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    かけはし2020年8月10日号

警察廃止要求をどう考えるか


フランス

警察反対運動の大衆化

権力の根幹への疑問突きつけ

全体的政治構想提示が重要

ジュリアン・サリンゲ

 フランスの「主流メディア」は、これを正確には伝えてこなかったが、レイシズムと警察の暴力に反対する歴史的な決起のおかげで、一つの要求、すなわち警察の廃止という要求が大西洋を越えて進んできた。一般には刑務所の廃止をも主唱したいくつかの小グループの専売特許であったこのスローガンは今日、ますます幅広いサークルで議論され、今やある種全国的キャンペーン「♯8to―Abolition」の主題となっている。
 これは明らかに今も少数派だが、しかしそれは、二、三週前には誰もうすうすであれ気付くことができなかったと思われるような規模をもつことになった。そして公衆的論争に向けて、その急進主義にその単純さだけが見合うような一つの疑問を提起している。すなわち、われわれは警察を廃止すべきなのか、と。

権力縮小、武装解除、解散

 警察廃止のスローガンは米国で、実際に「権力縮小、武装解除、解散」という三つ揃いを軸に組み上げられている。それは、特に市民団体「警察なき世界」によって主唱された、一つの思慮に富んだ戦略であり、警察廃止要求とそれに反対して作られる可能性のある主な異議の中にある諸矛盾を考慮に入れる、行動と要求の一つの綱領だ(注一)。
警察の権力を縮小することは、新規警察署建設、新部隊創出、非常大権や警察の関与領域の拡張、新規募集運動、その他に反対することを意味する。「警察から資金を引きあげる」という「攻勢的な」スローガンは、警官組合のAFL―CIO労組連合からの排除という要求同様、デモの中でますます取り上げられている。そして後者の要求もまた、権力縮小の弾みに加わると思われる。
警察の武装解除は、具体的に、また権力縮小のスローガンと相関的に一体となり、警察の過剰装備問題、法執行の軍事化プロセス、さらにこれを超えて、諸々の社会関係が抱える暴力の拡大における警察の責任に取り組むことを意味している。それは、確立された秩序の保証者が巧妙に維持している伝説とは逆に、警察がもつ武器は社会的な諸関係を静めるために使用されてはいず、逆にもっと多くの暴力を生み出すことに力を貸している、という事実を指摘するものだ。
警察の解散は最終的に、それが「保護する」と主張している住民を抑圧していることを理由に、警察部隊の廃止を求めることを意味している。米国でそれは、権力縮小と武装解除をまず通過すると思われるプロセスの頂点としてではなく、先の二つのスローガンと接合されると理解されている主張だ。そしてそれは、論争を招く問題、つまり警察を取り除くとしてしかし君たちはその場に何を置くことになるのか、あるいは別の形として、警察には確かに問題があるが、しかしそれが除かれた場合もっと多くの問題が起きてくるのでは、などの問題に大胆に立ち向かう要求だ。

警察なしにことは済むか


これらの諸疑問、そしてそれらに対して行われた「古典的な」回答(すなわち、社会は警察なしには機能し得ない)は、諸々の心性に深く根を下ろした諸仮定で汚染されている。われわれはここで特に、エンゲルスが「国家およびそれに結びついたすべてのものに対する迷信的な崇敬」と呼んだものについて話している。それは「人々が子どもの時から、社会全体に共通なものごとと利害は、それらが過去に見守られてきたようなあり方の他では、つまり国家とその十分な報酬を受ける役人を通す以外では、見守られる可能性はない、と想像するのに馴染んでいる以上、より易々と根を下ろしている」(注二)。
六月一三日のデモを前にしたジャン・リュク・メランションの諸々の言明(「われわれには警察のない社会を夢見る権利がある。それは美しい夢だ。しかしそれは夢にすぎない。われわれは、思慮深く、組織された、共和国に従順な、またできる限り武器をもたない警察部隊を必要としている」)との類似性すべては、混じりけなく付合的だ……。
これらの仮定の一つは、警察は住民「保護」というそれらの使命で不可欠であり、紛争管理ではかけ替えのない要素、というものだ。それは、われわれが攻撃を受け、強奪に遭い、脅迫を受けたりするとき、われわれが向かう機関ではないのか? この事態はしかしながら、それが疑う余地がないように見えるとしても、時代を超えた社会的事実と考えられてはならない。
別の時代では、あるいは別の世界では、これらの機能は、住民から直接に発する、あるいは国家に従属しない他の組織によって行使される可能性を持っていた、また今もその可能性がある。この論評の制約上、われわれはこれらのさまざまな経験の詳細には入らず、以下の点を強調するだけにとどめたい。つまり、資本主義が形作っている社会におけるわれわれが知る限りの「警察」は、あらゆる構築物同様、破壊され得る社会的構築物、という点だ。
結局のところ重要なことは、与えられた社会あるいは共同体内部で現れる可能性のある問題含みの状況は、自決権を持つ、あるいは独自の機関の介入によってはじめて解決の可能性が生まれる、という考えをふりほどくことだ。これが、さまざまなイニシアチブ(紛争管理の訓練、暴力の犠牲者支援、居住地組織の設立、あるいは市民団体構築、その他)の中にある意義であり、それらはそうしたものとして、人々が警察に訴える「必要」なしにほとんどの問題を集団的に管理する可能性を得るための社会的紐帯を強化するという目標を遂行している。
ここでわれわれは明らかに、「自警団グループ」や他の民兵組織のことを話しているのではない。これらのグループは自らについて警察の支援者として考え、多くの場合もっと悪質な形で警察のふるまいを再生産している。われわれが話しているのはそうではなく、むしろ、実際に警察の介入の大部分を占めている中、低度紛争の解決がその目的である、自己組織化された諸グループのことだ。

戦略的展望としての理解が肝心


警察の廃止という問題、したがってそれらの不可欠な性格の問題、あるいはその不在という問題をもち出すことによって、こうしてわれわれは、その多重的属性に結びついている一定の混同類型と格闘している。
警察は、数多くの問題含みの状況において市民たちが向かうよう慣らされてきた、しかしまた社会的抗議を鎮圧するために国家が使用してもいる、その両者の機能を併せ持つ機関だ。しかしながら、警察が最大多数から見た時にその正統性を得ているのは、後者の機能からではなく、実際には前者からだ。その言われているところの「公共サービス」という役割の背後にある警察の原理的に抑圧的な役割を隠そうとして、現実の権力がつけ込んでいるものこそ、この混同類型なのだ。
これは、不公正な秩序の保証人である警察を、その秩序自身を解体することなしにわれわれが解体できる、ということを意味するだろうか? あるいはつまるところわれわれは、資本主義を取り除くことなしに警察をなくすことができるだろうか? 警察が資本主義の維持において一つの機能化された役割を果たしている以上、答えは明らかにノーだ。
警察廃止の要求が、今ここで満たされ得るスローガンとしてではなく、一つの指針として、一つの戦略的展望として理解されなければならない、というのはこの意味においてだ。二〇一六年、シカゴ・リーダー紙のジャーナリストであるマヤ・ドゥクサモヴァは、廃止主義のスローガンを実行に移そうと挑んだシカゴのグループについての調査を記事にした。その中で一人の証言者は次のように語った。つまり「私の考えでは、あなたはそれを、明日には実行可能なものというよりも、一つの目標や戦略として見なければならない。……私が廃止主義者の話をよく聞く時に分かるのは、刑務所や警察のない世界の建設は可能、ということなのだ」(注三)。
警察反対のキャンペーンやその介入を無用にする「対抗的制度」の確立は、以下のような大きな障害にぶつかっている。つまり、資本家支配のシステムにおける警察の中心的な役割がそれらに、特に深刻な暴力状況に直面している人々にとって今なお不可欠である地位を与えている、ということだ。
警察の「今ここでの」消失を主唱することは、この困難を無視することであり、それは、幻想、すなわちそれによれば国家廃絶の問題を提起することなく警察力に対する世界的なオルタナティブを建設できるという幻想、と闘う最悪の手段の一つだ。この意味で重要なことは、警察の力を低め彼らの暴力に反対して闘う即時的要求を、また警察は「必要な悪」ではないとはっきり示す可能性をもつ代わりになる実践を、さらに資本主義を打倒する全体的な政治的構想を、はっきり突き出すことだ。(フランスNPA機関紙「ランティカピタリスト」二〇二〇年六月二六日より)

▼筆者は、フランス反資本主義新党(NPA)、および第四インターナショナルのメンバーで、政治学研究者。

(注一)「警察なき世界」参照。
(注二)カール・マルクス、「フランスの内乱」への序文。
(注三)「シカゴ・リーダー」紙、二〇一六年八月二五日、「警察廃止? オルガナイザーは語る、それは響くほど常軌を逸してはいない」。(「インターナショナルビューポイント」二〇二〇年七月号) 

アフリカ

コロナ禍の現実

経済的・社会的危機一層進行

ポール・マーシャル


 新型コロナウイルスのパンデミックは、アフリカの経済・社会・食糧危機を悪化させている。この悪化によって、人々は大きな打撃を受けているが、その打撃はもっとも不安定な人々において著しい。
 新型コロナウイルスのパンデミック以前のアフリカの状況は、二〇一四年から二〇一五年にかけての商品市場の崩壊の結果として、経済の弱体化が目立っていた。その結果、多くの国で経済の基盤となっている原材料の輸出が大きな危機を経験してきた。これは明らかに石油輸出国の場合に当てはまるが、銅に関してはザンビアとコンゴ民主共和国、ボーキサイトに関してはギニアも同じ状況であった。
 これらの国々の多国籍企業への極端な依存は、収入が変動することを意味している。富裕国における危機はアフリカではさらに増幅しており、何らかの手段をとる予算的余裕がなく、社会的な保護もない中で、民衆に深刻な結果をもたらしている。

帝国主義の責任
を隠す不況予測


新型コロナウイルス危機は明らかにこの状況を悪化させるだけである。IMFは四月には国内総生産(GDP)の成長率が一・六%低下すると予測していたが、世界銀行は二・一%から五・一%の間というより高い数字を予想していた。
IMFは六月に計算を修正し、現在は三・二%の景気後退を予測しているが、これは世界銀行の悲観的な予測に近い。
フランスの開発機関(FDA)の東アフリカ地域ディレクターは「東アフリカ:新型コロナウイルス後に何を変えなければならないか」と題したコラムの中で、「大陸内の貿易上のつながりが、国際的なつながり以上に弱まっている」と述べている。その筆者は政府や行政に責任を押し付けている。それは事実ではあるが、この状況がどのようにして生じたのかを一度も自問自答していない。
アフリカの富裕国への依存は、何世紀にもわたる植民地主義、そしてその後の帝国主義的な政策の結果である。ヨーロッパは、アフリカにレント経済(訳注)を押し付け、地域市場の発展を犠牲にして、アフリカを単なる原材料備蓄の役割に限定してきた。それ以来、アメリカと中国を筆頭とする先進工業国は、世界規模でのこうした役割分担の恩恵を享受してきた。われわれが何年も聞かされてきた美辞麗句にもかかわらず、国民のニーズを部分的にでも満たす地域経済の発展を促進するためには、富裕国の政策変更をあてにしてはならない。
フランスでは、自由主義的なシンクタンクであるモンテーニュ研究所が、アフリカにおけるフランス企業の状況についての分析を発表している。この種の研究に見られる決まり文句を超えて、この研究所はフランス企業が景気回復に乗り遅れることを主な危険だと考えている。
「モンテーニュ研究所の評価をさらに詳しくするために二〇社ほどの企業を集めたところ、われわれは主なリスクが活動の再開を逃すことであるという結論に達した。すなわち、われわれは安全を確保しつつ、迅速に行動しなければならない」。
ヨーロッパ企業はすでに食品産業で準備を進めている。EUの補助金を活用して、乳製品企業は売れ残りの牛乳を粉末状に保存し、西アフリカでそれを販売しようとしている。その原理は「一定数のメーカーが乳脂肪を使ってバターを生産し、非常によい価格で販売してきた。そして、残った脱脂粉乳はパーム油を使って再び油脂化され、新興国では現地の牛乳よりも安い価格で販売されていた」というものである。
それは武力紛争によって大きな被害を受けているアフリカ大陸の畜産部門を危機に陥れるものである。

対外債務帳消し
が絶対的に必要


債務は、アフリカの経済的絞殺のもう一つの例である。新型コロナウイルス危機の間、アフリカの金融機関あるいは政治機構の長たちがむしろ控えめな態度をとっていたのは事実である。債務の帳消し、および国家財政に影響を及ぼす返済の帳消しを要求するのではなく、彼らは単にモラトリアム、つまり一時的な債務返済の停止を要求しただけだった。その一方で、富裕国は同時に、特に大規模産業への巨大な援助を通じて、経済を再生させるために数千億ユーロを支出することを発表した。
いずれにしても、このようなモラトリアムは債務全体には適用されず、貿易メディアが示すように「アフリカは、非二国間債権者に返済するための手段を外貨で見つけなければならないだろう。この非二国間債権者とは、アフリカ諸国が発行したユーロ債や他の銀行融資に投資した民間投資家のことである」。
CATDM(不当債務帳消し委員会)は、その論文の一つで、低所得国では債務返済の割合がGDPの平均七・八%であるのに対し、医療に対する支出はGDPの一・八%しか占めていないと指摘した。
食料をめぐる状況はすでに困難な状況にあった。二〇一九年末には、七三〇〇万人の人々が栄養失調の犠牲者となっていた。三年間の干ばつに続く大規模なバッタの侵入に直面して、東アフリカの作物の多くが大きな被害を受け、数千万人の人々が脅威にさらされている。中央アフリカ共和国、南スーダン、ソマリアのような国にとっても、軍事的紛争が続いているがゆえに、状況は非常に危機的なものである。
新型コロナウイルスの流行は栄養状態の問題を悪化させ、他の地域でも緊張を生み出している。とりわけもっとも不安定な人々を直撃している。
国連の報告は西アフリカと中央アフリカにおける飢餓に言及し、食料不安を抱える人々の数が一三五%も増加したと述べている。同様に、南アフリカにおいても食料不安を抱える人々の数は九〇%も増えていることも報告されている。
アフリカにおいても他の地域と同じように、新型コロナウイルス危機は、人々の社会的ニーズを満たす方向へと経済を再編成する必要性を示している。そのような変革は、アフリカの指導者や富裕国の政策課題には過去においても現在においても存在しない政治的意思を意味している。唯一の解決策は、民衆が政治の場に大衆的・爆発的に登場することなのである。
(訳注:レント経済とは、「レント」=石油や鉱産物などの天然資源収入に依存した経済システムのこと。)
(『インターナショナル・ビューポイント』二〇二〇年七月二〇日)
(ポール・マーシャルは、『インターナショナル・ビューポイント』の通信員。フランスの第四インターナショナル・メンバーで、『闘うアフリカ』の編集者)





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