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    かけはし2020年8月10日号

沖縄から日本の侵略責任を問う


読書案内

「県内市町村史に掲載された中国での戦争体験記を読む」 (上)

中国・アジアで
の戦争と沖縄


「南京・沖縄を結ぶ会」の沖本裕司さんが「県内市町村史に掲載された中国での戦争体験記を読む〜沖縄出身兵100人の証言」と題する分厚い冊子を出版した。A4判で二六〇ページに達する。「琉球新報」6月22日付は「中国での戦争1冊に」というタイトルで、この記録集の刊行を写真入りで報じている。
本紙読者なら、「かけはし」に毎号掲載されているK・Sさんの「沖縄報告」にこの間「県内市町村の中国での戦争体験記を読む」というコラムがついていることにお気づきだろう。
同コラムは、まさにパンフレット制作と一体となった作業であった。この読み応えのある出版物の企画・刊行は昨年一〇月に沖縄を訪問した南京の戴国偉(タイ・グオウェイ)さん(元南京国際交流公司の日本担当)との交流の成果でもある。本来ならば今年三月にも、沖縄県内外から二〇人程度の「南京訪問団」を結成し沖縄と南京をつなぐツアーを行う予定だった。
しかしコロナ・パンデミックのためにその企画は中止となった。そこで沖本さんは、空いた時間をこのパンフレット作製に集中したのだという。

天皇制権力と
沖縄の経験


「南京虐殺と中国侵略を日本の対外膨張の歴史の中で改めてとらえてみることにした」「さらに、沖縄がどういう形で、日本軍の中国侵略、南京大虐殺にかかわっていたのかという関心を持って、各市町村史に掲載された戦争体験記録に目を通すと、沖縄県民の中国での戦争体験が実に多く記録されていた」「そこで各市町村史に掲載された県民の中国での戦争体験記録を一つにまとめて読みやすくする便宜を図ると共に、日本の対外侵略の歴史の中に日中戦争を位置づけコメントを加えて編集したものが今回出来上がったこの冊子である」と、沖本さんは述べている。
それは日本の対中国侵略戦争に、沖縄がどう関わったのかを知る材料ともなるだろう。
「1931年から1937年までの七年間と1942年から1945年の終戦までの四年間を合わせれば、日中戦争の十五年に動員された県民はおそらく数万人に達するであろう」と沖本さんは計算している。
差別・抑圧され、貧困の中で生きて来た沖縄の人びとが、帝国日本の兵士として侵略戦争に参加し、戦死者は村を挙げた葬式で「名誉ある死」としてほめたたえられ、「靖国の英霊」となっていくプロセスは、日本の他の府県と同様だった。
同時に沖縄の歴史的・地政学的固有性があることも確かだ。沖本さんは、その歴史的過程を秀吉の朝鮮侵略と一体となった薩摩の琉球侵略、そして明治政府による朝鮮・江華島事件と琉球王朝の廃止・日本併合を重ね合わせながら論じている。
「天皇制明治政府が琉球併合ののち最も力を注いだのは皇民化教育による県民の統合であった、1879年の併合により琉球は強制的に沖縄県とされ県民は日本国民とされたが、意識において県民は日本国民ではなかった」。
そのことは明治末から大正初期においても「徴兵忌避者」が相当の数に達していたことからもうかがえる。海外への「移民」もそうした「徴兵のがれ」の合法的道筋だった。記録によれば、沖縄での徴兵忌避者は1920年代〜30年代になっても、なおかなりの数に上ったとされる。しかし1930年代は、明らかに転換点を画した。
社会全体を覆った軍国主義の風潮の中で少しでも疑問を持って表に表わすと、「国賊」「非国民」という非難が待っていた。満州事変の発端となり、その後の「一五年戦争」に連動する柳条湖事件のあった1931年には、沖縄でも、沖縄教育労働者組合の結成と指導者の逮捕があり、安里成忠と真栄田一郎が官憲の拷問により殺された。
「その結果、表立って軍国主義に反対する意思を表明することがはばかられることになっただけでなく、進んで軍隊に入る社会の空気がつくられた。『甲種合格は最上の夢、親戚一族の誇り』というような証言が当時の沖縄の状況をよく示している。沖縄戦の学徒隊にも共通するものがあろう」。
ただ同時に、兵役「甲種合格」を「嬉しくはない」という証言も見られるが、それが沖縄に固有の傾向であったとは言えないだろう。また「兵役」ではないが当時の「満蒙開拓青少年義勇隊」に沖縄から志願する者もいたという。ここでは、沖縄で芋と野菜汁だけの食事だったものが、米と麦をまぜた食事が取れるようになり身長も体重も増えたという少年の証言もあり、当時の沖縄の貧困が浮き彫りになっている。
沖縄出身の兵士たちの証言で特徴的なのは沖縄への偏見と結びついた差別だった。とりわけ言語(ウチナーグチ)が格好の口実とされた。そしてこの沖縄への偏見と差別がまた、中国侵略戦争への県民の同意を拡げていくための一要素だったことは間違いない。

沖縄出身兵の
南京攻撃動員


日中戦争が全面戦争化した1937年以後、沖縄出身の兵士たちの中国侵略戦争への動員が本格化した。熊本の第6師団は、沖縄出身の兵士たちも多く抱えていた(沖縄には師団司令部は置かれておらず、沖縄出身の兵士たちが配属されるのは熊本、宮崎、鹿児島などに置かれた連隊本部。したがって沖縄から徴兵された青年たちは、いったん九州各県の連隊本部に赴き、そこから中国大陸などの任地に派遣される)。
熊本の第6師団は南京攻撃の主力軍の一つだった。「捕虜にした支那兵に荷物を持たしている時もあったが、彼らには残飯の食事しか与えないので行軍途中、倒れるのが多かった。彼らは最後に、日本軍の銃剣で殺された。軍の機密がもれるのを恐れてのことだった」という沖縄出身兵士の証言もある。
沖本さん作成の「中国での戦争体験記」では「南京攻撃に参加した県出身兵士」、などの項目で大きなスペースをとってこの体験を詳述している。
沖本さんは同時に「県民の中国での戦争体験記録の中に、日本軍慰安所や強姦に関する記述を見るのは、まれだ。実際に見なかったのか、書くのをためらったのか」と疑問を投げかけている。それは決してないがしろにすべきではないテーマだろう。
なおこの南京大虐殺において重大な犯罪的役割を果たした部隊である第6師団歩兵第36旅団長は、後の沖縄戦の総司令官で、自殺した牛島満だったことも記憶にとどめておくべきである。中国への侵略戦争とアジア太平洋戦争、そして沖縄戦の一つながりの関連はこうしたことからも捉えることができる(藤原彰『南京の日本軍―南京大虐殺とその背景』大月書店)。
沖縄戦を考えるとき、それを天皇制の下で「近代国家」への道を歩み、アジア諸国を支配・侵略する道に踏み込んだ植民地帝国主義・日本と、その中での沖縄の位置から、あらためて立体的に理解する必要がある。
沖本さんは、戦後の天皇が果たした役割を厳しく批判している。「琉球諸島の軍事占領の継続は、米国に役立ち、また日本に保護を与えることになる。沖縄にたいする米国の軍事占領は、日本の主権を残したままでの長期租借―25年ないし50年あるいはそれ以上―の擬制にもとづくべきである。このような占領方法は、米国が琉球諸島に対して永続的野望を持たないことを日本国民に納得させ、また、これによる他の諸国、とくにソ連と中国が同様の権利を要求するのを阻止するだろう」―この自己保身のみに貫かれた天皇メッセージこそ戦後の日本と沖縄の関連を明らかにするものだった。
一九八七年「沖縄国体」での知花昌一さんの「日の丸焼き捨て」決起は、沖縄の歴史的経験に根差した天皇制批判の闘いとして、きわめて重要な闘いだった。それはアジアへの侵略責任・沖縄戦の責任と、沖縄を切り捨てて延命した「昭和天皇裕仁」の戦後責任をあらためて厳しく問うものだった。    (つづく)
(純)

投稿

化石燃料ゼロ時代 A

どうしましょう? 精子のなくなる日

たじまよしお


    (6)  

 精子の減少の問題は、研究者の間では議論されていますが、それを政治問題とする活動家の姿は私の狭い視野にはほとんど入ってきていません。地球温暖化とともに語られなくてはならないと思います。
なかなか問題にしづらい理由として、子宝に恵まれない人々への配慮があると思うのです。実は私もそれらの人々の心を傷つけるのではないかという恐れから、永く口を閉ざしてきました。しかし何年か前のテ
レビの深夜放送で、子宝に恵まれないご夫婦が食事などを工夫しながら夫の精子の数を増やすために努力している姿が放映され、そのご夫婦とテレビ番組の製作者の人間関係はどのようにして培われたのだろうかと、本当にびっくりしました。そして、このような人々の勇気を無駄にするようでは、この世の未来は成り立たないと、私も小さな勇気を!と思うようになりました。
今、男性ファッション誌「CQ JAPAN」の最新号を私は手にしています。新型コロナ問題を「一六一人とともに考えた」コロナ特集号となっています。二○一八年一一月二七日号は「止まらない精子の減少の行方─人類の終わりの始まり」となっています。この男性ファッション誌は九〇年も前の一九三一年にアメリカで創刊、一九カ国で発行されていて、日本では一九九三年に中央公論社から初創刊され、今私が手にしているのが二○一号です。「一六一人とともに考えた」その中には伊藤詩織・望月衣塑子さんらのお名前も見られます。

(7)      

 男性ファッション誌 CQ JAPANの一六一人のメンバーには香取慎吾 大坂なおみ 草間彌生 リリー・フランキー 三輪明宏 坂本龍一 ピコ太郎 窪塚洋介 小沢征悦、長洲力 浅田真央 浅田舞 子熊英二 太田光 田中裕二 他(敬称略)
太田光さんは「我々の仕事は世間の顔色を伺いながら、笑えない事を『笑いごと』に変えるだけ」。坂本龍一さんは「各国政府はお金を必要なだけ刷り、業者、個人を救済すれば良いのではないか」。望月衣塑子さんは「在宅時間ができた事で家庭内暴力が深刻化するのではないかと指摘されていますが、虐待されている子供はどうなっているのか、居場所がなくて街をさまよっている少年少女はどうしているのか、追い込まれている子たちはきっといるんだろうな」。草間彌生さんは「今こそ人間愛を思い知らせてやる」。伊藤詩織さんは「近所を走っていると、草木や花に目を向け携帯で撮影している方々の姿もよく見かけます。今まで目を向ける余裕や機会がなかったものに時間を費やすことができているのだと実感します」。大阪なおみさんのお姉さんが描いた絵が掲載されていますが、それをここで紹介できないのが残念です。

    (8)

 CQ JAPAN二○一八年一一月二十七日号に掲載されている次の文章は、ネットで検索しましたが署名がないのでわからないのですが多分リリー・フランキーさんのものだと思います。
この論文は、ヘブライ大とマウント・サイナイの疫学者や臨床医などからなるチームが既存の論文一八五本のデータにメタ分析を加えたもので、約四万三○○○人の男の精液を調べている。結果は、人類がすでに
繁殖不能への道を歩み出している可能性を示していた。精子数は一九七三年時点で精液一ミリリットルあたり九九○○万個だったが、二○一一年には四七○○万個に減っていた。しかも減少ペースは上がっていて、悪くすればあと四○年でゼロになるという。
あわてた筆者は、マウント・サイナイの疫学者シャナ・H・スワンに電話した。生殖医療のプロで、論文の共同執筆者の一人だ。やけに暗い話だけれど、人類が滅亡に向かっているというのは本当ですか?あいにく、スワン先生の返事は暗かった。
「私たちの研究が『何を意味するのか』という質問には答えられない」としつつも、彼女はこう断言した。「これからどうなるのか、人類はいつ絶滅危惧種になるのかといった質問になら答えられる。ええ、人類は間違いなく絶滅に向かっています」    (つづく)

アジアの仲間へのカンパ

第1次集約の報告

これからも支援連帯を

 欧州「国境を超える連帯」ESSFが呼びかけているアジアの仲間へのカンパは、七月末の第一次集約で七件、総額二三万余でした。ご協力ありがとうございました。今回集約したカンパは責任をもって早急にESSFに送金します。日本でもそうですが新型コロナウイルスのパンデミックは、まだまだ衰えることなく継続し拡大しています。アジアの仲間たちの困難な苦闘も続きます。
 私たち『かけはし』編集部としては、このカンパ要請をとりあえず今年の年末まで継続することとしました。第二次集約は九月末として、最終集約は一二月末としたいと思います。
 アジアの仲間たちの苦闘をわがものとして、圧倒的なカンパをよろしくお願いします。
(送り先)新時代社 郵便振替 00290―6―64430(アジアカンパと明記してください)
 八月三日 『かけはし』編集部



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