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    かけはし2020年9月28日号

安倍長期政権退陣の背景を問う


日本政治情勢とわれわれの課題(討論のために)・下

労働者・市民はいかに闘うべきか

B野党共闘の行方
(ポピュリズム台頭の背景)

菅政権の登場と総選挙

 コロナパンデミック危機の前に安倍が描いていたストーリーは、東京オリ・パラの成功と八月二四日の連続首相在任記録を樹立して勇退する。あるいは二一年一〇月に任期満了になる衆院選を勝ち抜いて、自民党総裁四選を実現して憲法改正を実現させるというものだったろう。
 第二次安倍政権が残した最大の政治的遺産は、特定秘密保護法(一四年七月)と、集団的自衛権の行使を可能とする安全保障関連法(一五年九月)ということになるだろう。特に安全保障関連法の成立によって、憲法九条の改憲がなされなくても実質的に日本の自衛隊と在日米軍の「実戦部隊としての一体化」が「合法化」されたことである。そのことと関連して、田原総一朗は毎日新聞のインタビューで以下のように話している。
 「一六年九月、首相は田原さんに『実は憲法改正をする必要がなくなった。集団的自衛権の行使を決めるまでは、アメリカがやいのやいのとうるさかったが、行使を決めたら何も言わなくなった』と漏らしている。 それでも改憲を掲げるのは『自分を応援する日本会議(日本最大の右派団体)系の論客たちのためではないか』という。『今の自民党で本気で改憲をやろう、という議員は一人もいない』」(八月二一日夕刊)。
 菅は「令和おじさん」となった昨年の一一月頃から、桜を見る会問題で内閣支持率が低下したことを見計らって、「ポスト安倍」を準備していたようだ。当初の予定では「安倍色」を消すために六月の国会会期末で官房長官を辞任し、来年九月の自民党総裁選に立候補するというシナリオだったようだ。しかし「鬼番頭」の今井と「大番頭」の菅不在の安倍政権は、もはや存続する体力も気力も喪失してしまったのであった。そして九月一六日に菅政権が誕生した。菅の強みは霞が関官僚から圧倒的に支持されていることだ。
 九月八日に毎日新聞が実施した世論調査によると、「安倍内閣を支持する」が五〇%(前月三四%)で「支持しない」が四二%(五九%)だった。政党支持は自民が三九%(前月二九)、立憲民主が八%(九)、維新が八%(一一)、公明が四%(四)、共産が四%(五)、れいわが二%(二)、国民民主が一%(二)、社民が一%(一)で支持政党なしが三一%(三六)だった。世論調査の結果は、内閣と自民党支持の突出である。また民主党新党への期待は、「高まった」が二四%、「低くなった」が一〇%、「期待していない」が六五%だった。
 「GoToトラベル」で方針転換した菅は、現在のコロナ状況をほとんど配慮することはないだろう。気になるとすれば一一月三日に実施される米国大統領選挙の結果くらいだろう。一〇月下旬から遅くとも年内の解散、総選挙が現実化してきている。菅にとっても与党が政権を維持すれば、来年九月の自民党総裁選の見通しも出てくる。

新・立憲民主党の評価


 旧民主党系の新党は、九月一〇日の議員総会で立憲民主党・枝野代表ということになった。新党に結集した国会議員は衆参合わせて一四九人。国民民主党にとどまった国会議員は一四人で、新党への不参加を決めている連合六産別の組織内議員九人のうち四人が国民民主党に加わった。
 しかし旧民主党系の再結集の動きに対して世論は冷ややかである。自民党政治に替わる「新しい政治」への希望の受け皿となるだろうと期待して成立した民主党政権(〇九〜一二年)に対する「国民的幻滅」が今なお強く影響しているからに他ならない。これは安倍長期政権を成立させた最大の要因でもあった。
 沖縄辺野古新基地建設問題や日米地位協定に対する弱腰政策、福島原発過酷事故への対応と原発再稼働などの原発維持政策、東日本大震災の影響がままならないなかでの消費税増税の決定など「コンクリートから人」と自らが掲げた旗をあっけなく降ろしてしまった。また、一七年の衆院選を前にして、小池都知事の「希望の党」入りをめぐって、安全保障関連法を容認する内容が含まれた「踏み絵」を踏んだのが国民民主党に結集する者たちだった。この者たちはこの時点で野党共闘の外側に完全に移行したのである。無所属グループを作る野田や岡田らも政治的には国民民主党に近いということができる。
 枝野らは国民民主党を新党に引き込むために「連合」を仲介者として使ったが、「官製春闘」の成果なのかはわからないが、今や七〇〇万連合組合員の六割以上が自民党に投票しているのが現実である。連合は自民党の大票田になっているのだ。
 とりあえず次の衆院選に対応するために「政策よりも数」というところに力点を置いているようだが、新・立憲民主党は旧民主党がそうであったように、様々な政策(原発ゼロ・消費税減税・共産党との共闘など)をめぐって内部対立を露呈していくことになるだろう。そして民主党政権最後の野田政権がそうであったように、右へ右へというベクトルに流されることになるだろう。「夢よもう一度」ということなのだろうが、新・立憲民主党はリベラル色を失い、没落していくことになるだろう。
 立憲民主党が「ダメ政党」である最大の理由は、「根無し草の議員政党」だというところにある。
 自民党は地域の保守地盤をカネの力でがっちりと固めている。カネと選挙はまさに一体であり、カネをばらまかなければ人も動かない。カネは自民党にとってガソリンのようなものなのだ。後援会は共犯者集団のようなものであるから、それを安全に維持するためには世襲が一番ということになる。
 公明党は創価学会が、共産党は党組織が地盤を固めている。社民党も旧総評系の労組を地盤としている。維新は大阪を拠点に全国進出をめざしている。国民民主党は旧同盟系の連合産別を足場にしている。
 立憲民主党のこれといった地盤・足場は一体どこにあるのだろうか。結局は無党派層を対象にして自民党政治に対するリベラル批判票の受け皿になろうとしてきた。地盤も定かでない、政策も定まらない、これでは政権を取るどころか政党として成立・存続すること自体が危ぶまれるのである。

東京都知事選と都議補選の結果


 七月五日に行われた東京都知事選と都議補選は小池と自公の勝利となった。小池は五九・七〇%を得票しての圧勝だった。以下、宇都宮一三・七六%、山本一〇・七二%、小野九・九九%、桜井二・九二%の得票率だった。連合は小池支持で、国民民主は自主投票だった。
 野党統一候補の宇都宮は惨敗だった。山本は前回の参院選で個人が取った九九万票には届かなかったが、れいわが比例区で獲得した四五万票を上回った(六五・七万)。小野も参院選東京区で当選した維新獲得票の五二万票を上回った(六一・三万)。
 都議補選は大田区が自公一一万、維新七・九万、立憲七万。北区が自公五・二万、立憲三・六万、維新三・四万、都フ二・三万。日野市が自公四・六万、共産三・五万。北多摩三が自公六・五万、共産三・七万、ネット三・七万だった。維新が票を伸ばして、立憲が苦戦している。共産は健闘したと言ってもよいだろう。
 山本は立憲から野党統一候補としての出馬を要請されたが、共闘条件としていた「消費税の五%減税」を立憲が飲まなかったことを理由に出馬を拒否している。れいわの内部でもれいわ単独での山本出馬に反対の声が多く上がっていたようだが、山本はそれを押し切った格好となった。山本は野党統一候補として敗退するよりも、衆院選に向けてれいわを宣伝する場として都知事選を利用したのだろう。

共産党はどうするのか、「れいわ」をめぐって

 共産党の志位委員長は「新自由主義からの転換が共闘の旗印になる」と発言しているようだが、立憲民主は国民民主とも協力関係を維持しようとしている。いくら選挙向けとは言っても、「新自由主義からの転換」は言い過ぎである。旧国民民主や無所属グループを抱え込んでいる新・立憲民主党は、党内に「共産党との共闘の解消」という圧力も大きい。次の衆院選は「共産票が欲しい」ということでそうした圧力を抑えているようだが、選挙後にも表面化することになるかもしれない。
共産党は昨年の九月に「れいわ新選組・山本太郎代表」と以下のことで合意している。@両党が野党連合政権をつくるために協力するA安倍九条改憲に反対するB消費税廃止を目標にするなどだ。しかしこの合意を基にして、どのような協力関係になるのかはまったく分からない。
もうひとつは「れいわ」の引っ張り合いである。都知事選で山本が獲得した一〇%の票は立憲民主としても取り込みたいのである。いま立憲民主党から出てきている「消費税ゼロ」は、完全にれいわを意識したものだ。れいわは現在、都市部を中心に一五の選挙区で候補者を擁立している。れいわは消費税減税で合意できれば「野党共闘として選挙に挑む」としていたが、どのような選択をするのかまったくの不明である。一二の選挙区で立憲民主と競合している。選挙区で勝てるとは思っていないのだろうから、共闘せずにれいわを宣伝して、比例で議席をとるという方針なのかもしれない。
しかし最大の問題は、はたしてポピュリストとのまともな共闘が可能なのかということである。
ひとつの例として今年の二月二日に行われた京都市長選での「共産・れいわ・新社・緑ブロック」の成立である。しかしれいわのかかわり方には批判がたくさん出されていたようだ。それは候補者を応援するということよりも、れいわの宣伝のために選挙を利用しただけなのではないかというものだ。
れいわの活動は障がい者の二人の国会議員を出しているが、表面的には山本個人によるもので、本人も認めているように完全なポピュリズムである。ポピュリズムには二種類あり、人民主義とデマゴーグ型だ。山本は現在の格差社会と貧困・差別問題に重点を絞って対案を示してきた。メインとなるのは「消費税の廃止」と「時給一五〇〇円」だろう。そうした意味で、山本のポピュリズムは「人民主義」だと言っていいだろう。「安保を天皇制をどうするつもりなのか」とケチ付けしても何の意味も持たない。票にならないことは主張しないというのがポピュリズムの鉄則なのだから。そしてれいわは実態として「山本の独裁」である。ポピュリズムとはそもそもそういうものなのだ。
山本の駅前などでの選挙集会を見たことがあるだろうか。非正規職で貧困にあえぎ、将来に希望を見いだせていないと思われる二〇〜四〇代の男女がたくさん集まる。これまで投票などしたことのない人たちなのかもしれない。コロナ事態で状況はさらに悪化しているはずだ。若年貧困層、これが山本れいわの地盤なのである。
八月二四日の毎日新聞(夕刊)に新著『ルポ 百田尚樹現象 愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)の著者である石戸論へのインタビュー記事が掲載された。以下はそこからの抜粋である。
「百田さんにとって大事なのは大衆受けする面白さで売れることが存在証明…」。百田現象の中心には「解き明かすものが何もなかった」。いうなれば「空虚」だ。その正体は何か。鍵は「ポピュリズム」にある。人民/エリートの二項対立・中心の薄弱なイデオロギーに特徴があるとし、「そこには体系的な論理は必要ない」…空っぽだからこそ「時々の空気をつかんで社会を動かす一つの運動になる」。自らの発言が持つ影響力の自覚もなく、人々を感動させるためならイデオロギーを自由に着脱する。…百田現象にみられる右派ポピュリズムは、敵/味方を分断するSNSと相性が良い。…「ネット上の気軽な排外主義的言説は一部の過剰なネット世論ではなく、まさに世の中のマジョリティーといっていい。そうした『ごく普通の人々』の感情につながっているからこそ、百田さんは問題発言を繰り返しながらも生きながらえている」…「インターネットから少し離れて、何かを考える時間をつくる。そういうのが意外と大事だと思う…」

Cエコ社会主義の可能性と課題
(階級と社会運動の再建をどこから始めるのか)

人類が滅亡する前に

 膨大な殺戮と破壊の第二次世界大戦が終わった直後から、人々は次の第三次世界大戦への危機感というものを持ち続けてきた。冷戦構造での世界戦争は「核戦争と人類の滅亡」につながるだろうと。朝鮮戦争、キューバ危機、ベトナム戦争、そして八〇年代に入ってからの反核運動まで、そうした危機感は強く持続されていた。
もちろん今でも核戦争の危機というものは取り除かれてはいないが、危機の状況というものは今日より複合的になっているのではないだろうか。例えば気候危機のなかで使われている「産業革命以前」という表現だが、産業革命以前の人類は一〇億人そこそこの人口だった。避妊などほとんど行われていなかったということもあって、たくさん生まれてきても飢餓、疫病、戦争などによって、そのほとんどが生殖活動が可能となる前に死亡していたからである。
現在の人類は七七億人で、二〇五〇年には一〇〇億人近くになるだろうと予想されている。そしてこの「人口爆発」と気候危機が重なり、水・食料の危機、数億人規模での人類の大移動、様々な暴力・衝突と戦争という事態はすでに発生しているのではないだろうか。そもそも数万年に及ぶ人類の歴史は、生き延びるための「移動の歴史」でもあった。しかし「国家と国境」の存在というものが、その「生き延びるための移動」を困難なものにしてきたのである。
人類の人口増加は資本主義の発展と一体的であった。資本家は多くの健康的な労働力商品とその再生産を必要としたし、そして同時に消費者を必要としたからであった。それ以前の人力主義的な農業を中心とする封建的社会では、人類は他の生物と同様に自然法則によって支配される存在に過ぎなかったのである。
人類史上最初の人口爆発は、産業革命発祥の地であるイングランドから始まった。それは必然的であった。「世界の工場」となったイングランドでは、工業都市が拡大し、上下水道が整えられ児童労働が禁止されるなどして、一九世紀から一〇〇年間で人口は四倍に拡大している。大英帝国による世界制覇の基盤はこうして作られたのであった。そして資本主義的な生産様式の拡大によって、このパターンが徐々に世界的に拡大したのである。日本も二〇世紀の最初の三〇年間で人口が倍増している。そして今それがサハラ以南のアフリカにまで拡大したということである。
グレタさんを始めとした若者たちの気候危機への危機感は、今日的で現実的な人類の危機を背景としている。様々なデマゴギーやニヒリズムを批判しながら、「正しい将来と未来への危機感」を若者たちと共有していかなければならない。オーストラリアや米国西海岸での干ばつと山火事、巨大台風や豪雨の頻発による洪水や高波被害、グリーンランドを始めとした北極圏で顕著な気温上昇と氷解による海面上昇と永久凍土の消滅によるCO2・メタンの大量発生、氷河消滅による水資源の枯渇、東アフリカから中東・インドでのバッタの大量発生と穀物被害などなど、気候危機に由来すると考えられる危機は多様である。また有害化学物質による生態系への悪影響も深刻である。特に人類に顕著にみられる精子の激減である。人類は間違いなく繁殖能力喪失に向かっている。
世界上位二〇〇〇人の富豪の資産が世界下位四〇億人の資産を上回っているとするデータが出されている。自家用ジェットで地球上のどこへでも自由に移動することができる「金持ち」にとっては、気候危機も食糧危機も局地的な戦争もおかまいなしなのだ。いざとなれば火星にでも逃げられると考えているのだろうか。しかし人類は今世紀中にも滅亡するか、滅亡に向かって突進する可能性を排除することはできないのも現実なのである。
今年の四月に刊行された「武器としての『資本論』」(東洋経済新報社・白井聡著)から以下引用する。
「資本主義の終わりを想像するよりも、世界の終わりを想像することの方が容易だ」という有名な言葉があります。環境破壊、経済危機、あるいは戦争など、原因はいろいろと考えられますが、「一〇〇年後に人類は存続しているのか」と考えると、相当不安が強い。ひょっとするともうダメかもしれない。少なくとも「間違いなく存続している」とは到底言えない状況です。「では、その原因は」と考えると、間違いなく資本主義なのです。なぜなら、現代の世界を覆っている社会システムは資本制であって、この資本制をどうにかしなければ現代社会の矛盾は乗り越えられない。…資本主義の終わりとはいったいどういうものなのか。…そして想像できないうちに、人類の方が終わりを迎えそうになっています。(P21〜22)
また今年の九月に刊行された「人新世(ひとしんせい)の『資本論』」(集英社新書・斎藤幸平著)からも以下引用する。
産業革命以前には二八〇ppmであった大気中の二酸化炭素濃度が、ついに二〇一六年には、南極でも四〇〇ppmを越えてしまった。これは四〇〇万年ぶりのことだという。…四〇〇万年前の「鮮新世」の平均気温は現在よりも二〜三度C高く、…海面は最低でも六m高かったという。…人類が築いてきた文明が、存続の危機に直面しているのは間違いない。…まさに経済成長が、人類の繁栄の基盤を切り崩しつつあるという事実である。…その原因の鍵を握るのが、資本主義にほかならない。なぜなら二酸化炭素の排出量が大きく増え始めたのは、産業革命以降、つまり資本主義が本格的に始動して以来のことだからだ。(P5〜6)
引き戻ることができなくなる前に、自然・環境・生態系と共存できないその破壊者である現在の資本主義システムを終わらせなければならない。そしてより平等で分かち合い、できうる限り自然と共存しながら幸福を追求できる自由な社会を、誰もが「明日を心配しなくてもいい」社会を創り出すこと。労働運動も社会運動もそうした社会と世界を創り出すための一歩一歩の営みなのだということ。中村哲のアフガニスタンにおけるしたたかな実践と挑戦は、世界にアピールする彼の大志だったのかもしれない。
新自由主義という資本家階級の側から仕掛けられた階級闘争に対して、少なくとも三〇年間は負け続けて後退してきた労働者階級の「屍」の上に、「人類が生き残るための」新たな希望と展望を掲げる労働者運動と社会運動を再生しなければならない。そのためにもひとつひとつの大衆運動を通した「小さな勝利」を積み重ねていくことが重要である。それらが大衆の自信となって、必ずや新しい未来への大道を切り開くに違いない。

現代の「過渡的綱領」
としてのエコロジー社会主義

 「エコロジー社会主義(気候破局へのラディカルな挑戦)」(柘植書房新社・ミシェル・レヴィ―著)が八月に刊行された。エコ社会主義の思想は思想として理解され、広めなければならない。特に石炭火力発電に依存して「石炭中毒」と揶揄され、「脱炭素社会の劣等生」として世界から批判を受けている日本ではそうだ。もちろん原発政策はただちに中止されなければならない。
しかし持続可能な自然エネルギーへの転換が、日本では原子力村や地域電力を独占してきた電力会社の利益優先政策のために遅れをとっている。政府が一五年に決めたエネルギーミックスでは、三〇年までに全体に占める再エネの発電量を二二〜二四%としたが、一八年度の実績では一七%だ。一方、二〇〜二二%とした原発は、福島事故後に再稼働した原発は九基で、現在稼働しているのは四基である。一八年度の発電量は全体の六%であった。石炭火力は二六%としているが、一八年度の依存度は三二%である。
梶山経産相は七月三日に国内にある一一四基の石炭火力発電所の約九割を削減して、六〇〜一〇〇万KWの新型発電所の建設を進めていることを発表した。削減対象になるのは出力一〇万KW未満の旧型としている。また新型は「高効率」とされているが、一KW時当たりのCO2 排出量は七九五〜八三六gで旧型の八六七gとほとんど違いがない。パリ協定に基づいて政府が提出したCO2 の削減目標は、三〇年度までに一三年度比で二六%の削減である。しかし現在、新設・計画されている石炭火力発電所は全部で一七基だ。しかし旧型の一割と、新設する一七基全部を稼働させた場合、石炭火力発電への依存度は四〇%にまで跳ね上がるとの試算も出されている。これは地球温暖化対策に対する敵対行為であり、暴挙に他ならない。五〇年までにはCO2 の排出を八〇%にまで引き下げるとしているが、やる気がまったくないということの表明だ。原発反対と合わせて、石炭火力発電反対のキャンペーンを強めなければならない。
またリニアは現在、大井川源流部でのトンネル建設をめぐって、静岡県が反対しているために完成の見通しが立たなくなっている。今回のコロナパンデミックは、オンラインの普及などと合わせて「リニアの無駄」を浮き彫りにした。総工費九兆円を支出しなければならないJR東海は、「やる」とは言っているが、当初から採算が合わないのではと懸念されていたこともあって、相当動揺しているはずだ。電気を食う「モンスター」、エコ社会の敵、リニア建設を中止に追い込もう。

東京オリ・パラの中止と消費税廃止を


コロナパンデミックは終息はおろか、インド・欧州での再拡大が始まっている。そんなさなかにIOC(国際オリンピック委員会)のジョン・コーツ副会長が「大会はウイルスがあろうとなかろうと来年七月二三日に開催する」と発言していたことが九月七日に明らかにされた。これは「安倍辞任」で東京オリ・パラ開催が危うくなるのではないかとする、IOCの危機感の表明に他ならない。バッハ会長が火消しを図っているが、発言は「文脈の一部」だとしてコーツ発言を擁護している。それはコーツ発言こそIOCの本音だからだ。
IOCはこれまでもエボラ出血熱、SARS、新型コロナ、MARSなどのウイルス感染に対しても、それらの発生と拡大をまったく考慮することなくオリンピックのごり押し開催を最優先してきた。莫大な資金が流れ込むオリンピックの中止は、まさにオリンピックマフィアの巣窟であるIOCの死活問題に直結する。IOCは人々の命よりも、目先のカネを最優先する腐った資本主義システムを象徴しているような組織なのだ。
東京オリ・パラ反対と中止を訴える運動は、反資本主義の闘いに他ならない。東京オリ・パラを中止に追い込んで、オリンピックの廃止とIOCの解体を実現しよう。
いびつなまでに拡大した格差社会。原因は新自由主義資本主義にあることは明らかだ。特に消費税は、税の負担者であってはならない子どもや、貧困層からも容赦なく税金をむしり取る「悪税」である。一方で政府にしてみれば、消費税は「打出の小槌」に他ならない。消費税はこれまで三回の増税を通して、法人税と所得税減税分の穴埋めとして使われており、まさに格差社会の「推進税」なのだ。
本来税とは人々や所得活動の能力に応じて課す、「応能負担原理」によって決められなければならないはずだ。しかし課税の不平等化は、格差をさらに拡大させて生存権をも脅かしている。消費税は一日も早く廃止されなければならない。法人税と所得税の累進課税の強化、一律二〇%となっている金融所得税の累進課税化、タックス・ヘイブン資金の没収、税金を食い物にしている「タックス・イーター」や、それらと結託する政治家を一掃しなければならない。まさに消費税廃止と税制の公正化をめざす闘いは、反資本主義の闘いだ。コロナ解雇反対、最低賃金を全国一律一五〇〇円を実現させる闘いと結合して闘おう。  (高松竜二)



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