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    かけはし2020年6月8日号

世界の民衆と共に変革の道切り開け


日本共産党の改定綱領が開いた
「新たな視野」とはどういうものか
(下)

樋口芳広(日本共産党員)

3、社会主義への流れから「アジア・中東・アフリカ・
 ラテンアメリカの広範な国ぐにの人民の運動」を削除

 改定綱領が開いたとされる「新たな視野」の第二は、資本主義と社会主義との比較論から解放され、本来の社会主義の魅力を示すことが可能になった、ということである。二〇〇四年綱領が、中国について「社会主義をめざす」国と規定し、一九一七年のロシア革命以降の世界について「二つの体制の共存」と把握する下では、現存する「社会主義をめざす」国が、資本主義国との対比において、「人民が主人公」という精神、人民の生活の向上、人権と自由の拡大、覇権主義を許さない国際秩序、核兵器廃絶や地球温暖化の解決などについて先駆性を発揮することを期待する、ということにならざるを得なかった(二〇一四年の第二六回党大会決議)。
 ところが、二〇二〇年になって、志位はついに以下のように述べるに至ったのである。

 「中国についていえば、ここであげたどの問題でも何らの先駆性も示されたとは言えませんでした。むしろ深刻なゆがみや逆行が進んだのであります。こうしたもとで資本主義と社会主義の比較論が残されていますと、「中国に比べれば、欧米諸国がまし」というように、資本主義の矛盾が見えづらくなる結果にもなりました。また社会主義の本当の魅力も見えづらくなるという問題がありました」(志位結語)。

 そもそも、二〇〇四年綱領について筆者は、先述した通り、本紙(二〇〇三年八月二五日号)に掲載された論稿において、「不破の楽観論によれば、まさに中国のような国の存在こそが社会主義革命の現実性を保障しているのだということになる。しかし、中国社会の現実は、搾取と抑圧に苦しむ世界中の人々の心に、資本主義を乗り越えた新しい社会がありうるのだという希望をかすかにでも与えているだろうか?」と強い疑問を呈したのであった。志位のいう第二の「新たな視野」なるものは、この問題に対して明確な決着をつけたものにほかならない。
改定綱領が開いたとされる「新たな視野」の第三は、「発達した資本主義国での社会変革は、社会主義・共産主義への大道」という命題を堂々と押し出せるようになったこと、とされる。これは「社会主義革命の世界的展望にかかわるマルクス、エンゲルスの立場」であることが強調されている。ここだけを捉えれば、スターリン的な一国社会主義論を清算するものとも期待できそうであるが、綱領が実際にどのように改定されたかを見れば、必ずしも歓迎できるものではない。
今回の綱領改定では、綱領全体の最終節である第一八節の冒頭にあった以下の文章が削除されてしまったのである。

 「社会主義・共産主義への前進の方向を探究することは、日本だけの問題ではない。
二一世紀の世界は、発達した資本主義諸国での経済的・政治的矛盾と人民の運動のなかからも、資本主義から離脱した国ぐにでの社会主義への独自の道を探究する努力のなかからも、政治的独立をかちとりながら資本主義の枠内では経済的発展の前途を開きえないでいるアジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカの広範な国ぐにの人民の運動のなかからも、資本主義を乗り越えて新しい社会をめざす流れが成長し発展することを、大きな時代的特徴としている」。

 中国の「社会主義市場経済」を念頭に置いた「資本主義から離脱した国ぐにでの社会主義への独自の道を探究する努力」を削除することが必要としても、どうして「資本主義の枠内では経済的発展の前途を開きえないでいるアジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカの広範な国ぐにの人民の運動」まで削除してしまう必要があるのか。理解に苦しむ。
この文章の代わりに挿入されたのは、以下のような文章である。

 「これまでの世界では、資本主義時代の高度な経済的・社会的な達成を踏まえて、社会主義的変革に本格的に取り組んだ経験はなかった。発達した資本主義の国での社会主義・共産主義への前進をめざす取り組みは、二一世紀の新しい世界史的な課題である。
発達した資本主義国での社会主義的変革は、特別の困難性をもつとともに、豊かで壮大な可能性をもった事業である。この変革は、生産手段の社会化を土台に、資本主義のもとでつくりだされた高度な生産力、経済を社会的に規制・管理するしくみ、国民の生活と権利を守るルール、自由と民主主義の諸制度と国民のたたかいの歴史的経験、人間の豊かな個性などの成果を、継承し発展させることによって、実現される。発達した資本主義国での社会変革は、社会主義・共産主義への大道である。日本共産党が果たすべき役割は、世界的にもきわめて大きい」。

 この文章の内容自体は、取り立てて異論を唱えなければならないようなものではない。しかし、削除されてしまった文章の代わりに……となると問題である。 「アジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカの広範な国ぐにの人民の運動」に社会主義に向かう力を見出すことをやめ、「発達した資本主義国」における自らの活動にばかり視野が限定されてしまった、と受け取れてしまうからである。日本共産党は、自らを、崩壊してしまったソ連のみならず現在の中国とも明確に切り離して「マルクス、エンゲルスの本来の立場」と直結させようとするばかりに、「アジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカの広範な国ぐにの人民の運動」の存在意義を著しく軽視してしまう結果に陥ったのである。

おわりに――「資本主義の枠内での民主的改革」論の放棄を


以上、日本共産党の改定綱領について検討してきた。結論的にいえば、改定綱領は、中国に対する規定を削除することによって「新しい視野」を開いたどころか、独占資本主義・帝国主義による搾取と抑圧に対する世界の人民の闘いをまともに捉えられなくなっており、むしろ視野が狭まったというべきものであった。日本共産党は、自らを、崩壊してしまったソ連に加えて、現在の中国とも明確に切り離そうとするばかりに、人民の闘いの歴史――そこには当然のことながら、現在の中国共産党の独裁体制に対する中国人民の闘いも含まれる――を無視あるいは著しく軽視してしまうことになったのである。
とはいえ、改定綱領は必ずしも否定すべきことばかりではない。志位は、三月一四日の講義において、第二の「新しい視野」に関わって「世界資本主義の矛盾を、あれこれの体制との比較を考慮することなしに、正面からとらえることができるようになり、その害悪がよりすっきりと見えるようになりました。そして、資本主義を乗り越える社会として、社会主義の展望、魅力が大いに語りやすくなった」という。これは確かにその通りであろうし、歓迎すべき変化である。科学的社会主義の原点は、現実の資本主義の矛盾をどう解決するか、というところにある。社会主義の理念は、決して「社会主義をめざす」国なるものによって体現されていたのではなく、現代の資本主義がもたらす様々な弊害との対決を通じて、つくりあげられていくものなのである。
改定綱領は、「貧富の格差の世界的規模での空前の拡大」と「地球的規模でさまざまな災厄をもたらしつつある気候変動」の二つを資本主義が世界にもたらしている矛盾の焦点として特記した。志位は講義の中で、アメリカの若者の間に社会主義への支持が大きく広がっていることにも触れながら、「世界的な規模の貧富の格差の拡大のもと、さまざまな形で『資本主義の限界』が語られ、資本主義を乗り越えた社会への模索、社会主義への希望が広がっていることは、きわめて重要」とした。また、志位は、大会での綱領報告の中で、「いま注目すべきは、こうした(気候変動抑止の)運動にとりくんでいる人々のなかから、『いまのシステムで解決策がないならば、システムそのものを変えるべきだ』という主張が起こっていることであります」とも語った。これらは、現実の資本主義の矛盾を解決しようと取り組む人々との共同作業で、社会主義のあり方を模索していこうという姿勢を示したもの、と評価してよいかもしれない。
さらに注目すべきは、志位講義が、民主主義革命から社会主義的変革への「国民多数の意思にもとづく段階的発展」という綱領の展望に関連して、次のよう述べていることである。

 「『国民多数の意思にもとづく段階的発展』とは、現在ただいま、日本社会が直面している矛盾は『二つの異常』〔異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配と国民との矛盾――引用者〕であって、この矛盾を解決したら、資本主義そのものの矛盾が次に直面する矛盾となる、つまり“矛盾が段階的に出てくる”ということではありません。矛盾の解決の仕方が段階的だということを言っているものです。
矛盾という点では、日本社会は、いわば『二重の矛盾』に直面しています。第一は、私たちが『二つの異常』と呼んでいる日本社会に特有の矛盾です。第二は、その矛盾の土台にある資本主義そのものがもつ『利潤第一主義』の矛盾です。この『二重の矛盾』に日本社会は直面しています。
そして現実には、第一の矛盾だけでなくて、第二の矛盾もさまざまな形で噴き出しています。格差の拡大、気候変動が深刻になるなかで、『資本主義の限界』が語られ、『前例のないシステム移行』の必要性が語られ、社会主義への新たな期待が広がり、マルクスに広く注目が寄せられる状況があります。
私は、まさに今日の時代は、“社会主義の新たな出番”とも言える歴史的情勢にある。このことを強調したいと思います。そういう情勢のもとにあって、直面する課題の解決のために力をつくしながら、未来社会――社会主義・共産主義の展望、希望を大いに語ろうではありませんか。」

 ここでは、日本社会に特有の矛盾と資本主義そのものの矛盾が同時に立体的に存在していることが強調され、前者の矛盾を解決するための取り組みのみならず、後者の矛盾の解決に向けた展望を語る必要性があると力説されている。これは、従来の「資本主義の枠内での民主的改革」論の放棄へあと一歩のところまで迫ったものといえよう。
筆者は、本紙二〇〇九年一月一二日号に掲載された論稿「『資本主義の限界』への言及と『枠内改革論』がもたらす制約」において、次のように述べた(この論稿は『蟹工船』ブーム、リーマン・ショックなど資本主義の限界が指摘される社会的雰囲気の中で、日本共産党が社会主義について積極的に語るようになったという変化について論じたものであった)。

 「日本共産党が、『資本主義の限界』について語り、社会主義の目標について積極的に語るようになったことは、それ自体、大いに歓迎すべき変化である。このことは同時に、『資本主義の枠内での民主的改革』と社会主義的変革との関連はどうなっているのか、という問いを提起するものでもある。
もちろん、ただちに、綱領路線そのものの見直しにつながるとは考えにくい。しかし、綱領路線をどのように表現するかというレベルにおいては、『資本主義の枠内での民主的改革』と社会主義的変革との間の断絶性よりも連続性のほうが強調されるようになるという変化が進行していかざるをえないであろう。日本共産党にとっては、そのような変化をつうじて、社会主義の目標と現実の資本主義経済が生み出す諸々の弊害への取り組みとの間に生き生きとした連関を再構築していくことが、大きな課題として提起されているといえよう」。

 この論稿の後、民主党政権の成立に対応した「建設的野党」路線(二〇〇九年〜)、民主党政権の崩壊と安倍政権成立に対応した「自共対決」路線(二〇一二年〜)の頃は、「「資本主義の枠内での民主的改革」と社会主義的変革との間の断絶性よりも連続性のほうが強調されるようになるという変化」が、それなりに着実に進行していた。しかし、安倍政権の安保法制強行に始まる「野党共闘」路線(二〇一五年〜)の中で、日本共産党は社会主義・共産主義の展望を正面から語らなくなり、こうした流れは一時的にストップしてしまった(二〇一〇年の第二五回大会決議、二〇一四年の第二六回大会決議と、二〇一七年の第二七回大会決議を比較すると、その差は歴然である)。
今回の綱領改定は、「野党共闘」路線の下で一時的にストップしていたこの流れを、ようやくにして再開させたものといえよう。その背景には、二〇一〇年代後半の欧米諸国(「発達した資本主義国」!)における反緊縮左派の台頭の影響を受け止めたことがあるといえるかもしれない。
大きな問題は、繰り返し指摘しているように、日本共産党が自らを崩壊してしまったソ連や現在の中国と明確に切り離そうとするあまり、社会主義へ向かう力が「発達した資本主義国」の中の動きに限定して捉えられるようになってしまったことである。しかし、現在の資本主義がもたらす様々な弊害に対する闘いは、何も「発達した資本主義国」に限定されているわけではなく、「資本主義の枠内では経済的発展の前途を開きえないでいるアジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカの広範な国ぐにの人民の運動」も大きな意義をもっている。そして何よりも重要なのは、独占資本主義、帝国主義による搾取と抑圧に抗した世界の人民の闘いこそが、二〇世紀から二一世紀へ、歴史を一貫して動かしてきた根本的な力であったということなのである。日本共産党は、自らの活動を、こうした世界の人民の闘いの大きな歴史の流れの中に位置付けて捉えるという広い視野を持つべきである。
資本主義の危機が進行する中で、「資本主義の枠内での民主的改革」論の根拠は、日本は「発達した資本主義国」でありながら「二つの異常」という特殊性を持つ、というところにしか求められなくなってきている。日本共産党が、「発達した資本主義国」における自らの活動に視野を限定するのではなく、独占資本主義や帝国主義に抗する世界の人民の闘いの流れの中に明確に自らを位置づけるという広い視野を持つならば、この「資本主義の枠内での民主的改革」論は早晩放棄されざるを得ないであろう。




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