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    かけはし2020年4月6日号

女性労働者が闘争の主体だ


112周年:世界女性の日 私たちの体と労働、解放のために

ヒェヨン(女性事業チーム)

 
 デート暴力、デジタル性暴行、脱コルセット、節操労働に至るまで、最近の数年間女性に関する多くの問題と談論があふれている。ところが職場での女性問題への反応は、温度差があるようだ。雇用性差別と性別賃金格差、経歴が断ち切られるなどの問題は、女性の労働が補助的で付随的なものとみなされることから出発する。女性中心の業種と女性中心の職群を中心とした非正規職化と低賃金は固定化されて久しい。韓国がOECD加盟国の中で性別賃金格差が1位、ガラスの天井指数最下位などのタイトルを免れない理由は、実際にその問題を提起し闘う主体が存在しないくらいに微弱だからだ。女性の生活の中で階級の問題がどれだけ重要なのか、闘争する女性労働者が社会を変えさせるどのような大きな力を持っているのかどうかを今一度確認しなければならない時だ。

女性の仕事はなぜ非正規職でなければならないのか


 保険医療や介護などの社会サービス、顧客応対の最前線である販売業とコールセンター、家事労働と連動した宿泊や飲食業などの女性が集中する業種の仕事は、「女性+非正規職」というくびきの中で低賃金の非正規職で満たされた。女性労働者は、いわゆる「女性的特質」と呼ばれる関係志向的業務スキル、包容力と優しさ、そして「お客様」の暴言にも耐えるという不当な忍耐まで要求される。
 一例として、代表的な女性の集中業種であるコールセンターの労働は商品を販売したり、既に販売された商品に対する事後管理など企業にとって重要かつ不可欠であり、専門性まで備えなければならない業務にもかかわらず、次々と外注化されている。この業種は、ムン・ジェイン政府の非正規職の正規職化対象にも含まれないまま、「人材派遣業者の正規職」というもう一つの非正規職として低賃金を強いられている。
 給食室で働く労働者はどうなのか。この労働者は、高温多湿な環境で数百人の食事を準備するために、食材や調理器具などのような重量物を扱い膨大な労働強度に耐えている。それにもかかわらず、料理と掃除、洗濯など家事労働の価値が認められないこの社会では、公的労働に転換された業種の女性労働者が受ける処遇は劣悪である。

女性労働者が集まっている! 闘っている!


 民主労総組合員のうち、非正規職労働者が30%に達する今、そのうちの相当数は、女性労働者だ。女性労働者の組織率が高くなって、徐々に民主労組運動をリードする闘争の主体として登場している。2019年には蔚山地域キョンドン都市ガス顧客サービスセンター安全点検員の女性労働者の100日を超えるストライキ闘争、賃上げ・正規職化・処遇改善などを要求して、大統領府の前で行われた学校非正規職女性労働者のハンスト闘争、1500人を集団解雇した韓国道路公社に対抗したトールゲート女性労働者の直接雇用争奪闘争などが絶えず続いた。
 特にトールゲート女性労働者の闘争は、2019年の労働者闘争の一線を画するものだと評価される。大統領府前での野宿座り込み、ソウル料金所上での98日間高空ろう城、キムチョン道路公社本社の内外で行われた占拠座り込みなど、女性労働者の屈しない粘り強い闘争は2019年の非正規職闘争を先鋒に導いた。しかし、この闘争は周辺化された労働とそれに従事する女性労働者の問題として、より綿密に評価する必要がある。韓国道路公社は、継続して料金所の収納業務が「なくなる仕事」だというイデオロギーを展開した。なぜ女性の仕事場は、なくなるのか。また料金所収納業務が縮小されるのなら、その女性労働者を道路公社の他の業務に配置することは、なぜ想像していないのか。女性労働者が道路公社の他の正規職労働者のような正規職身分になることを、道路公社は容認していないようだ。
 女性労働者は、女性の労働を切り下げて周辺化する資本に対抗し、さらに、具体的な要求を持って闘争の主体として乗り出さなければならない。特に2020年には、女性労働者が直面している現実が激しく現れる社会サービス部門を中心に一歩進んだ労働権争取闘争を作っていこう。

労働者運動の中での位階と差別をなくす女性労働運動が必要だ


 一方、労働組合の体質改善も必要である。以前より女性組合員の割合が増えたが、今でも大工場・男性中心の労働組合文化と闘争方式は大きく変わってはいないし、労働組合内の位階秩序も相変わらずだ。民主労総や地域本部、産別連盟でも女性役員の割合はひどく低い水準だ。このような現実では「女性の割り当て」で一、二人の役員を追加する程度では、女性に親和的な(?)労働組合になるのは困難だ。労働運動の中での位階と差別を変えるための努力と女性主体を発掘する意識的な努力なしには民主労組運動内でも女性労働者は周辺化されるだけである。
 2020年には、女性労働者が組織文化を変える企画を実行しながら、民主労組運動の中で、女性労働者を主体化していこう。戦う女性労働者の力で、性別賃金格差と低賃金構造を変えていこう。正当な労働の価値を勝ち取ることができるよう、女性の闘争を作っていこう。(社会変革労働者「変革と政治」101号)

朝鮮半島通信

▲韓国外交部は3月23日、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を理由に、全ての国・地域に対する一か月間の特別旅行注意報を発令した。
▲韓国銀行は3月26日、3カ月物の資金供給オペを一時的に無制限で実施すると発表した。

映画案内

「パラサイト 半地下の家族」

韓国の超格差社会を風刺

 韓国語でいう「パンジハ」とは「半地下」のこと、「タルトンネ」とは「月の町」を意味する。どちらも韓国で貧しい人々が住む場所の代名詞として使われている。
 二年前に初めてソウルへ行ったとき知人に案内され、急な坂道を登って訪れたタルトンネには驚いたが、今回観た映画「パラサイト 半地下の家族」では、タルトンネとはまったく真逆な世界があることにも、また驚いた。
 もともと半地下は人々が住むことを前提に作られた居住空間ではない。一九六〇年代半ばから朝鮮民主主義人民共和国の武力挑発が盛んになった際、韓国政府が住宅建築に避難場所として半地下室の設置を義務づけたことが始まりである。
 半地下は文字通り、完全な地下室ではなく床から地面までの高さが部屋の半分ある構造を指す。つまり窓から覗く風景が地面と同じ高さにあり、道を歩く人間の足も車のタイヤも居住者の目線と平行しているのだ。立ち小便でもされたら、それこそやりきれない。
 また、半地下の極めつけは、下水管が床より高い場所にあるため、汚水の逆流を防ぐためにトイレの便座やシャワーが部屋の一段高いところに設置してあるということだ。映画の中では、大雨の際、家の中まで水浸しになり、地域の住民が大挙して体育館に避難する様が描かれている。
 韓国のジャーナリスト金敬哲が著した『韓国 行き過ぎた資本主義』(講談社現代新書)によれば、避難場所だった半地下を合法的な住空間に法律を改正したのは、一九七五年。急激な首都ソウルへの人口流入を支えるために、闇で行われていた半地下室の貸し出しを合法化したことが半地下住居の増加につながったという。韓国統計庁の二〇一五年人口住宅総調査によると、このような劣悪な半地下住居に約八二万人が暮らしているというから驚きというほかない。
 さて、映画「パラサイト 半地下の家族」はそんな半地下に住む失業中の夫婦、そして大学受験に失敗を続ける子どもたち四人家族が主人公のブラックコメディーである。韓国では観客動員数が一千万人を突破し、第七二回カンヌ映画祭では韓国映画で初めてパルーム・ドール賞を獲得。第九二回アカデミー賞では六部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞を受賞した。
 監督は巨匠ポン・ジュノ、主演は名優ソン・ガンボという名コンビ。華城連続殺人事件をモチーフにした映画「殺人の追憶」や光州事件の際、ドイツ人記者を乗せた「タクシー運転手」の主人公だといえばわかりやすいだろう。
 ネタバレで恐縮だが、ひとことで言えばあらすじはこうだ。半地下に住む失業中のギテク一家が、ひょんなことから韓国の僅か一%に過ぎない超富裕層に位置するIT企業を経営するパク一家にあらゆる手練手管を用い近づく。丘の上にある大豪邸は、半地下からは想像もできない世界だった。そして、四人とも他人を装い家庭教師、運転手、家政婦などと偽り就職という名目で、パク一家にパラサイト(寄生)していく様を「ブラックコメディー」の手法を用い、韓国の超格差社会を風刺しているものである。つまり結末は殺人事件で終わるという悲惨な場面もあるが、社会派というよりまさに「ブラックコメディー」なのだ。
 映画の中に貧困のキーワードがあるとすれば、それは半地下独特の臭いだろう。太陽はあたらず薄暗く、いつもカビ臭い。パラサイトした、パク一家の長男にみんな同じ臭いがすると言われ慌てるギテク一家。洗濯の際、それぞれ洗剤を変えようというオチもついた。
 映画のストーリーから何を感じるかは観客ひとりひとりだ。    (雨)

コラム

ある引っ越し

 新型コロナウイルスの脅威が、世界規模で拡大している。東京でも感染者数が急増、記録を更新し続けている。台東区にあるE総合病院では、三月下旬になって相次いで罹患者が発覚。私にとってこの集団感染は、とても他人事ではない。
 五年前。重い脳梗塞で母が救急搬送されたのが、この病院である。一カ月間の治療を終え、紹介されたリハビリ病院で半年過ごした後、今年二月末までK老健施設・多床室で暮らしていた。
 Kでは今年の年始、母のいるフロアにインフルエンザの感染者が出たことで、当該階入所者の家族が面会禁止になった。この措置は約二週間で解除されたが、その安堵もつかの間、今度は新型ウイルスの登場で、同様の通達が全館に適用された。
 昨年末、すでに面談を終えていた特養から「入所可能」の連絡が入った。だが些細な連絡ミスで手続きが遅れ、移動日がずれ込んだ。結局母の「引っ越し」は三月第一週に決まった。日本でも新ウイルスへの感染が拡大する始まりの時期であり、受け入れ側の特養でも、この時すでに全面的な面会制限を実施していた。
 有給を取得した移動当日。Kの玄関で熱を測った私は一〇日ぶりに母に会い、居室から大量の衣類や日用品を運び出した。ところが集合した弟妹はなかなか階上に姿を見せない。電話をすると入館を私一人に規制しているという。この対応にはさすがに怒りが込みあげたが、なんとか三人が合流し、母と荷物を妹の車に押し込んだ。
 白内障の悪化で視力のほとんどを失っている彼女は、周囲の動きを察知し、「元の場所に帰してくれ、家に帰してくれ」と叫び続けた。特養では「ようこそ、○○子さん」とパソコンで打ち出された名前が壁一面に貼られ、呑気な性格の弟は感動していた。
 たった一度しか下見をしていない新住居である。老健の規則正しい大机での日常と違い、ここでは小さな簡易机で、居場所も決まっていない。食事の形態も異なり、就寝起床時間もバラバラだ。
 何もしないことを一番の苦痛と感じる母である。「終の棲家」となる部屋に、奇しくもこうした時期に引っ越すことで、私は悩み続けた。親族は今なお、母と会えないままである。
 WHOの「パンデミック宣言」。首相安倍の空疎な記者会見。小池都知事の外出自粛要請。どれも「やってる感」を演出するパフォーマンスに過ぎない。大切な家族が今、どういう生活を送っているか。隔離した血縁者よりも、日々密着する職員からの感染リスクのほうが、はるかに高いのではないか。そして最悪の事態には、誰が責任を取るのか。
 収束の予測が立たず、先の見えないウイルス禍。感染よりも恐ろしい「何か」が起こりはしないか。私たちはまだ、暗く長いトンネルの入口で、屯している。 (隆)


 


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