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    かけはし2020年5月25日号

社会主義的大衆主体の形成を


コロナと経済危機 V字回復はない

キム・ジョンジュ(マルクス経済学、忠南大学経済講師)

 #世界中に広がった疾病の危機は、またたく間に経済危機として拡大した。毎日、世界のいたる所でコロナが揺るがした資本主義経済の脆弱な現実が表れている。もちろん、ほとんどの自由主義のメディアは、資本主義が再び機能を回復するものだと努めて説いている。この危機の根は何であり、私たちは何を準備しなければならないのか。この間「変革政治」「今日も貧しいです」のコーナーで寄稿を続けてきたマルクス経済学キム・ジョンジュ先生に会った。

Q:コロナ19が大きく広がり、世界中の株式市場が暴落をした。米国の中央銀行が、緊急会議まで開いて、政策金利を2008年の金融危機以降、再び0%台水準にまで下げ、各国の中央銀行が急激に金利引き下げを断行しても、金融市場はむしろ下落するなど、主流経済学の教科書の原理が作動しないことが起きてもいるが。

 通常中央銀行は景気後退や金融市場の不安定が表われると金利を下げる。教科書通りならば、金利を下げれば株価は上る。理由は4つだ。まず、教科書的に株式の保有目標は配当収入である(もちろん、株価の差額をめざしてもいるのだが)。将来的に受ける配当金を現在の価値に換算したものが「株価」であり、将来の配当金を金利で割った値である。この公式により分母である金利が下がれば株価は上る。第二に、金利が下がれば、銀行に預金するお金で株式などの金融商品を買う機会が増える。需要が増えるので、株価は上がる。第三に、金利を下げれば企業設備投資と民間消費を刺激し景気と金融市場を浮揚するというのが教科書の説明だ。
このように、中央銀行は金利水準を調整して、金融資産の価格を流動化させる。ところで最近、特に米国株式市場が大きく下落した。先日、3万ポイントまで行ったダウ工業株30種平均の指数が1〜2日の間に、2万ポイントの下にまで低下した。米国金融市場が不安定な理由は、これまでバブルをたくさん抱えていたからだ。コロナ19の前にもマルクス経済学者たちだけではなく、主流の経済学者たちもアメリカの金融市場のバブル状態を指摘し調整が避けられないと述べていた。2008年の金融危機以後の10年間、米国の中央銀行がとんでもない量のドルを放出した。そしてそのお金が金融市場に押し寄せ、これまで以上の過熱現象を見せた。
そうするうちに、今回のコロナ19事態で、その調整が急激に起こった。すぐに実体経済が大きく萎縮され、今後どのようなことが起きるか分からないから、人々は株式も債券も売りさばいて流動性が最も高い資産である現金を保有しようとする。だから、株式市場は急落することになった。ただし最近のアメリカ金融市場の急激な変動は、構造的要因をすべて反映したものではない。コロナ19という突然のショックに伴う反応で、それまでいっぱい抱えていたバブルが調節されたのではない。

Q:最近の米国中央銀行が金利引き下げを超え、2008年の金融危機時に使用した「無制限の量的緩和」まで取り出して、韓国銀行も量的緩和を示唆している。

 量的緩和が登場する前から言われていたが、金利調整が効果を生まないからだ。例えば、今の米国の金利がほぼ0%である。もはや金利引き下げが難しいから、直接お金を放出するというのが量的緩和だ。
2008年の金融危機時に米国の中央銀行が大規模な量的緩和を実施した。EUも、2008年の危機以降、量的緩和を続けている。実際に量的緩和を開始したのは、日本である。2000年代初頭、日本経済は、ほぼ20年の長期低迷に陥っていたし、金利も低かった。大規模な赤字に耐えて財政政策も既に使った。それでも経済が蘇生しなかったので、「お金を刷ってばらまく」という発想をするようになったものである。これはありとあらゆる手段を使っても経済が蘇生できないということを反証している。この10年余りの間どんな、政策的な効果も見られないぐらいに、世界資本主義は、構造的低迷から抜け出せなかった。
今韓国も量的緩和を使おうとしているが、お金をつぎ込んで、経済が良くなるものではない。韓国経済もコロナ19以前から構造的な問題に直面していた。過去10年間、潜在成長率が下落し続けた。この社会構造の中では、人々が子供を産まず、貧困も深刻である。量的緩和は景気循環を少し調整することができるのか分からないが、構造的な問題を解決はしない。
2008年当時、米国のリーマン・ブラザーズなど大型投資銀行が破産したが、その中でゴールドマン・サックスとJPモルガンは生き残った。米国の中央銀行がドルを刷ってゴールドマン・サックスとJPモルガンの不良債権を買ってくれたのだ。つまり、量的緩和は、金融機関の不良債権を国家が代わりに外して、それらにお金を与えることだ。一般国民はそのお金を見ることもできないのである。
これだから気をしっかりと引き締めなければならない。韓国銀行がするという量的緩和もいくつかの金融機関や企業の不良債権を払ってくれる仕事だと言うことができる。このような量的緩和は明確に拒否しなければならない。このような危機的状況で、国がお金をつぎ込むのならば、非正規職労働者のように困難な人々の雇用を維持したり、生活の安定のために使われなければならない。しかし、今のムン・ジェイン、政府の対策はほとんどが企業への金融支援である。すぐに切られていく労働者に投入しようという考えは、この政府にはない。

資本家らには代案がない

Q:金利引き下げや量的緩和などの金融政策とともに、各国政府が直接お金を使う財政拡大に対する要求が高まっている。金融政策の「効き目」がよくないということが明らかになっている今、財政政策は、効果を発揮できるのだろうか?

 金融政策と同様に財政政策もまた景気循環を調整するものであって、経済構造を変えるわけではない。アメリカ、日本、ヨーロッパをはじめ韓国を含むすべての主要資本主義国などが構造的な問題を抱えている。成長も大変で社会的統合の維持も難しい。金融政策や財政政策では、世界資本主義が抱える構造的な問題を解決することができないのだ。そのような側面から、私たちは構造的な問題をより集中して見なければならない。2008年以後10年余りの間の量的緩和をはじめ、あらゆる金融政策と拡張財政を使ったにも関わらず、依然として、世界経済は困難である。
結局、資本家たちにはもう代案がない。全世界の資本家の集まりである「ダボスフォーラム」でも、数回に渡って確認したことだ。事実、新自由主義というものが資本が使える最善の政策だった。資本の利害関係に合うように、すべての経済関係を変え、労働の柔軟化を通して、労働者階級を資本の統制下に取り組む。ところが、その新自由主義が、結局大失敗に帰結した。その後、資本には安定して蓄積基盤を確保する適当な代案がない。だから、依然として世界経済が10年間不安定な状態にあるのだ。

Q:コロナ19による景気萎縮が深刻化し、主流経済学者たちも今「景気後退」自体は既定事実化している。ただし「一時的な後退なのか」それとも「新しい構造的・長期危機の始まりなのか」をめぐる議論もある。

 とりあえず主流の側が言ういわゆる「V字」回復はないようだ。その理由は、2008年の金融危機にもかかわらず、過剰資本が整理されていないからである。資本が過剰状態にある時は、必ず恐慌が来る。資本は絶え間なく蓄積を追求し、資本自体が過剰に向かう。ところが、資本が過剰に蓄積されると、収益率(利益量/資本量)は落ちることになる。
過剰蓄積が行われ、長期的に利益率が低下するので、株式などの資産価格が下落し、その結果信用収縮が現れる。それとともに、流動性不足の問題が明らかになって、銀行危機がもたらされ、銀行が生き残るために、企業融資を回収しながら、実物部門の企業が倒産する。これが一般的な恐慌の展開プロセスである。
マルクスも話しましたが、恐慌は、資本主義が過剰資本を整理して自らを調整する過程でもある。ところが、2008年には、企業や銀行の破産を各国政府と中央銀行が押しとめた。量的緩和で生かしてくれたのだ。だから過剰になった資本が整理されないまま10年が経ったのだ。
資本過剰状態は、例えば、世界製造業部門の稼働率を見れば分かる。今、全世界の製造業の稼働率は50%程度しかない。資本家たちが夢見る熱い好況にたどり着くには50%の生産設備が消えなければならないということだ。
資本主義は、恐慌なしでは甦ることができないという、大変矛盾したシステムである。2008年にその過剰資本を整理していなかったので、資本主義経済の回復を期待することは難しい。このようなことで、新しい恐慌と不況が訪れる可能性は存在していた。もちろん、今のコロナ事態が正確にどのように展開されるか予測することは難しい。しばらくは量的緩和など金融市場浮揚で崩壊を遅らせながら、この沈滞状態をどうにか引っ張っていくという様相になるのではないか。

大衆に語ろう:
「この資本主義は一体誰のために存在するのか」

Q:コロナ19に不良企業の危機が浮上しつつ、各国政府と中央銀行は、最初から不良企業の社債を直接買い入れたり、あるいは危機にある、企業の自社持ち株を引き取り、国有化するという方案まで取り上げて討論している。米国のFRBは、大規模な、社債買入案を発表し、ムン・ジェイン政府もまた100兆ウォン規模の資金を作り、企業を支援すると発表した。このようにするより、政府が公的資金を投入し、むしろその企業を公的に所有・運営して労働者の雇用を保障するという方法が社会的により妥当ではないかと思う。

 国家が不良に陥った企業を支援する場合、どのようなやり方でも社会化が必要である。企業の意思決定構造自体を社会化する方式も考えられる。今までは公的資金を投入しつつも、結局企業主を支援することであった。そのように政府が企業を支援しても、労働者たちは、構造調整で解雇されて、むしろ「滅びても3代は食べて暮らす」と、資本家や企業家の腹をより満たした。
今のような企業支援方式は、もはやないと思う。今回も政府があれこれの方法で金融支援と直接的な資金支援などに100兆ウォンを投入して量的緩和措置もするというものだ。もちろん、企業が最初から滅びれば労働者も失業などで苦痛を受けるので、企業が滅びないようにするのは必要である。問題は、企業主や資本家のための支援を続けてはいけないという点である。その支援自体が社会的な資源なので、公的資金が投入された時、企業が労働者にどのような義務を実行しなければならないのか、今回をきっかけに少し明確にすればよい。少なくとも雇用と給与を維持しなければならないとか、経営失敗の責任を企業主と資本家に問うとか。
事実企業が公的資金を受けるくらいなら、既存の経営人の経営権をはく奪して株式を無効化した後、労働者が経営権を持つことが望ましいと思う。ただし、今のように企業別労組中心のシステムでは、労働者にも、個別の事業所の利己主義に陥るリスクが存在する。また、資本主義の下で、企業間の競争を通じて生き残らなければならないという根本的な問題を乗り越えることでなければ、どのような制度も効果的に機能することは難しい。資本の論理が支配している、この現実にどのような社会主義の原則を貫いていくのか真剣に考えなければならない。すぐには困難があっても、公的資金が入る企業に対してどのように社会的に管理するのか明確な責任を要求する必要がある。

Q:最後に、社会主義という対案を思考している私たちに今の危機はどのようなメッセージや課題を投げかけていると考えていますか

 今回の事態を通じて資本主義体制そのものがどれほど脆弱なのか明らかになった。たとえばイタリアでは、一日に数百人死んでいる。世界のG7に入る資本主義の国でだ。米国でも死者が大挙続出している。それに対処する適当な方案も見つけられない状況である。
この事態は、「今まで資本主義というものが、私たちにとって何だったのか」という質問を大衆的に投げかける重要な契機であるようだ。高度に資本主義が発展した国でもこのような事態が起こり公的・システムというものが機能しないまま大衆は放置されていないか。
近ごろ毎日のように降り注ぐ経済ニュースは実際直接的に大衆の生活と関連付けられているものがほとんどない。ほとんどが株式市場や企業支援に関する話だ。すぐに多くの非正規職が今回の事態で仕事を失い、収入が無い状態で数カ月を生きなければならないというニュースは、多くが出ない。こういうときに我々は「この資本主義が一体誰のためのものか」という問いを投げかけなければならない。大衆の必要と基本的な生活の充足のために存在するのか、そうではなく資本家たちと金融投資者たちのために存在するのか。
危機は大衆自ら「自分がどのような社会に住んでいるか」ということを切実に感じさせるきっかけでもある。普段は自ら労働者であるにもかかわらず、自分も資本家のような生活をすることができるという錯覚をするようになることもある。しかし、このような危機の状況で、その幻想は壊れる。社会主義者ならば、このような危機的状況で大衆を社会主義的主体として登場させることができるはずだと考える。
私たちが、大衆を社会主義的主体として登場させるためには、私は社会主義者たちの思考がもう少し現実的でなければならないと考える。大衆が理解することができ、我々がする話を自分自身のこととして受け入れることができるほど、彼らの生活と非常に密接な関連を持つ具体的な話をすることができるはずである。大衆が自分で自分が資本家とは、本質的に利害関係が異なることを感じることができるように。そのように、私たちが大衆に声をかけるとき、新しい主体も導き出すことがでるのではないだろうか。

■インタビュー┃イ・ジュヨン機関紙委員長

朝鮮半島日誌

▲文在寅大統領は5月10日、2017年の就任から3年にあたって大統領府で演説を行った。
▲韓国気象庁によると、5月11日午後7時45分ごろ、朝鮮・江原道平康郡の北北西32キロの地域でマグニチュード3・8の地震が発生した。
▲ 朝鮮中央通信は5月15日、論評を発表し、東京にある朝鮮大学校の前で5月10日、同校の認可の取り消しなどを求める集会が行われたことについて、「数十人の警察官は何の措置もとらなかった」と主張。今回の事態について「安倍一味の反総連策動の延長」と強調した。

コラム

ダ・ヴィンチ

 「ダ・ヴィンチ」と言っても、ルネサンス期を代表する芸術家、科学者であるレオナルド・ダ・ヴィンチのことでも、書評雑誌のダ・ヴィンチのことでもない。
 ボクが前立腺がんの手術でお世話になった医療ロボットのことである。このロボットは、病院の説明書によれば「内視鏡手術支援ロボットと呼ばれ、操作部とロボット部、助手用のモニターで構成され、医師は箱型の操作部に映し出される3D映像を見ながら遠隔操作し、数ミリ単位の繊細な操作で肉眼より正確に手術することができる」と記してあった。通常の開腹手術より入院も短くすみ、術後の負担も軽いらしい。
 PSA検査の結果、クリニックに紹介され受診し精密検査を受けた医療センターの医師は、前立腺がんの治療はいくつかあるが、将来を考えて全摘出が望ましいとロボット手術を勧めてくれた。そして、ここにはその設備がないので大学病院へ行くようにと紹介状を書いてもらったのが昨年の一二月のことである。初めは一月中に手術をしてしまおうと考えていたが、四月にちょっとしたイベントがあり、その幹事を務めていた関係からなんやかんやと会議が重なったこともあって、イベントが終わった二日後に入院することに決めた。前立腺がんは進行が遅いので慌てなくてもいいという医師の助言があったことも幸いした。
 しかし、入院してすぐに手術ができるのかというとそうでもない。手術は頭を下にして両足をあげた体位で行うため、脳動脈瘤の有無を確かめるためのMRI、緑内障の眼科受診、麻酔科の受診などいくつもの事前検査があった。大学病院ゆえ受診する患者も多く、採血だけで二時間待ちということもあった。病院、医療は一大産業であることを改めて実感したしだいである。
 そうこうしているうちに持ち上がったのが新型コロナ感染の世界的流行だった。何といっても相手は目に見えないウイルスである。どこで感染するか分からない。マスク着用、手洗い励行が当たり前になった。そんなおかげで、集会や密室での会議、講演、教室などもすべて中止になった。もちろん四月に行う予定だったイベントも中止である。その事後処理に追われながらも、入院日はやってきた。
 手術承諾書やら輸血承諾書、家族の緊急連絡先などを入院サポートセンターで記入、提出し、ボクにとって初めての手術入院となった。緊急連絡先は保険の受取人にもなっている長女にしたが、事務員は離婚した前妻や子どもの連絡先、名前も書けという。プライバシーなどまるでないことには驚いたが、これも致し方あるまい。用意してくる物は、腹帯二枚、紙パンツ、尿漏れパットなどなど。もちろん初めて買う物ばかりである。
 入院は手術の前日。看護師に剃毛されるのも恥ずかしいので、自分でつるつるにしていった。病室は四人部屋だが、テーブルやクローゼット、カーテンで仕切られた半個室。差額ベッド代は一日三三〇〇円。別にシャワールームもあるのでちょっとしたビジネスホテル並の快適さだ。
 手術は翌朝八時半から行うという。術衣に着替えて手術室に入り、全身麻酔をかけられ意識がなくなったらダ・ヴィンチによる手術はあっという間に終わっていた。全部で五時間くらいか。長女は摘出された前立腺を見せられたと言うが、当人は何も憶えていない。尿道にはカテーテル、腕には点滴の管がつながれ、酸素吸入をしている携帯で撮られた写真が一枚あるが、それだけが手術の思い出である。   (雨)


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