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    かけはし2020年4月27日号

民衆にとって危機はチャンスではなく敵だ


スウェーデン

危機に抗して

危機を作り出す階級に対する労働者の階級闘争の対置必要

スターレ・ホルゲルセン

 現在世界を震撼させているコロナ・パンデミックと経済破綻は、世界中の人々に大きな危険をもたらしている。多くの資本家にとって危機は好機であり、資本主義システムにとっても危機は資本主義経済における根本的諸問題の解決策である。新型コロナウイルス感染症(COVID―19)は、資本主義が生き残るために必要としていた創造的破壊なのである。これは逆説的なようだが、実はそうなのである。社会主義者は危機の最悪の影響を緩和するために活動するだけでなく、資本主義の危機を敵そのものとして理解しなければならない。

問題先送り 無駄だった10年間

 アンワール・シェイク(訳注)は一九八〇年代終わりに、経済システムが健全なときにはあらゆる種類の痛手から急速に回復するが、不健全なときにはほとんど何でも経済崩壊の引き金となりうると述べた。今回の経済危機の引き金を引いたのは単なる何かではなく、目新しいコロナウイルスだったのは間違いない。しかし、何かが危機の引き金を引くだろうということは、ウイルスが打撃を与える前に主流派経済学者にとっても明白だったように思える。
その主な理由は、二〇〇八年の危機の原因となった諸問題がまったく解決されておらず、単に先延ばしされただけだったことにある。そういう状況は、同時期におけるエコロジー危機の扱われ方ともそれほど違ってはいない。
二〇一〇年代は無駄な一〇年間だった。二〇〇九年が、気候行動を求めてコペンハーゲンの街角を埋めた一〇万人とともに終わったのに対して、二〇一〇年代に主に起こったことは、市場や新たな技術、そして支払い能力のある人々による気候変動への補償を通じて危機を解決できるだろうという議論によって、問題を先送りするということだった。二〇一〇年代のまさに最後の年に起きた大衆的行動は希望をもたらすものだったが、無駄な一〇年の間に、政治家はすでに不可能となったレベルにまで野心を引き上げるということ以外には何もしなかった。
同様に、経済危機にともなう諸問題も先送りされた。銀行救済、利益率低下、公的債務と民間債務の増加、量的緩和、金融部門におけるボーナスと利益の増加、さらに多くの擬制資本、そしてさらなる緊縮は、まず二〇〇八年の危機を引き起こした根本的問題を拡大しただけだった。
これは危機管理の危機である。新自由主義的な道具立ての中には、経済危機を解決したり、気候危機を止めたりするのに役立つツールはない。大規模な国家投資はインフレを悪化させる恐れがあった一九七〇年代において、ケインズ主義が正当性を失ったのと同じように、新自由主義的な枠組みの中では経済を救い出すことはできなかったのである。ケインズ主義的な投資(二〇〇八〜二〇一〇年)と新自由主義的政策が一時的にシステムを救済したが、根本的問題を本当に解決するには何か別のものが必要とされた。

惨事を活用する「創造的破壊」


経済危機は、通常は二つの相互に関連したプロセスを通じて解決される。第一に、マルクスとエンゲルスが強調していることだが、大規模に必要とされる資本の事実上の価値低下と破壊である。たとえばマイケル・ロバーツによれば、不況は利益率を復元するのに十分なほど大きいことを必要とする。もう一つのプロセスは、マルクス主義者が焦点を当てていて、ブルジョア経済学者がこだわっているものだが、古いやり方に代わって、経済や新たな階級関係、新たな技術、調整の枠組みが新たなやり方で体系化されるときに、危機が解決されるというものである。
主流派経済学者、専門家、政治家は、資本主義が相次ぐ危機を実際に乗り切っているという事実を歓迎している。この創造的破壊は、資本主義がいかにエネルギッシュであり、革新的であり、創造的であるかを示すものと考えられている。しかし、前者のプロセス―資本の単なる破壊―はしばしば無視される。大恐慌は、新たな技術やケインズ主義的考え方、新たな投資を通じては解決できなかった。大恐慌は、何よりも第二次世界大戦による大規模な破壊を通じて解決されたのである。それと比較すると、一九七〇年代の危機はより「人道的な方法」を通じて解決された。つまり、それ以外のものと並んで、労働組合を破壊し、失業を創出し、貧困を生み出し、グローバルサウスにおいて奴隷のような労働条件を導入することを通じて解決されたのだ。
政治経済における深刻な危機は、資本主義を機能させ、長期的に存続させるには絶対に不可欠である。マルクスが深刻な危機を現存する諸矛盾の暴力的解決策と呼んだ理由はここにある。このように、危機それ自身は、実際に危機であるとともに、資本主義に内在する根本的問題の(一時的)解決策でもあるのだ。
カール・カウツキーにとって、経済危機は死を連想させるものだった。しかしながら、歴史的に見れば、資本主義の危機は、カウツキーが忍耐強く待っていたように、資本主義の死を連想させるものでは決してなかった。逆に、資本主義の危機はそのシステムを生かし続けるために不可欠だったのである。
一見すると反語的なようだが、よく見るとかなりぞっとするものが登場している。われわれがいま目撃している――貧困、失業、ホームレス、大量死を含んでいる――経済的・エコロジー的惨事は、資本主義システムにとっての危機であるだけではない。危機はまた資本主義の問題の多くの解決策となるのである。
新型コロナウイルス感染症は、現在の支配階級がやりたくなかったこと、ないしはやることに関心を持っていなかったことを実行した。つまり、新自由主義を終わらせたのだ。民営化、「自由貿易」、ジャストインタイム生産、緊縮の一〇年間のあと、多くの国において公的医療システムはこの医療危機に対処するにはおそるべき状態にあった。新型コロナウイルス感染症が過ぎ去った後で発展する資本主義は、以前のものとは違った資本主義となるだろう。
新型コロナウイルス感染症は、未来において資本主義が繁栄するのに役立つ創造的破壊である。これは逆説的ではある。しかし、パンデミックが終息したとき、(もしわれわれが止めることができなければ)経済はもう一度新たな成長の周期や新たな好況・不況のサイクルに入るだろう。新たなビジネスが繁栄し、新たな資本家が労働者を搾取・支配する新たな方法を見つけるだろう。そして、これらすべては温暖化する地球上で起こりそうなことである。

資本主義と危機の一体的関係

 われわれは危機の時代に生きている。それも資本主義の危機の時代なのである。これは資本主義に内在するプロセスと力関係がわれわれのまさに目撃している危機を引き起こしていることを意味する。それは、機械的で単純な決定論的方法によってではなく、危機が埋め込まれている資本主義システムを理解してはじめて、われわれは危機について理解することができるという意味においてである。
新型コロナウイルス感染症はまた明らかに、さまざまな政治経済システムのもとで存在しうる。少なくとも仮説上は、気候変動がそうであるように。そして、明らかに官民の経済的問題がすべて資本主義の結果だというわけでもなかった。
しかし、資本主義は画期的な出来事であった。人間が作り出した危機がそのような一貫性と規則性を持って起こったことはなかった。このことはわれわれにとっては驚くべきことではない。資本蓄積や永続的な急成長のプロセスが、以前には見たことのない方法で、体系的に危機を醸成し生み出しているからである。かつてなかったことだが、自らの存続のために、一つの政治経済がエコロジー的・経済的危機を生み出すことに依存してきたのである。
新型コロナウイルスはまた、どこででも生存できるとしても、われわれが目にしているエピデミックの数の増加は、永続的な急成長に基礎を置く経済が、大規模な工業的農業、都市化、増加する旅行、温暖化の結果起きる社会的・経済的変化の影響を受けて、必然的に自然に対する圧力を増加させるという単純な事実によって引き起こされている。

資本家が危機を必要としている

 ジョン・F・ケネディが、危機という中国語は二つの漢字で構成され、一つの漢字「危」とは危険を意味し、もう一つの漢字「機」は好機を意味すると言ったことは有名だ。明らかに、これは恐るべき中国語だった。にもかかわらず、多くの科学者は楽観主義と期待を込めて、危機に目を向け続けている。しかしケネディの「中国語格言」は危機の階級的性格を覆い隠している。「良い危機を浪費するな」という格言(普通はウインストン・チャーチルが言ったとされる)は、同じ階級的あいまいさを含んでいる。われわれは、社会主義者として、誰にとって危険であり、誰にとって好機なのかを問わなければならない。
資本主義のもとでの危機がはっきりとした階級的特徴を持っているという事実は、少なくともわれわれを驚かせるものではない。結局のところ、(経済的・エコロジー的)危機は資本主義の流儀の一部なのである。
資本主義のもとでの危機は、資本主義において何かがうまくいかないから起きるものではなく、何もかもうまくいっていたから起きるのである。あらゆる資本家が、資本家として期待される(求められる)ものをおこなっている限り、利益率低下、過剰生産、物質代謝の亀裂、加速する気候変動はなくならないだろう。
資本主義の危機はいつも、もっとも貧しい人々、もっとも取り残された人々、もっとも人種差別を受けている人々にもっとも厳しい打撃を与える。金持ちが破産したり、何十億も失ったりするかもしれない一方で、労働者階級にとっての影響は質的に異なるものである(最悪の場合、生命で持って払うことになる)。二〇〇八年のあと、ウォール・ストリートの上級役員の誰一人として投獄されなかったということを思い出すのは価値があることである。
資本家階級はまた危機を引き起こしている人々である。これは気候変動との関連で容易に見ることができる。気候変動においては、たとえば一〇〇のグローバル企業が排出量全体の七〇%に責任がある。しかし、実際に資本を蓄積している階級はまた、経済システムが破綻しているときに責任を問われる必要がある。同様に、富裕者層は、生態系を消費するという考え方により、他の誰よりも多くの被害を組織的にもたらしている。
資本主義システムが生き残るために危機を必要とするのとまったく同じように、資本家階級は(階級として)存続するために、繰り返し起きる経済危機と自然とのより持続不可能な関係をも必要としている。資本家階級は歴史的に見て、労働者を搾取・支配することを通じてだけでなく、資本家の危機を管理・利用することを通じて、支配力を維持してきた。

危機を好機と見誤るな


今日コロナウイルス危機の真只中で、左翼の多くはこれを好機として語っている。特に民営化やジャストインタイム生産が批判され、右翼政権でさえ全体として政府支出を増やしてきたからである。
危機の時期は、物事が非常に急速に変化する不確実な時期である。確かに危機のあとに続くのは民営化や新自由主義についての批判かもしれない。しかし、危機は労働者階級や社会主義運動にとっての好機なのだろうか?
第一に、歴史的に見て、危機は労働者、貧しい人々、奴隷、人種差別を受けている人々、とりわけ多くの女性や小農民にとって、「好機」という訳ではなかった。危機はむしろ失業、貧困、ホームレス、病気、そしてしばしば死を意味してきた。個々の資本家にとっては、危機は破滅的な結果をもたらすかもしれないが、階級としての資本家にとっては実際に好機をもたらすものなのである。
第二に、危機を好機と同一視して語ることは、サッカーの試合やポーカーゲームのようなものである。そこでは、われわれが幸運や技術を用いて、相手を策略で動かし利益を得るのだ。
『コレスポンデント』のあるライターが、二〇一〇年のハイチ大地震もまた「新たな好機」だったのか、実際に「ハイチで起こった最良のこと」だったのかどうかという問題を提起した(二〇一五年一月一二日)。
約二〇万人が地震で亡くなり、圧倒的多数の人々が貧困に陥ったが、そのためにその地震は「階級地震(クラスクエイク)」と呼ばれている。同じ論理で、(奴隷の子孫の誰かが大統領になったからといって)奴隷貿易は黒人にとって好機だったと言えるのか?(鉄道が敷設されたからといって)植民地となったことが植民地化された人々にとって好機だったと言えるのか? ファシストのような人物だけがそのような質問にイエスと答えるだろう。
コロナウイルスは、何百万人とまではいかなくても、何十万人の人々を、とりわけグローバルサウスの貧しい労働者を殺すことになるかもしれない。何百万人が現在の経済後退から被害を受けるだろう。そして、地球温暖化によって起こる人間に対するとんでもない影響のことを忘れないようにしよう。これらは本当に「好機」なのか?
ユーゴスラビアの経済学者だったリカルド・スタイナーによれば、人類は戦争と危機という二つの苦難に直面している。これは私がより有益だと考えるアプローチである。危機を好機と考えるよりは、われわれは、資本主義の経済危機やエコロジー危機を戦争、飢餓、奴隷状態などと同等以上のものと理解すべきである。危機は主として利用すべきものではなく、闘うべきものなのである。
明らかに、変化は危機の期間中にさまざまなペースで起きる。そしてもちろんのこと、われわれは可能な限り最良の方法で、危機とその影響に対応する必要がある(われわれがいつも政治をより進歩的な方向へと向けさせようとしているのとまったく同じように)。しかし、危機それ自体を敵として規定することはわれわれの分析を鋭くするだろう。
スタイナーが、とりわけ歴史的観点から、危機と戦争とを結びつけていることは興味深い。一九一〇年代の社会主義者にとって、革命は労働者と資本家との間の直接的な階級闘争を通じてのみ可能なのではなかった。革命はまた、資本主義(帝国主義)戦争を終わらせる(あるいは止める)ためにも決定的だった。今日、よく似ているのだが、われわれは、労働現場や地域などにおいて組織される伝統的な階級闘争だけでなく、資本主義の危機に抵抗する必要がある。今日、社会主義者の闘いは危機を終わらせるために扇動する必要がある。そのことは危機の要因に終止符を打つことを意味する。
階級闘争は、資本主義の危機を生み出し、そこから利益を得る階級に対して向けられなければならない。資本家階級は、存続するためには貧しい人々を死なせることに基礎を置いているシステムを維持・防衛していることに対して、責任を問われなければならない。これは資本を所有・支配する階級だからである。
いわゆる労働者と中間階級との間の文化的差異に焦点を当てることは、いまや以前にも増して政治的に不適切である。(もっとも広い意味での)労働者階級は、危機を作り出す階級と闘わなければならない。
われわれは自らの社会主義的闘いの中心に、資本主義の危機に対する、そして危機を作り出す階級に対する階級戦争をおく必要があるのだ。(四月六日)

 

▼スターレ・ホルゲルセンは、スウェーデン・ウプサラ大学の人文地理学研究者。スウェーデン左翼党および社会主義的政治(第四インターナショナル・スウェーデン支部)のメンバーである。(「インターナショナル・ビューポイント」二〇二〇年四月号)

(訳注)アンワール・シェイクは、パキスタン出身のアメリカの経済学者。



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