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「文明の警鐘、そしてあるエコ社会主義者の反応」

17回世界大会に向けた対案

文明の警鐘、そしてあるエコ社会主義者の反応
(A civilisational wake-up call – and an ecosocialist response)


アラン・デイビス

エコロジー・コミッションによる議案「資本主義の環境破壊とエコ社会主義的オルタナティブ」に対する対案として世界大会に提出されたもの

世界は気候の断崖絶壁に近づきつつある。記録をとり始めてから136年間でもっとも気温が高かった17年のうち16年が、2001年以降である。2016年はもっとも暖かい記録を更新した。科学者は長い間、地球表面の平均気温上昇が工業化以前と比べて2℃(すでに0.99℃上昇しており、さらに上昇しつつあるのだが)上昇すると、人間が地球気候システムを制御できなくなる不可逆的フィードバックの引き金が引かれるだろうと議論してきた。パリでのCOPは2℃を上限とするのでは不十分だとみなし、より厳しい1.5℃の上限を採用した。これでさえ世界の氷床の半分以上を溶かし、氷のない世界への扉を開けるのに十分である。結果として、世界中の海岸地域では、海面レベルが大きく上昇し、何千という島が海中に没するだろう。西南極圏の氷床が不安定になることで、海面は6?7M上昇する恐れさえある。極端な異常気象(干ばつ、嵐、洪水、山火事)はより頻繁に、より深刻になるだろう。もっとも貧しい人々がもっとも被害を受けるだろう。

産業革命以前の時代と比べると、海洋の酸性度は30%高くなっている。それは、(主には)大気中の炭素を吸収しているからである。大気中に排出される全炭酸ガス量の3分の1は海洋に吸収される。サンゴ礁は死滅しつつある。殻構造物のために石灰沈着に依存している海洋無脊椎動物は、人類の食事にとって大きな位置を占める魚類の多くの繁殖サイクルがそうであるように、暗い将来に直面している。

生物種は、歴史上の、「背景絶滅」(訳注:生物種の絶滅には「背景絶滅」と「大量絶滅」がある。背景絶滅とは、日常的な最適者生存の競争原理による絶滅のこと)の割合の千倍の速さで絶滅しつつある。世界自然保護基金(WWF)の2016年「生きている地球レポート」は、熱帯・温帯の両方で一万種以上のほ乳類・鳥類・爬虫類・両生類・魚類をモニターした結果、過去50年間において、人類による影響が地球の歴史上それ以前のどの時期よりも多くの打撃を自然動物に与えていると結論づけた。そのレポートは、大きな重要性を持つ科学的見解を示しつつ、現在「6回目の大量絶滅」事象、つまり恐竜を絶滅させた6500万年前の大絶滅以来最大の絶滅を目撃しつつあることを明らかにした。

同時に、われわれは地球を巨大なゴミ箱のように扱っている。世界の都市住民から出されるゴミの産出量は一人一日2.6ポンド(1.2キロ足らず)にのぼると(他でもない)世界銀行が計算した。そしてそれは急速に増加しており、その増加のほとんどは発展途上国におけるものである。これに付け加えて、エネルギー生産、工業、農業によって生み出される浪費がある。その毎日の浪費量は、地球上の70億人の住民の体重を全部合わせたものよりも重いのである!

間もなく海洋には魚よりもプラスチックの方が多くなるだろう。海鳥の90%が体内にプラスチックを持っている。大量生産されたプラスチックの地球的規模の分析(生産・使用・かつて作られたプラスチックの運命について)がカリフォルニア大学によっておこなわれ、2017年7月に公表された。それによると、プラスチック生産が1950年代に始まって以降、全部で83億トンの生物分解性を持たないプラスチックが生産された。その大半は最後には埋め立て地や海洋に行く。2015年に生産された70億トン近くのプラスチックのうち、9%だけがリサイクルされ、12%が焼却された。残りは環境の中に(ほとんどは海洋に)残され、あれやこれやの形態で何百年も、おそらくは何千年もそのまま残るだろう。

メッセージは明白で、容赦のないものだ。現代の人類、つまりホモ・サピエンス、われわれ自身が、現21世紀に、われわれが何百万という他の生物種とともに住んでいる地球が居住空間としてこれからも存続するのかどうか、決めさせられるのだ。

われわれは一つの生物種として、われわれが自らの存在のほとんどのために取っている破壊的な方法、特に産業革命以降の方法では生存し続けることができない。エネルギー資源をめぐる戦争と抗争はより頻繁になってきた。砂漠化・洪水・火事から逃げだした人々は各国の入国管理局と衝突し、警察や入国管理局による懲罰に直面している。国連の推定では、約5千万人が干ばつ・洪水・土壌侵食・輸出目的の農業の拡大の結果として、出身地域から追い出され「環境難民」となっているとのことである。この新たな現実への移行は数千万人の貧しい人々の、とりわけ女性・子ども・高齢者の生命を危険にさらし、われわれの種の完全な破滅の原因となるだろう。

資本主義、現代人類、そして地球

われわれは革命的社会主義者として、資本主義システムが、利益と成長への飽くことのない本能的欲求を持っていて、地球がこれまでに直面した社会の中で、環境の面でもっとも破壊的システムであるということに同意することができる。資本主義システムは、人類を労働の結果からと同様に、環境からも疎外する。それは、人類・市民的権利・経済的搾取の点で、いままで世界の中で社会的にもっとも軋轢を生むシステムである。この点について左翼の中で議論の余地はない。社会主義者として、われわれは毎日の生活の中で資本主義に対して闘っている。

しかし、起こってくる疑問、いまだに論争中の疑問は、資本主義が環境に対して破壊的かどうかではなく、(しばしばマルクス主義者や社会主義的環境保護活動家の論文の中に含まれているのだが)環境危機・気候危機を資本主義の役割へと切り縮めることができるかどうかということである。この疑問に対する回答はノーである。結局、資本主義は人間による構築物である。資本主義は、地球上の進化の道筋において、現代人類によって採用された社会組織形態の一つである。そして、できることなら、資本主義が最後の社会組織となって欲しくないものである。それは(反マルクス主義者が言うように)「種に対する偏見」ではなく、明白な現実である。搾取にもとづき階級によって分断されているという事実は、人間による構築物としてはそれ程のものではないということだ。

20世紀の多くの期間、スターリニスト独裁という形態のもとで、世界の主要部分が資本主義の影響範囲から抜け出していたとき、(議案が指摘しているように)どのケースでも、環境破壊はほぼ間違いなく悪化した。

それゆえ、資本主義は前代未聞の破壊的能力を持っているにもかかわらず、地球に対する唯一の環境的挑戦ではないことを受け入れるべきときが来ている。そう認めるのは不愉快かもしれないが。現代人類、つまり「ホモ・サピエンス」、われわれ自身も同様に主要な破壊的役割を果たしてきたし、果たし続けている。実際、結局のところ資本主義はそれ自身人間による構造物であるので、その二つの要素は完全に分割不能である。資本主義は、まさに地球上での進化の道筋の中で現代人類によって考案された構造物(あるいは社会組織の形態)の一つなのである。

科学コミュニティは、完新世(最後の氷河期以降の期間)から人新世時代にいたる現在の地質学的時代の定義を変更するように提案する決定をおこなっているが、それによると地球上での人類の影響は、いまや地球的規模で鋭い焦点となっている。こうした発展によって、状況を明確にし、闘いを発展させるのを助けることができるので、これを完全に支持することが重要である。

現代人類はユニークな存在であって、われわれが地球上の環境に与える影響は資本主義の出現に先行しているし、同様に資本主義の後でも続くだろう。現代人類(われわれ)は約1万8千年前にアフリカで誕生した。そして知的能力・狩猟スキル・組織的言語的能力・探検力を与えられることで、常に他の生物種に不釣り合いな影響を与えてきた。われわれは地球上のあらゆる住人を侵略してきた唯一の生物種であり、環境劣化と核戦争によって、もし意識的にそうしないと決める(何とかそうしないでおく)のでないならば、地球とその生物圏を何度でも破壊することができる唯一の生物種でもある。われわれは(本能によるよりはむしろ)意識的に行動することができ、われわれ自身の存在と自身の行動がもたらす結果とを理解することのできる唯一の生物種である。われわれはこの状況、このことが地球や地球上に生息する他の生物種に与えてきた影響を無視することはできない。

現代人類は大ほ乳類の多くが絶滅したことに責任がある。現代人類以外には、それらを捕食する者はいなかったからである。海運の拡大とともに、水夫たちはドードー、ウミスズメ、オオガメを狩り、捕食の恐れがなく進化した鳥を撃った。そのような生物種は、非常に短期間に絶滅へと追い込まれた。巨大で動きの鈍いトドは、ベーリング海のコマンダー諸島周辺にいたのだが、人間が発見してから27年間以内に狩猟で絶滅した。われわれは1万2千年前に農業を発明したが、そのことは食料生産と人口の飛躍的な増加を促した。

われわれが環境危機に直面しているとき、どうすればわれわれはこの状況を無視できるのだろうか?われわれは環境危機に対する責任を拒否することはできない。もっとも豊かな社会がもっとも大きな責任を負っているのは本当だが、結局のところ地球はわれわれの天体なのであり、利用できる唯一の天体なのである。

急進左翼の問題

地球環境の問題に関する限り、20世紀は急進左翼にとって惨憺たるものだった。それゆえ、運動の残りの部分に関して、いささかの謙遜があってしかるべきである。みずからをマルクス主義者とみなす主流派諸組織?出自がスターリニスト、マオイスト、トロツキストのどれであろうと?は、ほとんどの期間において環境保護闘争にかかわらなかっただけでなく、成長や生産第一主義という資本主義の論理の中でより悪い観点を受け入れ続けていた。グローバル・ノースには、第二次世界大戦以前やその直後の時期にも、急進左翼的伝統、あるいはトロツキスト的伝統を持ち、環境破壊に反対していた非常に重要な人物や小規模な潮流が存在したが、全般的な運動の方向を逆転させることはできなかった。われわれは、アメリカでの先駆者に関して、レイチェル・カーソン、ロデリック・フレイザー・ナッシュ、スコット・ニーリング、バリー・コモナーといった人物を挙げることができる。その全員が大きな貢献をしたが、社会主義・エコ社会主義出身でもあった。

環境危機によってもっとも大きな影響を受けたグローバル・サウスにおいては、とりわけ先住民および農民の運動において、エコ社会主義の力がすでにより強かった。ブラジルのチコ・メンデスのような社会主義者がいたし、インドの社会主義者・フェミニスト・環境活動家であるバンダナ・シバもいた。ペルーではウーゴ・ブランコに率いられた農民運動のような重要な大衆運動がこの枠組みを拒否していた。

しかし、これらの顕著な貢献にも関わらず、自分たちをマルクス主義者、社会主義者だと定義する組織の大部分はまったく関与していなかった。それらの組織は、環境保護の闘いをせいぜいのところ中産階級の気晴らしだと考えていた。そして1930年から1990年代まで闘いを傍観していた。“いまや目覚めたのだから、われわれは全ての答を知っている”かのように振る舞うことでは、今日では全くうまくいかないだろう。そんな風に振る舞うことによっては、21世紀にむけてマルクス主義と社会主義の再武装が必要とされる、地球環境および成長・生産第一主義という支配力に対するわれわれのアプローチを、真剣に批判的に再評価することにはならないだろうから。

エコ社会主義

21世紀に向けてわれわれ自身を再装備することは、前回の世界大会でわれわれ自身が言及したエコ社会主義という概念をより深く理解することを意味する。エコ社会主義は、地球という天体をわれわれ自身およびわれわれと地球を共有する何百万という他の生物種にとって、生存できる空間として生き残らせることに他ならない。そして、そうするための時間尺度は数十年間しか残っていない。それは、環境保護の闘いをわれわれが関わっている闘いの他の全ての側面に対する付け足しとして扱うことはもはやできないことを意味する。

それは、19世紀後半のマルクス、エンゲルス、ウイリアム・モリスによって発展させられ、念入りに仕上げられた古典的マルクス主義自身の環境的概念にわれわれを基礎付けることを意味する。革命的プロセスそれ自身に対する強いエコロジー的理解をもたらしたアプローチがあったのである。それは、20世紀前半に失われたが、最近数十年間に、とりわけジョン・ベラミー・フォスターの ”Marx’s Ecology – materialism and nature”(2000年、日本語版『マルクスのエコロジー』、2004年、こぶし書房)およびポール・バーケットの ”Marx and Nature”(2014年)という業績によって再確立された伝統である。

それは、20世紀に議論されたポスト資本主義の社会主義/エコ社会主義社会モデルが、スターリニストによって奇怪なものにされたことを割り引いたとしても、今日の任務には不十分であることを意味する。トロツキストやスターリニズムを拒否した他の潮流によって議論されてきたモデルでさえ、その問題に本気で取り組み始めなかった。それは、ポスト資本主義の社会主義/エコ社会主義社会は、環境危機に取り組むための非常によい地位にわれわれを置くだろうが、それだけでは自動的に環境危機を解決することにはならないと理解することを意味する。それは、社会主義革命が起こった後でも持続的環境のための闘いを続けなければならないことを意味する。

それは、経済的・社会的公正に基礎を置くだけでなく、エコロジー的持続可能性とそうし続ける能力にも基礎を置くポスト資本主義のエコ社会主義社会モデルを発展させることを意味する。このことは、化石燃料を使うことをやめ、再生可能エネルギーに完全に転換することを意味する。それは、生産第一主義とそれに組み込まれた堕落を終わらせ、交換価値のために生産するのではなく、使用価値のために生産するようになることを意味する。それは、工業的農業をやめ、肉の消費を大幅に減らすことを意味する。それは、人口統計学を考慮して、地球の生物圏と共存できる人口規模と人口構造へと移行することを意味する。それは、自然と対立して自然を犠牲にして存在するよりはむしろ、自然の一部であることに基礎を置いて、自然との関係を発展させることを意味する。

経済成長と人口増加

際限ない成長と生産第一主義は、資本主義や前世紀のスターリニスト国家が生み出したとしても、完全に持続不可能であり、もしさらに続けば、地球の生物圏を破壊するだろうということは、環境保護的急進左翼に次第に認識されている。自然資源が枯渇地点まで過剰開発されるか、安全に吸収される以上の廃棄物がエコシステムに放棄されるかのどちらにしても、機能不全か崩壊へと至るだろう。現在の年3%という世界的成長率が続けば、世界経済は今世紀途中で16倍に成長し、今世紀と次世紀の途中で250倍に成長することになるだろう。

われわれはもはや人口統計の問題を無視することはできない。たとえば、人口増加は、経済成長の主要な推進者の一つなので、経済成長とは不可分である。

地球上の人口は過去60年間でほぼ3倍になった。私が退学した年である1952年の25億人から今日では72億人になった。増加率は減少しているが、絶対的な意味では毎年7千万人か8千万人ずつ増加は続いている。これは過去50年の場合だが、まだ減少する兆候は見られない。それは、毎年ドイツの人口分が地球上で増えているのに相当する。

国連によれば、アフリカの人口は世紀半ばまでに2倍以上、つまり今日の11億人から2050年には24億人になるとのことである。潜在的には2100年までには42億人にまで到達しうる。ナイジェリアの人口は、今世紀半ば前にはアメリカの人口を超えるとされている。ナイジェリアは、世界で二番目に人口の多い国として、中国のライバルになり始めるだろう。2100年までに、いくつかの他の国は2億人を超す人口を持つだろう。たとえばインドネシア、タンザニア連邦共和国、パキスタン、コンゴ民主共和国、エチオピア、ウガンダ、ニジェールがそうである。同じ期間に、先進地域の人口は約13億人で、大きく変化しないだろう。

地球の人口を安定させる鍵は、女性が自らの身体をコントロールする力をつけることであり、強制的な人口調節のいかなる全ての形態をも拒否することである。力をつけることとは、女性が避妊と妊娠中絶を自由に使えるようにすること、女性に教育へのアクセスを保障すること、女性を貧困から抜け出させることによって、女性に自らの出産をコントロールする手段を与えることを意味する。それは、女性に対して選択の権利を否定する宗教・家父長制・共同社会的圧力の影響に挑戦することを意味する。

グローバル・サウスの貧困諸国では、出産率はもっとも高く、カーボン・フットプリント(訳注:温室効果ガス排出量のこと)はもっとも低い。2億2千万人以上の女性が基本的な出産サービス?それによって生と死を分けうる(しばしば現実に分けている)?を受けられない。7万4千人の女性が毎年、闇中絶の失敗によって命を落としている。闇中絶は、グローバル・サウスにおいて不均衡に多く行われているのだ。毎年、約28万8千人の女性が妊娠や出産に関わって、避けうる要因で死んでいる。そしてその99%が発展途上国で起きている。それはグローバル・サウスの女性を助け、同時に地球を助ける政策である。それは再びウィン・ウィンである。

いかなる場合でも、グローバル・サウスの女性のほとんどが、女性の多くが現に持っている(彼女らの夫がそのような家族に固執している)大家族を選択するだろうという考えには説得力がない。そういう選択をする女性もいるだろうが、ほとんどはそうしないだろう。妊娠と次の妊娠の間にほとんど期間のない多重妊娠は、関係する母親の健康と平均余命を台無しにするものだ。

食料生産

食料に関して提起される問題は、現在の72億人の人口を、あるいは今世紀半ばまでに予想される90億人か100億人を維持するのに充分な食料が生産可能なのかどうか、ということだけではない。問題は、地球の生物圏を破壊することなしに、すなわち化学肥料・除草剤・ホルモン・抗生物質・単一栽培技術をずっと使い続けることによる集約農業をさらに拡大することなく、そのような数の人口に食料を供給することができるかどうかである。

農業はこれまでのところ、ますます乏しくなっている新鮮な水を世界的にもっとも多く使っている。新鮮な水の要求は世界的には、降雨や融雪によって補充される使用可能で再生可能な資源を長い間上回ってきた。(帯水層という形で)古くからある水資源は厳しい状況にある。帯水層は、まったく回復していないか、補充がひどく不足する程度にしか回復していないかのどちらかである。分配は不公平である。干ばつや海面上昇による塩類化に直面している地域がある一方で、比較的十分に新鮮な水が供給される地域もある。途上国の多くでは、きれいな水は立ち寄るのが絶望的なまでに困難か、手に入れるのに骨のおれる労働や多大な投資を必要とする。国連によると、水の要求は前世紀において、人口増加率の2倍以上に増加した。2025年までには、18億人が水不足に苦しめられるだろうと推定されており、水不足地域に住むのは世界人口の3分の2にのぼる。

食料生産に関して提起される問題はそれゆえ、現在の七〇億人の人口を、あるいは今世紀半ばまでに予想される90億人か100億人を養うことができる十分な食料が生産できるかどうかだけではない。問題は、地球の生物圏を破壊し、新鮮な水の供給を枯渇させることなしに、そのような人口に食料を供給できるかどうかであり、化学肥料・除草剤・ホルモン・抗生物質・単一栽培技術のさらなる使用をずっと使い続けることをともなう集約農業のさらなる拡大なしに、それが実現できるかどうかである。

この観点で提案するべき要求のいくつかを次にあげる。
*自然資源(土地、水、森林、風、太陽、地熱エネルギー、潮汐システム)の私的所有の廃止
*再生可能エネルギーやすでに避けられない気候変動への適応、そして気候正義を拒否されている人々に対する援助のための長期投資を提供することを目的とした信用部門の社会化
*ファースト・ネーション/先住民族の権利を防衛すること。自然や母なる地球との間で発展させた関係から学ぶ必要性を認識すること。
*われわれの世界的食料システムを支配する工業的農業を終わらせること。一握りの大企業が食料の生産、加工処理、分配、市場取引、小売りの多くをコントロールしている。このことによって、ビッグ・ビジネスは競争を一掃し、供給者に厳しい価格を押し付けることを可能にしている。そのことによって農民や消費者は貧困と飢餓に追い込まれている。
*世界的な肉の生産・消費の大幅な削減
*食料浪費の大幅な削減
*食料生産・分配のメカニズム・政策をコントロールするために、食料を生産・分配・消費する人々の権利を擁護する食料主権の促進
*殺虫剤・除草剤の使用を終わらせることによる食料生産における地球の生物多様性保護、および遺伝子組換え食料の禁止

運動の状態

1)先住民の闘い

国連によれば、推定3億7千万人の先住民族が、地球上の90ヶ国に住み、約七千の言語を話している。先住民は、長い間、地球の環境と野生のもっとも効果的な擁護者であったし、地球の高潔さと生物多様性の最良の守護者でもあった。先住民の闘いはしばしば、農民や農村共同体の闘いと結びついているが、直接的で固有な自然との関係を持ちつつ、エコ社会主義的な枠組みを身に付けている。これは、先住民自身の土地、地域、資源に対する主権と自己決定のための闘いと同時に進行している。

多くの先住民族は資源の豊富な地域に住んでいる。部分的にはそれを先住民族が何世代にもわたって保護・保存していたからだ。このことによって先住民族は資源略奪産業や土地収奪の両方のもっとも重要なターゲットになっている。先住民族は500年以上にわたって植民地化と闘ってきたし、植民地化とレイシズムの全ての形態に対して闘い続けている。カナダとアメリカ北部の先住民族は、アルバータにおけるタール・サンド採掘に奉仕するパイプライン建設に反対する闘いの最前線に立っている。スタンディング・ロック・スー部族を含む50の先住民組織が、2016年にノース・ダコダ・パイプラインに反対して、条約に反対する協定に署名した。

先住民族グローバル・サミットが、12月に開かれるコペンハーゲンでのCOPに先立って、2009年4月、アラスカのアンカレジで開かれた。それは気候変動を議論するために先住民族が結集した集まりでは、過去最大のものだった。北極圏、北アメリカ、ラテンアメリカ、アフリカ、カリブ海、ロシアなど80ヶ国から500人が参加した。

コペンハーゲンでのCOP15における気候運動の敗北の後、2010年4月、ボリビア大統領エヴォ・モラレスは、先住民族を含む民衆の声を作るために、気候変動と母なる地球の権利についての民衆会議を召集した。何千人もの人々の参加を阻んだアイスランドの火山爆発によって国際旅行が途絶されたにも関わらず、3万5千人以上の人々がその会議に参加した。

2)より広範な闘い

地球を守り、地球温暖化と気候変動に対する闘いは、先住民の運動や労働運動だけでなく、近年力を増し、急進化しており、とくに気候運動においてますます大きな役割を果たしてきた社会運動をも含んで、可能な限り広範な連合を必要とする。Plane Stupid、Take the Power、そしてドイツのEnde Gelande運動のような組織は、重要な直接行動のキャンペーンを主導してきた。ビア・カンペシーナは、世界でもっとも大きな社会運動の一つで、70ヶ国で2億人以上の小農・中農・土地をもたない人々・女性農民・先住民族・移民・農業労働者を組織している。ブラジル土地なき農民運動(MST)は、ビア・カンペシーナの中で最大の構成組織の一つで、150万人のメンバーを擁し、貧困者による土地へのアクセスと再分配のキャンペーンをおこなっている。MSTは貧しい農民による土地占拠を主導し、ブラジル政府に何十万もの家族の再定住を進めさせている。NGOと緑の党もまた、その闘いに大きな貢献をした。地球の友やグリーンピースのような以前からある組織は、近年大きくなり、急進化してきた。とくにパリ協定にいたる過程で急進化し、みごとな動員能力を持つAvaazや38 degreesのように、新たな再結集が現われてきている。

パリのCOP21は、多くの弱点を抱えつつ、運動にとって一つの成果だった。なぜなら、COP21は(コペンハーゲンのCOPとは大きく異なって)初めて気候危機の人為的な性格を認識し、地球の平均表面気温の上昇を1.5℃以下にすることを含む目標値?それは暫定的な結果を伴う目標値である?を設定したからである。しかし、それは闘いなしには勝ちとれなかったものである。それは、会議期間を通じた、1.5℃を超える気温上昇の結果として、海面下に消えてしまう国々による断固とした闘いの直接的な結果だった。マーシャル諸島が主導したもっとも被害を蒙る百カ国にものぼる連合は、このキャンペーンを調整するために、「高い野心連合」と呼ばれるものを組織した。それらの国の多くは長い間、「生き続けるために1.5℃を」というスローガンでキャンペーンを続けてきたが、誰も耳を傾けなかったのだった。この闘いは、真に人間が必要とするものを満足させる世界規模の政策をすすめることを必要とする。真に人間が必要とするものとは、市場によって決定されるのではなく、人民が市場の疎外から自由となり、自らの運命を手中にすることを可能にする民主的討論によって決定される。

防衛的な時期には困難であり続けるが、気候運動に労働組合を組み込むことはきわめて重要である。それにもかかわらず、イギリスにおいてほとんどの主要労働組合やTUCの支援を受けた、多くのグリーンな仕事を求めるキャンペーンのようなイニシアチブが前進をもたらしている。国際的レベルでは、ITUCによる「公正な移行」キャンペーン(すなわち化石燃料からグリーンな仕事への社会的に公正な移行)は非常に重要である。たとえ、それが、労働組合によるキャンペーンの行動のほとんどがそうであるように、改良主義的枠組みの中で起きているにしても。「エネルギー民主主義を求める労働組合」や「持続可能性を求める労働ネットワーク」のようなキャンペーン。これらのイニシアチブは組合の中で信用を得ている。なぜなら、グリーン・エネルギーへの転換の結果としての仕事の喪失問題に取り組んでいるからである。

3)第四インターナショナル

FIは2010年の前回世界大会で自らをエコ社会主義者であると宣言した。そう宣言したとき、FIは急進左翼の中でエコ社会主義者を名乗る唯一の国際的潮流となった。それは重要な決定だったが、作りあげるべきことへの最初のステップに過ぎなかった。それをもっとも強く提唱したのは、グローバル・サウスの貧困国の支部だった。これらの国々は極端な気象事象によってもっと大きな影響を受けるが、炭素排出という点ではほとんど寄与しておらず、気候正義に関していえばもっとも奪われている国である。これらの支部のいくつかは事実上すでにエコ社会主義者になっていた。

たとえば、かつてないほど頻繁に強力な台風に直面しているフィリピン・ミンダナオのFI支部は、長期にわたって、極端な気候事象に対して自分たちのコミュニティを守ることに関わってきた。支部は、食料主権にもとづく農業方式の開発とモンサントのような多国籍企業の遺伝子組換え種子を追放することにも取り組んできた。その代わりに支部は自らの種子を収穫し、ローカル・コミュニティのために有機食料を生産している。

バングラデシュは、気候変動に関しては世界でもっとも被害を受けやすく、土地が低くて、もっとも影響を蒙る国の一つであり、すでに海面上昇や国土の広大な地域での土壌の塩化によって被害を受けているが、FIバングラデシュ支部は、気候変動と海面上昇に対する闘いに深く関わっている。支部は、気候変動に反対し、ブラジルのMSTの路線に沿った土地再分配を求める主要農民運動のキャンペーンに中心的に関与している。ビア・カンペシーナや他の組織とともに、支部は食料主権つまり農民生産者の権利と土地再分配を求めてキャンペーンしている。支部は、2011年以降、気候キャラバンの組織化に強く関わっている。気候キャラバンは、気候変動と地球温暖化に反対して、バングラデシュ全土やネパール・インドにまでキャンペーンをおこなってきた。

パキスタンにおいては、FIの同志たちは、気候闘争でもっとも大事な局面にいる。2010年、国土の5分の1を壊滅的な洪水が襲い、何百万人が家を失った。2000万人が影響を受け、2000人が命を失った。1200万人が自分たちの家に損害を受けるか、家を破壊された。50万頭の家畜が失われ、1万の学校が破壊された。

5人の同志が獄中にある。彼らは、土砂崩れがパキスタンのグリジット・バルチスタン地域のフンザ川をせき止め、家々を押し流し、19人が亡くなったあと、村人たちを守ったのだった。土砂崩れは3つの村を水面下に沈めた全長23キロの湖を作り、500人に家を失わせ、2万5千人を立ち往生させた。5人の同志は依然として7年後の今日でも獄中にあり、彼らの解放を求めるキャンペーンが続けられている。

ブラジルでは、FIの同志たちがアマゾンを守り、破滅的なREDDs取引に反対する闘いに関わっている。ラテンアメリカでは、FI組織はコチャバンバでの民衆サミットにもとづく動員に取り組んでいる。

ヨーロッパと北アメリカでは、FIの同志たちは、コペンハーゲンやパリのCOPにおいてであろうと、国内的な闘いであろうと、イギリスにおけるフラッキング、カナダにおけるタール・サンド、アメリカやカナダにおけるキーストーン・パイプラインに反対する気候動員にますます関わってきている。

ヨーロッパ規模での急進左翼政党の中には、デンマークの赤緑連合、ポルトガルの左翼ブロック、ノルウエーの社会主義左翼党、そして少なくとも公式にはフランスの左翼連合も自らをエコ社会主義者と定義している。

過渡的方法

資本主義に終止符を打つ全般的闘いの不可欠な一部として、地球環境を守る闘いを展開し、環境的に持続可能で、経済的・社会的に公正なエコ社会主義社会を樹立するという過渡的アプローチは重要である。

しかし、これは?急進的左翼の多くもそうだし、決議案の論理でもあるのだが?今日の環境危機の解決策が、今後2?30年以内に世界的に資本主義を打倒し置き換えることであるということを意味しない。これは私が「食い違い」と呼ぶものである。環境破局はまさについそこまで来ている一方で、世界的なエコ社会主義革命という点では、現実に起こるという兆候はほとんど見られない。実際、実践的には、もし今後2?30年以内の世界的なエコ社会主義革命が地球温暖化の解決策であるならば、地球温暖化の解決策はないことになってしまう。

資本主義が存在する一方で、環境を守るために何も重要なことはなされないだろうと結論づけたり、示唆したりすることは同じように問題である。なぜならその時まで待つのは遅過ぎるからである。労働者階級は、死んだ、あるいは半ば死んだ地球を受け継ぐことになり、死んだ地球ではエコ社会主義は(仕事も)ありえない。

現実の問題として、地球環境を守るのに成功するとは、今この場での闘いによって資本主義に対して、今すぐ真剣な変化を強いることを意味する。そしてこれは不可能ではない。それは資本主義および資本主義にもとづく政府の論理に反する。しかし、重要な変化がすでに起きており、その変化はこの論理に反するものである。オゾン層破壊の回復から、まだ任務には不十分であるにしても、グリーン・エネルギーにおいて進歩したことでのドイツにおける核エネルギーの放棄にまで、前進の範囲は広がっている。

われわれは、人々に絶望ではなく希望を与える要求を前進させなければならない。そして、革命だけを唯一の解決策とする政策では、ほとんど希望はない。

それゆえ求められているのは、最大限綱領的アプローチではなく、過渡的なアプローチである。別のことばでいえば、資本主義に地球環境を守るのに必要なステップを歩ませる(たとえばパリ協定の約束を完全履行させる)闘いという観点での資本主義を終わらせる闘いである。それはミシェル・レヴィによって起草された決議案の結論部分でうまく述べられているプロセスであり、私の見解では、それは決議案の他の部分とは整合していない。

「グリーン社会主義、あるいはこうも言われるのだが、ソーラー共産主義を夢見て、そのために闘う」ことは、われわれが具体的で緊急の改革のためには闘わないということを意味するものではない。「グリーン資本主義」に対するいかなる幻想も持つことなく、時間を稼ぎ、温室効果ガスの削減を手始めとして、進行中の破局に対する具体的手段を権力者に強制するようにしなければならない。

こうした緊急のエコロジー的要求は、もしわれわれが資本主義市場や「自由競争」に従って要求の目的を限定することを拒否するならば、急進化のプロセスに有利に働きうる。

一つ一つの小さな勝利や部分的前進は、ただちにより高度な、より根本的な要求につながっていくだろう。具体的問題に関するこれらの闘いは重要である。なぜなら、部分的勝利がそれ自身歓迎されるべきものであるからだけではなく、エコロジー的・社会主義的意識の成長に貢献し、下からの自立性と自己組織化を促進するからである。この自立性と自己組織化は、世界を根本的に転換させるために必要で決定的な前提条件である。これは、革命的転換が、搾取され抑圧された人々、つまり労働者、小農民、女性、先住民共同体、人種・宗教・国籍のために汚名を着せられている全ての人々の自己解放を通じてのみ可能であることを意味する。

システムの指導的エリートは、バリケードの後ろで身をすくめているのだが、それでも信じられないほどの力を持っている一方で、急進的反対勢力は小さい。反対勢力がかつてない数の大規模な運動へと成長することが、資本主義的「成長」という破局的コースを止める唯一の希望である。このことによって、われわれは、より豊かな人間性をもつ望ましい生活形態や人間的尊厳・連帯・自由・「母なる自然」の尊重という価値観にもとづく新たな社会を創造することができるだろう。”

エコ社会主義の方向に動き、環境危機を回復するために今日必要とされる変化は、達成するには大きな闘いを必要とするが、複雑なものではない。われわれは、次の点を要求するべきである。

*化石燃料からの完全かつ緊急な脱却。石油を地下に、石炭を穴の中に留めておくこと。褐炭の使用、天然ガスのフラッキング、他のあらゆる形態の極端なエネルギー生産の禁止。われわれは、化石燃料セクターからの投資引き上げと化石燃料エネルギーにもとづく開発プロジェクトへの補助金打ち切りを求めるべきである。
*社会化されたエネルギー・システムの一部として、再生可能エネルギーへ転換させる集中的プログラム。われわれは同時に社会のあらゆるレベルにおけるエネルギー使用の削減を必要とする。なぜなら再生可能エネルギーは現在の乱費的消費に置き換わるには不十分だろうから。
*核エネルギーに終止符を打つこと。
*われわれは、エネルギーと水についての強力な累進料金、つまりゼロから始め、使用量の増加に伴って増えるような累進料金を要求すべきである。これは最貧困層を助け、エネルギーと水の使用を削減するだろう。
*使い捨て社会を終わらせること。それは、利益と成長という資本家の妄想を満足させるために膨大な量の不必要な商品生産やプラスチックの浪費を増やすというとんでもないことを引き起こすように設計されている。
*われわれは計画された陳腐化という習慣を終わらせるべきである。われわれは単一用途のプラスチック製品の生産を終わらせ、それが使用された場所での処分をコントロールすべきである。過去10年以上にわたって、われわれは20世紀中に生産された以上のプラスチックを生産してきた。プラスチックが減成するには5百年から千年かかる。実質的には、かつて作られたあらゆるプラスチックが、依然として何らかの形で(焼却されたごく少量を除いて)存在している。生物多様性への影響はすでに破局的である。
*自動車の使用、とりわけ個人的な自動車の使用の大幅な削減。一方で、われわれは、内燃機関(もっとも緊急なのはディーゼル)の排除および必要な技術への大幅な投資による電気自動車への転換を必要とする。われわれは、飛行機による旅行の大幅な削減、(鉄道を支持して)短距離航空便の廃止、空港拡張の終了を必要とする。
*個人的な二酸化炭素排出の大幅な削減。とりわけグローバル・ノースにおいて。
*化石燃料の使用を削減するために累進課税の導入。航空燃料や海運燃料への課税は緊急に必要である。
*賃金削減を伴わない労働時間の大幅な削減。化石燃料産業の労働者のための社会的に公正なグリーン・ジョブへの移行。ITUCはこの点で重要なスタートを切っており、それを支持すべきである。
*難民に環境/気候災厄の犠牲者としての地位を与えること。一般的には難民の民主的権利を完全に尊重すること。
*自然世界に対する大虐殺を終わらせること。ゾウは象牙のために狩られて絶滅しつつある。サイは角のために狩られて絶滅しつつある。トラは漢方薬に骨を使われ同様の目に遭っている。サメはフカヒレのために大量に殺されている。クジラは不法な鯨肉取引のために殺されている。同時に、野生動物の肉取引が依然として盛大に行なわれている。ペット取引のために生きた野生動物を罠にかけることも、特にアフリカや南アメリカで行なわれている。スポーツ狩猟は終わらせなければならない。

化石燃料からの出口戦略

上に述べた要求はきわめて重要ではあるが、避けられない現実として、化石燃料が利用できるもっとも安価なエネルギーである限り、今後も使われるということがある。それゆえわれわれが利用可能な今後2?30年間で、炭素排出量を大幅に減らすことができる出口戦略が緊急に必要である。こうするためのもっとも効果的な方法は、化石燃料を社会的に公正で、経済的に再分配され、広範な大衆的支持を集めることのできるやり方でより高価にすることである。

この点で広く知られている最良の提案は、ジェームス・ハンセンの「排出量上限と配当」という提案(訳注)、あるいはその路線に類似したものである。前進する動機としての貧者から富裕者への富の移転にもとづき、今後十年間あるいは20年間にわたって資本主義が存続しても、それは化石燃料による排出を大幅に削減する効果的な枠組みを提供する。他の提案ではそうはならない。ハンセンの提案が国際的な合意にもとづいていなくても、各国で国際政治の分野でそのために闘うことは可能だ。

ハンセンが認識しているように、それは、上に述べた多くの要求に加えて、再生可能エネルギーへの転換、エネルギー保存の重要なプログラム、浪費や陳腐化生産の終了などの多くの他の手段をも必要とする。

私はFIがハンセンの提案を今すぐに採用すべきだと提案しているのではないが、われわれはハンセンの提案あるいはその路線に類似したものを真剣に考慮に入れるべきである。

(訳注:アランの原文では、”cap and dividend”で、「排出量上限と配当」という意味。温室効果ガスの排出量上限を超えた場合に炭素税を課税し、それで得られた金額を市民に配当するというもの。しかし、ハンセンによる提案は、”fee and dividend”(課税と配当)であり、これは、
化石燃料(石油、ガス、石炭)を販売する企業などに、炭素の量に比例させた社会的対価を課す、つまり一種の炭素税を課して、徴収した全額を市民に還元するという提案。ハンセンは、”cap and dividend”のほうがより導入しやすいとして、次善の策として考えているようである。)

 


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