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    かけはし2020年6月8日号

われわれは息ができない!


米国

レイシズム的社会的排除と抑圧のシステムこそが問題の根源だ

2020年5月31日 ソリダリティ全国委員会

ウイルスは警察の暴力止めず

 五月二五日、丸腰の黒人ジョージ・フロイドが、ミネアポリスの白人警官によって残虐にも殺害された。そして、地方検事や連邦検事は、その行動がビデオに撮影されていたのに、警官の即時逮捕をためらった。このあとに起こったミネアポリスおよびホワイトハウス前を含む他の都市における暴動やデモは、最近起こった広く知られている人種差別主義者によるいくつかの暴力事件に引き続くものである。
 五月三〇日までに、デモは多くの都市に拡大し、抗議行動には多くの人種を含む参加者があった。その多くは若者であり、マスクを着用し、街頭デモのときにはソーシャルディスタンスを取っているように見えた。参加者の中には、地方組織や全国組織によって動員されたように思える人々もいたし、殺害のビデオ動画やその後の抗議行動の動画を見て参加してきた人々もいた。
 フロイドの殺害は、一連の警官による黒人男性殺害のもっとも最近のものだが、それは二〇一四年のミズーリ州ファーガソンでのマイケル・ブラウン殺害にまでさかのぼることができるし、さらに一九九一年のロサンゼルス警察によるロドニー・キング殴打にまでさかのぼることもできる。しかし、今回はそのような警察の暴力が映像に収められた最初のものの一つである。
 新型コロナウイルスによる感染者や死亡者の恐るべき統計上の数字が過去数週間、数カ月で明らかになってくると、有色人種の人々が医療危機の主な犠牲者となっていることがはっきりしてきた。ジョージ・フロイドの殺害は、警察による蛮行がパンデミックによっては隔離されていなかったことをわれわれに思い出させるものだ。

「黒人のくせにジョギングしている」「黒人のくせにバードウォッチングしている」

 二月には、黒人青年アフマド・アーベリーが、ジョージア州ブランズウィック近郊の自宅近くをジョギングしていると、元警官を含む三人の白人自警団員が彼を呼び止め、彼らの主張によれば、「市民逮捕権」を行使しようとした。一人がショットガンで彼を三発撃ち、もう一人は拳銃を抜いて横に立っていた。三人目の白人市民参加者がその様子を撮影したビデオ映像が公開されてはじめて、ジョージア捜査当局が動き出し、最初に二人を、次に三人目の自警団員を逮捕したのだった。
地域の白人男性ネットワークが数週間にわたって自警団員を告発させなかったのだが、そのことがわれわれに思い起こさせるのは、一九六四年の「フリーダム・サマー」の間にミシシッピ州で地域自警団と警官によって公民権活動家のチェイニー、グッドマン、シュワーナーが殺害された事件である(訳注一)。
ジョージ・フロイドが殺害されるわずか数週間前、ニューヨークのセントラル・パークで、公園の規則に従って犬をリードでつなぐように黒人のバードウォッチャーが要請したことに対して、白人女性が警官を呼ぶと脅し、警官に電話で自分の命が「アフリカ系アメリカ人によって脅かされている」と伝えたビデオ映像が明らかとなった。
その女性と犠牲者になるところだった黒人男性は、姓が同じだった(訳注:クーパー)以上のものを共有していた。つまり、彼女がそのような告発をした事件では、誰のことばが警官や検事、主流派報道機関によって受け入れられるかを二人とも理解していたのである。寒気がするように皮肉なことなのだが、その事件は、一九八九年に「セントラル・パーク・ファイブ」と言われる五人の黒人男性らが、投資銀行員の白人女性をレイプ・殴打したというえん罪で訴追されて有罪判決を受け、服役した事件とまさに同じ公園で起きたのだ(訳注二)。
アメリカ社会における人種・ジェンダーの醜い現実を、特権を持つ白人が恥知らずにも利用することは、それ自体があくどい行為であり、ミネアポリスで噴出した憤激の感情を強くしただけだった。ほぼ同じときに、ケンタッキー州ルイスビルで黒人医療労働者のブレオナ・テイラーが、間違った住所で捜査令状を執行しようとした警官によって、彼女のベッドで撃たれて死亡した。アーベリーとフロイドの殺害や最近のセントラル・パークでの事件は、もし動画が撮影されていなかったなら、広範な大衆的関心をもたらさなかったかもしれない。
録音されたジョージ・フロイドの「ぼくは息ができない」という嘆願は、二〇一四年におけるニューヨーク市警の警官によるエリック・ガーナー殺害を痛いほど思い起こさせるものだ。警官も参加した自警団によるリンチ、攻撃されるというほんのささいな妄想(それには黒人がそこにいるということも含まれる)のために白人の特権を利用して黒人に対してすぐに警察を呼ぶという行為、警官による数え切れないほどの非武装黒人の殺害は、黒人がアメリカではこんな風に扱われるという例である。
このことを助長する政治的雰囲気は、アメリカでもっとも人種差別主義的で反動的な勢力と公然といちゃついている大統領によって煽り立てられている。それはわれわれを支配する政党のうちの一つ(訳注:共和党)の暗黙の共犯およびもう一つの政党(訳注:民主党)の空虚な反対と無力さの中でおこなわれているのだ。

今まさに火はやってきている


アフリカ系アメリカ人に対する続発する暴力によって、数年おきに、悲しみや怒りの噴出が爆発し、街への放火や商店の略奪をともなう暴動として表現されるところにまで達する。マーチン・ルーサー・キング牧師が一九六八年に暗殺された後のロサンゼルス・ワット地区の反乱や一九九一年にロドニー・キングを殴打した警官に無罪判決が出された後のロサンゼルスがそうであった。
ミネアポリス警察署が燃やされたことやその周辺道路を抗議行動参加者に一時的に明け渡したことは、かなりのシンボリックな重要性を持っている。黒人地区の警察署は、警察が公共安全の源ではなくむしろ占領軍であることを常に思い起こさせるものであるからだ。抗議行動参加者たちが踊っていたのは、彼らを抑圧するものの物理的シンボルであるミネアポリス警察第三分署のすぐ近くだったのだ。数時間の間、街路はそこに住む民衆のものとなった。
われわれは、暴動によって起こった損害が黒人コミュニティそれ自身をいかに傷つけるかを嘆き悲しむ、いつものようなリベラル・保守双方の代弁者からのもっともらしい物言いの大合唱を予想することができる。これもまた一つのもみ消し行為である。都市暴動は結果であって、人種的に隔離されたアメリカの都市において、黒人や他の有色人種の人々が直面している悲惨な生活状況の原因ではないからである。
人種差別主義的資本主義による数十年間におよぶレッド・ライニング(訳注三)、資本逃避、人種的居住地分離などのために、多くの黒人地域は失業者センターの状態にとめおかれ、そこには絶望・暴力があふれ、役所からは放置されてきた。その一方で、白人居住地域は民間資本の投下や公的支出のおかげで繁栄してきた。より富裕な白人地域は、十分に予算が投入された学校や地域の安全を享受してきたのである。
第三分署の燃えかすがくすぶっている一方で、もはや息をすることができないコミュニティの怒りもまたくすぶっている。反乱は社会的・人種的公正という酸素を求める叫びである。アフリカ系アメリカ人が過去四百年の間に経験させられた搾取・抑圧・州や自警団による暴力の根源は深く、広いものなので、その解決策もまた膨大なものになる。
それは、州に警察がおこなっている暴力の責任をとらせ、われわれを支配する政治家によって勇気付けられている自警団員を訴追させることからはじまる。しかしながら、黒人に対する抑圧という広範な問題にとりくむには、根本的な構造変革が必要となるだろう。たとえば、それは人種差別主義的な刑法・刑務所システムの解体、そして奴隷制という犯罪に対するさまざまな形態の賠償(進歩的サークルの中で議論されてきた)を含む富の再分配である。
一九六三年に黒人小説家のジェームズ・ボールドウィンは、人種的抑圧に関する彼の論評集に『次は火だ』というタイトルをつけた。火はやってきている。アメリカ社会の再構築だけがそれが生み出した抵抗の炎を鎮めるのである。(『ソリダリティ』五月三一日)

▼ソリダリティはアメリカ合衆国における第四インターナショナル支持組織の一つ。(「インターナショナル・ビューポイント」2020年6月号)
(訳注一:一九六四年夏、ミシシッピ州に人種を超えた学生たちが集結し、それまで選挙での投票権を行使できなかった黒人の有権者登録を促進する運動=「フリーダム・サマー」を展開した。この中で、学生ら六人が殺されたが、特にネショーバ郡で三人が殺害された事件は、映画『ミシシッピ・バーニング』のモデルとなった。)
(訳注二:この事件では、一四〜一六歳のアフリカ系アメリカ人四人、ヒスパニック系一人の計五人が容疑者として逮捕され、長時間による取り調べで虚偽自白を強いられ、六〜一三年の刑を執行された。その後、真犯人の自白とDNA検査によって、二〇一二年になって有罪判決が取り消された。)
(訳注三:レッドライニングとは、アメリカの金融機関が低所得の黒人が居住する地域を、融資リスクが高いとして赤線で囲み、融資対象から除外するなどして差別してきたことを指す)

米国

反レイシズム抗議参加者への警察の暴力を止めろ!

2020年6月5日 ソリダリティ全国委員会


過去500年
の暴力の延長

 ジョージ・フロイドへの警察によるリンチが火を着けた警察の暴力に反対する抗議行動は今第二週に入り、国中の大小の都市で、ほとんどは若者の、しばしば多人種の参加者からなる、何十万人という人びとを巻き込んだ。
これらの圧倒的に平和的なデモの多くは、大量逮捕と警察の弾圧で迎えられた。知事たちは州兵に助けを求め、一方ドナルド・トランプは躊躇する知事を「弱腰」としかりつけ、軍隊を送ると脅した。
この暴力は、ジョージ・フロイドの命を奪った警察の暴力、またより一般化すればこの大陸で過去五〇〇年に渡って黒人と他の非白人民衆に加えられた国家的暴力、というそれらの延長上にある。
平和的な抗議に対する弾圧はまた、われわれの集会の自由に対する重大な攻撃でもある。ホワイトハウスからの鼓舞に基づいたこの抗議を報じるジャーナリストの逮捕、また抗議が起きている地域でインターネットアクセスが今断ち切られているとの報告は、自由な発言を敵視する不穏な脅威だ。
抗議参加者たちは、非白人コミュニティに特別な毒性をもって猛威をふるい続けているパンデミックの中では、レイシストの暴力に抗議する必要と社会的距離を取る必要を対置して熟考しなければならなかった。そのリスクにもかかわらず何百万人もが抗議に立ち上がることを決断したということは、黒人コミュニティの中で感じられている苦痛と怒りがどれほど広く深いか、を示す強力な証拠だ。
これらの抗議の全国的広がりの、またしばしば多人種的な特徴は、反レイシズム感情では、警察のレイシスト的暴力に反対する以前の高揚では見られたことのない広がりと深さを示している。それは、前例のない広さをもつ大衆的反レイシズム運動の出現に対する潜在的可能性を示している。前途に控える日々、反レイシズム活動家は、警察の暴力とそれらを可能にしている社会的諸構造の間にある結びつきについて、また大衆的反レイシズム運動を出現させるために進む道について、議論と論争を交わし、熟考をめぐらす好機を得ることになるだろう。

系統的なレイ
シストの暴力


抗議参加者と警察の衝突では、ヘリコプター、高度化された軍事装備、さらに戦車さえもが使われてきたが、それは何年もの間黒人民衆を恐れさせてきた。この高価なハードウェアは、レイシズム的な「麻薬との戦争」の一部として導入されてきた。そしてそのレイシズム的性格は、世界で投獄されている人々の二五%が米国内にいて、そこでは非暴力の違反で有罪宣告されたアフリカ系米国人が投獄者の中では特大化された比率になっている、というほどのものなのだ。
街頭に表現された鬱積した怒りは、米資本主義に刻印された抑圧的な構造的レイシズムを映し出している。非白人コミュニティに対するこの地特有の抑圧には、非白人民衆に特に厳しく打撃を与えた数十年にわたる新自由主義の社会政策によりすべてが悪化させられた、レイシズム的住宅政策、資本家と国家の搾取という織り合わされた諸構造が伴われている。極度に資金を奪われた学校と大量失業は、労働者としての、また非白人民衆としての黒人を抑圧するレイシズム的暴力システムの重要部分だ。黒人にとって「学校から刑務所へのパイプライン」という理解は、資金のない学校、警察の抑圧、そして大量投獄、というこれらの間にある結びつきをとらえるものであり、警察から資金を引きあげろという叫びにつながりを付けている。

レイシズムノー
国際的運動へと


フロイドの殺害に反対する、また米国内の反レイシズム闘争に連帯するデモは、世界中で、しばしば米国のデモで見られたと同じスローガンを使って起きている。抗議参加者はオーストラリアのシドニーで「息ができない」と唱和した。そして「ブラック・ライヴズ・マター」の横断幕が、いくつかの欧州のデモにも現れた。抗議参加者は米国内のレイシストの暴力に彼らの国内における警察の暴力を結びつけた。米国中で警察のレイシスト的暴力に反対して数百万人が行進する中、フランスのパリでは六月二日、二万人の民衆が、アフリカからの移民の息子であるアダマ・トラオレの警察による殺害に抗議するために政府の外出禁止令を無視した。アダマ・トラオレは二〇一六年、二四歳の誕生日に、ジョージ・フロイドが殺害されたと寒気を覚えるほど似た条件の下に、警察によって殺されたのだ。
いくつかのフランスの都市で行われたデモは主に、労働者階級と非白人コミュニティ出身の若い女性によって先導された。彼女たちは、都市中心部から遠く離れたところに設置された隔離された住宅計画の中で、日常的な警察の暴力にさらされているのだ。これらのデモはまた、何世紀もの間資本主義の重要な部分となってきた植民地主義や帝国主義や抑圧からなる諸進展をも映し出している。サハラ砂漠南北アフリカの元フランス植民地からの移民とその子どもたちは、米国内の黒人と同じ抑圧の多くを味わっている。それは、日常的な警察の残忍さ、二流品化された公立学校、白人内部よりもはるかに高い失業率に反映された労働力市場における差別などだ。社会的排除というアパルトヘイトに似た政策と新自由主義的資本主義は、米国の「ゲットー」からそのフランス版同類まで、またブラジルの「ファベーラ」まで、悲惨に満ちた貧困化された都市と郊外のセンターをつくり出してきた。そしてそこでは、通常は非白人の何百万人という貧しい人々が、貧困と暴力の生活を耐え忍んでいる。
警察のレイシスト的暴力に反対する闘いが、警察の暴力、催涙ガスやペッパースプレイや大量逮捕、から解放されて抗議する権利を守ることで始まっている。
レイシスト警官全員の逮捕と訴追を!
あらゆるところで、平和的な反レイシズム抗議行動参加者敵視の警察の弾圧を止めよ!
抗議参加者全員を即時釈放し、起訴を取り下げよ!
あらゆるところの反レイシズム抗議との連帯!
(「インターナショナル・ビューポイント」2020年6月号)



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