もどる

    かけはし2020年6月1日号

辺野古埋め立てはこのまま中止せよ


沖縄報告 5月24日

コロナ緊急事態下で中断した工事

沖縄 K・S

検察官定年延長法案と同じく、辺野古埋め立ても見送りを

 安倍政権が国民の非難の広がりをうけて、「国民の理解なしには進められない」と検察官定年延長法案の見送りを決めた時、沖縄県の玉城知事は間髪入れず「辺野古新基地も県民・国民の理解を得られない。二兆五千億の予算、護岸崩落の恐れがある軟弱地盤、多くの希少種が生息し環境省が重要海域に指定する埋立工事の撤回を」と訴えた。
 全くその通りだ。政府は国家権力を有している。国民の理解がない政策でも権力を動員して強行することができる。しかし、それは、主権者は国民ということに反する政治の堕落。政府はどんな場合でも「国民の理解なしに」国家権力を行使してはならない。国民の反対する政策を強行してはならない。辺野古新基地のための埋め立てを強行してはならない。
 四月中旬からコロナ緊急事態下で辺野古埋立工事も中断している。現在、コロナ感染から日常生活が徐々に回復しつつある。しかし、日常生活がもとに戻っても、辺野古埋立工事をこのまま継続することを県民・国民は望んでいない。日本政府は政権のメンツを埋立工事の強行にかけるべきではない。埋立工事は再開せず中止せよ。

辺野古、安和、塩川、羽地の現状とドローン映像


 埋立工事現場の現状はどうか。平和市民連絡会は毎週水曜と金曜、現場を視察している。五月一〇日と二〇日に撮影したドローンの映像をまじえて紹介しよう。
 琉球セメント安和桟橋は、入口、出口ゲートとも内と外に一人ずつ警備員が立っているだけで、接岸している船もなく、構内は四台の重機が土砂置き場に止まったままだ。
 本部塩川港は土砂運搬船の接岸はなく、時々釣り客の車が来るだけで閑散としている。もちろん防衛局職員、帝国警備の警備員、業者、県警の姿はない。沖合に停泊していた土砂運搬船などは全部見えなくなって、羽地内海に移動した。
 羽地内海の二〇日の映像は土砂運搬船一一隻、台船六隻を確認している。写真をズームアップすると、船の形の違いがよく分かる。
 辺野古・大浦湾の方は、工事中断中の現状の解説付きの映像を付けた。一昨年一二月に始まった土砂投入から一年半。工事は難航している。それでもここまでできたのは辺野古側の浅い海だからだ。広範囲に広がり最深九〇mにおよぶ軟弱地盤に手を付けてはならない。
 防衛省の計画で、県知事の設計変更承認を得てから一二年、九三〇〇億円、県の試算で二兆五五〇〇億円要する、破綻した国策公共工事。坂本龍一さんが言うように、引き返せるのに動き始めた歯車を止める勇気がない国なのか、日本は。

5.22

係争処理委員会で県・国双方が意見陳述

係争委は県の自主自治権を尊重し、農水相の不当な関与を排除せよ

 農水省が県に対し、防衛省のサンゴ特別採捕許可申請を早く承認するよう求めた「是正の指示」が違法だとして、沖縄県は総務省の国地方係争処理委員会に審理の申し立てをしていたが、五月二二日、その係争委の第三回会合が開かれた。Web形式で行われたこの日の会議で、玉城知事と江藤農水相の意見陳述と委員をまじえた質疑が行われた。
玉城デニー知事は要旨次のように意見を述べた。

玉城知事の意見陳述

 沖縄の島々の周辺に広がる美しいサンゴ礁の海は県民のかけがえのない財産だ。特に辺野古・大浦湾海域は絶滅危惧種二六二種を含む五三〇〇種以上の生物が生息する生物多様性の豊かな海だ。ジュゴンが回遊し海草藻場も県内最大規模を誇り、沖縄の中でも特に自然環境が優れている。世界自然遺産として登録されている知床、白神山地、小笠原諸島、屋久島でそれぞれ確認されている三千から五千種という数を上回る貴重なところだ。
県は水産資源保護法に基づいた漁業規則で、サンゴ類の捕獲を禁止し、例外的に水産資源の繁殖保護に資する場合に限り特別に採捕できるものとしている。サンゴは一度死滅すれば、元に戻すことができない。今回の申請の対象となっているサンゴ群約四万群体についても移植の必要性について厳格に審査するのは当然だ。不適切なサンゴ移植は、元のサンゴ類を消失させるだけでなく、移植先のサンゴや生態系にマイナスの影響を及ぼす危険性がある
沖縄防衛局の申請書類を資料と共に審査したが、十分なものとは言えない。さらに、サンゴ移植の前提となる埋立事業について、大浦湾の軟弱地盤をめぐる設計概要の変更が必要であり、変更される工事の内容を検討したうえでなければ、判断できない。
国と地方公共団体は対等・協力の関係にある。地方公共団体の判断を一方的に無視する国の関与は不当であり、農水相は本件是正の指示を取り消すべきだ。公平・中立の立場からの第三者機関として、係争委の委員の皆さんの判断を期待したい。

農水省の是正の指示は国による権力の乱用

 対する江藤農水相の意見は@サンゴの特別採捕申請は埋立工事により死滅するサンゴを保護するためだ、Aサンゴの移植技術はまだ確立されておらず研究が必要なので、埋立工事により失われるサンゴ類を対象に移植試験を行うことは合理的、B県の埋立承認撤回は国交相の裁決により無効になって埋立承認が効力を取り戻したことを前提に、事務処理をすべき、というものだ。一言でいうと、「政府は埋め立てをすすめる。移植を認めないことは埋め立てでサンゴが死滅することを容認することになる。埋め立てを認めサンゴ移植に協力せよ」と県に脅しをかけているのだ。
安倍内閣の防衛相、、国交相、農水相の同じ穴のムジナが三匹。それぞれ、埋立工事をめぐって、公有水面埋立法、行政不服審査法、水産資源保護法、地方自治法を手前勝手に解釈し、中央政府の政策を押し付けているのだ。まさに自作自演の行政私物化。今国民が安倍政権に突きつけ始めているアベ政治NO!の声は、まさしくこうした傲慢な行政に対してなのである。係争委は、農水相の違法な関与を取り下げ、沖縄県の自主的な自治の権利を認めよ。

6月7日県議選で辺野古反対派の勝利を!


六月七日投開票の沖縄県議選は最後の追い込みに入っている。玉城デニー知事を支持し、辺野古新基地に反対するオール沖縄の候補を全県で勝利させよう。全県・全国から各選挙区の友人・家族に声を届けよう。

県内市町村の中国での戦争体験記を読む(17)
日本軍の戦時暴力の赤裸々な描写

 中国侵略の日本軍には、県内各地からも多くの青年たちが動員されて命を落とし、また、戦争の実態を目撃し記録した。今回は具志川市史から、我謝亀次郎さんの体験を紹介する。我謝さんは、二〇歳で受けた徴兵検査に甲種合格し、一九三七年、小倉から朝鮮の釜山を経て満州に派遣され、三年間滞在した。その経過、戦場の実態、日本軍の暴力をありのまま書いている。引用は原文通り、省略は……で示し、補足は〔 〕で示した。敬称略。

『具志川市史』第五巻「戦争編 戦時体験U」(二〇〇五年)

我謝亀次郎

 昭和一一年(一九三六)に天願小学校で徴兵検査を受けました。徴兵検査は満二〇歳になったらみな受けた。西原からもたくさん受けましたが、甲種合格したのは私一人です。あの時期までは、甲種だけが現役兵として入隊し、沖縄戦になってからは予備兵としてほとんどが召集されたんじゃないですかね。……
徴兵検査を受けたあと、記念運動場では行軍や兵隊の動作とか、警備するときの基本を教えていました。運動場を何周も歩いたり、鉄砲こそなかったが、訓練は入隊するまで続きました。一週間に一回ぐらいではなかったかと思います。訓練の合間に家の仕事の農業を手伝って、当時は、親父の虎千代と二人で暮らしていました。
出征のときは、字のほうで千人針を作って、見送りもやってくれました。家に集まって、そこから平良川のワイトゥイグァー(切り通し。現上平良川、田畑病院付近)まで、行列して行きました。……那覇の港に集合し沖縄を出発したのは昭和一二年一月一八日。鹿児島まで引率したのは、県の兵事係の代表者みたいな人たちだった。……
入隊したら軍服に着替えて、沖縄から着てきたものは、全部送り返しました。軍服は新しいものではなく、復員してきた人たちのもので、最初からぼろぼろでした。新品は上の人たちが取って、入隊したら日本軍の兵隊は動物と同じ扱いで、なんでもかんでもぼろぼろのものだった。勤めている間は何回でも修理して使う。……
中国へ渡るときは鉄砲も渡されました。本物だけど古い鉄砲。出発のときは軍靴を履いてゲートルを巻き、ちょっと古い軍服を着けて、背嚢、飯盒、水筒、米二合くらいと、それに固くて味もなんにもない乾麺麭を持たされ、小倉港から出発しました。本土は愛国婦人会、国防婦人会の方が日の丸を持ち、港までずっと見送ってくれて、盛大な見送りでした。
朝鮮に上陸して、そこから何日も汽車に乗って六、七日くらいで駐屯する北満のムーリンに着きました。そこには兵舎がたくさん造られていました。
陣地は兵隊が戦争のために入るわけですから、秘密でした。地下を掘ってトンネルみたいに地下からあっちこっちへいく。ロシアの国境線の近くまである地下からはロシアの兵隊のようすが見えるわけです。ロシアと満州との国境は大きな川が一つあるだけで、冬になったら見渡す限り銀世界となり、氷が張っていました。大きな川をはさんで、 ロシアと満州がいつもにらみ合っていた。……地下は長くて立って歩けるほど大きかった。いったときにはすでに掘られていました。
兵隊が掘ったのではなく、あの時代は秘密だから徴兵隊という人たちが掘ったらしい。工事が終わったら陣地の秘密がばれたらいけないといって、掘った人たちをみんな殺したそうです。軍隊ではちょっとでも秘密を漏らしたら大変です。陣地ではお互い同士も何番、何番と番号でしか呼ばない。私がいたところは一号陣地だったと思うが、地下トンネルに入ってそういう警戒作業をやりました。ムーリンからだいぶ離れていました。
……
その間に義賊討伐という戦闘がありました。義賊というのは日本に反対している満州の人で、そういう義賊は結構いました。日本が満州の国をとっているから、武器を持って反対する中国の人たちがいて、また、満州皇帝もいる。日本が満州国をつくらせ、皇帝をおいていることに反対する義賊がいて、私は義賊との戦闘で手榴弾を受け、足に破片が入るけがをしました。
義賊は山の中にいるんです。日本軍が大きな山を全部囲んで、だんだん上の方に攻めていく。それが兵隊なのか住民なのかわからないから、捕まえてきて白状させたりするんです 兵隊は上の者がいう通りにやらないと大変で、白状させるのは上の者です。うつ伏せにして、手と足をしばって水をかけ、お腹が膨れるまで水を飲ませて責めたてる。水を飲ませ続けて膨れてきたらそのお腹にのる。それを繰り返しやってとてもひどかった。白状する者もいたが、なかなか白状しなかった。上にはそういう取り調べをする専門がいて、拷問されたらほとんど死んだ。白状しても殺した。日本の兵隊は精神が悪いから今でもあっちこっちから憎まれている。白状のさせ方はほとんど水責めで、叩いたりするのはまだいいほうで、刀の斬り試しといって、捕虜の首を斬ったという話も聞いた。
食事は現地調達で、徴発した野菜などを食べていました。満州には日本人がたくさんいて牡丹江、ハルピン、東寧、鞍山、同江市辺りはほとんど日本人です。満州は石炭が採れるし、あれこれ仕事がいっぱいあって、ハルピンには日本人が多くいて、満鉄の職員や石会社の職員が結構いました。沖縄からも行っていました。……
贅沢してお金が足りない兵隊もいたはずです。満州には本土から慰問団がきて歌ったり、踊ったりしていました。それから、現地の言葉では女郎はピーヤーというんですが、朝鮮人も日本人も満州の人もいて、そこに行って遊んでいる兵隊もいました。あっちこっちに女郎屋を商売にしている日本人がきていました。これは慰問とは違います。儲かるための商売で、慰安婦と同じではないですかね。ブローカーみたいな人が女の人たちを連れてきて商売していたので、兵隊が遊んで淋病に罹ったら、麻酔もしないですぐ手術をするから、大騒ぎしていました。
ムーリンで満期除隊して日本に帰ってきました。引き揚げるときは昭和一五年二月になっていました。……



もどる

Back