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    かけはし2020年5月25日号

中国はどういう社会体制なのか @


投稿

その変化と矛盾を考える

たじまよしお

 長野県に住む本紙読者のたじまよしおさんから、中国社会の現状をどう考えるかについての論稿が寄せられた。とりわけ昨年末の香港での民主主義運動を契機に、変化の広がりと矛盾についての分析に挑戦している。ぜひ検討を!(編集部)

は じ め に

 中国とはどういう社会体制なのかを深く考えるようになったきっかけは、昨年からのアウ・ロンユーさんの香港民衆の闘いの分析と指標などを読むようになってからである。身近な友人から「香港の武勇派の皆さんのやり方は過激すぎるのでは」という声がきかれ、もちろん批判は大切だが自分の立ち位置をどこにおくかが問われると思う。
 管制塔占拠闘争の三月二六日が過ぎてしまったが、近年「非暴力不服従」という言葉がよく聞かれる。それは彼我の力関係から出てきている一つの戦術としては支持したいと思うが、抵抗権の否定が前提だったら支持することはできない。
 そんなことに思いを巡らせながらこの際、中国共産党を頂点とする「猛虎」の正体を明らかにすることによって、お互いに立ち位置を共有し合えるのではないかと考えた。そのことと、最近の「かけはし」は、地球温暖化について多くの紙面を割いていて頼もしく感じているところであるが、そのことと中国や多国籍企業のアフリカでの経済活動は切り離して考えることはできないと思う。
 今私の手元に『台頭する中国(アウ・ロンユー著)』『喰いつくされるアフリカ(トム・バージェス著)』『第四インターナショナル17回世界大会決議集』の三冊がある。それらの抜粋を紹介しながら、自分なりに纏めてみたいと思う。    

『台頭する中国』より
「自由の制限」を強制

 農民工は農村から都市部への出稼ぎ労働者のことを言いますが、その身分証明書の携帯が義務付けられていて、それを提示しなかったために警官に殴り殺されるということもあったのです。農民工は工場の操業がフル回転となり助っ人がどうしても必要になった段階で農村部から呼び寄せられ、操業に下降線が見え始めると即座に解雇され、工場の宿舎から追い出され農村に帰ります。
 そんなですから農地も荒れ放題で、惨めな農作業となるのです。本書の「社会的アパルトヘイトでの使い捨て労働」の項p231〜に次のような記述が見られます。

 「資本主義の誕生は職業選択の自由だけでなく、皮肉なことに、労働者の移動の自由に対する制限をも伴っていた。だからマルクスは、フランスにおける労働者の通行証制度を攻撃する必要があると考えた。この制度は、労働者が滞在して就労しても良いか、それとも出生地に戻るべきかの決定権を警察に与えるもので、マルクスはそれを『極度の独裁制』と読んだ。もっと皮肉なことに、この制度は西欧では遠い過去の歴史となっていたのに対して、『社会主義』と呼ばれていたソビエト連邦で一九三○年代にスターリンの下でこの制度が再導入された。毛沢東の中国も同じ制度を導入した。ただし、中国共産党はソ連邦の経験から多くを採り入れたとはいえ、同時に中国自身の歴史における同様の制度を参照しながら、労働者の自由に対する制限を課したのである。実際、国家が農民からの大きな反対に遭遇しなかった理由の一つは、農民が二○○○年にわたって専制国家によって課されてきたこの種の社会的支配に慣らされていたことだった。
戸口制度は中国で二○○○年以上の歴史を持っており、帝国の時代に社会的支配の手段として確立された。戸口制度によって国家は正確な数の兵士を徴募し、正確な額の税や課徴金を徴収するために、定期的に世帯の中の労働力の数や所有する土地の面積についての統計を収集することができた。こうして戸口制度は、中国の専制的な中央集権国家の重要な柱の一つとなった。
一九一一年に中国の近代化が始まった時、当初の軍閥政府も、それに続く国民党政府も戸口制度を維持した。しかし、戸口制度の政治的・社会支配の機能が未曾有のレベルに発展したのは、中国共産党政府のもとにおいてであった。それまでは農民が国内を移動する権利は認められていたが、共産党がこの権利を廃止した。
一九五四年憲法は依然として自由に移動する権利を認めていた。しかし、一九五六年の『社会主義的改造』の開始とともに、党は指令経済を実施する計画の一環として、農民の移動の権利を制限し始めた。一九五八年に国家が制定した法律によって、農民が都市に入ることが全面的に禁止された。一九七五年には名目的にのみ存在していた移動の権利が憲法から完全に削除され、今日までそのままである。戸口制度は市民を都市世帯と農村世帯に分け、農村の住民を二流の市民として体系的に差別した」。

「移動の禁止」は今も


なんということか、これでは中国の農民はまるで奴隷ではないか。日本の大化の改新(六四五年)で成立した律令体制と班田制は、中国の制度を模したものであるというが、相次ぐ農民、奴隷の逃亡と荘園の発生で、八世紀半ばから動揺し始め、一○世紀ごろには解体状態となっていたというのが私の歴史認識である。しかし、中国では二一世紀の今も社会主義の名のもとに、戸口制度として厳然として「移動の禁止」は維持されているという。

 p233〜「『計画経済』が始まった後は、都市世帯だけが国家から穀物や教育、医療の供給を受けることができ、また安定的な雇用や退職後の給付を保証された。戸口制度の主要な役割の一つは農村人口を都市人口から分離して、農民をこれらの社会的な便宜や給付から遠ざけておくことだった」。
「戸口は世襲である。農村の市民やその子供達は、よほどのことがないかぎり、いつまでも農村戸口のままである」「農村から移住した男性は都市の女性と結婚することによって都会における居住許可を得る可能性があったが、農村女性にはその可能性がなかった。だから、都市の男性は農村の女性との結婚をためらった。農村の女性と結婚した場合、自分たちの子供は母親の戸口、つまり農村戸口を継承することになり、社会的地位が大幅に後退する。それでも良いとする者はごく少数だろう」。
「一九九○年代半ば以降、戸口制度は徐々に緩和されてきた。まず、農村住民は都市の暫定居住許可証を購入できるようになり、それがあれば合法的に就労できるようになった」「一九九八年前半には、戸口を両親のどちらからでも継承できるようになり、農村女性の三重の差別が緩和された」。
「こうしてアパルトヘイトの空間的側面は、いまでは大部分が除去されている。しかし、社会的なアパルトヘイトの本質は基本的には変わっていない。よそ者であり、二流の市民であるという永久的な刻印はそのままであり、それによって農民工が都市において顕著な社会的地位向上を達成することは妨げられている。依然としてまともな雇用は、大部分はその地区における戸口を持っている人々のために確保されている」。
「一九九八年以前には、農村の子どもや若者は都市で教育を受けることができなかった。その後、この制限は緩和された。今日では多くの都市で、農民工は余分な費用を支払うことができるなら、自分の子どもを都市の公立学校に通わせることができる。しかし、現実には彼ら彼女らの大部分はそのような費用を支払うことができない。そのため『留守番児童』、つまり親が都市に働きに行き、子どもたちが農村に残されるという現象が起こっている。ある推計によると、そのような子どもたちの数は五○○○万人に及ぶ。多くの場合、この子どもたちは祖父母が世話をし、両親と会えるのは年に一回、両親が旧正月の休暇で故郷に帰ってくる時だけである」。

新しい変化への動き


遠く離れた中国の地の人びとのことを思うにつけ、かつて天皇の軍隊が中国大陸を侵略しなければ、この人たちは別の人生を歩んでいたろうにと、歴史が紡ぐ糸で結ばれている自分を考えてしまうのです。
以前、「attacこうとう」のブログで、農民工の夫婦が三人の子どもを農村に残し都市に働きに出て、上のお兄さんが二人の兄妹を殺し「これで自由になれる」という遺書を残して自死したという記事を読んで、とめどもなく涙が溢れました。男の子は泣くもんじゃないと言われて育ったのですが、人里遠く離れた私の住まいのまわりの木々の梢が、涙をやわらかく包んでくれていました。しかし、希望はあります。
「農民工は、苦労して手に入れた金で故郷の村に残した家族の生活も向上させている。そして子どもたちの授業料を支払って、教育水準を高めている。農民工は、実は都市部と農村部の間の橋渡しの役割を担っているのだ。彼らは自分たちの経済闘争を含む都市で得た知識を村に持ち帰る。今日の農村の人々は、特に新しい世代は、もはや現代知識を欠いた三○年前の農民ではない。彼らの中には何百年も共同体の中で続いてきた服従と宿命論というものの見方を投げ捨てた者もいる。これらの人々は、自分たちは市民であるという自覚と、挑戦すればものごとは良い方向へ変えることができるという考えを持つ可能性が高い(たとえ大部分にとって、それは、新しい技能を習得する、あるいはしばしば転職するといった個人的努力に限定されているとしても)。ものの見方の変化や農民たちの間での期待感はまた、ゆっくりとではあるが、数十年の長きにわたる政策や厳しい弾圧を調整することを官僚たちに強いつつある(p59)」。
「二○一○年の仏山市のホンダ工場の労働者による闘いは新たな希望の徴候である。若い農民工は賃金引き上げだけでなく、大胆にもタブーを打ち破り、工場の労働組合代表の再選挙を要求したのである。かれらの闘いは民主主義的な願望とそれらを貫徹する能力を反映したものだ。かれらの部分的な成功はまた、少なくとも珠江デルタ地域では、地方政府が弾圧だけではもはや効果的ではないことを理解したことを示している(p58 )」。 (つづく)

投書

韓国映画・格差・感染症

SM

 韓国映画が好きだ。より正確にいうなら、韓国の「社会派映画」の中には私が共感出来る作品が多い。社会性と娯楽性を見事に両立させているのが韓国「社会派映画」の特徴だ。
 私が観た韓国映画は、「シュリ」「JSA」「明日(あした)へ」「自由が丘で」「復讐者に憐みを」「八月のクリスマス」「私の頭の中の消しゴム」「トガニ 幼き瞳の告発」「南営洞(ナミョンドン)1985〜国家暴力、22日間の記録〜」(順不同)などだ。最近見た韓国映画は「密偵」「タクシー運転手 約束は海を越えて」「弁護人」「金子文子と朴烈(パクヨル)」「バーニング 劇場版」(順不同)などだ。私が観たのは、ごく一部の韓国映画にすぎない。
 今年の二月と三月に、「パラサイト 半地下の家族」を観た。格差社会を批判しているとも評されるこの作品でポン・ジュノ監督はカンヌ国際映画祭(第七二回)の最高賞パルムドールの他、アカデミー賞(第九二回)の作品賞など四部門を受賞した。
 私はポン・ジュノ監督の作品では、他に「ほえる犬は噛まない」「殺人の追憶」「グエムル―漢江(ハンガン)の怪物」「母なる証明」「スノーピアサー」を観た。その中では「殺人の追憶」「グエムル―漢江(ハンガン)の怪物」「スノーピアサー」が面白いと思った。「母なる証明」は好きではない。
 「パラサイト」の受賞に対して、アメリカのトランプ大統領は「今年のアカデミー賞はとんでもない。今までこんなことがあったのか」と批判したという。アメリカの大統領が日本の在特会などと同じレベルであることに驚いた。
 「パラサイト」は、何故こんなに支持されたのか。ポン・ジュノ監督は〈予想を裏切る後半のストーリー展開が新鮮で面白かったという意見を耳にする〉〈俳優たちの魅力が大きかった〉と述べたという(宋梨奈さん・大学院生、『週刊金曜日』二月二八日号、八ページ)。ただし、ハン・トンヒョンさん(日本映画大学准教授)は「パラサイト」で描かれた家族像には疑問を呈している(二月二六日『朝日新聞』朝刊一三面)。
 インターネットで「オックスファム・ジャパン 世界の格差」で検索すると、「最新報告書では、昨年、世界で新たに生み出された富の八二%を世界の最も豊かな一%が手にしたことが明らかになりました。一方で、世界の貧しい半分の三七億人が手にした富の割合は一%未満でした」という二〇一八年一月二二日の記事が出て来る。
 「『半地下』はもともと、北朝鮮の攻撃に備えた防空壕だった。そのうち、住居用に賃貸されるようになった。二〇一五年の韓国政府の調査によると国民の一・九%(約三六万世帯)が半地下に住んでいる」。「2018年の韓国の上位2%の富裕世帯の平均月収は93万円。それに対して下位20%の貧困世帯の平均月収は12万円」。「……韓国の非正規雇用率は36%、つまり3人に1人だ」。町山智浩さん(映画評論家)は「パラサイト」のパンフレットの中でそう述べている。国王。天皇。資本家。特権官僚。こういう人びとこそが真の「パラサイト」ではないかと思う。
 なお、新型コロナウイルス被害が拡大する現在の状況について、ポン・ジュノ監督は「……ウイルスの恐怖以上に、人間の心理がつくる恐怖や不安の方が大きい。不安に巻き込まれると災害を克服するのが難しくなります。……あまりに恐怖、不安を持ったり、偏見が加わると、より恐ろしいことが起こる」と話した(『日刊スポーツ』二月二四日21面)という。第二次世界戦争におけるユダヤ人や「障害者」の虐殺・関東大震災における朝鮮人や中国人の虐殺を忘れてはならない。妖怪が世界と日本を徘徊している。新型コロナ「ファシズム」という妖怪が。新型コロナウイルスも恐ろしいが、新型コロナ「ファシズム」も恐ろしい。私はそう思う。
 ポン・ジュノ監督をはじめとするスタッフ・キャストのみなさん、カンヌ国際映画祭最高賞・アカデミー賞作品賞など四部門受賞、おめでとう。

 



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