的な時間の尺度で反転不能な、生態系とくに生物多様性に回復不能なダメージを与える人間とエコロジーへの破局を促進する脅威をもたらしている。すでに多くの地域(島嶼国、アンデス諸国、北極地域、半乾燥地域)において、産業革命前と比較して+二℃よりかなり低い値である危機の限界値を超えている。それにもかかわらず、帝国主義国レベルですでに採択された、あるいは協議されている計画では、三.二℃〜四.九℃の気温上昇がアナウンスされている。これは、(氷冠の融解を考慮しない場合でも)六〇センチから二・九メートルの海面上昇をもたらす。ミレニアム開発目標―そもそも不十分な目標だが―の実現が不可能になるだけでなく、さらに数億人の人々が生活条件の重大な低下にさらされるだろう。その中のもっとも貧しい層にとっては、とりわけ津波や飲料水の不足、熱帯地域で予想されている農業生産性の低下によって、生存そのものが脅かされる。

2 化石燃料の枯渇によって、自然に気候が安定していくだろうと信じるのは幻想だろう。化石燃料は、気候転換点を誘発するのに十分なだけ存在しているからである。気候を可能な限り危険性が低いレベルで安定化させるためには、エネルギーの消費、そして物質的生産を大幅に削減する必要がある。同時に、エネルギーと他の資源は、人間としての生存のための必要を満たしていない条件の下で生活している人々や、地球温暖化の最初の犠牲になる三十億人の人々にとっての発展の権利を保障するために必要である。資本主義システムはこれらの二つの課題を独立的に取り上げることができない。これらの問題を同時に取り上げることは、四角を丸にするようなものである。もっぱら再生可能なエネルギー源をベースとして、人間の基本的必要を満たすことができる経済的かつ効率的なエネルギー・システムに向けた世界的な移行計画を、コストの制約なしに実施するには、ラディカルな反資本主義的政策が不可欠である。

気候変動に関する政府間パネル(IPCC)によると、気候を可能な限り危険性が低いレベルで安定化させるためには、温室効果ガスの排出のピークを二〇一五年までに通過し、現在から二〇五〇年までの間に二〇〇〇年の排出量から五〇〜八五%削減する必要がある。予防原則の観点からは、少なくともこれらの目標の最も大きい値を採用する必要がある。実際、気候変動モデルは、グリーンランドや南極の氷冠の融解や、永久凍土層からのメタンの流出などの「非直線的」な現象を全く、あるいは非常に不十分にしか組み込んでいない。しかし、これらの現象はすでに認知されており、気候変動を強力に加速し、今後数十年の間にその否定的な影響を大幅に拡大すると予想されている。

これらの物理的条件に、以下のような社会的、政治的、技術的条件を付け加えなければならない。

i. 帝国主義諸国と他の諸国の歴史的責任を考慮に入れるために、IPCCは前者が現在から二〇二〇年までに排出量を二五〜四〇%削減し、現在から二〇五〇年までに対一九九〇年比で八〇〜九五%削減し、後者は、大部分の諸国(アフリカを除く)においては二〇二〇年以降、すべての国において二〇五〇年以降、何もしない場合に予想される削減量よりも一五〜三〇%削減しなければならないと想定している。ここでも、先に述べた理由から、少なくともこれらの目標の最も大きい値を採用する必要がある。

ii. 地球温暖化に決定的な責任を負っていることを考慮すれば、「先進国」の目標は国内的措置によって、すなわち自国の排出を削減することによって実現されなければならない。この削減は、「発展途上国」における「クリーン」投資なるものによってもたらされる汚染の権利の購入や、植林(それは構造的な解決策を提供するものではない)、既存の土地や森林の保護によって代替されてはならない。土地や森林の保護は必要ではあるが、そのことによって汚染企業が汚染を続けることを許されてはならない。京都議定書で想定されているいわゆる代償措置や排出権取引市場は、環境的観点から、(二〇〇八年から二〇一二年までに排出量を五.二%削減するという)合意のまったく不十分な目標を達成するためでさえ、全く効果がないことが立証されてきた。

iii. クライメート・ジャスティスの名において、さらにエコロジー債務の賠償として、帝国主義諸国は、帝国主義によって支配されてきた諸国に対して、それらの諸国が気候の安定化のための物理的条件を考慮しながら経済発展を遂げるために必要な知識と技術を移転しなければならない。帝国主義諸国はまた、避けがたい気候変動―貧困国の貧困層、特に女性が主要な犠牲となっている―への適応のための措置に対する資金を提供しなければならない。

iv. 技術的観点から見れば、再生可能エネルギーは将来にわたって人間の必要を十分に満たすことができる。しかし、エネルギー・システムを転換する必要があるため、今後四十年間にわたる転換の成功は、エネルギー消費の大幅な削減を不可欠とする(「先進国」においては五〇%以上の削減)。それは物質生産の大幅な削減を意味する。したがって主要な問題は次のことである。全体としての生産を減らしつつ、いまだに多くの基本的必要が満たされていない三十億人の人々の正当な要求に応えることが必要なのである。

気候変動による損失をもとに炭素に価格を割り当てることによってこの一連の条件が尊重されると考えるのは全くの幻想である。価値とは、資本の発展によって特定の瞬間に使われた抽象的人間労働の質を表す純粋に量的な指標であり、その定義上、自然の富や将来世代のニーズを計算に入れたり、人間の観点から具体的労働を有益なものと無益なものに区別したり、気候安定化の多くの(量的および質的)パラメーターを考慮に入れることはできない。この非現実性は、すでに次の事実によって現実的に明らかとなっている。つまり、独占資本は地球温暖化に関する法案が導入されるのを阻止するためにすべての影響力を行使し、成功した。そのことによって彼らは、結局のところ、実施する政策の時期と方法を自分たちの利益に沿って決定しているのである。最後に、社会的レベルにおいては、炭素の国際価格を導入することは、労働者や貧困層が地球温暖化のためのツケを支払わされることを意味し、それは北と南の間の、そして北および南のそれぞれの社会の中の格差を拡大する。

資本は基本的な問題を解決できない。なぜならば、資本にとっては、全体的な物質生産を減らしながら、支払能力のないニーズのための生産を増やすということは構造上不可能だからである。人間の能力の発展のための正当な権利と、再生可能な資源にのみ依存する経済的かつ効率的なエネルギー・システムへの移行(コストに関わりなく)のための世界的なプログラムの計画的、民主主義的、合理的な実施とを結合することは、ラディカルな反資本主義的政策を導入することによってのみ可能である。そのような政策には、特に、次のような政策が含まれる。信用機関およびエネルギー・セクターの没収;賃下げなしに、労働者を追加雇用することでの労働時間の大幅削減(「半日労働」に向けて)と労働リズムの軽減;資本家の利益に対する高率の課税;可能な限り広範な生産の再分散化、とりわけ小規模農業への支援を通じた農業生産の再分散化;消費様式の転換のために不可欠である住宅・交通分野における公的イニシアチブ;独占資本の利益を原資とする世界規模の(気候変動の影響への)適応のための基金の設立;研究のための公的再融資、研究の産業への従属の廃止、南の諸国へのクリーン技術の移転;これらすべての多様なレベルの政策への住民および地方自治体の民主的参加と管理。

3 気候変動は、二百年にわたる化石燃料をベースとした資本主義的発展の有害な遺産であり、このシステムの社会的・エコロジー的破壊をもたらす可能性が、人間のニーズを認識しそれに対応する能力を上回っているという事実によって、今では文明の危機を集中的に表現している。資本主義的人口法則の枠組みにおける経済危機・気候危機・食糧危機の結合は、その内部に、人類にとっての重大な災禍の危険、そして野蛮への後退の危険さえ持ち込んでいる。

二百年にわたる化石燃料をベースとした資本主義的発展の有害な遺産である気候変動は、そのシステムが持つ社会的・エコロジー的破壊をもたらす可能性が、人間のニーズを認識し、それに対応する能力を上回っているという、システムの世界的危機を最も明白に表現したものである。生産力の成長は、破壊力の成長となった。それは社会的・エコロジー的に破壊的な技術がますます多く導入されるようになったからだけではなく、全体として資本主義の論理が、気候を破滅に向かわせることを通じて、人間社会をあらゆる深刻な問題へと導いているからでもある。資本主義的生産様式は、特定の人口法則を暗黙に前提としており、それは産業予備軍の恒常的な必要性を示している。この法則の枠組の中で、また、後期資本主義の歴史的衰退という文脈の中で、経済危機・気候危機・食糧危機の結合は、資本主義内部において、かつてない規模での「創造的破壊」(シュンペーター)の波という重大な脅威をもたらし、それは物質的生産力とかけがえのない自然資源の大量廃棄だけでなく、何億人もの人々の肉体的破壊という重大な脅威をも伴っている。この極悪非道な論理はすでに、アグリビジネス・エネルギー・自動車・石油化学に投資されている個々の巨大資本が集中することで実際に機能している。それらの資本は先を争って、土地およびエネルギー源としてのバイオマスの工業的開発を手に入れようとしており、小規模農民の荒廃と農村からの離散を加速し、先住民コミュニティーを脅かし、慢性的飢餓の犠牲者である下層プロレタリアートの急増をもたらしている。グローバルな対案がないために、このシステム内部の力学は、システムをグローバル危機という急坂へさらに強く突き落とすだろう。そして、この危機は歴史上先例がない水準の残忍さと野蛮を伴うだろう。

4 気候変動は、世界的な社会主義オルタナティブおよび社会主義プロジェクトを生産力主義から根本的に決別させることの両方が緊急に必要なことを明白に示している。炭素循環の飽和と再生不能な資源の枯渇は、実際、これまでとは異なって、労働者の解放が主要な自然条件の制約を同時に考慮することなしには考えられなくなっていることを意味する。

資本主義的成長に反対することは、それ自体としては、一つの社会の構想を成すものではなく、また、もう一つの世界を目指す広範な社会運動の戦略を成すものでもない。物質生産と消費を削減することは、気候の安定化のためにただちに必要である。なぜなら、資本主義は人類をあまりにも深く袋小路へ引き込んでしまったからである。しかし、それは、いかなる意味でも、将来の、気候が安定した後における発展の可能性をあらかじめ決定するものではない。それはまた、他方において、化石燃料を使用しない経済への必要な移行の一つの量的基準にすぎない。われわれが反社会的な、あるいは反動的な結論に導かれたくないのであれば、この量的基準を質的基準と、とりわけ富の再分配、賃下げなしの労働時間短縮、公共セクター発展という質的基準と結びつけなければならない。これらの基準が満たされ、物質生産の削減が役に立たない生産物や有害な生産物を対象とするのならば、物質生産の削減は実際に、社会セクターへの投資、異なった種類の都市計画・農村計画、基本的サービスへの自由なアクセス、自己活動・自己組織化・あらゆるレベルでの民主的自己管理のために必要な自由時間の回復を通じて、大多数の人間にとっての幸福・豊かさ・生活の質の向上と同義となるだろう。

資本主義的生産は物質的生産および消費と不可分であるが、それは結果であって原因ではない。交換価値の抽象的形態としての価値の生産こそが、一方の極への無限の富の蓄積という永続的な傾向へと導き、同時に他方における貧困と困窮の蓄積を引き起こしているのである。この二重の現実を考慮に入れない気候対策は失敗する運命にあるだろう。そのようにして、決定的に重要なポイントであり、反資本主義的オルタナティブのテコとなるのは、基本的には社会主義プロジェクトが明らかにしたもののままである。つまり、利潤競争、生産手段の私的所有、商品生産、競争、賃労働システムといったものを基礎としたシステムに対して、搾取され抑圧された人々を動員することである。しかし、この重要な点とテコは、もはやオルタナティブを定義するためには十分ではない。炭素循環の飽和は、実際、これまでとは異なって、労働者の解放が主要な自然条件の制約を同時に考慮することなしには考えられなくなっているという事実を、もっとも明白に、もっともグローバルに示している。この自然条件の制約とは、歴史的スケールでの再生不能資源の埋蔵量、再生可能資源の補充速度、エネルギー変換の法則、エコシステムとバイオロジー・サイクルを機能させるための条件、それらのリズムといったものである。

社会主義がエコロジーの問題を取り上げる必要を確認するだけでは不十分である。本当の課題は、社会主義プロジェクトが地球規模のエコロジーと共存可能であるための条件を作り出すことである。発展について考える際には、真に民主主義的に決定された人間のニーズを満たすことだけでなく、環境との関係における持続可能性、さらには生物圏の複雑さ、未知の要因、および進化する性質がこの課題に一定の除去不可能な不確実性を付与していることを考慮しなければならない。「人間が自然を支配する」という考え方は放棄しなければならない。今日以降、唯一の現実的に可能な社会主義は、当事者自身によって民主主義的に決定される真の人間のニーズ(商品という形の疎外されたニーズとは区別される)を満たし、同時にそれらのニーズとそれを満たす方法が環境にもたらす影響について慎重に自問するような社会主義である。

社会と生態系の相互関係について考えるということは、第一に、自然についての隔離された、功利主義的な、直線的な見方、つまり自然は人間が活動する物理的な土台、人間がその社会的生存のための生産を行うために必要な資源を取り出す貯蔵庫、あるいは人間の活動による廃棄物を投棄する廃棄場であるという見方を超えることを意味する。実際には、自然は土台、貯蔵庫、廃棄場であるのと同時に、広範な生命のプロセスであり、それは外部からの太陽エネルギーの供給の助けを借りて、物質をそれらの柱の間で循環させ、絶えずそれを再編成している。したがって、生物圏の巧みな仕組みを壊さないためには、廃棄物とそれを処理する方法は、量においても質においても、生態系による再循環の許容量とリズムに適合していなければならない。しかし、この巧みな仕組みは、生物学的な担い手の数と多様性、そしてそれらを結びつける多くの関係の連鎖の複合性に依存しており、その流れのバランスが究極的には人間への資源の供給を決定する。

社会と生態系の相互関係について考えるということは、第二に、生産様式は生産および所有関係によってだけでなく、技術の構造―それはエネルギーの選択によって規定される―によっても定義されるという現実からの教訓に学ぶことを意味する。気候変動はこのことを明確に示している。ある生産様式で使用されるエネルギー源と、エネルギーを人間のニーズ(食糧、熱、光)を満たすために変換する方法は、社会的に中立ではなく、明確な階級的性格を持っている。資本主義のエネルギー・システムは再生不能な資源を無政府的・浪費的・非効率的に利用し、大量の「死んだ労働」に依存し、また、商品の過剰生産に向かう傾向をもつことを特徴としている。社会主義に向けた社会的転換は、そのようなシステムを解体し、それを計画的・経済的・効率的で、「生きた労働」に依存し、もっぱら再生可能な資源を基礎とし、耐久的で実用的な価値―再循環および再利用が可能な―の生産を指向する非集中的なシステムによって置き換えることを必要とする。この転換は、狭い意味でのエネルギーの生産にのみ関わるものではなく、産業構造、農業、交通、余暇、都市計画と農村計画の全体に関わる。エネルギーと気候に関わる課題はわれわれに、社会主義革命というものを単にブルジョア国家の破壊とプロレタリア国家の樹立―それは樹立と同時に消滅を開始する―と大衆による自主管理の漸進的拡大としてだけではなく、古い資本主義的生産体制を破壊し、それを民主主義的に決定された目標の実現を助ける異なるエネルギー源、異なる技術、異なる機構を利用する代替的な体制に置き換えるプロセスの開始としても構想することを要求している。この非常に根本的な歴史的変化は、一国または一群の国において開始できるが、世界規模の社会主義革命の勝利の後で、発展における基本的な不平等が取り除かれることによってすべての人間が人間的な生存のための基本的権利を充足することが可能になったときにのみ、その特性を全面的に発展させ、完成することができる。実際、それはそれぞれの国のエネルギーや食糧における自立の基本的な実現を必要条件とする。それは人間社会の発展の終わりを意味するものではなく、科学と技術の重要な前進と、それを民主主義的な方法で応用するための社会的な力の発展を意味し、それは生物圏に「慎重に配慮する」という文化の枠組の中ですべての人々が能動的に参加し、そのような文化において先住民共同体が重要な役割を果たすことを意味する。

革命的マルクス主義は、ひとたび人間の基本的な必要が満たされたとき、人間社会の質的な発展が量的な発展よりも重要になると考える。この考え方はマルクスの考え方と一致しており、マルクスにとって真の豊かさは自由時間、社会的諸関係、世界認識の中に存在する。太陽エネルギーを中心とする再生可能なエネルギー源をもっぱら利用する共産主義という展望は、この非生産力主義的思想との連続性の中に位置づけられるものであり、それを深化し、要求・課題・綱領に新しい結論を組み込もうとするものである。そのような深化によって、エコ社会主義という新しい概念を使用することが正当化される。エコ社会主義は、資本主義による人間労働の搾取と自然資源の破壊に対する共通の闘争の集約的な表現であり、人間と自然の間に確立されるべき「調和」についての理想主義的、空想主義的構想から出発しているのではなく、社会と環境の間の物質の交換を管理し、同時に人間のニーズと生態系の正常な機能の間の緊張を意識的・集団的・民主主義的に管理するという唯物論的必要性から出発している。

5 われわれの課題

5・1 社会運動活動家が大衆の意識の発展を助け、気候に関する大衆運動を組織することができるように準備する。

気候のための闘争は、最初に、社会的勢力の間の関係の確立を必要とする。問題の緊急性と資本家政府の犯罪的政策を前にして、われわれはすべての国において、世界規模で連携した強力な統一的大衆運動を作り上げるために活動する。この運動は、さまざまな領域において存在する社会的抵抗が、集中的な共同行動や、時々の共通の最小限の綱領をもとにしたデモンストレーションを通じて格子状につながるものとして構想されるべきである。その目標は、政府に対して、「共通だが差異のある責任」の原則と、すべての人々に社会的・民主主義的権利と人間としての生活の権利を保証するという原則を尊重しつつ、少なくともIPCCによって勧告されている排出削減目標の中の最も大幅な削減を目標するよう強制することである。気候を保全するための大衆運動が困難な課題であることの一つの原因は、その原因と結果が空間的にも時間的にも離れたところで発生することにある。地球温暖化とその影響に関する情報を知らせるための広範なキャンペーンが必要である。それは特に、種々の社会運動や左翼政治組織の中心的活動家に向けられなければならない。なぜなら、そのような中心的活動家が、グローバルな気候変動の脅威と特定の社会問題を具体的に結合し、そこから社会的闘争と環境のための闘争を結合することを可能にする戦略を導く上で決定的な役割を果たすからである。

5・2 気候のための闘争と社会的公正のための闘争を結合する左翼潮流を確立する。

必要な変革は、人口の大多数を構成する被搾取・被抑圧層の動員と能動的参加なしには実現できない。資本主義の気候政策は、この参加に道を閉ざしている。なぜなら、そのような参加は社会レベルで受け入れられないからである。この政策は実際、帝国主義の支配と資本主義的競争・暴力の強化を意味する。それゆえ、搾取、抑圧、社会的不平等、労働者間の競争、権利の侵害、資源の私的な簒奪の強化を意味する。特に、この政策は、大量の温室効果ガスを排出する部門で雇用されている何百万人もの労働者の雇用、賃金、社会的既得権に関して提起される重要な課題に対して何の回答も提供しない。したがって、それは正当な社会的抵抗に直面せざるを得ない。大きな環境NGOは政府の環境問題に関する目標を急進化させようとしている一方で、この急進化が同時に反社会的な攻撃の強化を含んでいることを見ようとしない。これは行き詰まりである。われわれは、気候と社会的公正のために闘争を結合する必要性を擁護する。広範な運動の中で、われわれはこれらの二つの側面を結合し、市場の手段、資本蓄積、新自由主義的支配、危険な技術を基礎とした提案に一貫して反対する左翼の極の確立を目指す。この極は、労働組合、エコロジスト、グローバル・ジャスティス、フェミニスト、第三世界左翼、「衰退しつつある」左翼、ラディカル左翼や批判的科学者等の組織などの要素を結集させようとする。 

5・3 緑の新マルサス主義に反対し、貧困層および女性の権利を擁護するためのイデオロギー闘争を進める。

地球温暖化の問題は、グローバルな問題であるという性質と、それが引き起こす可能性がある問題の重大性のために、ラディカル・エコロジーの装いの下で、マルサス主義の理論を復活させ、それを宗教色の強い黙示録的議論と結合しようとする一連のイデオロギー潮流の形成に有利に作用する。このような潮流は、支配階級の特定のセクションの中で、その頂点に支持者を見出している。これらの層にとっては、数億人の死滅を想像する方が、資本主義の死滅を想像するよりもたやすいのである。そのため、彼らは潜在的には貧困層、特に女性にとって重大な脅威である。これらの潮流との闘争は重要な課題であり、われわれの組織は女性の運動と協力してそれに取り組まなければならない。人口レベルが気候変動の副次的要素の一つであることは明らかだが、われわれは人口の増加が気候変動の原因であるという誤った主張に対しては断固として闘争しなければならない。人口動態の変化は多くの「発展途上国」において進行しており、予想されていたよりも速く進んでいる。それが継続することは望ましいことであるが、それは社会的な進歩、社会保障システムの発展、女性が利用できる情報、女性が自分の生殖能力を管理する権利(適切な条件の下での堕胎の権利を含む)の結果としての変化であるだろう。これはもちろん長期的な政策である。野蛮な手段に訴えることを除けば、いかなる人口抑制政策でも、気候問題の緊急性への対応は不可能である。

5・4 気候問題を社会運動の政綱と闘争に組み込む。

現存する運動に根を張った広範な動員という展望の中で、われわれは、気候の保全が社会運動の重要な関心事になり、そのことがすべての領域における要求政綱の中で具体的に表現されるために行動する。たとえば、以下のように。

――平和のための闘い:武器の製造と使用は気候変動との関係で許容できない逸脱行為であり・・・、それ自体が紛争の付加的な原因となる。

――貧困に反対し、発展と社会的保護の権利を求める闘い:気候変動への適応能力は資源と発展のレベルに正比例する。社会的不平等は脆弱性を拡大し、エネルギー転換に不利な条件をもたらす。

――女性の闘い:気候変動への適応のための必要条件は、特に、女性の固有の要求、すなわち平等な権利、育児に関する社会の責任、二重の労働からの解放、中絶と避妊の権利の重要性と緊急性を一層明確にしている。

――雇用のための闘い:エネルギー消費を根本的に削減すること、地方と都市を再組織すること、生物多様性を保護すること、公共交通を発展させること、化石燃料エネルギーを持続可能なエネルギー源によって代替することは、巨大な雇用機会を提供する。

土地・水・自然資源へのアクセスと小規模農民による有機的農業を守る闘い:集約型の有機農業を実践している農村コミュニティーは、炭素吸収源の能力を高め、農業セクターにおける温室効果ガスの排出を削減する方法を知っている。

――グローバリセーションと農産物市場自由化に対する闘い:農民の破滅、飢餓、農村からの人々の流出、生態系の略奪の原因であるだけでなく、直接的(輸出用農産物の輸送で)に、そして間接的に、重要な温室効果ガス排出源となっている。

――避難民の権利のための闘い:環境難民、とりわけ気候難民の数が増大している中で、移動の自由は不可欠であり、人間性の名に値する唯一の回答である。

――自らの権利を守るための先住民コミュニティーの闘い:先住民コミュニティーは、生態系、とくに森林の知識と利用方法によって、炭素吸収源を保護し、発展させるもっとも優れた能力を持っている。

――労働のフレックス化・不安定化に反対し、労働時間延長に反対する闘い:切り縮められ、フレックス化された労働スケジュール、そして労働力のさらなる流動性を支持する資本家のキャンペーンは、労働者たちに自動車を使用するよう強制している。「カンバン方式」の生産は、輸送セクターにおける温室効果ガス排出の大きな要因である。労働時間短縮は、オルタナティブな消費・余暇モデルを大規模に発展させるための必要条件である。

――民営化に反対し、交通・エネルギー・水の分野における良質な公共セクターを要求する闘い:無料で良質な公共交通セクターだけが、すべての人々の移動の権利と温室効果ガス排出削減を両立させることができる。電力生産の自由化は、再生可能エネルギー源の電力ネットワークへの組み込みを複雑にする。営利を目的としない国有企業のみが、二十〜三十年内に住宅セクターにおける排出をゼロにするという課題に挑戦できる。

5・5 社会的・エコロジー的再転換を求める世界的な反資本主義的計画について、その展望の全体像を描く。その枠組みの中で、気候のための闘いと社会的ニーズ、とりわけ働く権利を満たすための闘いを具体的に結合する要求を前進させる。

大きな国際労働組合連合のリーダーたちは、資本家の気候変動政策に追随し、その代償として自分たちのいくつかの要求について交渉する可能性を確保するという方針を採用している。この方針は「グリーン・ニューディール」という提案として具体化されている。それはグリーンな技術が失業を吸収することを可能にし、新しい繁栄と資本主義的拡大の長期波動の推進力を提供するという幻想をベースとしている。労働組合官僚は資本主義の生産性と収益の向上の要求に同化し、気候変動政策の主要な手段、すなわち「グリーンな企業」への政府補助、「エコロジー課税」、クリーン開発メカニズム、排出量取引を支持し、さらには原子力エネルギーやバイオ燃料さえ支持している。このような方針は、労働組合運動を破局の共同責任者にするだろう。それは国際レベルにおける労働者間の分断と、各国におけるセクター間の分裂の種をまいている。その難題に立ち向かうために、労働組合の左派は、富の再分配に焦点を当てた狭苦しいビジョンから脱却しなければならない。それは、富そのものの概念、そして富が生産される方法、言いかえれば生産様式の土台そのものについて議論するためである。官僚的な労働組合指導部の政策に対しては、われわれは社会的・エコロジー的再構築をめざす世界的な反資本主義的計画という展望を対置する。この計画には、公共セクター(とりわけ交通およびエネルギー部門)を守り、強化すること、働く権利、基本的権利としての社会的・収入的保護、無用で有害な生産に従事する労働者を労働者管理の下で集団的に再配置すること、生産リズムを落とし、賠償的雇用を確保することで、賃金削減を伴わずに労働時間を劇的に削減すること、公営企業や無料の基本サービスにおけるグリーン・ジョブの創出が含まれている。この枠組みに基づいて、われわれは、生産継続か、失業かという忌々しい選択への具体的解決策を提案するために、特にエコロジー的に持続不可能なセクター(たとえば自動車産業)における産業再編をめぐって、闘いに関与するだろう。われわれは、政府が(住宅の断熱のような)エコロジー的に有用な公共の仕事、たとえば公共交通やコストの問題は別にした再生可能エネルギー源の発展を創出することを要求する。

5・6 帝国主義の支配下にある諸国へのクリーン技術の大規模な移転、およびこれらの諸国における気候変動の影響に対する適応のための資金調達は、世界規模での資産と知識の共有を必要とし、したがって資本家の利益への重課税を不可欠とする。気候を救済するためには、世界規模での資産と知識の共有が必要である。それは、以下の事項と関連づけられなければならない。

――第三世界の債務を帳消しすること、南の諸国の独裁者が欧米の銀行に置いてきた財産を国民に返還すること。

――銀行の機密の廃止、タックスヘイブンの禁止、相続への課税、資本の投機的活動への課税など。

――帝国主義諸国の国家予算における政府開発援助予算の大幅増額。

――上記援助のほかに、発展途上国が気候変動の不可避的影響に適応するため、およびこれらの諸国の公共セクターにクリーン技術を、金銭的条件なしで移転するための単一の世界基金の設立。

――この基金のための資金源を、気候変動にもっとも大きな責任がある経済セクター(特に、石油、石炭、自動車、発電)の利益および途方もない超過利潤への課税に求めるべきであること。

――世界のすべての人々が基本財にアクセスできるように、医療についての特許制度、および基本的消費財・サービス(交通、軽工業、水、エネルギー、通信)の生産に役立つ技術に関わる特許制度を廃止すること。

――化石燃料資源の採掘を放棄した南の諸国に対する金銭的補償システム。

5・7 帝国主義の支配下にある諸国における排出は、資本主義的発展モデルを問題にしない限り、(何もしない場合に予想される排出量との比較で)三〇%以上削減することは不可能だろう。帝国主義の支配下にある諸国が、気候を少なくとももっとも危険性が小さい水準で安定化させるという目標に寄与できるためには、圧倒的多数の国民のニーズに対応した内発的発展、つまり小規模農民による農業を促進する農地改革、および国内市場に向けた生産への転換と結びついた発展が不可欠である。したがって、人間発展の権利と気候変動抑制の両立のためには、各国の支配階級に対する措置をとる必要がある。なぜなら、彼らは、発展の権利を口実として化石燃料を燃やすことへの一切の規制を拒否し、自然資源を略奪し、森林を私物化し、炭素クレジットを売るための仲買人となり、バイオ燃料を生産し、農産物・食糧・工業製品を先進工業国の市場へ低価格で輸出しているからである。彼らがこの社会的にも環境的にも有害な発展モデルを強化しようとするのを阻止するために、南の諸国に提供された資金や技術的手段は、当該諸国の人々およびその社会運動団体による民主的管理の下に置かれなければならない。

5・8 先住民族は、自らの生活様式と環境との関係を守ることによって、森林保護のための闘い、一般的には気候・環境を守る闘いにおいて、主導的役割を果たしている。とりわけラテン・アメリカの諸民族は、ブルジョア・イデオロギーによって促進された文明とは対極にある先祖伝来の文化と結びついた観念を持っている。これらの諸民族は、自分たちをその土地の所有者とは考えておらず、土地に属していると考えている。−−そして、この考え方は、地球への敬意によって生まれた彼らの哲学の中心的内容をまとめたものである。彼らが自らの土地をマザーアース、つまりパチャ・ママと呼ぶ理由である。彼らは、もう一つの、コミュニティーと連帯を基礎にした生活様式、すなわち深く自然に結びついている生活様式をはぐくみ、維持し、育てている。同様に、地域に根ざした先住民族の社会的・政治的組織は、自らを帝国主義者によって押し付けられた境界内に限定しない。彼らの生活手段・社会構造・自然資源・民族に対する脅威は、−−彼らの地域への数えきれない侵略の結果として−−奪うことのできない彼らの権利への攻撃となっている。そして、このことが、かれらが自らを組織し、自由貿易協定、あるいはIIRSA(南米地域インフラ統合イニシアチブ(訳注)の枠組みの中で行われる多国籍企業の略奪に抵抗するよう駆り立てている。われわれは、彼らの要求を支持し、開発産業による彼らのテリトリーの占有および先住民族とあらかじめの合意なしに行われる水力発電所・鉄道・道路・ダムのいかなる建設にも反対しなければならない。環境問題は、反資本主義闘争において、明らかに戦略的役割と位置を閉めているので、地方・都市の労働者と先住民族との間で同盟を作りあげることは、われわれの時代のもっとも重要な課題である。こうした闘いでもっとも緊急なことはまた、気候システムで大きな役割を果たしている最後の熱帯林を守ることである。
(訳注:IIRSAは、二〇〇〇年八月に開かれた第一回南米諸国首脳会議において合意
された、南米地域としてのインフラ統合についての組織)

5・9 危険な新技術の導入に反対し、生態系に関連するすべての主要な課題を、真に持続可能な発展の展望の中に組み込む。

資本主義の歴史は一連の環境危機によって特徴づけられ、それらの危機は全体的な生態系的な視点なしに、収益性という条件に従属した部分的な技術的解決策―その環境への有害な影響は後になって初めて明らかとなる―によって「解決され」てきた。同じ魔法使いの弟子の処方に従って気候とエネルギーの危機を解決することは、特に、原子力への依存の増大、遺伝子組み換え作物への依存の増大、新たな石炭採掘の波の中での二酸化炭素の地中貯蔵の三つの分野において、一層危険な結果をもたらすだろう。これらの資本主義的解決策に反対することは、左翼にとってもっとも重要な課題の一つである。われわれは、それらを資本主義の無制約の成長が常軌を逸していることの象徴として、また、何があろうとも利潤を生み出す資本蓄積を続けるために、自分の頭を飛び越えようとする浅はかな試みとして非難する。より一般的には、気候問題は環境に関連するすべての問題を結びつける。したがって、この問題への回答は、生態系に関連するすべての重要な課題を組み込まなければならない。それには、特に、以下の課題が含まれる。(i)熱帯雨林の保護と、先住民コミュニティーがその資源(炭素吸収源)の上で生活する権利の尊重、(ii)生物多様性の保護、(iii) 水資源の合理的な公共的管理、(iv)石油化学によって生成された約十万種類の分子―自然界には存在せず、したがって、その還元剤によっては分解できない場合がある―による生物圏の汚染に対する闘い、(v)成層圏のオゾンを破壊するガスの使用禁止と、生態系に危険な影響を及ぼさない化合物による代替、(vi)大気汚染とその人間の健康への影響(喘息、心血管の疾患)および生態系への影響(酸性化、対流圏オゾン)に対する闘い。

5・10  資本家の計画と科学者の勧告の隔たりについて非難する。批判的科学者たちとの結合を確立する。知識の所有権や研究の社会的役割の問題を提起する。

政府が、自分たちの資本主義的・自由主義的気候変動対策が「科学的」根拠に基づいていると人々に信じさせようとしていることに対して、断固として闘わなければならない。こうするためには、われわれは政府の目標と、予防原則によってIPCCレポートから引き出す必要がある結論との間のギャップを非難しなければならない。こうした非難は、科学的専門知識のエッセンスを取り入れる一方で、大多数の専門家によって伝達される支配的なイデオロギー的・社会的前提を批判する。左翼は、科学者たちとの関係を確立し、科学者が社会運動に対して自分たちの専門知識を伝えるよう促し、自らの全般的な政治的立場や科学的専門知識の基礎について科学者たちを刺激して、一方における地球温暖化抑制のための闘いが要求するグローバルな合理的解決策と他方における資本主義の部分的合理性に奉仕する科学の極端な細分化との間の矛盾について発言するよう促さなければならない。政策立案において専門的科学者が占めている位置を考えると、社会運動と批判的・人間的な科学者との関係を確立することは非常に重要である。この枠組みの中で、われわれは、社会的公正という枠組みの中で、気候の安定のための闘いにおける科学と研究の役割について、より一般的な視点を発展させる。われわれは技術による解決を拒絶しないし、発展や進歩という概念を拒絶しない。逆に、われわれは科学および研究は資本の影響から解放されて、その潜在的可能性が大規模かつ迅速に、再生可能なエネルギー源の持続可能な開発、エネルギー効率の向上、資源の合理的管理に活用されるようにするべきであると主張する。われわれは、研究活動への公的な補助金の全面的な組み換え、大学と産業・金融資本を結びつける契約の打ち切り、生態系的に持続可能な、社会的公正にもとづく社会に向けた転換のための優先的な研究課題の民主主義的決定を要求する。

5・11 個人に罪悪感を感じさせようとする企てに反対する。しかし、社会的に可能な限り、エネルギーの合理性を求めることが必要であると主張する。

個人に罪悪感を感じさせることを目的とした政府の議論は、地球温暖化の責任を個人の態度に転嫁しようとするものであり、社会的不平等を消し去り、資本主義の責任を隠蔽し、生産様式の根本的な転換の必要性から関心をそらし、炭素税のような不公正な手段への道を掃き清めようとするものである。世界人口の半数以上が慢性的な過少消費の中で生活しているときに、過剰消費に反対する「文化伝播」運動によって気候が救われると信じるのは幻想である。しかし、個人の過剰消費やそれによってもたらされた個人の行動を問題にするのを避けるために、画期的な科学技術上の大発明を期待するのも幻想である。消費の領域における行動に、生産の領域における構造的変革を対置する代わりに、前者は、人々が後者の必要性を理解するようになるステップとして考えられるべきである。オルタナティブな社会的活動、民主主義的キャンペーン、大衆動員は、少数派を含むだけであっても、生産領域において構造的変革が必要であるという集団的意識、そしてそのような変革がより高い生活の質をもたらすという集団的意識を形成する上で、積極的な役割を果たすことができる。

5・12 大災害が発生した時に大衆的な支援活動を発展させる。

気候変動は大災害の危険を大幅に高めており、特に発展途上国において、労働者や貧困層により大きな被害をもたらす。この脅威を前にして、われわれは二つの面で社会運動を通じた関与のために準備しなければならない。つまり、国家と政府に責任を取らせるための要求を掲げること、全世界の活動家のネットワークの協力によって、現地の住民および住民組織の指揮の下で直接的・大衆的・相互依存的な支援活動を組織することの二つである。自然災害の際の経験が示していることは、こうした大衆的な支援イニシアチブの方が、より素早く、より直接に貧困層に届き、人々の本当のニーズにより対応している、しかも、費用もより少ないということである。さらに、そのような活動は、さまざまな社会的関係を発展させ、既存秩序への異議申し立てを促進するのである。


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