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    かけはし2020年8月24日号

8・6ヒロシマ平和へのつどい2020


被爆・敗戦75年、今問われる民主主義

コロナ・パンデミック下で変革の道を問う

 被爆から七五年たったヒロシマで今年も「ヒロシマ・デー」集会が行われた。今年の「8・6」は、コロナ・パンデミックの中で、あらためて人々の生存と民主主義、環境・平和・人権のための闘いをどのように推し進めていくのかを問う日となった。8月5日、広島で開催された集会は、あらためてこの資本主義システムの危機の中で、核兵器・戦争・環境破壊・人権弾圧・貧困に抗して闘う人びとの間での国境を超えた連帯・共同の道を共につくり出していく努力をレベルアップしていくよう呼びかけている。(編集部)

 【広島】八月五日夕方、広島市内で実行委員会主催による「8・6ヒロシマ平和へのつどい2020」が開催された。会場の定員の半分、九〇人が間隔を空けて結集した。東京、長野、愛知、大阪、兵庫、愛媛、福岡からも参加があった。
 司会は、大月純子さん(福島原発告訴団・中四国事務局、ピースリンク広島・呉・岩国)。

「被害」と「加害」
双方の視点から


最初に「被爆・敗戦75年 ヒロシマから―自己を見つめることから―」という題で西岡由紀夫さん(広島県高等学校被爆二世教職員の会、被爆二世裁判原告、ピースリンク呉世話人)が発言した内容は以下である。
西岡さんは呉市で生まれ育ち、大学時代と非常勤の九年間を除けば五六年呉市内で暮らしている。
父親は一九一九年生まれで一九四〇年に宇品港から侵略戦争に従軍し第231連隊(藤部隊)、宜昌作戦(湖北省、長江)に歩兵として参加し吉林省で武装解除、シベリア「チタ」抑留後の一九四七年舞鶴港に帰国。母親は一九二七年広島市生まれで広島県立広島第二高等女学校時の一七歳で被爆し、一カ月ほど寝込み助かる。いつも健康不安を抱えながら二人の子どもを育てた。関千枝子著『広島第二県女二年西組―原爆で死んだ級友たち』『ヒロシマの少年少女たち 原爆、靖国、朝鮮半島出身者』を紹介した。そして一九二三年生まれの母の兄、伯父についても触れた。今の平和公園がある北天神町の呉服問屋に勤めていた。大久野島で毒ガス製造に従事した。一九四四年宇品港からフィリピンへ。ルソン島で戦死。吉田裕著『日本軍兵士 アジア・太平洋戦争の現実』『日本の軍隊―兵士たちの近代史』を紹介した。広島を考えるとき、原爆の被害に先立って、アジアへの「加害基地」だった。父母の歴史的経験(生活)が広島の歴史的意味の両側面を表現している。
「ヒロシマの心」と呼ばれる思想の核には「再び被爆者を出さないという」反戦の思いがある。そこには同時に、「水もやれず、救援に当たることのできなかった、生き残った者」の「申し訳ない負い目」が少なからずあると受け止めている。さらに思想を深めていくためには、田中利幸著『検証「戦後民主主義」(わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか)』で指摘されている日米の「罪と責任の否認」という共犯性について考える必要がある。黒い雨訴訟、外国人被爆者の問題、被爆二世訴訟、旧陸軍・被服支廠保存・活用、原発、核兵器禁止条約、高校生一万人署名活動・平和大使への支援に触れることはできない。栗原貞子さん、沼田鈴子さん、四国五郎さんを継承していきたい。

朝鮮半島めぐる
状況をどう捉える


続いて、尹康彦さん(在日韓国民主統一連合広島本部)は、「二〇二〇年 朝鮮半島をとりまく情勢」と題して発言した。
「一九世紀後半から東アジアは帝国主義の侵略を受ける。朝鮮は、日本による征韓論、日清戦争、韓国併合、そして日本の敗戦・祖国解放。同時に祖国分断が開始。広島・長崎でわれわれも被爆した。
米国での黒人差別の歴史的清算の動きは世界的なうねりになっている。韓国での動きを振り返る。
一九六〇年の四月革命、一九七二年七・四南北共同声明、一九八〇年の光州民衆抗争、二〇〇〇年の六・一五南北共同宣言(金大中・金正日)を経て、二〇一八年の四月板門店宣言、六月朝米首脳会談、九月ピョンヤン共同宣言・軍事分野合意書と画期的な流れとなった。しかし、一一月韓米ワーキンググループが発足して以降、逆流が強まっている。二〇二〇年に入り南北関係、韓米関係、朝米関係、韓日関係、朝日関係、いずれも困難な状況にある。日本国内での朝鮮学校に対する差別政策は高校無償化制度除外の他、幼保無償化制度からも朝鮮学校付属幼稚園を除外、コロナ『学生支援緊急給付金』から朝鮮大学校を除外。最後に、広島朝鮮高校無償化裁判について訴えたい。
二〇一三年八月一日提訴。二〇一七年七月一七日広島地裁判決はヘイトと言える不当判決。八月一日控訴。今年の一〇月一六日判決(予定)に注目していただきたい」。

小倉利丸さんが
オンライン講演


続いて第二部、記念講演「危機の時代とナショナリズムに躓く民主主義」と題して小倉利丸さん(批評家、元富山大学教員、現代資本主義論)がオンラインで発言した。講演の前に小倉さんの紹介を広島市立大学教員の田浪亜央江さんが多岐にわたり鋭く行った。小倉さんの講演内容は以下。

小倉利丸さんの講演から

「危機の時代」とナショナリズム、民主主義

いま「経済」を
語る意味とは


経済ということについても語りたい。巷では「仕方がない」という言葉が二つ使われている。ひとつは感染しないために自粛は仕方がない。もう一つは経済が拡大するために働くのは仕方がない=感染しても仕方がない。今日の集会に行くか行かないか、集会を開催するかしないのか、と右往左往する。言ってみれば自由のない生存権と生存権のない自由の理不尽な二者択一の中で生きる権利が掘り崩されている。むしろ私たちがめざすべきなのは、生存の権利と自由の権利を共に維持拡大する道を探る方向。政権や日本社会の支配的潮流の人々が経済戦力としてしか私たちをみていないのではないか。自粛せよ、働けと指示命令される主体性のない関係を強いられている。自分たちの健康状態すら知る権利を持っていない。この関係で将来戦争になればことはもっと深刻になる。
今、私たちの権利が狭められているなら、どう抗っていくか考えなければならない。感染の予防なのか経済の拡大なのかということ自体が今の社会の矛盾を表している。経済とは企業に利益をもたらすためにあるものではない。人類が集団生活をして以来、旧石器時代から、人々が自分たちの生存のために様々な仕組みを工夫して集団で維持してきた。経済とは人々の生存に責任を持つべきシステム。それを近代の社会は企業に利益をもたらす仕組みにして人々の誤解を組織して企業や経済成長に寄っかかるものにした。本来は企業の利益や経済成長に関係なく人々の生存に責任を持つのが経済であり、それが今の経済にできていないことが重要な問題。感染の予防に今の経済が資することができないのであればそれが問題。経済として責任を果たしていない。それをきちんと言う必要がある。根底から疑うことが必要。

パンデミックの
中で問う課題


もう一つの重要な対をなす問題。国民国家、政府の問題。どこの国の政府も自国ファーストを掲げている。パンデミックも環境も核や紛争の問題もグローバルな問題で各国政府は取り組めない。
各国にとって危機は外部からやってくるもの。自分たちの国、社会が内在的に持っている問題に目を向けない。人々の生存と自由を国家に従属させようとする。個人の権利よりも国家の権利を上に置く。教科書に出てくる法の支配も民主主義も貫徹していない。戦前・戦中の日本のアジア侵略、ドイツのホロコースト、アメリカ合衆国の核の使用、この三つの問題は象徴的出来事で根本的に解決されておらず、手を変え品を変え継承されている。一九四五年は思っているほどの歴史的転換点ではない。むしろ連続面が強い。問題のある近代の社会の継続である。地金が露出している。二〇世紀の経験とは、国民国家も市場経済も平和をもたらさなかった。貧困問題を解決せず環境問題を
悪化させて紛争を繰り返し、偏見と差別を助長している。未曾有の経済発展は未曾有の地球規模の利益を一部の人にもたらした。
パンデミックはどこの国も解決できていない。危機の時代の特徴とは二つある。一つは民主主義の危機。迅速な対応と強いリーダーシップが求められ多様性が抑圧される。民主主義自体がもともと脆弱。社会のごくわずかなところに民主主義の尻尾の部分があるだけ。
それがさらに危機になっている。もう一つはナショナリズムが強化されている。敵が国・国民の外部にあるとされる。ここがコロナ対策で強化されるとコロナ後は悪夢になる。しかしコロナ以前に戻ることが解決ではない。コロナ以前は、反省し戻ってはいけない場所とし、近代の限界をこえる新しい社会をつくる。もともと民主主義はわずかしかない。企業の経営、政府の官僚制、裁判制度、軍事組織、メディア、国際機関をみれば明白。選挙制度の変化もわずか。
危機とは私たちからみれば生存を脅かすもの。国家権力にとっての危機とは、国家の正当性の揺らぎ。為政者の言う危機と私たちにとっての危機の意味が違う。私たちの言う危機も主観的と客観的では違う。感染症の危機から経済リスクの危機に変化してきた。前に出るのが厚労相から経済再生担当大臣に代わったのが象徴的。人々の生存、健康よりも経済対策に代わった。ロックダウンも経済拡大策もうまくいかない。資本主義は言い切ってしまえば人々の生存の権利を保障できないシステム。どこの国も対応ができない。近代資本主義国家と近代資本主義経済では対応できない。資本の危機は労働者を犠牲にする。政府は予算措置を取っていない。暫定的な予算。もともと戦後一貫して人々の生存の権利のための予算であったことはない。

国民国家と市場
経済の枠組み


三つ目の話は、近代とは国民国家と市場経済の枠組み。その中に家族の制度もあるが触れない。
この制度は一九四五年で何も変わっていない。戦前も戦後も一貫している。今の危機の局面でここを考える必要がある。根本的なところで書き換えた戦後憲法はできたが、天皇制の本質は変わっていないと私は考える。戦前も象徴天皇制であった。国家にとって象徴は天皇。そこに実体権力も備わっていた。刑法は戦前と本質的に変わっていない。憲法も刑事訴訟法も民放も改正されたが刑法は改正されなかった。不敬罪とかは削除されたが。国家権力の中心の法律が変わらなかった。
他方で、戦前になくて現在のやっかいな問題を指摘したい。それが情報化の問題。コンピューター技術の問題。他の科学技術の問題と違うところは、この技術があらゆる領域で幅を利かせているという問題。遺伝子の解析……。意思決定のスピードが違う。立法府や司法では、まだ導入されていないが。コンピューターに左右される人間観が出てくる。研究者とは人間をモルモットのように見てしまう。職場でも家庭でも勤勉で適度な抑制ができ、理性的な行動ができ、濃厚接触者を報告できる人間を想定し、そこからはみ出す人間を度外視する。私たちは適当に働き、遊ぶ。経済のために感染するのはやむを得ないが、遊びで感染するのはけしからんという社会の見方が定着すると恐ろしいと思う。
もう一つの問題としては集団としての人間の権利を政府は無視している。運動内部でも対応が割れる。二者択一でない運動論が必要になる。最後に近代民主主義の限界、制度と人間観にふれたい。二〇年前、沖縄で民衆の安全保障というテーマで集会があった。国家の安全保障に対立する概念。今、この考えをパンデミックの感染症の問題に広げ再定義していくことが必要だ。

湯浅一郎さんの発言

現代文明の変革へ

露呈する軍事
力の「無効性」


続いて、集会の「まとめ」と題して湯浅一郎さん(ピースデポ共同代表)が発言した。概要は以下。


二〇一一年の福島原発事故についてピースデポとして「福島事態」と呼んで核エネルギー利用全体の問題として提起した。今回は一つの感染症としての意味にとどまらず、現代文明や人間社会全体のありようを問う重大事であり、私は、コロナ事態としてとらえたい。利潤追求と効率性を第一とした経済システムの脆弱性を踏まえつつ、ここでは、逆にコロナ事態は、人間活動の結果としてもたらされたものであり、そこから社会経済システムを含む文明の変革が求められていることをお話ししたい。
新型コロナウイルスの前で、軍事力は、「人間の安全保障」に全く役に立たず、核兵器を初めとした「軍事力で平和を担保する」という思想も全く説得力を失っている。保健医療に財源を投入すべき時に、それをはるかに上回る資源が軍事力に投入されていることの矛盾が浮き彫りになっている。世界の軍事費=一兆九一七〇億ドル(二〇一九年)。一方、国連、WHO、難民高等弁務官事務所など「人間の安全保障関連支出」の総額は二〇〇億ドルで、世界の軍事費の一%に過ぎない。  一九九三年五月に生物多様性条約を発効させ、二〇世紀末、人類は生物多様性の低減を食い止める国際的努力を始めた。名古屋での同条約第一〇回締約国会議で、二〇二〇年までに「生物多様性の損失を止めるために効果的かつ緊急な行動を実施する」ことを掲げた愛知目標を採択した。しかし、二〇一九年五月、「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットホーム」(以下、IPBES)が、「生物多様性と生態系サービスに関する地球規模評価報告書」を発表した。そこには例えば、「世界中に約八〇〇万種と推定される動植物について、今後、数十年のうちに、約一〇〇万種が絶滅する危機にある」と書かれている。先のIPBESの報告書「政策決定者向け要約」には、「開墾や生息地の分断、または多くの細菌性病原体に急速な抗生物質耐性の発現を引き起こす抗生物質の過剰投与といった人間活動によって、野生動物、家畜、植物や人の新たな感染症が増える可能性がある」とされている。

「文明転換」の
渦中で考える


またIPBESを主導する四人の専門家は短い論文で、「これはほんの始まりにすぎない。未来のパンデミックの可能性は非常に大きい。人に感染することが知られているタイプの未確認のウイルス一七〇万種が、哺乳類や水鳥にまだ存在していると考えられている。これらのいずれかが次の『疾患X』になる可能性があり、それらは、COVI―19よりもさらに破壊的で致命的な可能性がある」。生物多様性の低減や気候変動の急激な進行が、ウイルス感染の確率を高めている可能性があることを示唆している。コロナ事態は、人類に対して自然がお灸をすえているように見える。
IPBES専門家論文は、「気候変動や生物多様性危機と同様に、近年のパンデミックは人間活動、とりわけいかなるコストをかけても経済成長を評価するパラダイムに基づいた、世界の金融および経済システムの直接的な結果である」としている。そう考えると、自然を征服の対象と捉え、科学技術の発展を背景に無制限に開発を推し進めてきた現代文明こそが、生物多様性の低減を急激に進行させ、コロナ事態を引き起こしたことになる。
今、われわれが行うべきは、上記の観点から様々な公共政策を見直すことである。例えば、辺野古新基地建設、原発は、生物多様性国家戦略やさらに遠からず新たに策定されるであろう「ポスト愛知目標」に照らして許容できないことである。今、時代は文明の転換期の渦中にある。一八世紀の産業革命に端を発し、科学技術の進歩を背景に、資本主義的社会経済システムを運用し、石油漬け文明とでもいうべき時代が半世紀を超えて続いた。その中で、生物多様性を急激に低減させ、地球規模で気候変動を左右するに至った。今は、産業革命以降の人類の歩みを省察すべきときである。コロナ下で迎える七五年目の広島デーに、この点を共に確認し、新たな出発をしたい。

沖縄・福島の
メッセージ


続いて、沖縄からのメッセージ(ヘリ基地反対協議会共同代表の安次富浩さん)、福島からのメッセージ(武藤類子さん)が紹介され、「市民による平和宣言2020」を提案、採択した。そして翌日八月六日の行動提起を新田秀樹さん(ピースサイクル全国ネットワーク)が行った。

8・6にダイ
インとデモ


八月六日七時四五分から原爆ドーム前で「グラウンド・ゼロのつどい」を行った。発言者は、ピースサイクル全国ネットの小田諭さん、人民の力協議会の実国義範さん、関西共同行動の星川洋史さん、福山の坪山和聖さん、呉の西岡由紀夫さん。八時一五分から追悼のダイインを三分間行った。
湯浅一郎さんの発言を受けてからデモを中国電力本社前まで行った。デモの参加者六〇人。中電前での脱原発座り込み行動を一〇時まで行った。            (久野成章)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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